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持続的に、自分らしく生きられる場所へ。余市エコビレッジ20210414

この記事は2021年4月14日に公開した情報です。

持続的に、自分らしく生きられる場所へ。余市エコビレッジ

北海道余市町。ここに、「余市エコビレッジ」という場所があります。
「余市町登(のぼり)町」という場所を奥深く、自然豊かなエリアを進んでいくと、小さな建物がぽつぽつと見えてきます。木で作られたな小さな家のような、かわいらしい建物を数件通りすぎると、少し大きめの建物が見えてきました。

ecovillage03.JPG余市エコビレッジ。木を基調としたあたたかみのある建物です

「エコビレッジ」という言葉は、聞き慣れない方もいるかもしれません。直訳すると、「自然環境保全の村」となりますでしょうか。
世界には約15,000カ所もの場所にあると言われている「エコビレッジ」。「住民同士が支え合う仕組み」と「環境負荷の少ない工夫」を取り入れた暮らしの場をさすそうです。エコビレッジは、1998年には国連の選ぶ持続可能なライフスタイルのすばらしいモデルとして 「100 Listing of Best Practice」にも挙げられています。

ここ「余市エコビレッジ」は、世界のエコビレッジの考え方をベースに「持続可能な暮らしとコミュニティ」に必要な技術や考え方を学び広める活動をしています。NPO法人北海道エコビレッジ推進プロジェクトが中心になって、地域住民とともに地域の自立を目指しながら、日々試行錯誤しています。
このプロジェクトの立ち上げ人であり、このNPO法人の理事長である坂本純科(じゅんか)さんにお話を伺ってきました。

関東から北海道へ。共同生活でのポジティブな体験を生業に

東京生まれ、埼玉県出身の坂本純科さん。坂本さんが北海道へ来ることを意識したのは、高校生のとき知床の自然保護に関する新聞記事(本多勝一)を読んだのがきっかけでした。山登りや自然が好きで、その記事に共感した坂本さんは、大学進学とともに北海道へやってきて、北海道大学農学部へ入学します。

yoichiecov20.JPGNPO法人北海道エコビレッジ推進プロジェクト 理事長の坂本純科さん

大学卒業後は札幌市職員として環境局で公園や緑地の計画に携わる傍ら、様々なNPO活動にたずさわっていた坂本さん。福祉、環境、国際と他分野にわたるNPO活動を通じて行政ではできないことを外でする生活を10年ほど続け、市民活動の魅力にはまったといいます。

また、坂本さんがコミュニティに興味をもった理由は、「大学での寮生活と、社会に出てからのルームシェア経験が楽しかったから」だったそうです。エネルギー・スペース・家事などをシェアするため、経済的かつエコロジカルな住み方であり、体調が悪い時があっても助け合いながら暮らしていけるライフスタイル。そんな共同生活のポジティブな体験が、このようなことを考えるベースになったのだといいます。

世界中のエコビレッジを視察して実感した、その暮らしの価値

市役所を退職し、NPOの活動に専心したものの、運営は難しく、自立までの道のりは遠そうだと感じました。悩んでいた頃に出会ったのがエコビレッジでした。2006年、海外の先進地を視察するために、ヨーロッパへと向かいます。イギリスの大学院で環境問題を学びながら、ヨーロッパ各地のエコビレッジを訪問して周ったのだそう。

その際にわかったエコビレッジのことについて、このようにお話します。

「一言でいうと、必要なものを自分たちで作り、限られた資源をシェアし環境負荷の少ない暮らしをしながら、住民同士が助け合っていく生活共同体(コミュニティ)です。世界には15,000以上のエコビレッジがあるといわれていますが、大きな概念はあっても定義や認証制度などはありません。1箇所1箇所が違って多種多様だと思います」

そんなエコビレッジの成り立ちには、大きく分けて2種類があるそうです。ひとつは伝統的な地域のコミュニティが、グローバル経済に対してローカルな資源を守ることを目的にエコビレッジとして再生するケース。もう一つはインテンショナルコミュニティと呼ばれるもので、地縁がない人々が意図的にコミュニティをつくるケース。こうお話を聞くと、コミュニティの形成から実際のライフスタイルまで、本当にさまざまであることがわかります。

yoichiecov01.JPGエコビレッジの地域の作り方は様々

「エコビレッジでは、住民自身が対話と合意形成を重ね、農業も経済も、環境も福祉も、暮らしに関することは全てつなげて考え行動していました。何より素晴らしいと思ったことは、コミュニティには全ての人(子ども、高齢者、身体にハンディがある人・・・)誰にでも役割があり、感謝し、感謝されるチャンスがあることです。さらに、日常の労働や暮らしを外部の人たちとも共有し、多くの人びとの学びや気づきのチャンスにもなっていました」

住む人が、自分の暮らしを自らつくる。それを仲間や地域で分かち合うことの実現が、地域力をアップさせて高齢化する農村の活性化のヒントになったり、地域経済の解決の糸口になると考えたのです。

戻ってきたのは「北海道」

それではここから、坂本さんが余市エコビレッジを開業させるまでのお話を聞いてみます。

坂本さんは、「日本のどこかにエコビレッジをつくって、住みたい」という思いを持ちながら、2008年にイギリスから帰国しました。坂本さんの家族や古い友人、またエコビレッジに関連した活動をする人たちの多くは関東に住んでいました。当然、そちらの土地に近い場所で事業を始めることが心強いのではと想像できますが、坂本さんが日本へ戻ってからの拠点として選んだのは、北海道でした。

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「北海道は新しいことを始めやすい土地。本州では文化やふるさとは守るものですが、北海道ではそれを創造できる。歴史的には開拓されて浅い土地だからこそ、新しい取り組みも比較的自由に受け入れてくれる人が多いと感じます。最初は違和感があっても一度信頼関係ができれば助けてくれるし、ほどよい距離感を保って見守ってくれる。その土壌が魅力でした」

そうして、まずは北海道長沼町で、古民家と2反の畑を教材に、通年週末型の塾(エコビレッジライフ体験塾)を始めました。

エコビレッジの必要性を強く実感した「震災」

坂本さんがエコビレッジ設立への思いを強めた出来事が、2011年の東日本大震災でした。

「震災と原発事故に遭遇し、今の日本が継続可能ではないことを改めて確信しました。そのときは、これをきっかけに農的暮らしや環境活動が活発になっていくだろうと想像しましたが、意外とそうではなく、人々は『今までと同じ便利な暮らし』を求めて、同じ日常を取り戻すために必死に修正しようとする姿がみえました。今の社会や生活にNOと言えても、わかりやすい選択肢が手に届くところにない限り、人びとは変わらない。それなら、持続可能な暮らし方を具体的に示すモデルを創ろうと考えたのです」

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災害時はエネルギーや食糧の供給が困難になり、私たちの便利な暮らしが脆弱な基盤の上に成り立っていることを誰でも感じたと思います。世界のエコビレッジの中には、再生可能なエネルギー(風力・太陽光・バイオマスエネルギーなど)だけで自立しているところもあり、水も井戸水や、雨水・排水の再利用などで確保しているケースもあるそうです。
坂本さんが震災をきっかけに持続可能な暮らしへの思いを強めたことは、私たちも強く実感できるところです。

坂本さんがエコビレッジ設立の場所として選んだのが、北海道余市町でした。札幌市から車で約60分、漁業や農業がさかんで、人口は1万8,000人ほど。どうしてここ余市町を選んだのでしょうか。

yoichiecov03.JPG札幌から近く便利で、自然も豊かな余市町

「そもそも農村も都市も、それぞれ単体では存在(生活)できません。商品をつくって売る人、買う人、遊びにくる人、行き来する人、移住する人、仕事をくれる人、最低限のお金がまわること・・・すべてがつながりで助け合っているので、だから農村の自立には都会の存在が不可欠。逆に、都会にとって農村は食料基地であることはもちろん、生物や物質循環の基盤であるという価値を持っています。持続可能な社会には、都市住民=消費者の理解力を高めていくことが大切なんです。そういった背景から、札幌市(都市部)から車で90分圏内の土地を探し歩き、ここ余市町と縁があってエコビレッジをひらく場所にしました。周辺の農家さんとうまく関係性を築けそうだというのもここを選んだ理由です。1年間のお試しの末、本拠地に決めました」

エコビレッジは単体で存在する「独立したコミュニティ」という印象を持っていた取材陣にとって、このお話はとても意外なものでした。エコビレッジ内で完結するものではなく、外の世界と繋がり合いながら、生活を持続していく、そんなエコビレッジの本質を教えていただきました。

2012年、余市に拠点。農村におけるつながりがメインテーマ

その翌年の2012年、 NPO法人北海道エコビレッジ推進プロジェクト設立。余市町での活動が本格的に開始されます。

まずは、全体の構想を描くのに2年近く費やしました。そのうえで人が集う「学び舎(研修棟)」の建設から着手した坂本さん。設計は、ビオフォルム環境デザイン室の山田貴宏さん、アトリエmomoの櫻井百子さん、風のふ設計室の今井歩さんの3人に、施工は岩見沢の武部建設(株)さんにお願いしました。道産材や古材を使い、断熱気密性が高く、冷暖房のエネルギーも少なくてすむ、コンポストトイレや手作り浄化槽などの工夫もし、エコハウスのモデルとなる建物ができました。学生ボランティアや訪問客と一緒に壁を塗ったり床を張ったり、できる限り「皆で作り上げる」ことを大切にしたそうです。

yoichiecov13.JPGメインの建物の内観。キッチンスペースもあります

徐々に仲間を増やし、現在数名のスタッフさんが得意分野を活かしながら勤務されています。みなさん海外でのお仕事や留学経験があり、海外から来るボランティアとのコミュニケーションも楽しんでいます。会員やスタッフ、関わる人たちの「こういうエコビレッジにしたい」という思いがあって、今の余市エコビレッジが出来上がっている、と坂本さんは話します。

「余市エコビレッジは、『人間らしく、自分らしく生きられる場所』にしたいと構想して立ち上げました。食べ物も100%ではないけれど、できる限り自分たちで作る、あるいは地域の農家から手にいれる。これまでスーパーやネットショップにお任せしていた暮らしを取り戻そうとしているのです。
作物を育てることは経験がなくても始められます。昔は家も食べ物も専門家に任せたりせず、みな試行錯誤して自分で作ってきたのですから。私たちの作る野菜や果物は自給用で収益のためではないので、多少形が悪くても、時期がずれても問題ありません。一方、それらを『売り物』にするための障害もよくわかるようになりました。そういう体験をすることで農家さんの苦労を垣間見たりと、いろいろな発見があります」

yoichiecov21.JPG生活ができる「タイニーハウス」もあります

畑には、様々な農作物が植えられています。その他、鶏や羊も飼育しています。この農作物や動物を飼育するのはスタッフさんだけではなく、会員やボランティアの力も大きいといいます。そのように、エコビレッジでは「主体的な参加」と「人と人とのつながり」が大切。こんなエピソードも話してくださいました。

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「ボランティアで来た学生が、『台風でリンゴが落ちちゃったとウワサを聞いて、買い取りたい』と電話をくれたりするんです。普通は落ちたリンゴなんて買わないでしょう?スーパーで、安く、きれいなものがあればそれを買う。でも大変な苦労をしていることを知っていたり、『あの人がつくったリンゴ』『あのリンゴが食べたい』『この人の農業を応援したい』という想いが、オンリーワンとなり、人と人をつなぎます。『農家や、その人がつくる作物のファン』『生産現場を理解する消費者』を増やしてゆくことが、『持続可能な農業』のひとつの答えだと思っています」

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エコビレッジには直接活動に参加をしていなくても、想いに共感し、支援・応援している方が増え続けています。その方々は、地域農家、札幌の大学生や専門家、海外からのボランティア、東京のビジネスマンなど関わりは様々。「アンバサダー」と呼ばれる特別会員には、自家製ワインやジャムの詰め合わせをギフトとして送ったり、情報提供を続けたりして、エコビレッジの実りを分かち合いながら応援してもらう仕組みとなっています。

yoichiecov100.jpg実際にアンバサダーに送っている季節のギフト

また、体験を通じて様々な学びのプログラム(余市エコカレッジ)を提供しています。今世界的に重要な取り組み・目標されているSDGsについても、頭で考えるのではなく、実体験を通して学んでもらうのだそう。

「SDGs研修では、高校生や大学生を農家や漁師さんを訪問して一次産業の現場を直に見てもらいます。そこで働く人たちの思いに触れたり、資源の枯渇や外国人労働者などの社会課題を考えてもらう。そのほか、生物多様性を学んだあとに外来植物を除去したり、ビーチクリーニングでマイクロプラスティックの問題を考えたり。『国連目標の何番は〇〇』という知識を学ぶのではなく、その目標が地域の暮らしの中ではどういうことをさしているのか、自分の行動とどうつながっているかを考えるのが大事だと思っています。将来農家になろう、漁師になろう、と思う子どもたちは多くないかもしれませんが、それでも現場研修で学んだことが心に残り、自分の暮らしを見直すきっかけになってくれたら嬉しいです。若い人たちにとっては、将来仕事を選んだり、生き方、働き方を考えるときのヒントにもなると思います」

エコビレッジに集う外国人や若いボランティアが、近隣農家の手伝いや地域行事のお手伝いをすることもあります。「農家さんが海外の方に作業の意味を説明することが難しいときには、私が間に入ってかみ砕いて説明したりします。また、ご飯を一緒に食べて交流したり、映画を見たり勉強会をしたりして、彼らのモチベーションを高めながら、お金ではない何かを得て帰ってくれることを期待しています。

このように様々な人とのつながりを作り続け、学びのプログラムを提供し続ける場として、余市町での大きな役割を果たしている余市エコビレッジ。「最初は怪しい集団と思われていたでしょうが(笑)、活動を続けているうちに徐々に理解を得られてきました」と話す坂本さん。皆さんの信念ある地道な活動が、地域の信頼を得てきたことを感じられます。

これからは地域ぐるみで

今後も、余市町の農業をサポートしたり、農村環境を活かした学びの場を提供するこの活動を続けていくという坂本さん。
中でも「食べ物」は一番、わかりやすいテーマです。

「食は個人、社会にとって重要なことですよね。食品を工業製品のように大量生産して、旬もなくいつでもどこでも同じものが手に入って、余ったら大量に棄てる・・・そのサイクルは社会的に健康な状態ではありません。でも、フードロスや気候変動について、言葉や数字は知っていても、人間の習慣はそう簡単に変わらない。本やネットの知識が自分に直結している問題だと気づけないのは仕方がないことです。だからそこに「体験」が必要で、生産者の思いを知ってもらったり、苦労を知ってもらったり、簡単そうに見える作業もやってみると全然できないことに気づいたり。そんなちょっとした経験をしてもらうことが自分たちの役割だと考えています」

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また、新しいインターンスタッフやボランティアも募集しているのだそう。

「漠然と農的暮らしを体験したいという方もOKですが、ここにはフィールドや設備、メーカーや研究機関などの知見やネットワークもあるのでそれを活かした提案は多いに歓迎します。今までも、まちづくりの経験を積みたい、環境教育を学びたいという人、教育ファームをやってみたいという若い人たちを受入れ、一緒に成長してきました。新しいことにチャレンジしたい人を迎え入れるのはこれからも変わりません!」

「1か月以上の住み込みの場合は、お試し期間を経て、お互いに役割や生活条件について話し合い、双方納得の上でスタートします。野菜やワインブドウの世話、薪割りや建物の維持管理などの単純作業が主ですが、イベントの運営や広報、販売などをお願いすることもあり、多様な体験ができます」とのこと。

最近では移住の相談も増えており、実際、エコビレッジでお試し体験した家族が移住するケースもあるそうです。

「外国人含めて外からの人を迎え入れ、関係人口を増やすこと。単に人が増えるだけでなく、その人たちが特技や才能を発揮しながら地域づくりに参加できるような受入れの体制が肝要ですね。次の10年は、そうやって地域のSDGsを実現する、その拠点となるエコビレッジを目指したいと思います」

エコビレッジの可能性を信じ、持続的な生活の価値を信じて取り組み続けてきた坂本さん。
「世の中の人の多くが、私たちの活動を『遊び』と感じるかもしれません。だけど、その遊びを仕事にするのって思っているよりも大変です(笑)。しんどくても、楽しいフリをしなきゃいけないときもありますから(笑)だけど暗い顔をしていても前には進みません。何があっても全力で楽しむ!これに尽きると思います」と笑顔で話してくださいました。

余市エコビレッジが今後どのような挑戦が続けていくのか。どのような場所になっていくのか。
SDGsを掲げる時代にマッチした、これからの持続的な未来を考えた「新しい暮らし方」のモデルとして、さらに磨かれていくことでしょう。皆さんの活動に、ぜひ注目してみてください。

余市エコビレッジ NPO法人北海道エコビレッジ推進プロジェクト
余市エコビレッジ NPO法人北海道エコビレッジ推進プロジェクト
住所

北海道余市郡余市町登町1863

電話

0135-22-6666

URL

http://ecovillage.greenwebs.net/


持続的に、自分らしく生きられる場所へ。余市エコビレッジ

この記事は2020年12月14日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。