北海道の南東部に位置し、日高山脈の雄大なすそ野と太平洋に抱かれた大樹(たいき)町。広大な土地をいかした農業・酪農も盛んですが、官民一体となって「宇宙のまちづくり」が行われていることでも知られています。その核となるロケット射場である「北海道スペースポート(HOSPO)」の近くで放牧酪農を営んでいるのが、今回取材に伺った「KOJIMA FARM」です。酪農がメインですが、2年程前から限られた量ですが牛肉販売も始めています。新規就農から約25年、夫婦で酪農と向き合ってきた小島幸康さんと真由子さん夫妻にこれまでのことなどを伺いました。
牧場を持ちたいと帯広畜産大学へ。いろいろな乳牛がそろうKOJIMA FARM
小島さん夫妻が営む「KOJIMA FARM」では、春から秋は牛たちを放牧しています。牧場の草地では、白と黒の牛だけでなく、赤茶色や濃い茶色などさまざまな種類の牛たちがのんびりと草を食んでいる様子が見えます。KOJIMA FARMでは、日本の多くの牧場で飼養している白黒のホルスタイン種だけでなく、「5大乳用種」と呼ばれる5種の乳牛をすべて飼育しています。
物珍しそうにカメラを見つめる牛たち。左からブラウンスイス種、エアシャー種、レッドホルスタイン。ガンジー種は日本に約200頭しか飼育されていない希少種だそう。
「大学の授業で、世界には5大乳用種というのがあると習ったんです。ホルスタイン、ブラウンスイス、ジャージー、エアシャー、ガンジーの5種。それ以来、いつか牧場を始めたときに5種がそろっていたら楽しいかなと思って(笑)、揃えてみたいねと夫と話していたんです」と妻の真由子さん。
小島さん夫妻は、帯広畜産大学の同級生。お互い自分の牧場を持ちたいと夢を抱いて進学しました。
「僕は名古屋出身で、動物も好きではありましたが、とにかく実家のある場所から遠くに行きたいと思って帯広畜産大学へ進みました。最初は、羊を飼う牧場がやりたいと思っていたんです。今は羊だけでやっている方もいらっしゃるかと思いますが、当時、羊だけでは食べていけないよと大学の先輩に言われ、それで牛に...。『開拓同志会』というサークルに入って、大学の農場にいる牛の世話や搾乳を経験させてもらううちに牛でもいいかなと思ったんです」と幸康さん。
こちらが、5大乳用種を飼育するKOJIMA FARMの小島幸康さん・真由子さんご夫妻
一方、真由子さんは東京の日野市出身。「小学生のときに、近くで牛を飼っているところがあって、なぜか堆肥の匂いが好きでいつも牛が気になっていたんです。また、大きな団体が運営している農村で牛の出産を見せてもらうなど、牛と触れ合った経験もより牛に興味を持つきっかけとなりました」と話します。また、「両親が1時間かけて通勤する共働きだったため、私は鍵っ子だったんです。団地住まいで動物が飼えなかったこともあり、酪農家だったら、家族で仕事ができるし、満員電車に乗る必要もないし、敷地内に好きな牛はいるし、すべてが叶えられると思ったんです」と振り返ります。
真由子さんは小学6年生のとき、友達から「帯広畜産大学」という大学があるらしいと聞いて以来、ずっとブレることなく帯広畜産大学へ進学しようと決めていました。
「高校のとき、将来酪農家になりたいと話していたら、担任の先生が知り合いのいる八王子の牧場へ連れていってくれたんです。掃除の手伝いなどをさせてもらったんですけど、牧場にいるのが楽しくて、あらためてやっぱり帯広畜産大学へ行こうと思いました。細かいことは分からなかったけれど、北海道へ行けば酪農家になれると思っていたんですよね」と真由子さん。
大学2年から交際を始めた2人は、お互い酪農家になりたいという気持ちがあったので、自然と新規就農を目指すようになり、大学4年になってから本格的に新規就農に向けて考え、動き始めます。
「ずっと自分で牧場をやりたいと思ってはいましたが、酪農のバイトやサークル活動を通じて、新規就農するのは結構ハードルが高く、大変なことだと感じていました。だから、軽々しい感じで牧場やります!とは言えなくて、3年生まではかなりふんわりした感じでいたのですが、4年生になって卒業後の研修先を決めて本腰を入れ始めました」と幸康さん。
夢を叶えるため、それぞれ研修生と検定員に。やっと巡り合えた2人の牧場
幸康さんの研修先は大樹町にある金丸牧場でした。そこへ行くことになったのは、大学の先輩がきっかけだったそう。先輩の家に手伝いに行った際、幸康さんが新規就農のための研修先を探していると話すと先輩が近所の金丸牧場を紹介してくれました。

「ちょうど金丸牧場が規模を拡大するというタイミングで、人手が必要ということだったこともあり、受け入れてもらうことができました。入るときから、新規就農をしたいと伝えていたのですが、金丸さんからは最低でも3年はいてほしいと言われていたので、3年は頑張ろうと決めて仕事に取り組みました」と幸康さん。
幸康さんが大樹町で研修することになったため、真由子さんは大樹町でヘルパーをしようと考えていましたが、「ヘルパーをやっていた大学の先輩が新規就農を考えているなら、ヘルパーをやるよりも農協の検定員の仕事をしたほうがいいとアドバイスをくれたんです」と振り返ります。
検定員とは、乳牛の能力や健康状態(乳量、乳成分、繁殖状況など)を毎月1回調査・データ化し、酪農家の経営改善をサポートするのための牛乳サンプルを各農家の搾乳時間に立ち会って、採集してくるスタッフのこと。ヘルパーは酪農家さんがいないときにサポートに入るため、酪農家さんと話せるタイミングが合わなかったり、酪農家さんがいたとしてもお互い作業をしているので、ゆっくり話すことができないことも多いといいます。けれども検定員なら、さまざまな酪農家のところへ行けるし、酪農家さんが搾乳しているのを後ろで見ているのでいろいろ話も聞くことができ、新規就農にあたって勉強にもなるだろうということで勧めてくれたのでした。

大樹町の農協の臨時職員として検定員になった真由子さんは、「実際、検定員をやったおかげで、町内の酪農家さんたちに顔も覚えてもらえて繋がりもできましたし、就農したいと話したらいろいろなアドバイスももらえました。就農時から、たくさんの方に応援していただきました」と話します。
幸康さんの研修が3年目を迎えた頃、就農するための場所探しに2人は奔走します。あちこちを見て回り、「ここがいいかも」と思って役場や農協、普及所に相談。間に入ってもらっても初期投資がかかりすぎるなど、最初はなかなかうまくはいきませんでした。「代々酪農を続けている家だと、その家の人だけでなく、親族の承諾が必要なこともあるんですよね。本家だったりすると、みんなが集まる場所がなくなってしまうということもあるので。あたりまえのことなんですけど」と幸康さん。
何軒か回ったとき、農協の人から「そろそろ引退を考えている人がいる」と情報をもらいます。高齢の男性が一人で牛を数頭飼っていて、引退の準備をしているということで、実際に見学に行くとここなら放牧酪農ができそうだと感じたといいます。ただ、本家だったということで農協の人や農業改良普及員の人が間に入って調整のサポートをしてくれました。
就農時に決めていたのは、規模を拡大せず、放牧酪農を行うこと

2001年、無事牧場が手に入り、就農できた小島さん夫妻。牧場を始めるにあたって、夫婦で決めていたのは「放牧酪農」と「規模拡大はしない」の2つでした。すでにある牛舎や施設を使うため、どうしてもいろいろなことが限られてしまうということもあり、無理な拡大は考えず、自分たちでできる範囲で十分と考えていました。
真由子さんが「従業員を入れずに2人でやりたかったんです。極端な話、パンツ1丁でウロウロしていても平気な感じでやりたかった(笑)」と言うと、「たとえが極端だよ(笑)」と幸康さん。「要は、2人だとちょっと寝坊しても、しょうがないねで済むけれど、従業員を雇うと、時間通りにきちんとしなければならなくなるし、従業員の生活も守るという責任をもつ自信がなかったんです。それと、経営が成り立つのならなるべく少ない頭数でやりたいとも思っていたんです」と教えてくれました。
お二人のかけあいが素敵です
放牧酪農に関しては、真由子さんが「本州の人間からすれば、北海道で酪農やるといったら、放牧しているイメージが大きかった」と言うと、幸康さんも「僕たちがやるならやっぱ放牧でしょって感じだった」とうなずきます。春から秋は放牧をし、冬は天日でしっかり乾かした自家産のロール牧草を与えているそう。その牧草も農薬や除草剤は使わず、減化学肥料で牧草栽培を行っています。
牛の種類もホルスタイン種だけでなく、ジャージー、ブラウンスイスなどを少しずつ増やしていきました。「5大乳用種を飼育できるのも家族経営だからこそ。楽しみを持って自分たちの好きを形にすることができるのが家族経営のいいところです」と真由子さん。
家族で食べていた肉牛を「もったいない」から販売へ。ぽてぱるビーフの誕生
4人の子宝に恵まれた小島さん夫婦。上の2人が大学生、下の2人も中学、高校生となり、牛肉販売を始めようかと検討し始めます。
「ホルスタインの雄は肉牛として買い取ってもらいますが、ジャージー、ブラウンスイスなどは雄が生まれると肉牛として買値段がつかないことが多いです。そうなると殺処分されてしまうことになります。それなら、自分たちで食べようということでこれまではずっと家族で食べ、友人知人にもお裾分けしていたんです。でも、だんだん食べ切れなくなって、もったいないし、販売しようかと考えていました」と幸康さん。
ガンジー牛のハンバーグや焼肉、すき焼きなどを販売。珍しい牛種のお肉ですが、クセもなく美味しいお味。
ところが、その話をしている最中に幸康さんが病に倒れ、しばらく入院することになります。ちょうど今から2年前、2024年の話です。
入院中、1人では50頭近くいた牛たちの乳を搾れないので、牛乳の出荷を一時やめ、牛たちを手放します。コロナ禍で牛の値段が暴落していた時期でしたが、乳牛市場ですべて売れ残ることもなく販売することができたので、真由子さんは「ありがたかったですね。それもこれもこれまで夫がきちんと丁寧な仕事をしてきてくれたおかげだと思いました」と話します。幸康さんも当時を振り返ります。
「自分の牛を売るとき、牧場主がいない中、農協職員の方や家畜運搬トラックの方、購入者の人も協力してくれたり、安く買えたからと生まれた子牛を返してくれた方もいます。退院後お肉を販売した際は、何度も買いに来てくれたり、様子を見に来てくれたり。単純な生産者と消費者ではない関係の中で生活しているのだと思います」
また、当時は末の子が中学生だったため子どもの送迎や残っている牛の搾乳などに追われ、くよくよしている時間はなかったと真由子さんは振り返ります。「毎日当たり前のように自分のところで搾った牛乳を飲んでいましたが、突然、その牛乳がなくなったとき、今までいかに贅沢で恵まれた生活をしていたかを実感しました」と話します。今はまた自分たちの絞った牛乳を飲めるようになり、「あらためて幸せを噛みしめている」と続けます。

幸康さんの退院後、預けていた仔牛が戻ってくるなど、少しずつ頭数も戻り始めていますが、幸康さんは「下の子も高校2年生になり、子どもたちの教育費の見通しが立ちそうなのと、自分たちの体力のことも考えて経産牛30頭くらいまで増やして続けていけたらいいかなと」と話します。
「退院してから牛肉販売を始めましたが、これも規模を大きくしてやっていこうというより、もともと食べきれないからという理由で始めたので、レアな品種の牛の肉に興味がある方や取り組みを応援していただける方にぜひおすすめしたいです」と幸康さん。
牛肉のブランド名は「ぽてぱるビーフ」。乳牛にも与えてきたでんぷん粕を肉用牛にも与え、できるだけ輸入穀物を減らして牛を育てました。でんぷん粕はスターチパルプというそうですが、原料はジャガイモなので、ポテトパルプのほうが分かりやすいだろうと、略して「ぽてぱる」と名前を付けたそう。

最近、大樹町のふるさと納税の返礼品としてもぽてぱるビーフのハンバーグが選ばれたばかり。肉と同様、ネットでも購入できるほか、敷地内にあるプレハブの店舗兼事務所でも購入できます。「一応販売していますが、もともと家で食べていたときも来客があると、『持っていって』と渡していたので、今もそんな感じの感覚が残っていて、知り合いが買いに来てくれるとついおまけをたくさんつけてしまうんです」と真由子さん。「注文があると嬉しくて、おまけのほうが多くなってしまったことも...」と幸康さんも笑います。「それでもホームページを見て連絡をいただいたり、購入してくださる方がいるとやっぱり嬉しいですね」と2人ともニッコリ。
新たにやってきた家族はポニー。夢を叶えた2人の次のステップは...
昨年、一番下のお子さんが帯広で下宿をはじめてから夫婦2人の生活がスタート。何か変化はありますかと尋ねると、ポニーを飼い始めたそう。子どもたちが巣立ったあと、犬を飼おうと思った真由子さんは、ちょうど犬が生まれた先輩の牧場があると聞き、譲ってもらうために訪ねますが、すでに仔犬たちは行き先が決まっていました。ところが、先輩に「ポニーも生まれたんだけど、ポニーいるかい?」と声をかけられ、真由子さんは「いる!」と即答。犬の予定がポニーを迎え入れることに。幸康さんが犬小屋ではなく、ポニー小屋を設計して建ててくれたそうです。

25歳でこの地に新規就農し、地に足をつけて、ただただ実直に牛を飼い続けてきた小島夫妻。幸康さんは、「25歳の時点で、牧場を自分たちでやるという夢を叶えることができました。多くの人に助けていただいて、見えないところでも支えていただいたおかげです」と振り返ります。「あとは牧場をやりたいと言って始めた以上、もうやるしかなくて、ただそれを続けているだけで、それが当たり前になっている感じ。途中からは子どもたちをとにかく育てなきゃならないし、サラリーマンと違って毎月決まった金額が入ってくるわけじゃないから、結構必死にやっていた時期もありました。でも、もう子どもたちも手が離れはじめ、今は安心感に浸っている感じですね。とりあえず続けてきてよかったなと思います」と穏やかに話します。
「私たちは自分たちの想いで牧場を始めたので、子どもたちもやりたい道を選んで、自分らしさを活かせる職に出合えるといいと思っています。いずれは、牧場を閉めることになるかもしれないし、ちょっとずつ縮小していけたらいいのかなと考えています」と幸康さんは続けます。真由子さんも隣で大きく頷き、「今は時間がかかってもやってみたいことをやれることが楽しいです。これからのことは2人でゆっくり考えていけたら」と話してくれました。

志を持って十勝へやって来た若い2人が大学で出会い、二人三脚で牧場を切り盛り。2人の話を伺っていると、周りに流されることなく、無理せず自然体な感じでやってきたのがよく伝わってきます。ユーモアある掛け合いに温もりを感じるのは、長年共に支え合ってきた2人の醸し出す温かな雰囲気のせいかもしれません。

- KOJIMA FARM 小島幸康さん・真由子さん
- 住所
北海道広尾郡大樹町美成321番地5
KOJIMA FARM ぽてぱるビーフ https://poteparu.raku-uru.jp/















