北海道十勝地方の北東部に位置する足寄町は、全国一の町面積を誇る「日本一大きな町」です。豊かな森林資源に恵まれ、農林業が盛んな町として知られています。そんな足寄の市街地に、町内外のさまざまな人が集う「はたらくものづくり村」があります。
今回は、「はたらくものづくり村」を立ち上げた株式会社木村建設代表取締役の木村祥悟(きむら しょうご)社長と、広報の坂口阿希奈(さかぐち あきな)さんにインタビューを行い、「はたらくものづくり村」とはどんな場所なのか、木村建設が取り組む「木組みの家」とは何か、そしてお二人のこれまでの歩みについても、詳しく話を伺いました。
町内外の人びとが集い交錯する文化発信拠点
「はたらくものづくり村」には、「おもや」と「ながや」そして「かってば」と名付けられた3つの建物があり、それぞれの役割を担っています。
「おもや」と「ながや」は主に移住検討者向けの居住施設。おもやは世帯向けに一棟貸し、ながやは単身者向けのシェアハウスというかたちをとっています。ここでは、ものづくりを生業にするクリエイターや、リモートで仕事ができるビジネスマンなど、対象者を「手に職をもつ人」に限定して、居住者を受け入れています。
「かってば」は、多用途で使用できるコミュニティスペース。これまで講師を招いての金継ぎや台湾茶の講座、マッサージやエステを体験できるビューティーイベント、作家さんによる展示販売会など様々なイベントが開催されてきました。また、キッチンが併設されているので、間借りカフェやお弁当販売など食に関するイベントも可能です。取材当日は、時間制のレンタルスペースとして、近所のお母さんと子どもたちの憩いの場になっていました。
通常コミュニティスペースや移住体験施設は、市町村(行政)が直接管理していたり、あるいは民間企業に委託をするなどして間接的にでも行政が関わっているところがほとんどです。しかし、この「はたらくものづくり村」は、木村建設が独自に運営しているコミュニティ施設という点で、全国的にも珍しい場所です。なぜ、地元の建設会社がこのような施設を作ったのでしょうか。
手に職をもつ人に限定しているのは、ここを「地域(足寄)×移住×ものづくり」の出発地点としたいというコンセプトの上にあります。
「木組みの家」を体感するモデルハウスとして
はたらくものづくり村がオープンしたのは2019年。もともとは、木村建設が手がける「木組みの家」を体感してもらう、言わばモデルハウスとして作られました。しかし「モデルハウスとしてだけではなく、さまざまな目的でここに来て、いろんな人に木組みの家を体感してほしい」という思いから、今のような移住検討者を受け入れ、町内外の方が多用途で利用する場として運営されています。
「木組み」とは千年以上も前から日本(本州)で培われてきた伝統的な大工技術のこと。伝統工法で建てられた建築物は、丈夫で耐久性のある素材が用いられ、職人の優れた技術によって、数百年の歴史を重ねてもなおその形を維持しています。それは、関西を中心に本州のいたるところに現存する寺社仏閣が証明している通りです。木村社長は、本州でこの伝統工法について学び、生まれ故郷である足寄で木組みを用いた「家づくり」をスタートさせました。
こちらが木村祥悟社長です。
ただし本州で用いられている素材と工法をそのまま北海道に「輸入」しても、北海道の寒さには耐えられません。
「百年、二百年もつ家づくりをするためには、地域の気候風土に合った素材を使うことが一番。と、なれば必然的に地域材を使うことになります」と木村社長。私たちが取材をさせて頂いた「ながや」は構造にカラマツを使用し、床や天井、壁天井には北海道を代表する広葉樹であるタモが張られています。
カラマツは、日本の針葉樹のなかでもヒノキに次いで耐久性の高い丈夫な木。ですが、北海道で建材として利用されるのは、ほんの数パーセントで、ほとんどは梱包やパレット材に使用されてしまうのだそうです。
「カラマツを使った建築の魅力を伝えるために、不特定多数の人が訪れる場所を作りたい」という思いがはたらくものづくり村を作った最初の動機。木村社長は、同じく木組みで作られたご自宅も、興味をもってくれた方に見学してもらえるよう開放しています。「建築は体感してもらうことが一番」。住んでみなければ分からないことが、建築にはたくさんあるそうです。
冬の寒さ対策としては、現代的な断熱技術を用いることで精度を上げています。伝統的な建築工法と現代の断熱技術を掛け合わせることで、寒さの厳しい北海道でも耐久性の高い優れた住宅が完成します。寒さが厳しい北海道で高水準の住宅が実現できると、日本のどんなところでも同じような性能の住宅を建てることができます。「北海道のポテンシャルはとても高い」と、木村社長は可能性を感じています。
道産材に包まれた空間は、どこか安らぎを与えてくれるような気持ちになります。
「いつになったら大工になれるんだろう」木村社長の二十年。
足寄町出身である木村社長のご実家は、祖父の代から工務店を営んでいていましたが、木村社長自身は最初から家業に興味をもっていたわけではありませんでした。中学校までを足寄で過ごし、高校は「外の世界を見たい」という思いで、札幌の普通科校へ。大学にも進学するものの1年で中退、その後、いったん足寄に戻り家業を手伝っていました。
そうして3年ほどを過ごし、「このまま家業を継ぐのもな......」と煮え切らない思いを抱えていたときに一冊の本に出会います。代々法隆寺を守り、「最後の宮大工」と言われた名工・西岡常一の『木のいのち木のこころ』でした。当時、宮大工という職業があることすら知らななかった木村社長でしたが、「自分もこの世界に入りたい」と、その3ヶ月後には京都で宮大工の修行を始めることになったのです。22歳のときのことでした。
「(宮大工が建築や修繕を手がける)お寺や神社はそもそも『祈るための場所』です。住宅建築とは考え方が全く異なり、百年、二百年先を見据えた造りをしています。日々の仕事に向かう姿勢にも感銘を受けて飛び込んでいきました」
一千年以上の歴史を誇る伝統の世界に足を踏み入れた木村社長。慣習的にも「ウチとソト」という考え方が強い(といわれる)京都という土地で、職人の技術を学ぶことは、ことさら大変さがあったのではないでしょうか。
「修行自体はもちろん厳しいものでしたが、出身地によって差があるわけではなかったですね。むしろ、『できるかできないか』でしか評価されない100パーセント成果主義の世界は、僕にとってすごくシンプルで心地よかったです。できなかったからといって怒られても、できないのだから仕方がないし、とにかくできるようになるしかなかった。実家で働いていたときは『社長の息子』として、周りが気を遣っていたところもあると思うのですが、京都ではひとりの職人として見てくれたことも、とてもありがたかったです」
また、木村社長が所属した会社が創業3年目の若い会社だったことも「既に完成されている大きな会社で歯車の一つになるのではなく、操業していくところも見ながら仕事ができたことも良かった」と振り返ってくださいました。
京都で4年半、宮大工の修行を積んだ木村社長は、その後、宮城県で伝統工法を用いて住宅建築を手がける会社に1年ほど勤め、2009年に足寄へUターンをしました。現場マネージメントや、会社を回していくための資金繰り、建築士の資格取得など大工以外の仕事を学び、2016年に代表取締役に就任、木村建設を引き継ぎました。
京都での宮大工修行という濃密な時間を過ごした木村社長ですが、その当時は「伝統工法の凄みはそこまでわかっていなかった」と語ります。
「伝統工法の凄さとは頭で理解できるものではなく、建物と対峙したときに感じる威圧感というのか、オーラとして伝わってくるものがあります。なぜそのようなオーラを放てるのか。最近になって、ようやくその理由が分かるようになってきました。当時はそれを感じられる技術も知恵も知識もなく、毎日手を動かしてできるようになる、それだけだったんだと思います。それでも、まだなりきれていない。この仕事を始めて20年が経つけれど、いつになったら大工になれるんだろうと思います」
「奥が深い」という言葉では到底表しきれない伝統の世界と職人の道。そこにゴールはないのかもしれません。
「どこにいても自分で豊かさや幸せを見出す」坂口さんのあゆみ
木村社長と共にお話を聞かせてくれたのは、はたらくものづくり村の広報を担当する坂口阿希奈さんです。企画や編集を担う「pokkeroom(ポッケルーム)」を主宰し、ご自身でもはたらくものづくり村でイベントを企画しています。2020年からSNSでの情報発信を任され、2021年からは、はたらくものづくり村の管理人も務めています。
坂口さんも足寄町の出身ですが、2019年にUターンしてくるまでのユニークな半生をぜひご紹介させてください。
こちらが坂口阿希奈さんです。
坂口さんも、中学卒業までを足寄町で過ごしました。その後、函館市内の高校、東京都内の大学へと進学します。大学在学中に取っていた「アイデンティティ論」という講義がきっかけで、「幸福とは何か」について興味をもった坂口さん。先進的な福祉政策を打ち出している北欧の話をとある方から聞いたことを思い出し、その中でも国民幸福度が世界一のデンマークへ渡ることを考えます。
大学卒業後に足寄町役場に2年半勤めたあと、デンマークの国民高等学校(フォルケハイスコーレ=成人であれば国籍問わず誰もが入学できる北欧独自の教育機関)に半年間留学をします。北欧ではなぜ幸福度が高いのか、その理由を現地で学んだ坂口さんでしたが、そこで実感したのは「幸福を決めるのは場所ではなく、自分自身である」ということでした。
「北欧は政策上、税率が高いこともあり手当てが手厚いことはすごいと感じましたが、それが日本でできるかといえば別の話です。結局はどこにいようとも、自分で豊かさや幸福を見出すことしかできないんじゃないかなと思いました。物事の受け取り方次第というか。それで、拠点はやっぱり日本が良いと思って帰国することにしたんです」
取材の日は、近所のお母さんと子どもたちの笑い声が飛び交っていました。
日本に帰国してからも坂口さんの幸せを探す旅は続きます。
再び足寄に戻り、その後3ヶ月ほどかけ日本列島を南下。その道中、愛知県に差し掛かった頃に「電車内でお年寄りや障害者に席を譲るシーン」を一週間で3回も目撃して衝撃を受けます。それは、坂口さんがデンマークで学んだ「共存」の光景でした。
「そういえば愛知県って『愛を知る』って書くし、一体どんな町なんだろう」と興味をもった坂口さん。坂口さんの探究心がよく表れている発想です。それから豊橋市にあるエコヴィレッジにジョインして、およそ4年半ほど「多世代多文化の事業づくり」に携わりました。エコヴィレッジとは、「持続可能性を目標としたまちづくりや社会づくりのコンセプト、またそのコミュニティ(Wikipediaより)」、かみ砕くと、そこで暮らす住民が互いに助け合い、環境負荷の少ない持続的な暮らしを形成するコミュニティのことをいいます。
高齢者事業、障害者事業、保育事業、そして畑での自給自足など持続可能なコミュニティの在り方を実験的に実践してきた坂口さん。もともと大学時代に有機農法を学んだことで「身近なところで自分で自分の食べるものを作れたら、豊かになるのでは」という仮説を持ち続けていたそうです。
「地球上に自分が生きている意味を考えたときに、次世代へ何を繋げていけるのか。その方法は何でも良かったのかもしれないけれど、一番分かりやすかったのが自給自足を始めとしたこれらの方法だったので、それを実践している人たちに仲間入りしたかったんです」
こうして持続可能な社会の在り方を学んだ坂口さんは、ご自身の体調不良もあり2019年に足寄へ3度目のUターン。町内の移住サポートセンターで1年働いたのち、はたらくものづくり村に転職しました。
家を建てることの責任を問う木村建設の家づくり
ユニークな経歴をもつ坂口さんだけではなく、現在の木村建設には大工が5名、木工事以外の作業員が2名、そして事務員2名と計10名ほどの社員が働いています。昨年からは若い女性の大工も加わり、日々切磋琢磨しています。
「僕が会社を継いだとき、道内で伝統工法を用いた家づくりをしている人はほとんどいませんでした。でも、今はこうして若い子がうちの会社に修行に来ている。自分が思いつくことはできる限り全て伝えてあげています。伝統を先に繋げていくことが目的なので、どんどん若い人に来てもらってノウハウを盗み独立していってほしいですね」と木組みの家を継承していくことが一番の目標だと木村社長は言います。
ところで、木村社長は木組みの家を建てるときに、お客さんと「家をつくることの責任」について対話をするのだそうです。
「よく家を建てることは『高い買いもの』と言われたりもしますが、僕は買いものなんかじゃないと思っています。一軒の家を建てるためには百本以上の原木を伐採して、それを『使わせてもらっている』ことを忘れてはいけない。家を建てることは『社会的責任の大きい行為』でもあるんです」
樹齢五十年の木を使わせてもらうとすれば、その木々を使用した家を最低五十年は持たせないと、山はそのサイクルに追いつけず、荒廃してしまいます。豊かな自然資源である大切な木を百本使う覚悟はあるのか、家を残していく覚悟はあるのかを、木村社長はお客さんに丁寧に説明し、問いかけます。
「家づくりは『作って売って終わり』では決してないんです。広い視野で見渡すと、建物は町の風景の一部にもなりますよね。やっぱり、それだけ社会性のある行為なんです。皆がそれぞれ好き勝手に家づくりしていたら、町並みとして美しくならないし、そんな町には住みたくならないですよね。だからこそ、木組みの家を足寄町や北海道に少しずつ増やしていくことで、町並みを作ることにも貢献していきたいと考えています」
もちろん、美しい町並みとそれを形成する家々には、そこに住まう人々の「暮らし」があることも忘れてはいけません。
「京都や金沢などの町並みを見ると、暮らしを伴ってきたからこその美しさだということが分かります。そこまで考えながら実践する建築は本当に面白いし、若者もそこに魅力を感じてくれます。将来大工になりたい、建築設計に携わりたいという子どもたちが増えてくれば、確実に数十年後の町並みはよりよいものになっていくだろうと思います」
数十年、あるいは数百年先を見越した木村社長の「家づくり」に、今まで建築を見るときにはなかった新たな視点を得た気がしました。
はたらくものづくり村のこれから
最後に、はたらくものづくり村の今後についてもお二人に伺ってみました。
「先ほどもお伝えしたように、これからもはたらくものづくり村を通して木組みの家をたくさんの人に知ってもらいたいと思っています。その上で、これはどこの町でも同じですが、町内では毎月どこかの店が廃業し空き家が目立ってきています。建築屋として何かできることがあるのではと思っていますし、はたらくものづくり村をきっかけにやって来た様々なフィールドの『プレイヤー』が定住し、いずれ空き家を埋めていってくれたらと考えます」と木村社長。
これからも「はたらくものづくり村」は、こんな素敵な笑顔で溢れる場所であって欲しいと思った取材でした!
坂口さんも「いろいろな方が携わり、いろいろな方の『これをやりたい』という小さな夢に寄り添える場所でありたいと思います。そういった活動をこの場所を通して、増やしたり広げたりしていけばいいなと思っています」とお話ししてくれました。
町内外から人びとが集まり、小さな願いが実現していく「はたらくものづくり村」は、いま足寄の町並みのひとつとなり、良き風景の一部になっています。
数年後、数十年後の未来を想像してみたとき、足寄にはどんな町並みが生まれているのでしょうか。とても楽しみです。
- はたらくものづくり村
- 住所
北海道足寄郡足寄町南1条4丁目30
- 電話
0156-25-2529(木村建設)
https://hataraku-mono-zukuri.com/(はたらくものづくり村)
https://www.kiguminoie.net/(株式会社木村建設)