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まちおこしレポート
余市町

海の仕事をあきらめず出会った余市。将来の夢はブランドウニ養殖20230810

海の仕事をあきらめず出会った余市。将来の夢はブランドウニ養殖

積丹半島の東の付け根に位置する余市町。皆さんは、「余市」と聞いて何を思い浮かべますか? ニッカウヰスキー、ニシン、リンゴ、宇宙飛行士の毛利さん、ヴィンヤードにワイナリー...。あらためて考えてみると、たくさんの顔を持つ町なのだと分かります。山、川、海と豊かな自然条件に恵まれていることも、たくさんの顔を持つことに繋がっているようです。今回登場していただくのは、その中でも「海」にまつわることで、地域おこし協力隊隊員としてこの春に着任した蔓木勇波(かぶらぎゆうな)さんです。

ミスマッチをなくすため、慎重に進めてきた地域おこし協力隊の募集

yoiti_kaburagi00005.JPG東京出身、蔓木勇波(かぶらぎゆうな)さん

5月、余市町に2人の地域おこし協力隊の隊員が着任しました。一人はワイン産業支援、もう一人が水産業支援。今回の主人公である蔓木さんは水産業支援員として余市へやってきました。蔓木さんに登場していただく前に、まずは余市町の地域おこし協力隊について、町の担当者である山本康介さん(政策推進課政策調整係主事)と、蔓木さんの水産支援の担当である淡路和大さん(農林水産課水産林務係主事)にお話を伺いしました。

余市町が地域おこし協力隊の募集をはじめたのは令和2年から。他の市町村に比べると、取り組みとしては遅いほうですが、それには訳がありました。

yoiti_kaburagi00016.JPG左が水産の担当である淡路和大さん、右が協力隊の担当である山本康介さん

「地域おこし協力隊は役場の職員としての採用が8割近くと言われています。やりたかったことと違うなど、ミスマッチも多々あると他の町村から耳にしていたこともあり、どのような形で隊員を募集するのがいいかをしばらく検討していました。そこで、余市町では隊員の方に個人事業主になっていただき、町と契約する形の協力隊のスタイルを取ることにしました」(山本さん)

このようにすることで、隊員は自主事業に着手しやすくなるというメリットがあります。隊員である3年間の間に、町や周囲からのサポートを受けながら、やりたいことやチャレンジしたいことの素地をしっかり築くことができます。定住にもつながるため、町のほうも、必要としている人材、これから町を活性化させてくれるような人材であれば歓迎というわけです。

yoiti_kaburagi00017.JPG10年前と比べても、ワインの振興など余市は大きくかわったと話す山本さん

これまでワインや観光に関する隊員はいましたが、水産の隊員募集は今回が初めてでした。各地で漁師の担い手不足が問題になっていますが、余市町も同様です。水産の担当者と共に山本さんたちは募集に動き出しますが、水産を希望してくる人は少なく、なかなかマッチングがうまくいかなかったそう。

「もちろん漁師になってくれる若手は必要ですが、ただ漁師になってほしいというのではなく、新しい水産業の形を作っていってくれるような方に来ていただけたらと考えていました」(淡路さん)

「余市の海という資源を使って、漁業はもちろん、マリンスポーツなど観光につながりそうなものを展開してもらってもいいし、とにかく何か新しい海の活用法を作り出していけるような人材を希望していました」(山本さん)

そのため、募集をかけた際の文言には「クリエイティブ」という言葉を用いたそうです。

yoiti_kaburagi00018.JPG道北の浜頓別町出身で、じもとも海の町の淡路さん

そのような中、今年の2月、くらしごとも関わっている漁業就業支援フェアで運命的な出会いがあります。淡路さんの上司であった係長がフェアに参加した際、余市町のブースを訪れたのが蔓木さんでした。

「その日、上司からすぐにメールが来たんです。待ち望んでいた人材を見つけた!って」と、笑いながら淡路さんと山本さんは話します。

さて、町が欲しいと思った人物像にぴったりだったという蔓木さんはどのような方なのでしょうか。ここで、蔓木さんの登場です。

海好きの両親のもと、幼少期から海や魚に親しんで成長

取材陣が山本さんと淡路さんにお話を伺っている間、蔓木さんは漁港で競りにかけられる前の魚のチェックをしていました。この日、水揚げされていたのはヒラメやアンコウ、ヘラガニなど。発泡スチロールに入ったこれらを漁業協同組合の先輩職員に教えてもらいながら仕分けをしていました。

yoiti_kaburagi00004.JPG自分にとって北の海の魚は珍しく、見ているだけでも楽しい!と蔓木さん

現在24歳の蔓木さんは東京都出身。祖父が気仙沼のマグロ漁師で、公務員の父も釣りやダイビングが趣味で、海が大好きという家庭で育ちました。名前の「勇波」というのは、クジラの古語「勇波(いさな)」が由来。海好きの両親が、クジラのような大きな人にという願いを込めて付けたそうです。ちなみに妹さんの名前にも「波」という字が入っていて、ライフセーバーをやっているそう。

子どもの頃から海に親しんで育った蔓木さんは、中学1年生の時から、都立大島海洋国際高校へ進学することを決めていました。全寮制で、海洋資源に恵まれた環境の中、海に関する知識や技術を習得。実習船に乗ったり、海の生物に触れたり、船舶の操船や海洋レジャーに関することも学びました。卒業後は、静岡にある東海大学海洋学部海洋文明学科に進学します。大学では海に関わる観光や経済のことを専攻。マリンアクティビティーなどについて研究していました。

学生時代のうちに、小型船舶免許や潜水士などの資格も取得。本当に海が好きなのだなということがよく分かる経歴ですが、ここまで順調であった蔓木さんの歩みにコロナという壁が立ちはだかります。

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「大学3年生のときの先輩からの紹介で、卒業後は、とあるビーチを管理する仕事が決まっていました。ところが、コロナの影響で観光客が来ないため、土壇場で内定が取り消しになってしまい、途方に暮れていたら、都内のある離島のゲストハウスのオーナーさんから声をかけてもらい、ゲストハウスの管理人として働くことになりました」

離島好きだった蔓木さんにとってそれは悪い話ではありませんでしたが、再びコロナのあおりを受けます。

「都が緊急事態宣言を発令した際、観光客は激減し、結局休業状態になってしまい、2カ月で退職しました」

大学のある静岡へ戻ると、船舶免許のインストラクターの求人を見つけたので、そこで働きはじめますが、ハードワークな上、海と関係のない仕事も任されるように。

「とりあえず食べていくために仕事をしなければと思って働いていましたが、本当にやりたいことは何だろうとあらためて考え始めました」

yoiti_kaburagi00012.JPG現在は、余市郡漁協の坪田課長(右)のもと、漁業のイロハを吸収中

静岡で交際していた彼女とゆくゆくは結婚も考えていたため、リセットすることも踏まえ、どちらかの親の近くに住もうかという話が浮上。そこで、彼女の実家がある札幌へ引っ越すことを決めます。

余市町との運命的な出合い。3年間のロードマップも作成

「漠然と海に関わることがしたいとは思っていましたが、これというのがない状態でした。とりあえず配達員のアルバイトをしながら、やりたいことを探したり、じっくり就職活動をしたりしていました」

いろいろ考えていく中で、一次産業にまつわる仕事がしたいと思ったそう。水産か、酪農・畜産がいいなと考えていた際、ネットで「漁業就業支援フェア」の告知を見つけ、参加することに。そして、余市町と出合います。

「漁師だけでなく、広く海に関わってもらえる協力隊員を募集していますと聞き、ここなら自分のやりたいことややってみたいことに挑戦できるかもしれないと思いました」

yoiti_kaburagi00028.JPG蔓木さんのように、まわりの人としっかりコミュニケーションをとり、自分の意見を伝えられるのは協力隊員としても大事なスキル

新しい形の漁業や海の活用法を創造していける人材を待っていた余市町にとっても、漁師経験はないけれど、海洋知識が豊富にあり、何よりも海が大好きという蔓木さんは理想的な人材でした。

蔓木さんは余市の町を訪れ、山本さんや淡路さんとも対話を重ね、自身のやりたいことを実現させていくための3年間のロードマップを提出します。

そこには、将来的にウニの養殖を行いたいということ、漁師として独立を目指したいこと、マリンアクティビティーの施設や宿泊施設の運営を行いたいことなどが記されていました。そして、その目標に向け、3年間でどのような取り組みを行っていくかが細かく具体的に明記されています。

yoiti_kaburagi00010.JPG余市の美しい海には、漁業以外の可能性も

「大学時代から、『これからは作り、育てる漁業も大事になってくる』という話を教授とよくしていました。それもあって、養殖に携われる機会があるならば挑戦してみたいと思っていたので、ウニの畜養・養殖を目標に入れました。近年は、北海道の海でも赤潮や磯焼けなどの問題があるため、先を見据えて陸上での養殖も考えています。そして、余市はワインも有名。ブドウの搾りかすを飼料にして育てるなど、ワインと絡ませたブランドウニが作れたらと思っています」

養殖事業をするためにも漁師の仕事をしっかり習得したいと考えており、2年目からは漁師の親方に付き指導をあおぐ予定です。

また、子どものころから父親の真似をして魚をおろしていたという蔓木さん。料理好きで、作った料理を人に食べてもらうのも好きなので、「ゆくゆくは自分で釣ったものを自分で料理して提供できたら最高ですね」と話します。

yoiti_kaburagi00003.JPGこの日はヒラメや迫力あるアンコウが水揚げ

さらに、大学での研究実績もあるため、海という資源をフックに、国際的な一大リゾートであるニセコエリアから余市へ人を呼びこめないかとも考えているそう。

「まだ引っ越してきたばかりですが、余市は海、山、川と自然が豊か。さらに札幌や小樽とのアクセスも良くて、とてもいいところですよね。いろいろな可能性がある町だなと感じていて、やりたいことや夢がいっぱいです(笑)」

現在は漁港で奮闘中。ウニのブランド化もそう遠くはないかも!

協力隊員1年目は、余市の漁業の現状を把握するため、まずは漁業協同組合に勤務。海や水揚げの状況によって異なりますが、毎朝4時ころには出勤して、水揚げされたものを荷受けし、競りや入札の準備をします。競りが終わったら、掃除、片付けをするというのが現在の1日の流れです。ちなみに、エビの水揚げがある日は深夜の2時30分ころの出勤になるそう。

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祖父が漁師だったとはいえ、港に出入りするような経験はなかったため、ある意味、初めての世界。とにかく漁港の人たちに慣れることを第一に、「元気よく挨拶して、自分のことを覚えてもらうようにしています」と話します。その上で、漁港に出入りする漁師、仲買人の人たちの顔と名前、それぞれの番号を必死で覚えている最中だそう。

「魚の種類を覚えるより、人を覚えるほうが大変(笑)。ウニを持ってくる漁師さんが約50人いて、名前と番号をやっと全部頭に叩き込んだんですけど、奥さんや家族の方が持ってくると、もう誰が誰だか...(苦笑)」

浜言葉が分からずに困惑することもあるそうですが、漁協の先輩に教えてもらって乗り切っているとのこと。また、「厳しい口調で『おい、こっち来い』と呼ばれて、何か怒られるのかなぁと思ってドキドキしながら行くと、自動販売機の前に立っていて、『何飲む?』とごちそうしてくれるという...。びっくりすることもしばしばあります」と笑いますが、周りの方たちにかわいがってもらっている様子も伝わってきます。

そんな蔓木さんを、現在指導している漁協の坪田課長は、「真面目なタイプだけど、挑戦しようとう姿勢がいいですね」と評価。そして、「来年からは漁師にも挑戦するということで大変だと思うけど、頑張ってほしいですね」とエールを送ります。

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余市町としては、今後もこのような形で水産業支援の新しい協力隊員が加わってくれるとうれしいと考えているそうです。まずは蔓木さんが2年、3年と着実に自主事業に向けて動いていけるようにサポートしていくとのこと。

現在、余市では「余市牡蠣」「余市ムール」のブランド化が進んでいますが、そこに蔓木さんが手がけるブランドのウニが加わる日もそう遠くはないかもしれません。

余市町 地域おこし協力隊(水産支援員) 蔓木勇波(かぶらぎゆうな)さん
余市町 地域おこし協力隊(水産支援員) 蔓木勇波(かぶらぎゆうな)さん
住所

北海道余市郡余市町朝日町26番地

電話

0135-21-2117(余市町総合政策部 政策推進課 政策調整係)

URL

https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/index.html


海の仕事をあきらめず出会った余市。将来の夢はブランドウニ養殖

この記事は2023年6月20日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。