道南に位置する森町(もりまち)。道内の市町村で唯一、「町」を「まち」と呼ぶ自治体です。豊かな漁場である噴火湾に面していることから漁業が盛んなのはもちろん、農業や林業も重要な基幹産業になっています。そんな森町で、地域おこし協力隊として3年間活動し、2026年の春から町の職員になったのが荒井一樹さんです。荒井さんは、全国的にも珍しい「鳥獣対策」というミッションを担い、里山づくりに取り組んできました。現在は農林課に所属し、より長期的な視点で森町の環境整備に貢献したいと話す荒井さんに、協力隊になるまでの歩みや協力隊としての活動などについて伺いました。
幼少期に森町で暮らし、小学生で埼玉へ。自分に合う仕事探しをした20代前半
荒井さんは函館生まれで、小学5年の終わりまで森町で暮らしていました。母方の祖父母も森町の砂原地区(当時は合併前の砂原町)に住んでおり、歩いて行ける距離に海があり、よく釣りにも行ったそう。
「30年近く前のことなので、小学校の頃の記憶はちょっとうる覚えなんですけど、のびのびといつも外遊びをしていた気がします。クラスの中でも元気なタイプの子だったと思います」
6年生になる前に、自然豊かでのどかな森町から埼玉へ引っ越すことになります。それまで暮らしていた森町とはまったく異なる、人がたくさんいて、建物もたくさんある環境。移り住んですぐの頃はそのギャップに戸惑ったこともあったと話しますが、「周りの友達に恵まれて、すぐになじむことができました」と振り返ります。
こちらが荒井一樹さんです
幼い頃から車が好きで、ずっと自動車関係の仕事に携わりたいと思っていた荒井さんは、迷うことなく高校は埼玉の工業高校へ。モノづくりも好きで、手を動かすのも得意でした。
「でも、いざ実習で旋盤加工や鋳造など、いろいろな経験をするなかで、油の臭いや汚れが気になるようになって、次第にそのような仕事への熱は薄れていきました。そのうち、何がしたいのかが分からなくなって...」
工業高校といえば就職率も高く、大半の生徒が就職しますが、荒井さんは「やりたくない仕事に無理やり就いても、きっと長く続かない」と考え、自分に合う仕事、本気で打ち込める仕事を探そうとフリーターの道を選びます。
まずは高校3年の頃から続けていたイタリアンレストランのキッチンのアルバイト。特に料理に興味があったわけではありませんがしばらく勤務。「今となっては、このときに包丁さばきや料理のことをいろいろ学べたのは良かったですね」と笑います。その後、自宅から近いゲームセンターなどのアルバイトを経て、21歳になる頃、通信制御機器などを製造する総合電子メーカーの子会社に製造のアルバイトで入ります。

周りにも恵まれ、正社員に。15年経ち、ここで働き続けられるか迷いが...
「当時は若くて考えも甘く、ここの会社も自宅から近い場所にあって、仕事がラクそうかもというそんな動機でした。でも、ここに入ったことが自分の中ではひとつの転換期となりました」
アルバイトで入ったものの、すぐに親会社のほうへ出向することになり、人生初の正社員に。さらに、丁寧な仕事ぶりを見た親会社の担当者から、製造とは異なる親会社の仕事をやってみないかと声をかけられます。
「その頃は何でも吸収したい!という気持ちがあり、その仕事を担当させてもらいました。携帯電話の電波を障害なく通すための特殊な装置を製造する専門的な仕事でした。親会社の方たちには本当にかわいがってもらい、所属していた会社が倒産した際も親会社にそのまま転籍させてもらうことができ、今振り返っても恵まれていたなと思います」

約15年その会社に勤務し、ラインリーダーとして製造現場全体をまとめる役割も経験。最後の数年間は生産管理や営業に異動し、未経験の業務にもチャレンジしました。
「やったことのない仕事を始めるときは、ゼロからなのでそれなりに苦労もありました。でも、この会社で学んだ知識や経験、自分をここまで引き上げてくれた先輩たちとの繋がりは、今でも大きな財産です」
職場の人間関係も良く、休日にスノーボードやキャンプなどに会社の仲間ともよく出かけたそう。
しかし、30代半ばに差し掛かった頃、荒井さんの心に少しずつ変化の兆しが現れ始めます。きっかけは、職場で尊敬していた先輩たちが次々と退職していったことでした。荒井さん自身も社内での社歴が長くなるにつれ、「定年までこの会社で自分自身がやりきれるだろうかと考えた時、次の道も決まってなくモヤモヤする日々が続きました」と話します。

思い入れのある北海道で自然に携わる仕事がしたいと、協力隊に応募
そんなある日、たまたまテレビで流れたバラエティ番組に、荒井さんの目は釘付けになります。それは、北海道の秘境駅と呼ばれる無人駅で降りてくる乗客を待ち伏せするという内容の番組でした。
「そっくりというわけではありませんが、番組に登場した無人駅の景色が、なんとなく小さい頃に過ごした砂原の駅の記憶と重なったんです。その番組では、実家の農作業を手伝うために東京から帰省してきた人がインタビューされていたんですけど、それを見た瞬間、『ああ、自分も農業や林業のように自然に関わる仕事をして生きていきたい。やるなら、やっぱり思い入れのある北海道だ』とスイッチが入ったんです」
心が決まってからの荒井さんの行動は早く、東京で開催された林業の就職フォーラム「森林(もり)の仕事ガイダンス」に足を運び、北海道での担い手支援の情報を集め始めます。
一次産業を中心に、北海道らしい仕事、暮らし方を模索したと言う荒井さん
「林業は道央や道東が盛んだと教えてもらったのですが、自分の中では少しでも土地勘や思い出のある道南エリアや森町がいいと思っていたので、何か仕事がないかとインターネットで検索しました」
そこで見つけたのが、森町の地域おこし協力隊の募集でした。「地域材を生かしてPRする」というミッションで、工業高校で学んだモノづくりの技術が生かせるかもしれないとすぐに応募します。しかし、役場の担当者からかかってきた電話の内容は思いもよらないものでした。

「そのミッションの枠はタッチの差で別の方に決まってしまったというものでした。こればっかりはタイミングだから仕方ないと諦めかけた時、電話の向こうで『実は、これから鳥獣対策の分野でもう1名募集しようと思っているんです。未経験だとは思いますが、興味はありませんか?』と言われまして...」
この電話の主は、現在の荒井さんの上司である森町役場農林課の佐藤司参事。思ってもみなかった提案に、荒井さんは少し考えさせてほしいと返答します。
「正直、その電話で鳥獣対策というものを初めて知りました。でも、大きなくくりで見れば、自然に関わる仕事であることに変わりはないし、これも何かの縁だと思いました」
たまたま東京出張に来ていた佐藤参事と直接会い、その場で「ぜひやらせてください」と返事をした荒井さん。のちに佐藤参事は、荒井さんの履歴書に書かれていた「幼少期に森町に住んでいたこと」「祖父の家が砂原にあること」を見たときにビビッと来たと話していたそう。
「せっかくだから直接会ってお話したかった」と当時を振り返る佐藤司参事(写真右)
こうして2023年の春、荒井さんは住み慣れた埼玉を離れ、マイカーに荷物を詰め込んで森町へと向かいます。
「埼玉に移ってから、しばらくの間、愛知にいる叔父が岐阜の叔母と埼玉の私たちを車で拾い、みんなを乗せて森町の祖父母の家へ連れていってくれたんです。自分もいつか大人になったらと車で北海道まで来てみたいと思っていたのですが、もう叔父さんと同じくらい往復しています(笑)」
荒井さんの住まいは、祖父母が住んでいた砂原の家。今は、思い出の詰まった懐かしい家に暮らしています。祖母は早くに亡くなり、祖父が一人で住んでいましたが、その祖父も6年ほど前に他界。もし、荒井さんが地域おこし協力隊で森町に戻ってこなければ、その家もいつか取り壊さなければならなかったかもしれないと話します。

知識も経験もゼロから。鳥獣対策で避けられない命を奪うことへの覚悟
当時、森町の地域おこし協力隊には委託型と雇用型(会計年度任用職員型)の2つがあり、自治体から活動を委託される個人事業主の委託型に対し、雇用型は自治体と雇用契約を結び、公務員として活動する形態になります。他隊員の多くが委託型ですが、荒井さんの契約は役場に席を置く雇用型。これは役場や猟友会と密に連携し、町の鳥獣対策の核になる人材に育ってほしいという期待の表れでもありました。
「とはいえ、着任したときは、狩猟の免許もなければ、野生動物に関する知識もゼロ。最初は不安しかありませんでした。役場の雰囲気も分からないし、ましてや猟友会ってどんな人たちがいるんだろうって、勝手に緊張していました(笑)」

最初は、所属先となる林務係の職員の先輩たちから仕事内容を教えてもらいながら、ヒグマやシカの目撃情報があれば現場へ出向き、ときには地元のベテランハンターたちに同行することも。また、野生動物のことを学ぶためにエゾシカ協会で開催する1週間の研修などにも参加しました。
「皆さんいい人ばかりで、職場にはすぐになじめました。ただ、1年目は北海道の広さと移動の大変さを痛感。子どものころは道南しか知らなかったので、研修を受けるために江別市(札幌市の隣まち)や西興部村(森町からは車で6時間以上離れたオホーツクエリアのまち)まで自力で行く際にこんなに広いんだと驚きました」と笑います。
荒井さんは鳥獣対策で避けては通れない「命を奪う現場」とも向き合います。農業被害が深刻なシカやヒグマ。罠にかかった外来種のアライグマを自分たちの手で電気ショックを与えて絶命させなければならない場面が何度もありました。
実直な人柄と行動力で、役場や地元のハンターたちからも厚い信頼を寄せられています
「目の前で生きている動物の命を、人間の手で止める。これは精神的にもキツくて、アライグマの電気止め刺しの現場に立ちあったときや研修でシカの解体を見学したとき、自分がこの先、鳥獣対策の仕事をやっていけるかどうかを考えさせられました。でも、まちの方たちから困っているという声を聞くうちに、まちの農業や暮らしを守るために必要な仕事であると確信を持てたことが、結果として覚悟に繋がりました」
自身も銃と罠の狩猟免許を取得し、ヒグマ用の箱罠を仕掛ける際に必要となる玉がけ技能、クレーンの資格なども取得。鳥獣対策に関する事務作業などの傍ら、クマやシカが人里へ出てこないように、道路沿いの雑草や藪の刈り払いを行って見通しを良くしたり、アライグマやカラスの駆除なども行いました。
協力隊3年目の2025年は、全国的にクマの被害が続出。道内でもヒグマの出没や農業被害のニュースが連日のように流れ、ガバメントハンターにも注目が集まりました。タイムリーな存在として、鳥獣対策に取り組む荒井さんも新聞で紹介されます。
「鳥獣対策ミッションの協力隊を募集している自治体は珍しいですが、これからはもっと増えていくかもしれませんね」

今の自分があるのは周りの人のおかげ。これからもまちに貢献していきたい
野生動物の防除活動の一方で、荒井さんは「地域おこし協力隊ならではの発信や、町おこしに関わる活動もしたい」と考え、木材活用PRのミッションを行っていたほかの協力隊の隊員とコラボ。木育の一環として、地域の木材を用いたゴム鉄砲による子ども向けの射的を発案します。
「的のイラストはクマやシカ。ただ遊んでもらうだけでなく、射的を通じて『クマって実はこういう動物なんだよ』『シカが増えると森や畑がどうなっちゃうと思う?』と、子どもたちに自然や鳥獣対策のリアルを伝えられたらと思います。なぜ対策が必要なのか、町の自然の豊かさとその裏にある課題をセットで知ってもらいたいと考え、製作しました」
この射的のブースは、町内の木育フェスタやイベントをはじめ、無印良品のマルシェ、東京・丸の内で開催された全国規模のイベントにも登場。子どもたちに大人気だったそう。
こちらが実際に荒井さんが製作したボードです
今年(2026年)の春に協力隊としての任期を終えた荒井さん。3年間の活動内容とその人柄が高く評価され、森町役場農林課の正職員として正式に採用されます。
「3年かけて培った経験をもっと森町のために活かしたいし、皆さんによくしてもらった恩返しをこれからしていければと思います。占冠村に浦田剛さんという野生鳥獣専門員のガバメントハンターの方(2016年、浦田さんが地域おこし協力隊だった時の記事がこちらです)がいらっしゃるんですけど、自分も将来、森町で浦田さんのような存在になりたいと思っています」

最後に、荒井さんに森町の魅力について伺うと、「やっぱり海と山がこれだけ近くに隣接していて、自然豊かなのはひとつの大きな魅力ですよね。あとは、食べ物がとにかくおいしい。そして、まちの人が温かい。役場の人もハンターの皆さんも、僕が出会った人たちはみんないい人なんです。田舎ならではの、どこへ行っても誰かに会ってしまう窮屈さがありますが(笑)、都市部ではない人との近さなどを理解し、次第に慣れていきました」と話してくれました。
荒井さんはインタビュー中、何度も「僕は本当に人に恵まれている」と口にしていました。学生時代に埼玉で出会った親友、前職の会社の人たち、そして森町の人たち。「皆さんのおかげで今の自分がある。本当に感謝しかありません」と話していましたが、そんな謙虚かつ実直な人柄だからこそ、周りの人たちも荒井さんを支えたいと思うのだろうと感じました。

- 森町役場 農林課林務係 荒井一樹さん
- 住所
北海道茅部郡森町字御幸町144-1
- 電話
01374-7-1086
- URL















