札幌から北に約110km。左手に日本海の波音を聞きながら、国道231号線 通称「オロロンライン」をひた走り、目指すは道北増毛町。
ここに、町を超えエリア全体を盛り上げる取り組みで注目を浴びる「ある商品」と、それをけん引する漁師さんたちがいると聞き、増毛町の漁師・林一了さんに会いに行きました!
日本海の豊富な魚種の数々!おさかな天国増毛町へ
明治から昭和にかけて、北海道を一大漁業大国に押し上げたニシン漁。増毛町もその重要拠点のひとつでした。町内には当時の面影を今に残す建築物が数多く残り、特に「ふるさと歴史通り」と名付けられたJR増毛駅の周辺には、木造の旅館や重要文化財にも指定された豪商・本間家の屋敷など、タイムスリップ感満点です。
その中には今回のお話で重要な役回りを担う「日本最北の酒蔵」国稀酒造も含まれているのですが、その話はもう少し後で...。
ここでちょっと視点を高くしてみましょう。
増毛町が位置する留萌エリアは増毛町・留萌市・小平町・苫前町・羽幌町・初山別村・遠別町・天塩町の8市町村で構成されています。
また漁業の観点で見てみると、留萌エリアには増毛漁協・新星マリン漁協・北るもい漁協・遠別漁協と、4つの漁業協同組合が存在する道内屈指の水産業エリアなのです。
増毛漁協近くの港
今回お話を伺った林さんは、そんな留萌エリアの漁業関係者の中でも中心人物の一人。増毛漁協青年部部長だけでなく、留萌地区漁協青年部連絡協議会の副会長も歴任した方。
増毛町出身の林さんが青年部長を退いたのは2年前。メンバーとともに切磋琢磨しながら増毛町のPRなどを3期6年間にわたって行なってきました。
漁師になったきっかけを聞くと「なんか、流れで...」とのこと。漁師の家庭に生まれお父さんの背中を見て育った林さんが漁師を志すことは、ごく自然な流れだったそうです。
現在は役職を後輩に譲り、裏側からサポートしている林さんですが、漁師としてはもちろん現役。聞けば37歳の働き盛りです。
...
え、37歳...?
なんですかその肌ツヤ...!!
またもや我々くらしごとおさかなチームの隠しミッション「漁師の実年齢と見た目年齢、10歳くらい離れてる説」立証への証拠をひとつゲットしてしまいました。
ありがとうございます(?)。
話を戻して漁師としての林さんのお仕事を聞いてみました!
【林さんが行なっている漁】
1~4月 ニシン
3・4月 カレイ
5月~ タコ(樽ながし漁)
6月~8月 ナマコ(桁曳き漁)
7・8月 ウニ
9月~11月 マグロ カスベ アンコウ
~12月 ヒラメ
10~12月 アワビ
この日はニシンの他に、カレイやタラもあがっていました(取材日は3/2)
...と、年間通して獲れる魚種がとっても豊富!
これらは沿岸漁業のみで、沖に出ればエビなどもっとたくさんの魚種が獲れるのだそうです。
むむ~、年中大忙しですね!
地域のためにできることを!「漁師の力酒」誕生秘話
お話を聞いていると淡々とした語り口の底に、地域愛と漁業への思いが垣間見えます。実は増毛漁協青年部長だけでなく、留萌地区漁協青年部連絡協議会(以下、留青連)の副会長も務めた林さん。先輩漁師から受け継いだのは、漁師の魂だけではありませんでした。魂を煌々と燃やすための燃料、それが「漁師の力酒」です。
事の起こりは今から10数年前。
当時留萌地域は若手不足を課題に抱え、青年部の活動自体が停滞していました。中には単独での活動が困難な部もあり、十分な活動費も担い手もないという、深刻な状況だったそうです。
そんな情勢の中でも留青連の役員会では「地域の子ども達に遊具をプレゼントしたり、なにか地域の役に立つ取り組みはできないだろうか?」という提案が上がります。
数々の案が浮かんでは消えていく中で、白羽の矢が立ったのが「お酒」でした。
地元の漁師の間では「酒は船に積んで揺らすと旨くなる」と、古くからたしなまれてきた「船積み酒」という習慣があるのだそうです。
この船積み酒と留萌エリアの新鮮な地魚を組み合わせて提案する活動を、留青連全体で取り組んでみることになりました。
検討が進み、当時の青年部長が留青連会長を兼任していたことと、町内に國稀酒造を有していたことから、増毛町が主体となって進めていくことになったのだそうです。
増毛では、歴史ある建物をそこかしこで見ることができます
そうして平成21年、「ダメで元々!」という気持ちと共に、当時の青年部部長が初めて國稀酒造の門をたたき、相談に訪れました。
しかし答えは「ノー」。全く相手にされなかったのだとか。
酒造りのプロからすれば、「船に積んだだけで日本酒の味が変わることなど考えられない!」ということだったようです。
とはいえ折角生まれたアイデアをこれだけで終わらせるのは忍びないと、今度は実際の船積み酒を國稀酒造に持ち込んで、社長や杜氏に試飲してもらいました。
その結果、積む前と積んだ後で格段においしくなった!...かどうかの反応はいま一つでしたが、留青連の思いは通じ、商品づくりへの協力を仰ぐことができました。
その時に釘を刺されたのが
・酒の販売には国税局の許可が必要。なので青年部や漁協名での販売はできない
・売れ残って在庫を抱えるリスクについて十分協議すること
・内容量やラベルの表示についても酒税法に触れないよう注意すること
この3つだそうです。
なんと注意点はこれだけでなく、のちに瓶に貼るラベルの印刷会社からも
・揺らすことによる効果は数値として示せないため表示はできない
・船に積んだことは強調しても成分や効能については触れない方が良い
・名前が決まったら、同じ商品名が商標登録されていないか調べること
・販売に当たっては許可を持っている地元の酒屋に協力を求めること
といったアドバイスを受けたそうです。
むむむ~!
世の中には色々な商品がありますが、中でもお酒はクリアしなくてはならないハードルが多いんですね!
ちなみに商品名を決める会議では、他に「沖さいくど」や「大漁旗」などがノミネートしていましたが、最後は「漁師が沖に行って網を起こす力強さを表現したい!」というメンバーの声で「漁師の力酒」に決定したそうです。
「商品」から「架け橋」に進化!「力酒」で拓く魚食普及
数々の課題を留青連メンバーや國稀酒造・甲谷商店など、地元事業者の協力を得ながら力を合わせて解決し、平成21年についに「漁師の力酒」が世に出されます。増毛町内でのイベントでお披露目したところ予想以上の大反響!企画が成功したことはもちろん、1本あたり400円の収益を得られたこともあり、会員のモチベーションもアップしたそうです。
その後はわずか3年で留萌エリア全域のイベントの常連商品に成長。
平成24年には、稀に見る革新的な取り組みとして、「第17回全国青年・女性漁業者交流大会」で報告する機会も得ました
そんな「漁師の力酒」ですが、海に凪や荒波があるのと同じように、ずっと順風満帆だったわけではありません。
林さんも、令和2年度の交流大会で取り組みを発表しました
荒波の一つは国税局からの通達でした。
その内容は、「商品の出荷後に船で40日間保管することに対しての品質管理」や、「そもそも漁船が保管場所として問題がある」ということ。
そして「出荷後に船積みしているのであれば、ラベルに書かれた「船積み」の表示は不適である」という指摘です。
あきらめかけたメンバーの背中を押したのは、なんと國稀酒造でした。
知恵を出し合い解決すべき課題を整理し、従来の「出荷後の船積み」方式ではなく、「予め40日間船積みした原酒を使って製造する」方式に変更することで、国税局のOKを勝ち取りました!
さらに嬉しい誤算は、なんと新しい方式の方がより旨みを感じられる仕上がりになったこと。
こうして「漁師の力酒」はさらにパワーアップ。当初は甘口だけでしたが、消費者アンケートの結果を反映して「辛口」を開発したり、周年記念商品を販売したりとラインナップも拡充していきます。
漁師の力酒。各種
どんどん知名度を上げていく一方で、次の荒波も迫っていました。
それは地区ごとの取り組みに対する温度差。
販売開始から4年が経過する頃になると、売れる地区と売れない地区が明確に分かれていたのです。当然のことながら、売れにくい地区ではモチベーションが下がり、売れる地区だけでやればよいのではないかという雰囲気が広がっていたそうです。
そこで留青連は改めてこの活動が目指す方向の定義づけを実施しました。
「『漁師の力酒』は、販売利益の追求を目的とした活動ではない」
平成26年からは思いを新たに、商品販売を通じて魚食普及の推進やメンバー間の交流を深め、若い力で地域を盛り上げることを目指しています。
そうそう。
留青連がこの活動を始めたきっかけの一つに、「子ども達に遊具の一つでもプレゼントしたい」という思いがありました。
なんと売上金を使って、留萌全域の全幼稚園と小学校へ、遊具の寄贈を行なったそう!さすが有言実行、かっこいいです!
遊具の寄贈の他、5月の鯉のぼり、夏の打ち上げ花火、クリスマスなど季節毎の行事でも子どもたちを楽しませています
林さんは令和2年の青年・女性漁業者交流大会において、漁師の力酒をめぐる10年間の歴史を題材にした発表を行ないました。
それによると平成20年から平成30年にかけて、留青連の会員数は約2割増加、活動費は約3倍に増加したそうです。
しかしそういった数値的な結果と同時に、「漁師の力酒」を育てていく過程で得たつながりや、他エリア・他業種の人々との協働という経験が、物事を考える際の視野を大きく広げてくれたと林さんは感じています。
豊かな海を未来につなぐ!エリアを超えた若手漁師の絆
全国的に資源枯渇が叫ばれる昨今。林さんたちは獲るだけではなく増やす活動も行なっています。例えばニシン。
近年、小樽・余市や石狩などではニシンの大漁が続いています。教科書で習った「郡来(くき)」が見られるなど、ニシンの水揚げ量が復活しつつあるのはたまたまではない、と林さんは話します。
というのも、増毛漁協では、留萌振興局からの依頼もあり、地元でとれたニシンを用いた採卵や、稚魚放流などの努力を続けているのです。
こうした「育てる」動きは他の地域でも見られることから、林さんが偶然ではないと言うのにもうなづけるのではないでしょうか。
留萌エリアではまだニシン漁は安定していませんが、留萌で獲れたニシンを使って稚魚放流を続けていれば、もしかしたらサケが故郷の川に戻るのと同じように、ニシンも戻ってこないだろうかと期待をかけています。
「最近イカが減ってるのはマグロが増えたからじゃないかという説がありますよね。マグロが少なくなったので獲れる量を制限した結果、逆に増えすぎてしまったのかも。人間が生態系のバランスを崩しちゃってるところはあるんだろうと思う」
林さんたち多くの人の努力があって、留萌管内のニシンも復活傾向です
実はニシンの他にも各組合ごとにヒラメやクロガレイなどの放流が行なわれていて、私たちが普段口にする魚の多くは、何らかの形で人間の活動が関わっているのだとか。
ある魚が減って、ある魚が増える理由について、考えずに過ごしていることに気づき、ハッとしました。
林さんの所属する増毛漁協青年部は現在約30名。平均年齢は30歳前後と他のまちの団体に比べると若い印象です。
全員が地元出身で、親の代から引き継いで漁師になった人がほとんどですが、最近は親が漁師ではない地元の若者がアルバイトから入り、漁師として仲間入りするケースも増えているのだとか!
増毛の漁業、活発ですね!
「今の青年部トップはどっしり構えていて、その下や周りのメンバーがしっかり支えてくれてる。みんな普段から用がなくても集まって、和気あいあいと話をしているような関係だからね、結局こういう仲の良さっていうのが一番の力なんだと思う」
後輩たちのことを話すときの林さんは、どこか誇らしげです。
青年部の皆さん。力酒のポスターにもなっています
地元増毛町の仲間たちとの絆や、近隣市町村の漁業関係者との連携。さらに近年は漁業という枠を超え、新篠津農協青年部と協力してコラボイベントをそれぞれのまちで行なうなど、活動の幅はどんどん広がっています。
「漁師の力酒」と一緒に成長した10年は、決して楽な道のりではなかったそうですが、乗り越えた自信が次の一手につながっていくはず。
林さんに今後の夢について聞いてみると
「いいだけやりたいことやってきたからね。平和に暮らしていければいいかな(笑)。自分たちだけでなく、子どもやそのまた子どもまで、この海をつないでいきたい。どんな活動でもやっぱり最後は海につながってると思えば、自然と体は動きますね」と笑います。
夏になれば朝からウニを獲って、帰ってきたら趣味のゴルフに行って、終わったらお酒を飲んで寝るんだという林さん。いつまでも変わらずに、大好きな海で漁ができる生活こそ、一番の幸せということなのかもしれません。
最後に好きな魚の食べ方を聞いて見たところ、
「最近増えてるニシンなら刺身、あとなめろうもうまいですね。カレイは種類によって違うけど、クロガレイは煮つけ。マガレイなら煮つけと唐揚げかな」
増毛のおいしい魚と「漁師の力酒」のマリアージュ、ぜひお試しあれ!
- 林漁業部 林一了(かずのり)さん
- 電話
0164-53-1555(増毛漁協 青年部)
- URL
皆さんも登場する留萌管内で獲れる魚食普及チャンネル「『食卓に魚を』プロジェクト in るもい」こちらも是非!