
北海道の南西部に位置する港湾都市、苫小牧市。工業と流通の要衝で、特に製紙業が有名。またホッキ貝の水揚げ量が日本一と、海産資源にも恵まれています。その苫小牧市に社屋を構え、10年後に「ありがとう」と言われる仕事にこだわり、地域貢献活動に力を入れる株式会社ニシムラ塗装。人との縁を大切にする西村知行社長の想いを伺うとともに、社長の下に就く新卒社員の声も聞いてみました。
20代で独立し、20年以上苫小牧で実績を重ねる
ニシムラ塗装は苫小牧市内に本社を構える塗装会社。2003年に創業して以来、20年以上の実績を積み重ねてきました。2025年3月現在、西村社長率いる職人5人とスタッフ4人、合わせて9人で苫小牧市内を中心に、千歳市や恵庭市、白老町など近隣市町で建築物の外壁や屋根などの塗装の仕事を請け負っています。
西村さんは1975(昭和50)年生まれで、苫小牧で育ちました。中学校を卒業後、いくつかの職を転々としたのち地元の塗装屋へ就職。約10年間修行をしてから、生まれ育った苫小牧で独立をしました。
20代後半で独立し、一代で現在の会社を築いた西村さん。何か崇高な理念があって独立したのかと思いきや、そういうわけではなかったようです。
株式会社ニシムラ塗装、代表取締役の西村知行さん
「自分でもしっかりやれるんだぞってことを周りに示したいと思って独り立ちしたんですよね。でも独立した時はお客さまはいないし、技術もないし、知識もないし、お金もないし、やる気もなかったかもしれないです」
笑いながらこのように語った西村さん。それまで勤めていた塗装屋でスキルこそ学んで習得したものの、ほぼゼロからのスタートでした。独立して仕事を進めていくうちに想いが後からついてきたそうです。
とはいえ、技術や知識とともに「やる気」がなければ地域の人たちの信頼も得られませんし、20年以上も事業を続けられないはずです。後からついてきた想いに至るきっかけとその後の経緯について、さらにじっくりと伺ってみました。
塗装業界の「安かろう悪かろう」からの脱却
西村さんが塗装業の世界に飛び込んだ1990年代は、西村さん曰く「安かろう悪かろう」が横行していた時代だったそうです。
「僕自身もはじめのうちは当たり前って思っていたんですよね。塗装をしても3年くらいしたら状態が悪くなるって。でもお客さまは『1回塗ったら10年くらい持つだろう』って漠然と思っているような雰囲気を感じるようになりました。すごい乖離があるよなって」
年々仕事をしていくうちに、自分たちの仕事の質と顧客が考えている質とのギャップに気付きはじめます。知り合いの家の塗装をしたものの3年で劣化が目立ちはじめるなど、顧客に合わせる顔がなく嫌だ、施行した顧客に後日会うのが恥ずかしいという気持ちが日に日に増していきました。
「若い時から、僕はなんか堂々としていたいってのがあったのだと思います」と西村さん。どうしていくべきかと考えた答えは、『安かろう悪かろう』からの脱却です。価格は多少高くなっても、質のいいしっかりとした工事をやっていくことに舵を切りました。創業して2、3年目のことです。
「安いと最初は『ありがとう』って言われるんですけど、後から『バカ野郎』って言われるんですよね。高いと最初は渋い顔をして『うーむ』って言われても、10年後に『ありがとう』って言われた方がいいなって思いました」
塗装の良し悪しは、塗料の質と職人のテクニックの掛け算です。良質な塗料でも職人の技術が伴わないと塗装面はすぐにダメになりますし、質がよくない塗料は職人にいくら技術があっても施行した箇所を長年いい状態に保つことは難しいです。
質のいいしっかりとした工事をするには、塗料と職人の双方がよくないと成り立たないと西村さんは言います。それならば塗装の仕事をするには職人のセンスが求められるのかと思いきや、謙遜かもしれませんが意外な言葉が返ってきました。
「いやいや、センスどころか大した技術じゃないですよ。誰にでもできるんじゃないかなって思います。塗料メーカーの仕様通りにやればいいだけです。いい仕事をするって割とあたり前のことで、普通のことをやるだけです。塗料は時代とともに質がどんどん良くなっていて、より長持ちするようになってきました。でも、技術は時代が変わってもそんなに変わらないです。逆に材料の質が良くなって道具に頼ってしまうことが増えたので、昔の職人のほうが技術面では上手だったのかもしれません」
塗装を長持ちさせる手法の一つには、塗装面に厚みを持たせるとともに綺麗に見せるよう滑らかに塗る必要があります。これらの工程をいかに丁寧にこなすか。西村さんは「大した技術ではない、誰でもできる」とおっしゃいましたが、実際はそう簡単にできるものではありません。
最低限の技術を習得するには先輩職人と同行しながら約3年かかり、お客様の前で一人で一人前にできるようになるには約5年はかかるそうです。それなりに長い期間かけて修行を積む必要はありますが、ここで習得した技術とノウハウは一生もの。まさに「手に職」をつけたと胸を張って言えるようになります。
西村さんは、ただ色をつけるだけの塗装工事ではなく、家などの建物を守るための丁寧な塗装工事を心掛け、地域の人たちの信頼と実績を積み重ねてきました。その結果、会社が成長して従業員が増えていきました。苫小牧周辺の同業他社も同様に『安かろう悪かろう』から脱却し始め、この地域の塗装業界全体で施行の質がレベルアップするとともに、1件あたりの単価もアップしたそうです。
アイスホッケーチームで苫小牧を応援
会社の成長にともない社会的にも経済的にも成功した西村さんのポリシーは、「多少余裕が出たらいろんなところに還元したい」という考え方。苫小牧のライオンズクラブ(社会奉仕を目的とした国際的な民間団体)に所属をするなど、地域の奉仕活動に携わり、地域に貢献するさまざまなことに取り組むようになります。
そのうちの一つが、自社がスポンサーとなるアイスホッケーのチーム「ニシムラ塗装アイスホッケーチーム」です。チームを持つことになったきっかけは意外な経緯でした。
「ライオンズクラブの方々と一緒に飲んでいる時に、『僕の会社で長年やってきたアイスホッケーチーム引き取ってくれない?』と言われて、お酒飲んでるし冗談で覚えちゃいないだろうと思って『いいっすよー』って軽く返事したんです。でもその方、後日しっかり覚えていたんです。よくよく考えたら、酔っ払っていたのは僕だけで、その方お酒一滴も飲んでいなかったんですよね...(笑)」
意図せずアイスホッケーチームのスポンサーを引き継ぐことになりましたが、その後は強いチームになるようしっかりサポート。「ニシムラ塗装アイスホッケーチーム」が加わる苫小牧アイスホッケー連盟の「苫小牧C級」には、地元の企業のほか世界的にも有名な大企業もスポンサーとなるチームが所属しています。苫小牧C級のアイスホッケーの大会で優勝経験も複数あります。
苫小牧といえば古くからアイスホッケーが盛んな土地柄。地域に根付いたスポーツ文化の支援であるとともに、アイスホッケーで力を発揮した選手は一流大学へスポーツ推薦で入学できることが多いため、間接的に地元の若年層の進学支援にもなります。
「ノリいいし元気だし、気持ちいいですね、このチーム。会社は割と真面目というか雰囲気は違うのですけど、『明るさでぶっ飛ばす』みたいなチームのエネルギーからいい刺激をもらっています」
地域のためにもなるうえ、本業の会社の雰囲気作りや社員の意欲にも少なからずいい影響を及ぼしているようです。
塗装で担う無償の地域貢献
西村さんが関わるさまざまな地域貢献活動の中でも、特にユニークな活動は「塗魂(とうこん)ペインターズ」への参加です。塗魂ペインターズとは、地域貢献活動のために公共物などの塗装をボランティアで行う、全国各地の塗装職人の集まりです。2025年現在で約300もの塗装業者が加わるほど大きなボランティア組織になっています。
「ボランティアでやれることっていろいろあるじゃないですか。うちらもゴミ拾いとかできるけど、誰でもできることよりもうちらにしかできないことをやろうって。僕たち塗屋屋なんで、塗装でするボランティアが一番社会にとって効果的だと思うんです。みんなで一生懸命やってますね」
塗装物の対象は、塗魂ペインターズが声かけすることもあれば、各地から依頼をされることも多々。基本的には財政面で補修などが難しい公共物が中心です。
北海道内で手がけた初の地域は、行政の財政破綻が表面化して混乱をしていた時期の夕張市。夕張市内の市役所と幼稚園と図書館の3箇所の塗装を塗魂ペインターズが無償で引き受けました。以後は苫小牧市内の小学校や室蘭市内の小学校、旭川市内の中学校、釧路市内の防災センターなど道内だけでも複数の地域で活動を行いました。
対象地域はもちろん道内に限らず日本各地なうえ、海外へ出向くことがあります。遠くは、欧州のリトアニアで杉原千畝に関する資料展示をしている杉原記念館の塗装に携わったことも。
驚くことに、これらはすべてボランティアです。塗料に関しては塗料メーカーがスポンサーとなり無償提供してくれていますが、人工代も交通費も完全自腹。「今まで1円ももらったことないです」と西村さんは言います。もちろん、無償の業務を社員に課すことはできないので、参加するのは西村さん個人としてです。社員の中でも主旨や想いに賛同する人は道内での活動へ一緒に参加したこともあるそうです。
本業をボランティアでやることで、会社の売り上げが下がるなど業績に悪影響は及ばないのでしょうか。下世話な話かもしれませんが、気になってしまいます。
「お金はいだだけないけど『ありがとう』はいだだけるんですよね。塗装をすることでお金もらってお金持ちになるのも1つかもしれないのですけど、『ありがとう』をもらうことによって心豊かになって『心持ち』になるんですよ。お金も大事だけど『ありがとう』も大事、やっぱ両方大事だと思います」
商いとして行うことと奉仕として行うことの意義について、西村さんはこのように同列に考えています。全国各地から同じ想いで集う職人仲間とともに、訪れた土地の人と話し、その土地の美味しい食事を食べ、その土地の歴史や文化、空気に触れることが楽しいと言います。
「ボランティアだと、もう無条件に喜んでいただけるのでね、こっちも気分いいです」
これぞ「手に職」を生かした究極の地域貢献です。
同じ想いの若者を新卒採用
地域への熱い想いを持つ西村さんのもとで働く人たちはどんな心境なのでしょうか。新卒で入社をした社員の高瀬蒼生さんに少しお話を伺ってみました。
高瀬さんは釧路町出身で、札幌の大学を出たのち2024年4月に入社をしました。入社をしたきっかけは、塗魂ペインターズでの人との縁。高瀬さんの実家は釧路町で同業の塗装業を営んでおり、高瀬さんの父親と西村さんが塗魂ペインターズでの仲間だったのです。
2024年4月入社の高瀬蒼生さん
「今は修行みたいな感じでここに来ています。5年間って期間も決まっていて。その後は親のところを継ぐ予定です」
高瀬さんは高校卒業時に公務員になることを考えていたそうですが、当時のめりこんでいた野球をもっとやりたいと思い、大学に進学して野球を続けていました。いざ就職活動をするとなった時、自分にとって一番身近な仕事である親の塗装業を意識するようになり、この世界に飛び込むことに決めました。それを耳にした西村社長が「うちで面倒みる」と熱い心意気を伝え、武者修行の場としてニシムラ塗装へ入社することになりました。
いくら親の仕事を見てきたとはいえ、実際に就くと慣れないことや戸惑うことも多いはず。しかも親元を離れて初めて暮らす土地です。大変なことなどないのでしょうか。
「まぁ、休みが少ないとか働く時間が長いとかありますけど、どんだけ辛くてもやるしかないので」と、なんとも頼もしい返答。お話を伺った時は入社して一年にも満たない時期なので覚えることや習得しなくてはいけない技術が多々あるとはいえ、やっと仕事の流れを掴んできたそうです。ちなみに日々の仕事は、春から秋にかけては住宅の壁や屋根の塗り替えが多く、冬は提携先の除雪や建物内装面の塗装などを行っています。
将来家業を継ぐ決意で日々仕事に励む高瀬さん。継いでからの将来の夢を聞いてみました。
「会社は今より大きくしたいなと思います。スポーツが好きで野球をやってきたので、何かスポーツのチームを持ちたいですね。釧路町は長靴ホッケーの発祥地なので、長靴ホッケーのチームを持って地元に貢献したいなって思います」
アイスホッケーで地域貢献する西村さんと似た感覚です。ボランティア精神のある方々同士で惹きつけ合うのかもしれません。「人のつながりは大事って、よく親から話を聞いていました」と語る高瀬さん。自身が今苫小牧にいるのも、まさに人の縁。西村さんのもとには、地域の人たちのことを想う意識のある人たちが集うのかもしれません。
10年後に「ありがとう」と言われる仕事は未来が明るい
昨今は日本各所で人手不足が叫ばれています。塗装業界も同じです。それでも、西村さんは逆に塗装業界の未来は明るいと断言します。
「塗装の仕事は習得すれば『手に職』があるので、どこでも生きていけます。世の中機械化が進んだとはいえ塗装をするのに細部は機械ではできないので、職人の手が必要です。街があるなら建物はなくならないので、人手が足りないということは『手に職』がある私たちは引く手あまたです。質の高い仕事をしっかりできれば単価もついてきます。塗装の仕事って昔は3Kとか不良が多いとかマイナスなイメージが強かったのですが、決して悪い商売ではないと思います。ちゃんとやっていれば将来明るいです」
10年後に「ありがとう」と言われる仕事をし、地域貢献活動に力を入れる西村さん。地域と業界の信頼を築いてきた根底の想いは、人と人との縁や助け合いを大切にすることです。そんな社長のもとであれば、人手不足の世の中でもじゅうぶん戦っていけますし、より発展していくことでしょう。