HOME>まちおこしレポート>イエだけじゃなく、まちづくりも。地元建設業の魅力を高める挑戦

まちおこしレポート
浦河町

イエだけじゃなく、まちづくりも。地元建設業の魅力を高める挑戦20211122

この記事は2021年11月22日に公開した情報です。

イエだけじゃなく、まちづくりも。地元建設業の魅力を高める挑戦

海と山に挟まれ自然豊かな地域であり、日高振興局の拠点でもある浦河町。道内の他の地域と同じように人口減少、産業の担い手不足に悩まされる地域でもあります。
そんな中、次世代を担う40代の社長と現場監督が、地元の建設業の魅力を高めて若い世代に帰ってきてもらおうと、さまざまな取り組みを進めている会社がありました。
その会社は有限会社神馬建設。今回、社長の神馬充匡さん、そして取締役で現場監督を担当する上戸孝治さんにお話を伺いました。

幼少から建設業を意識するも、土木の道へ

神馬建設は、1982年の設立から3代目わたって、地域に根ざした家づくりにこだわっている会社です。
そんな神馬建設では、「家」を「イエ」と表現しています。

「家をHouse=箱ではなく、Home=帰る場所と捉えているからです。せっかく家を建てるのだから、早く帰りたいと思える家づくりを追求しています。また、建てた後に子どもが巣立つなど居住する家族の状況が変わると、使い勝手が悪くなってしまうことも少なくありません。そうした時に、カスタマイズして将来的にも住みやすくする提案をしています。おそらくは一生に一度のマイホームですから、50年は取り壊されずに長く住んでほしいと思っています。木を植えたら50年で木材にできるまでに成長します。木で家を建てて同じ年数使い続けられれば、50年ごとに木で循環させることができます。家は消費するのではなく、持続可能なものにしていきたいと考えています」

こう話してくださったのは、3代目社長の神馬さん。

jinba_5.jpg家業を継ぐために地元へUターンした神馬充匡さん

神馬さんは、子どものころからものづくりが好きだったため、家業である建築の仕事がしたいと漠然と考えていたそうです。そこで、高校進学の際に、苫小牧工業高等専門学校へと進路を定めました。しかし、選択したのは建築ではなく土木の学科だったとか。

「浦河町から出たかったことと、私服の学校に行きたかったので(笑)、苫小牧高専を選びました。土木と建築の違いもよく知らず、父に聞いたら『だいたい一緒』と言っていたので、土木科に決めてしまったんです」

充実した仕事の中で生まれた違和感

これが神馬さんの運命の大きなターニングポイントとなり、土木の道に進むことになります。住居やビルなどの建築物を作る建築に対し、土木は道路や橋などを作るスケールの大きな仕事。

「いざ入ってみると、建築と全然違う!となりましたが、勉強してみると面白いなと。まさに、よく言われる『地図に載る仕事』でもあり、多くの人に影響を与える土木に魅力を感じましたね」

jinba_18.jpg浦河町のまちの様子

そこで就職も苫小牧の建設会社に入社。そこで土木工事の現場監督として、12年間勤務しました。

3年目から千葉県に転勤し、関東で団地の改修や工場解体後の区画整理などの現場を担当。忙しく充実した日々を過ごしますが、徐々に違和感を覚えてきたという神馬さん。

「公共事業に対して周辺住民からの苦情対応をすることも多く、『こんなに汗水垂らしてここに作る必要があるのだろうか』と疑問を感じることも増えてきました。10年ほど勤めた時に、少し考えたいなと思うようになったんです」

そんな折、浦河に帰省した時に地元のスナックでお酒を飲んでいると、神馬建設で家を建てたお客さんと偶然出会いました。そのお客さんから「お前、親父の仕事をちゃんと見ているのか?親父はすごいことをやってるんだぞ」と言われたのです。

「ハッとしました。その時モヤモヤしていたことがすっきり晴れましたね。家を建てる仕事は、お客さんから直にリアクションがもらえることが、求められる以上の仕事をしようというモチベーションになると。この時に、帰ってこようと思いました」

jinba_20.jpg馬産地として有名な浦河町。海も山もある自然に恵まれた土地です

転機となる地元の先輩との再会

そこから間もなく、現在の取締役である上戸孝治さんと再会します。上戸さんの実家は神馬建設の協力会社である上戸建具で、さらに上戸さん本人は神馬さんが中学の時に入っていた野球部の1歳上の先輩でした。中学卒業後は接点はありませんでしたが、上戸さんはそのころ、実家の上戸建具に所属しながら地元の建設会社の工事の現場監督を請け負っていました。

上戸さんも神馬さんと同様、お父さんの影響を受け、中学生の頃には、建設業界に入りたいと考えるようになってそうです。

「会社員と違って、父が目の前で働いていますから、日常的にものづくりがありました。やってみたいという気持ちもありながら、建具作りは繊細であり力仕事でもあること、常に刃物を扱う危険な仕事でもあることから、『自分には無理だな』と思い工事管理の分野に進むことにしました」

jinba_16.jpg取材日、現場もご案内してくださった上戸孝治さん

地元の建設業が衰退することへの危機感

上戸さんは、苫小牧工業高等学校の建築科から、苫小牧の総合建設会社に就職。倉庫や病院などの大規模な建設物の現場監督の経験を3年ほど積んだ後、退職して地元に戻りました。そして、実家の会社に籍を置きながら浦河のさまざまな建設会社の現場に手伝いに行くようになります。当時から、地元の会社には現場監督の人材が不足しており、徐々に仕事を任されるようになりました。

「現場監督の請け負いというのは珍しい立ち位置ですが、工事の補助などから少しずつ入り込んで実績を作っていきました。父が建設業界で信頼を得ていたことも大きかったですね」

jinba_13.jpg

上戸さんは、当時から地元の会社で現場監督ができる人材が少ないことで、地元の建設業が衰退してしまうのではないかと危機感を持っていました。仕事に入った建設会社から「うちに入社しないか」と誘われることもありましたが、自分はフリーで活動しながら、各社で若い人材を育て増やしてもらおうと働きかけてきたのです。しかし、企業としても若い人材を育てる余裕がなく、工事管理ができる若い人は現在でも大変少ない状況です。

そのような状況で、神馬建設の先代社長から「息子が帰ってくるので一緒にやってほしい」と声が掛かりました。そこで、二人が再会し、お互いのそれまでの歩みや考え方について話すことになります。

「自分たちより若い世代で地元に帰ってくる人を増やしたい。でも田舎には刺激がないから、若い人は都市に行ってしまう。そこで地元の建設業のレベルを上げるものづくりをして、魅力を高めたいという想いが一致しました。そこで、自分も帰ってくるので一緒にやろうと約束したのです」と神馬さん。それまでどこにも属さなかった上戸さんも、神馬建設への就職を決意しました。今から12年前のことです。

jinba_9.jpg

地元で何十年経っても恥じない家づくりを

神馬建設の家づくりの特長は、施工へのこだわりだと上戸さんはいいます。

「先代社長は、『そこまでやるか』というほどの厳しさを持っていました。そこまで考えて作ってもらえたらお客様もうれしいだろうな、と思うと同時に、地元でやる中で恥ずかしくない仕事ができていると思います」

神馬さんも、父である先代社長を「真面目でド直球」と表現します。

「私も若いころは、『もっと上手く立ち回れるんじゃない』と思っていましたが、ここ数年は、そうやって信頼を重ね、責任を取り続けることが重要だとわかるようになりました。以前の当社のスローガンは、『恥ずかしくない家づくり』でした。例えば何十年か後に、別の業者さんがリフォームをする時に『どうしてこんな施工をしたの』と言われないように。気になる部分があるなら素直に謝ってその時に直そう、そうでないとずっと尾を引くことになる、と先代もよく言っていました。小さな町で信頼を得るために、そこを大切にすることを今でも心掛けています」

jinba_19.jpg

同年代の担い手と業界を盛り上げる

地元の建設業を盛り上げようという神馬さん、上戸さんの想いに、呼応する同世代の人たちもいます。同じくUターンしてきた木材会社と建材会社の社長と3者で結成した「URAKAWA yamori」では、建設業に関わる公益的な活動を行っています。

2017年には、地元の建設や住宅に関連する業者を掲載した「住まいの問題解決帳」を発行。転勤や移住をしてきて浦河に住み始めた方から、「どこに頼めばいいかわからない」という声が多かったことから制作された冊子です。「電気」「クロス」「水道」など、頼みごと別にインデックスが付いていて、社長の顔写真と会社の紹介が載ったページが見られるようになっています。
他にも、公共施設で小さなお子さんを連れた方が座れる、お子さんが落ちないように柵が付いたベンチを作ったり、建設業を身近に感じてもらうためのワークショップを開催したりと幅広く活動しています。

他企業を巻き込んでさらなる挑戦へ

さらに、地元の建設業を活性化するためのチャレンジとして、自社で開発した人材育成制度の基準を他の企業にも展開したいと、神馬さんは考えているそうです。

「若い人が地元の建設会社に入社して、合わないと思ったり不満を感じたら辞めて都市に行ってしまいます。もし企業風土が合わなかったとしても、経験に基づく給与体系を引き継いで他社に移れれば、地元でキャリア形成ができます。各社の人材育成の基準を明確に示すことで、会社ごとの特徴もわかりますし、そのように特徴を打ち出すことで地域で多様性を保つことができ、各社が共存共栄できることが大事だと考えています」

jinba_17.jpg「イエづくりだけではなく、まちづくりも一緒にやっていきたい」という、神馬さん

このような人材育成制度の作成は、前職の建設会社での経験が役立っているといいます。

「自分の親くらいの世代の職人さんもマネジメントしなければならない環境で、どうすれば人が動くかということを学んできました。会社のミッション、ビジョン、コアバリューを共有することの大事さを学べましたし、今それが役立ち明文化できて良かったと思います。そういえば、地元に帰省する時には、急いで空港で3冊くらい本を買って、帰るまでに一気に読んだりと、戻ってからどうしていくか、なんてことを色々と想像もしていましたね」

他にも、大工技能士の資格試験を受ける人を増やしたり、現場管理アプリを自社で導入しそれを他社でも使ってもらうよう促すなど、業界活性化のための取り組みを地道に続けています。

住み続けたい、住み続けられる家を作ることと、地元の建設業を持続可能にしていく取り組み。何十年後を見据え、「のこす」ことを大切にしていることが伝わる神馬さんと上戸さんのお話でした。
お二人がこれまでに培ったキャリアと新しい感覚が、浦河の建設業にこれまでと違う風を吹かせ、その芽はこれから徐々に伸びようとしています。地元の建設業の魅力を高める次世代の挑戦は、まだまだ始まったばかりです。

jinba_8.jpg

有限会社神馬建設
有限会社神馬建設
住所

北海道河郡浦河町向が丘西1-539-45

電話

0146-22-3912

URL

https://jinba-kensetsu.com/


イエだけじゃなく、まちづくりも。地元建設業の魅力を高める挑戦

この記事は2021年9月17日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。