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まちおこしレポート
札幌市

北海道演劇の20年、そしてこれから。20210902

北海道演劇の20年、そしてこれから。

北海道で作られた演劇を北海道で観る。

演劇ファンの方にとっては日常的な話題であり、そうでない方もメディアや広告でその話題を目にすることが多くなってきていると思います。ここ20年ほどで、北海道の演劇シーンは大きく発展を遂げています。

その土台を支えているのが、公益社団法人 北海道演劇財団。理事長である斎藤歩さんは、舞台だけでなく全国展開されている映画やドラマなどでも活躍する俳優であり、劇作家・演出家です。北海道の演劇の発展と今後について、斎藤さんからお話を聞きました。

saito_ayumu.JPGこちらが斎藤歩さん。

札幌でしか作れない演劇を、社会の支えで作る

北海道演劇財団は、演劇が社会に必要とされ、社会によって支えられる存在として成立するようになることを願い、1996年に設立された財団です。行政や大企業が先導するものではなく、多数の一人一人の市民の有志の寄付と協力により立ち上がった珍しい団体です。


saito_ayumu5.JPG中島公園沿にある事務所。

現理事長の斎藤さんは当時、札幌で演出家、脚本家、俳優として活動していました。北海道大学の劇団研究会で演劇を始め、その後もアルバイトをしながら演劇を続けていた斎藤さん。「札幌で演劇のプロとしてやっていけるようになる」ことを志していました。

財団設立当時、世間では「北海道では演劇のプロは成立しない」と言われていましたが、斎藤さんを始めとする作り手や演劇のファン、支える人は、地元で作りそれを支える必要性を感じていました。

「地域ごとに住んでいる人の気質や文化が違うように、演劇も地域ごとに違います。北海道では北海道の演劇、九州では九州の演劇と、その地域でそこに住んでいる人が作るのが演劇であり、そこでしかできない生の表現、流通しないメディアなのです。私が作る演劇も、多くが札幌や北海道を舞台にしたもので、札幌で表現できるものを作って発信していきたいと考えてきました」

東京で活躍しつつ、札幌でも創作に尽力

北海道演劇財団から、「北海道で優れた演劇を作ることに協力してほしい」と声が掛かった斎藤さんは、財団の付属創造劇団「TPS(シアタープロジェクト札幌、現在は『札幌座』に名称変更)」の契約アーティストとして数々の作品を作り、財団の土台を築いていきました。


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同時に、俳優として全国的にも注目され、東京の舞台や映画、ドラマに呼ばれ出演することも増えた斎藤さん。2000年から東京にある現在の事務所・ノックアウトに所属し、飛行機で札幌と行き来する日々が約16年間続きました。

北海道演劇財団は、扇谷記念スタジオ・シアターZOOを運営し、プロとして活躍できる俳優を養成しながら劇場を拠点に『冬のバイエル』『クリスマス・キャロル』等の作品を発表。斎藤さんは作、演出、脚本、俳優として尽力してきました。ソウル演劇協会やサハリン州文化局、チェーホフ劇場との交流協定を締結し現地公演や共同制作も実施。2005年には『亀、もしくは...』を作者のカリンティ・フリジェシュの故国ハンガリーで上演し好評を博しました。

また、創作や公演、劇場運営だけでなく、演劇を体験することでコミュニケーションを豊かにする演劇ワークショップなど一般市民が参加できる活動を企画。2012年には北海道から公益的な活動が認められ、公益財団法人に移行。民間発の演劇財団としては全国でも初めてのことです。

財団を立て直すために、再び拠点を札幌へ

一方、財団の組織が大きくなると共に、財政状況の悪化や組織の硬直化が進んでいました。そこで、2016年に当時の秋山孝二理事長から斎藤さんに、「北海道に戻ってきてほしい」と要請がありました。斎藤さんは東京から札幌へ拠点を移し、財団の常務理事・芸術監督に就任することに。これまでも作り手として貢献してきた斎藤さんですが、役員として経営にも全面的に携わることになりました。


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「60歳になったら帰ってこようと思っていましたが、10年ほど前倒しになりました」という斎藤さん。北海道での創作活動に対する思いだけでなく、生活する環境としても東京より札幌が合っているといいます。「私は釧路出身ですが、親が転勤族でいろいろな場所に引っ越しました。大学からは自分の意思で住む場所が選べるので、選んだのが札幌です。そして東京にも住みましたが、人や車が多く隙間のない都会は疲れますし、水が合う北海道では食事やコーヒーなどもおいしく感じます」

経営を立て直しながら、創作活動も継続

札幌に戻った斎藤さんに求められていたのは、財政の黒字化と作品の質の向上でした。まず、5カ年計画を立てて改革に取り組みました。斎藤さん自身も常務理事といっても上から指示するのではなく劇場の管理人としての役割を担い、「最初の仕事はトイレ掃除だった」といいます。他にも可能な限りコストカットを図り、業務ごとにタテ割りになっていた組織も風通しのよい体制に見直し。周囲の反発を受けながら、痛みを伴う改革を遂行していきました。

「経営に携わるなら俳優は辞めたほうがいい」という意見もありましたが、「東京の事務所に所属する俳優の柄本明さんに話したら、『両方やればいいじゃない』と。実際に、事務室で仕事をしていても稽古の時間になって劇場に行って稽古をしたらスッキリするんですよね。財団の経営を立て直しながら、表現者としても焦らずに両立してやっていくことにしました」

コロナ禍で演劇の新たな可能性を発揮

最初の5カ年計画を終え、財政の健全化を達成。2020年には理事の推挙により斎藤さんが理事長に就任することに。ところがこれからという時に、新型コロナウイルスが蔓延。予定していた公演も多くが中止を余儀なくされ、「生」を大切にする演劇は再び苦況に立たされます。
未だ厳しい状況は続いていますが、感染対策を試行錯誤しながら劇場の再開に踏み切り、関係者と観客の協力のもと闘い続けています。

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コロナ禍で高い需要を得ているのが、「コミュニケーション力向上ワークショッププログラム」と題した演劇ワークショップのプログラムです。演技を体験することで自己表現と相互理解を深め、コミュニケーションを豊かにする作用を普段の生活に活かせるよう、財団が長く続けてきている活動です。

2020年はコロナ禍で学校の休校が続き、秋になってもクラスメイト同士が馴染めないケースが増えたと聞きます。そのようなクラスに講師を派遣してほしいという要望が相次いで寄せられたのです。

言うことを聞かない子がいるクラスほど、講師は「しめしめ」と思うそうです。 「困難な状況ほど、『どうやったらうまくいくか』と自分たちで考え、やってみるチャンスになります。そのプロセスを踏むことが目的だからです。コミュニケーションで大事なのは、話す力ではなく人の話を聞く力。そこからどう人と折り合いをつけていくかが肝心です」

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もともと、医療や教育など人に対応する仕事に就く人(対人職業従事者)向けに企画してきたプログラムですが、学校のほか地域の老人サークルの人間関係改善など、あらゆる集団の関係づくりに活動できると斎藤さん。

そして、コロナ禍での新たな試みが、「秘められた歴史遺産を巡るライブアートツアー in SAPPORO」。札幌のガイドツアーをオンラインで行い、そこに歴史上の人物に扮した俳優が出演して札幌の街の歴史を伝えるというもの。

さらに札幌交響楽団の管楽奏者の演奏やアイヌ伝統歌、ダンスを融合させたパフォーマンスを交えるなど、歴史をアートで表現しています。北海道大学構内などの普段は入れない場所を案内したり、専門家が登場して市民でも知らない情報を伝えるなど充実した内容です。

「観光とアートを融合させ、楽しみながら街の魅力や歴史を伝える『アートツーリズム』の試みです。これから、北海道内各地の映像を作っていく計画中です」 (視聴はこちらから

ポストコロナ、そして次世代の活動へ

「このパンデミックでみんなが大きな傷を負いました。そこからどう回復していくのか、傷の周りをどう強くしていくのかが次の世代へつながっていくと思います」 財団が地道に重ねてきた活動を通して、北海道でも若い世代で演劇や付随する講師活動で生活していける人が増えてきていました。「演劇を生業にして家族を養える人が、その下の世代はさらに増えていくはずです」

2012年から続いている「札幌演劇シーズン」というプロジェクトは、市内の劇場と連携し、企業等の協賛も得て、夏と冬の2シーズン、選考を通った劇団の作品を上演するという企画です。斎藤さんはプログラムディレクターとして上演作品の選考に携わり、現在は5劇団がそれぞれ12公演を行うという大きなイベントになっています。 かつては札幌の演劇シーンは若い人が中心でしたが、その人たちが舞台に立ち続け、40代、50代の俳優も増え、表現の幅も広がっています。それだけ広い客層に納得してもらえる演劇が作れるようになっています。

とは言え、市民への浸透度、観る側の成熟度は発展途上だといいます。2018年、札幌文化芸術劇場hitaruの杮落とし公演の一つとして財団の企画で上演した『ゴドーを待ちながら』は、東京の演劇ファンがわざわざ観に来る人がいるほど評判の高い公演でしたが、札幌ではその価値を知らない、観たことがないという人が多く、まだまだ情報を蓄積させていく必要があると斎藤さん。

先人から受け継ぎ、気骨のある若者へと渡す

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次世代を受け継いでいく担い手は既に、財団の活動を通して着々と育ってきています。 「情報の扱い方や伝達方法など、世代が違えば感覚も違います。演劇は常に『今』のメディアですから、次の世代が下から突き上げてくるくらいでないと。私とは違うやり方で、暴れ回ってくれればいいと思っています」

斎藤さんはこれまでの財団での活動に対し、「たくさん作らせていただいた」と謙虚な言葉で表現します。その真意を尋ねると、「普通は、演劇を作るのは大変な労力です。自分で劇場を探して一から作るとなると、年2回やるのが限度でしょう。やりたくてもできない人が多い中、私は札幌で環境や人材を与えてもらい、『もっと作ってくれ』と言っていただき、東京にも行って多くの人や現場に出会わせていただきました。こういう経験を、次の世代の誰かにもしてもらいたいですね。これほど恵まれた作り手は日本中探してもいないと思います」

また、斎藤さんたちが培った演劇シーンの土台には、先人たちの姿があります。「財団で運営している劇場、扇谷記念スタジオ・シアターZOOは、1970年代にNHK放送劇団で活動し、札幌に小劇場を作ろうと提唱されていた扇谷治男さんのご遺族からの寄付がきっかけで実現しました。そこで劇場にも扇谷さんのお名前をいただいています。そんな先輩たちの活動から私たちへ系譜としてつながっているのです。これから気骨のある後輩にそれを渡していきたいと思います」

「今、ここでしか作れないもの」にこだわり、創作活動を続けてきた斎藤さんをはじめとする作り手と、それを支えてきた人で育んできた北海道演劇財団。これから北海道で暮らす私たちにとって、演劇がますます身近になっていくことでしょう。

斎藤さんの活動が気になった方は、まずは一度劇場に足を運んでみることをオススメします!

saito_ayumu2.JPG札幌演劇財団を支えるスタッフと共に。

公益社団法人 北海道演劇財団
住所

北海道札幌市中央区南11条西1丁目3-17 ファミール中島公園1F

電話

011-520-0710

URL

http://www.h-paf.ne.jp


北海道演劇の20年、そしてこれから。

この記事は2021年7月13日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。