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東神楽町

「日本一幸せなまち」を拓く東神楽町と共に歩む、高橋建設の物語20250328

「日本一幸せなまち」を拓く東神楽町と共に歩む、高橋建設の物語

なだらかな田園風景と、大雪山を背景にゆっくりと降り立つ飛行機。「道北の空の玄関口」である東神楽町は、小さなまちでありながら近年、移住者からの人気が拡大中。1980年代に5000人ほどだった人口は、この40年で1万人にまで増加と、全国的にも珍しい「人口増」を実現した自治体です。

人気の秘密は旭川空港(実は旭川ではなく東神楽町にあります!)からのアクセスの良さや、隣町である東川町との相乗効果、そして真っ直ぐに伸びる道と田園がおりなす「まさに北海道!」という風景。住民からの評判も高く、2024年には大手不動産会社の調査による「まちの幸福度ランキング」で堂々の全国1位を獲得しました。

今回訪れた高橋建設株式会社は、この「日本一幸せなまち」を舞台に半世紀にわたり美しい道路づくりや田園を整備する土木工事などを行っている企業。ご自身も移住者だという、専務取締役の佐々木了さんに、まちの魅力や仕事についてのお話を伺いました。

同じ「空港のまち」からの移住に親近感!

pixta_69032682_kurashigoto.jpgどこまでも続く雪景色。その美しさに息をのむ、東神楽町の冬の風景です。

佐々木さんのご出身は旧・女満別町(現・大空町)。幼少時から野球に夢中になり、高校卒業後は札幌のスポーツ系専門学校へと進学。卒業後は「地元が恋しい」という理由から女満別へとUターン。北見にある電子部品工場に就職し、VHSのヘッドパーツを製造していたそうです。

特別な不満もなく働いていたという佐々木さんですが、地元・女満別町で出会った女性と交際をはじめ、1998年、佐々木さんが25歳の頃にご結婚。奥さまの出身地である東神楽町へと移住しました。初めてまちを訪れた時の印象を、こう語ります。

「初めて来た時は『地元に似ているな』と(笑)。なんたって、女満別も『オホーツクの玄関口』である女満別空港のあるまちですからね。視界いっぱい田畑が広がっていて、空には飛行機が飛んでいて...と、距離的には離れているのに、故郷とあまり変わらない景色にどこか親近感を抱いたのが記憶に残っています」

takahasikensetsu_02.jpgこちらが今回取材をした佐々木了さん。

転職後についたのは、公園の芝刈り係?

東神楽町に来てまもなく、奥さまが長男をご懐妊。「子どものためにも今すぐ働かなければ...」という状況で、奥さまの親戚からご紹介を受けたのが高橋建設でした。ここで少し、同社についての説明をしていきましょう。

高橋建設は創業者で現会長の高橋興志さんが1968年に設立した企業です。宮城県のご出身だった高橋さんは旭川空港(1966年運用開始)の建設工事のために来道し、周囲の勧めでそのまま会社を設立。

地域の人々の助けも得ながら徐々に会社を大きくしていった高橋さんは、「もっと地域に貢献したい」と事業の多角化にも挑戦し、ガソリンスタンドを運営する「フラワー石油」、観光農園「ほっとファーム」、太陽光パネルなどの設置を手掛ける「東神楽新エネルギー研究会」など、次々と新しい会社を立ち上げていきました。

takahasikensetsu_03.jpg人情味にあふれる先代社長のもとに集まった社員たちが、現在ベテランとなって第一線で活躍中です。

佐々木さんが入社したのは「有限会社ブルーメン」。キャンプ場として旭川や近郊の人たちから人気の「ひがしかぐら森林公園」の管理を行っている企業で、定年後も働きたい高齢者への雇用創出という意味合いも強い会社だったとか。なので「同僚は自分よりずっと年上の方」だったと笑います。

「当時はちょうど公園に隣接する『森のゆホテル花神楽』ができて賑わっている頃だったかなぁ。毎日パークゴルフ場の芝刈りをしたり、キャンプ場の巡回をしたりしていました。先輩たちは年上の方ばかりだったので、みなさん可愛がってくれて、よく酒を飲みに連れて行ってもらったり、子どもが生まれたばかりの家族を気づかってくれたりと、ずいぶん良くしてもらった思い出があります」

そんな温かな日々の一方で「あまりにのんびりした環境で、『このままでいいのか』と焦ってもいました」と振り返る佐々木さん。転機はある日突然やって来ました。

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突然の辞令と、下積みを経て手腕を発揮。

それは入社から2年が経った頃でした。背景にあったのは東神楽町への移住ブームです。旭川市と隣接する「ひじり野地区」がベッドタウンとしての人気が高まり、宅地造成が次々と拡大。それに伴い、母体である高橋建設に舗装工事の発注が次々と舞い込むようになります。

「『舗装の現場が忙しいので手伝いに来て欲しい』と呼ばれて、右も左もわからない状態で舗装工事の現場に向かって、名前もわからない道具を握りました(笑)。一番年が近かった平舘先輩(現社長)だけは、いつもすごく優しく教えてくれましたけど、当時の舗装工はまだまだ『職人さん』の世界。何度も何度も厳しい注意を受けながら、とにかく回数をこなして覚えていきましたね」

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こうして事実上、高橋建設への異動をした佐々木さんは、はじめは舗装工たちのサポートとして、砂利やアスファルトを整地する作業から覚えていきました。

そして野球部で鍛えあげた粘り強さと向上心を胸に、次第に工事の手順やスケジュール管理を行う「施工管理」の仕事に取り組むようになり、次第に大きな工事や、冬期の除雪業務の現場でもその手腕を発揮するようになっていきます。

「正直ラクなことばかりじゃなかったですよ。この地域は積雪量も多いですし、旭川空港という重要拠点につながる道はどんな時でも確保しなきゃいけない。今より人手不足の時代もありましたし、景気の悪い時代もありました。でも、そんな時こそ、高橋建設の真価であるチームワークが発揮される時。いつも『みんなでやれば必ず終わる』を合言葉に励まし合って取り組んでいきました。この絆がなければ、今まで仕事を続けることはできなかったでしょう」

takahasikensetsu_07.jpg社員同士は家族同然の付き合いをしているのだそう。「皆でキャンプに行ったり、休みの日も会ったら延々と立ち話をしたりと、とにかく仲良しですよ」

25年を振り返っても、明るく賑やかなまちの姿。

東神楽町での生活についても、佐々木さんに引き続きお話を伺っていきます。現在の佐々木さんは奥さまとの2人暮らし。前述の「ひじり野地区」にあるマイホームでのんびりと週末を過ごしています。

入社間もなく誕生したご長男は25歳となり、札幌で消防隊としてご活躍中。21歳の次男も札幌の大学で医療を学んでいて、2人ともまちを巣立っていきました。

takahasikensetsu_06.jpg応接間には東神楽町の美しいパノラマ写真が飾られています。

「振り返ってみても、いい印象しかないまちです。ベッドタウンとして発展してきたので、今も昔も子どもが多くて賑やか。子育ての支援も手厚く、ウチの子が育った当時は中学校卒業までの医療費が実質無料でした。ちなみに現在は高校卒業まで助成してくれるそうです。同世代のパパ・ママ同士のつながりも強かったですし、地域のクラブ活動なんかも盛んだったのでウチの2人の息子も一緒に野球少年団に通わせていましたね。僕自身も少年団の手伝いやコーチをやっていたんですよ」

高橋建設グループとしても「地域貢献」を第一に掲げて、さまざまなボランティア活動を長年続けているのだとか。もともと東神楽と縁もゆかりもなかった高橋会長が多くの人に助けられた経験から、「地域に恩返しを」という思いが今も会社の根幹に根づいているそうです。

「春には森林公園で行われる『ひがしかぐら花まつり』のステージを建てたり、冬はひじり野公園の『ひがしかぐらウィンターフェスティバル』で雪像をつくったりと、常にまちに貢献できる活動を行っています。会社としてはもちろんのこと、個人的にも僕を受け入れ、子どもたちを育ててくれたまちに、少しでも恩返しができていると嬉しいです」

美しいまちを守り、継いでいく。

現在は専務取締役として会社をけん引している佐々木さん。近年力を入れて取り組んでいるのが若手の採用や育成です。

「皆さんご存知の通り、建設業は高齢化や担い手不足が進んでいます。若手を育てるために、働き方や教え方、接し方をベテラン一人ひとりが変えなくてはなりません。僕個人的にも若者にはやさしく接することを心がけ、時には一緒にメシにも行って、自分の子どもたちを見るように接しています。接し方に悩んだ時は長男に『こんなことがあったんだけど、どう思う?』って相談することもあります。『パパ嫌われてるんじゃないの?』なんてグサッと来るセリフを言われることもありますけど(笑)」

takahasikensetsu_08.jpg若手にやさしく仕事を教える姿に、温かな「お父さん」という印象を受けます。

背景にあるのはやはり、美しいまちを守っていきたい、という想いです。

「『やっぱり、高橋の仕事はいいね』って言われるのが、この仕事の喜びですね。舗装なんてどの会社でやっても同じ、なんて世間からは思われがちですけど、自分たちはプライドを持って丁寧に汗をかきながら取り組んでいる。そう理解してくれるお客様がこの地域にはたくさんいらっしゃいますし、皆さんにそう感じて頂ける信頼関係を先代やベテラン達が築き上げてきたのだと思います。その技術を若手たちに継承するのが僕たちの役割なのではないでしょうか」

実は「日本一幸せなまち」に選ばれた事を知らなかったという佐々木さん。「いつの間に有名になったんだ」と笑いながら、こう話してくれました。

「この美しい景色は唯一無二だからね。なんたって、ウチが道をつくっているのですから(笑)」

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高橋建設株式会社
高橋建設株式会社
住所

北海道上川郡東神楽町南1条東2丁目2番17号

電話

0166-83-2443

URL

https://www.instagram.com/takahashi.construction

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「日本一幸せなまち」を拓く東神楽町と共に歩む、高橋建設の物語

この記事は2025年3月3日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。