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まちおこしレポート
遠軽町

険しい道のりを越えた想い。北海道の木で割り箸をつくる。20231228

険しい道のりを越えた想い。北海道の木で割り箸をつくる。

北海道で唯一、間伐材から割り箸を作る工場が遠軽町にあります。原料のほとんどが、地元・オホーツク産。この割箸工場、最初はいわゆる店舗のロゴや住所などが記載された、箸を入れる「箸袋」などを印刷する工場でした。それがどうして、割箸工場を営むことになったのでしょうか。

その経緯と、これまでの苦悩、そして未来への希望を、溝端紙工印刷株式会社 割箸工場の工場長、斉藤敏紀さんに聞きました。

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箸袋の需要が減り、外食産業の消耗品の印刷へと間口を広げる

明治40年に創業し、昭和22年に会社を設立した溝端紙工印刷株式会社は、和歌山県に本社を置く印刷工場。創業から110年以上を経て、北海道から九州に至るまで全国各地に工場や営業所を置く会社に成長しました。

「かつては和歌山本社と北海道溝端紙工、九州溝端紙工の3社で独立採算営業をしていましたが、平成24年に合併しました。遠軽にあるこの工場は、旧北海道溝端紙工があった場所です。当時は北海道でも印刷物、特に箸袋をメインに製造していました」と斉藤さんは話します。

もともとは、和歌山の本社で始まった箸袋の印刷。北海道溝端紙工が遠軽にできた理由は、林業が盛んで割箸工場が多くあったからです。工場が設立されてからは、柄入れや名入れをした箸袋を近隣の割箸工場に卸していました。

msp_2.jpgこちらがお話を伺った斉藤敏紀さんです。

「しかし、徐々に受注が減ってきたんですね。一膳ずつ完全個包装された『完封箸』や、プラスチックの箸の再利用などが多くなってきて、箸袋を利用する機会が少しずつ減ってきたんです。そこで箸袋だけでなく、外食産業のテーブルの上の消耗品、たとえばおしぼりや紙ナプキンなどの名入れや印刷も請け負うようになりました」

おしぼりの原反はアメリカからの輸入物です。それなら海に近いところに工場を構えた方がいいのでは?という社長判断で、やがて商圏が大きい札幌の近隣にある、千歳市に工場を移すことになります。

そして、割箸工場の開設。しかし、技術面でさまざまな困難が

一旦は印刷機なども引っ越しを終え、人材を千歳市で集めたものの、新人が機械を扱えるようになるまでにはしばらく時間がかかります。そこで、遠軽から指導員として社員が複数人移動することに。もちろん親の介護や子育てなどを理由に、遠軽に残らざるを得ない従業員も一定数いました。会社としては地元に残る彼らの生活を守らなければいけないし、30年以上もお世話になった遠軽をそう簡単に捨てるわけにもいきません。

「さてどうするか、というとき、ちょうど中国産の食品偽装事件などがあり、輸入商品の安全性などに注目が集まりました。国内では年間約260億膳の割り箸が消費されていましたが、その98%が中国産だったんですね。それで、国産の原材料に目が向いたんです」

msp_5.jpg材料となる北海道産のトドマツ。

この町に残る従業員の仕事を守るという観点からも、木材の町である遠軽の木を使って、これまで印刷してきた箸袋と一緒に箸も作って一括提供してはどうか、という案が出たのが平成20年のこと。当時の会長は「何十年もこの地域にお世話になってきたからこそ、我々はこれまでやってくることができた。今後もしっかりがんばって、遠軽に還元しなければいけない」としばしば口にしていたといいます。そこで遠軽の工場を「割箸工場」として、再出発させたのです。

これまで割り箸は中国からの輸入が主だったため、国内での技術があまり進歩していないのがネックでした。そこで工場長に任命された斉藤さんは、石川県にある国産割り箸生産のトップメーカーへ勉強に行きます。

「そこから軌道に乗せるまでが大変でした。技術を教えてもらい、ある程度同じ機械を購入して設備を整えたのですが、材料は北海道で調達しなければなりません。石川県で主に使用しているのはエゾマツや杉ですが、私たちが使用するのは北海道産のトドマツです。木目が広いトドマツは、成長が早くて柔らかい。そこに刃物を入れると、仕上がりが非常に悪いんですね。使う機械は同じでも、材料が違うからうまくいかない」

msp_12.jpgこれまで何度も試行錯誤を重ねてきた割り箸づくり。

そこで斉藤さんは、やり方をもう一度学ぶために、石川県の工場へ北海道のトドマツを送ります。すると「うちならこのくらいまでできます」と、とてもきれいな箸が帰ってきました。「ああ、技術力不足だ。もっと勉強して帰ってこなければいけなかった」と、斉藤さんは割り箸づくりの壁の高さを思い知ります。

年間数千万の赤字を経て、「天削げ箸」でようやくプラスに

しかし、単なる技術不足だけでなく、本州と比較すると北海道にはさまざまなハンディキャップがありました。まず、夏と冬の違い。本州と比べて、北海道では冬に丸太が乾燥してカラカラになります。割り箸を作るときはまず木を蒸し上げるのですが、カラカラなせいで中まで蒸すのに時間がかかってしまい、どうしてもその工程が取れません。

「平成20年当時、北海道で割り箸生産をしている工場は6軒ありました。弊社が箸袋を納めていた割箸工場にもいろいろと教えてもらったのですが、どうも少し違う。各工場が確立した作り方を、他の工場に持っていっても時間のバランスや人の配置が違うからうまくいかないんですね。結局は自分たちの持っている設備・機械と技術力、使用材料の確保、販売能力に合った形を探していくしかない。せっかく教えてもらったことも、ときに排除しながら、適したものだけ残していく作業にはかなり時間を費やしました」

msp_7.jpgこちらは材料の木を蒸している様子です。

赤字を出しながらも、試行錯誤しながらようやく「これだ」と辿り着いたのが「天削げ箸」。持ち手の上(天)を斜めに削った、おもてなし用の高価な割り箸です。「これなら単価も高く、上手くいくんじゃないか」という話になり、丸瀬布町の割り箸工場の社長さんのアドバイスで設備を切り替え、10年ほど前から道産のトドマツの間伐材を使った天削げ箸の生産を開始。長い冬の時代を経て、ようやく2023年の前期、赤字を脱却してプラスに転じたのです。

「間伐材の有効利用として始めているので、多少の節や色味・形の悪さはありますが、お客さまが不快にならない程度のものであれば商品として売っていこうと決めています。その点は先にお伝えして、ご理解のうえ、購入していただいていますね」

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始めた当初は、地元の間伐材を再利用した自然にやさしい箸であるということを理解して購入してくれる人は少なかったそうです。おもてなしの感覚で高価な箸を使うという感覚もあまり理解されず、厳しい状況が続きました。「やはり漂白して色を揃えてきちんと選別し、画一的で美しく安い中国産の割り箸には敵わなかった」と斉藤さんは言います。それでも自分たちの信念を曲げず、現在は9割の箸を本州に出荷し、地元の遠軽でも、付き合いのある人に卸したり、商工会や町の木材展示施設などに置いてもらったりしています。

そして平成21年からは、木を使った分だけ植林活動をして還元する活動も開始。遠軽町と提携して、令和元年より「北海道割箸の森」と名付けられた、森林育成のプロジェクトをおこなっています。

msp_15.jpg工場のすぐ外には、間伐材のトドマツがたくさん積まれていました。

「遠軽町産の苗木を使い、小中学生からお年寄りまで植樹に参加してもらい、町民と一緒に森を守る活動です。木を10使って、10返すことはできないかもしれない。それでも全国の6割の森が整備を必要としているなか、私たちが少しでも森を買って整備することでその問題の解決に少し近づくことができます。なおかつ新しく植えた木は古い木よりもCO2の吸収力が高いという結果も出ているため、古い木は切って割り箸にして、その分木を植えて、新しい山に変えていこうというとしているんです」

町とともに歩んできた割箸工場。これからも共存していくために、町民と一緒に山を守りながら産業の活性化に寄与していきます。

msp_21.jpg※写真は溝端紙工印刷株式会社 公式HPより

何をしても続かなかった仕事。一度出戻った会社で、工場長に

ところで斉藤さんは、どのような経緯で、この会社で働くことになったのでしょうか。

「私は湧別町の出身で、遠軽高校に通い、卒業後の最初の勤め先は女満別でした。2年で遠軽に戻ってきて、電気工事や鉄工所のプレス、溶接、置き薬の販売...。短気で飽き性なものでいろいろな仕事をしてきたのですが、ひょんなことからこの会社を見つけ、当時まだ新しくてきれいだった建物に憧れて『ここで働きたいんですけど面接してもらえませんか』と無理を言って採用してもらうことになったんです」

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求人があったわけでもないのに、飛び込みで入社を懇願。若さゆえのエネルギーでしょうか。それが、24歳の頃のことでした。しかし箸袋の印刷・製版を習い、道内地域を周り営業も勉強させてもらったところで、この仕事にもやっぱり飽きてしまったのだとか。

「それで、28歳のときに一回辞めてるんです(笑)。その後は旭川に移住し、製本屋や夜中の清掃、ピザ屋のアルバイトなど、また仕事を転々としました。そして遠軽に帰ることが決まったとき、やっぱり元いた会社に戻って働きたいと思ったんです。理由はただひとつ、そこで働いている人がよかったから」

さまざまな仕事を渡り歩いたからこそ、感じられる古巣のよさ。当時からとてもフラットな職場で、風通しが良かったのだそうです。しかし、一度仕事を「飽きて」辞めている手前、出戻るときは相当な覚悟が必要でした。

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「土下座して、なんとか改めてゼロから勉強させてください、お願いします、と頼み込みました。すると『おまえ、入るなら営業の勉強できるか?』と。辞める前にも営業の勉強はさせてもらっていましたが、人と喋るのが苦手で、一人前になる前に辞めてしまったんです。でも、もうなんでも勉強だと。がんばろう、と」

斉藤さんはそこから新しい挑戦である営業現場で精力的に励みます。そうしてしばらくした後、今度はおしぼり作りの部署に配属されました。ロールをセットしてボタンを押したらバタバタとおしぼりが出てきて、それをダンボールに詰めるという単調な仕事。これまで営業であちこち動き回っていたゆえに、「また飽き性な性格が湧き上がってきて・・・でも、その矢先に持ち上がったのが、割箸工場開設の話です」と斉藤さんは話します。

msp_4.jpg工場には、設立当初の箸袋の印刷・製版のなごりが。

「おしぼりづくりには、なかなか自分のアイデアを反映させることはできなかったんです。千歳に印刷工場が移ったとき、おまえも千歳に行けと言われたのですが、行かなかったのはここに割箸工場ができると耳にしたから。特殊な技術が必要なんだろうな、面白そう!と胸が高鳴りました」

好奇心とワクワク感に満ち溢れていたものの、そこからの苦労は前述の通り。しかし、出戻り後は辞めずに勤め上げ、現在56歳です。仕事を渡り歩いていた斉藤さんが、はじめて30年も続いた職場。新しいことを一から始められる高揚感と、自分の工夫やアイデアを反映させられる面白さが、割箸づくりにはあったのです。

msp_18.jpg完成した天削げ箸。

自分なりのアイデアや創意工夫が仕事に活かせられるのが楽しい

今後、溝端紙工が目指すのはさらなる機械化。斉藤さんが欲しいと話すのは、センサーやカメラを使った選別機です。今は内職をしてくれる人にお願いしていますが、選別に主観が入るため、質の基準が一定にならないのが難しいところだそうです。

「たくさん除外すればきれいな箸ができますが、捨てる分が多くなると損失にもつながります。しかし基準を下げると不良品が増える。その判断を機械に頼りたいです。私たちは間伐材の有効活用をしていて、多少色味が違っても無駄がないように売ることを大事にしていますが、今後は歩留まりが悪くなっても機械化をはかって効率化し、未経験者でも数日携わればベテランと同じような品質で生産ができるようにしなければ、やっていくことはできない」

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加えて、斉藤さんが長年この仕事を続けてきて思うのは、「技術は宝である」ということです。印刷技術はここ40年で劇的に進化し、いまやパソコンからデザインを機械に送って印刷をおこなえるようになっています。しかし、割箸工場の機械は40年前と同じ。「人間の知識や経験を積み重ねて、この材料はどう処理すればよりよくなるのか、情報を共有しながらレベルを上げていかないと、いい商品を作ることはできない」と斉藤さんは話します。

「かつてこの町にいくつかあった割箸工場は次々に閉鎖して、純粋に丸太から割り箸を作る工場も弊社だけになってしまいました。高いレベルのものを作るためにどれだけお金をかけられるか、そして将来の人材不足に対応してどこまで投資できるかが勝負です。そのあたりへの悩ましさを、経営陣はみんな持っていると思います」

msp_11.jpg町の就労支援施設の方々などにも、選別の仕事をお願いしているそうです。

それでも斉藤さんは、限られたリソースのなかでいいものをつくるために、アイデアを出すことをやめません。長年思っているのは、「お菓子づくりみたいに箸が作れないか?」ということ。例えば木をすべて細かいおがくずにして、凝固剤と一緒に練り物にして、平らにして同じ大きさに切って固める。そうすれば、木の節や色味の違いなどを気にせず、すべて画一な箸ができます。

「そのために、たとえば異業種の技術をこちらに移植して割り箸づくりに活かせないかと考えています。横のつながりもありませんし、方向性を誤ってもそれが間違っているのかどうかも判断しづらいうえに、予算も潤沢にあるわけではないので、どう進めばいいのかの判断は非常に難しいですけどね」

そう言いながらも、どこか楽しそうな笑顔を見せる斉藤さん。厳しい時代を乗り越え、さらに当面の課題を残しながらも、困難に打ち勝つために創意工夫できるこの仕事はとても刺激的で、斉藤さんにとっての天職といえるかもしれません。

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溝端紙工印刷株式会社 割箸工場
住所

北海道紋別郡遠軽町生田原安国242-5

電話

0158-46-2046

URL

https://www.msp.co.jp/


険しい道のりを越えた想い。北海道の木で割り箸をつくる。

この記事は2023年10月26日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。