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まちおこしレポート
美幌町

雲海もプロレスもそろう美幌町。「まちの顔」を支える魚屋さん20210325

雲海もプロレスもそろう美幌町。「まちの顔」を支える魚屋さん

北海道を代表する大パノラマで、雲海が人気の美幌峠があり、オホーツクの拠点・女満別空港から中心部まで約15分という立地に恵まれたのが美幌町です。そのまちなかに、町民に親しまれる鮮魚店などを営む「株式会社ながさわ」があります。3代目として後を継ぐためUターンした専務の永澤寛樹さんと、結婚を機に青森県から移住した奥さまの美香さんに、美幌の魅力や仕事について伺いました。

祖父の「遺志」から出会い、美幌で共に家業を

bihoronagasawasann7.JPGこちらが、ながさわ3代目 永澤寛樹さん
「ながさわ」は、寛樹さんの祖父が1964(昭和39)年に創業。現在の本社屋を兼ねた自宅で、寛樹さんは生まれ育ちました。三世代で暮らし、同居していた祖父は生前、全寮制で人間形成を重んじる青森県のとある私立高校に進むことを希望していました。母伝いにその思いを聞いていた寛樹さんは一旦、地元を離れる決心をしました。

「実はその願いを聞いた一ヵ月後に、祖父が亡くなりました。自分なりに「約束」を果たしたかったんです。人生一回だから、一度遠くでトライしてみようとも思いました」。高校卒業後は青森県内の大学で経営学などを学び、アルバイトをしていた縁で青森の観光・宿泊業の会社から入社の誘いを受けていましたが、家業の「ながさわ」で人手が必要になったため、急きょUターンすることになりました。

一方の美香さんは地元が青森県で、幼稚園教諭として働いていました。高校、大学時代の寛樹さんとは接点はありませんでしたが、友人の結婚式のため久々に青森に戻った寛樹さんと、その祝宴の席で出会いました。飛行機と夜行の寝台急行列車を乗り継ぐ遠距離恋愛をへて、結婚に至りました。

bihoronagasawasann8.JPG結婚を機に、青森から移住した美香さん
美香さんは寛樹さんとの交際で初めて美幌を知ることになりましたが、美幌峠の絶景に感動し、自然豊かなまちに惹かれるように。寛樹さんの家業の現場も目にして、ここで暮らしていくことを自然とイメージできたそうです。青森の実家も三世代暮らしだったことも、新しい生活への不安を和らげました。かつて自身がそうだったように、子どもができたら、親や祖父母が仕事をする背中を見せることもできます。「最初から、一緒に家業をやる覚悟を決めていました。私も、魚をさばくのかなって想像していました」と笑います。

寛樹さんも「三世代で長く暮らしてきて、先人の知恵や格言なんかも自然と身につく環境で、両親が家業に汗を流すのを見てきました。妻とも二人三脚で一緒に働きたいなと。みんなで仲良く暮らせたら嬉しいし、幸せだなと思いました。魚屋の使命は、良い魚をさばいて届けること。しっかり継承して、まちを少しでも元気にできればと考えました」。奥さまとの、新しい暮らしを思い描きました。

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取材場所になった「ながさわ」が経営する「マルカイチ あおぞら市場」には、内陸のまちでありながら、多くの鮮魚や近郊の野菜などが並びます。平日は地元客や、津別町や北見市、網走市といった近郊の客が多いそうで、週末や祝日にはオホーツク地域を回る観光客も立ち寄ります。あおぞら市場は2004年に閉業した「美幌卸売市場」の建物を使っていて、寛樹さんは父と競りを見学した記憶があるそうです。また、道東を代表する観光スポットの道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」(美幌峠物産館)も運営するなど、「ながさわ」とその関連会社は、まさに「美幌の顔」と言える拠点を任されるほどに成長していました。

暮らしやすさが魅力 なんでもそろう商店も

寛樹さんは、美幌は空港が近く、国道が4本行き交うほどの交通の要衝であることから、「色んな地域からこのまちに来れる。オホーツク地域のなかでも、ここまで交通の利便性が高いところは、なかなかありません」とポテンシャルについて胸を張ります。

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美香さんは、交通アクセスのほか、子どもと過ごしたり、買い物をしたりといった生活上の便利さがお気に入りです。「10分、15分とベビーカーを押していくと、まちなかからすぐに森のような公園に出ることができます」と言うほどですから、環境の良さが想像できます。お子さん2人はかつて町立保育園に通い、町のサポートの手厚さを実感。現在は小学校に歩いて通っているそうです。町内には高校もあるほか、音楽など文化や少年団などのスポーツをはじめ、さまざまな学びの場があるといいます。

そして驚くべきは、買い物です。「月曜から金曜は町外に出なくても生活できます。必要なものは全部そろっています。自然豊かなまちにいて、不便な思いをせずに生活できるのは、子どもたちにとってもすごく良い環境ですね」と大満足の様子。コロナ禍の中でも、幸いにして特に大きな不便は感じなかったと言います。ただスポーツ用品店は町内にないため、週末には気分転換をかねて車で30分ほどの北見市までお出かけするのだそう。

bihoronagasawasann17.jpeg小学校に通う二人のお子さん
買い物の環境については、ここで生まれ育った寛樹さんも太鼓判を押します。作業用品店や電器店、金物店など量販店にない希少な商品も売っている専門店がそろっていることが魅力の一つといいます。「売ったら終わりじゃなくて、『調子はどうでしょうか』『不便はないですか』と御用聞きをしてくれます」。地域で仕事や暮らしをする上で、顔の見える関係がしっかりあり、安心感につながっています。飲食店も多く、新型コロナウイルスの感染拡大の前は夜もにぎわっていたそうです。

隠れファンを発掘。プロレス興行を実現

2人が「暮らしやすい」と口をそろえる美幌町ですが、一方で、多くの地方都市と同様に悩まされているのが人口減少です。寛樹さんは「僕が小さいころは人口が2万2000人とか2万3000人くらいでした。今では1万9000人ほどなので、4000人くらい、北海道の小さいまち一つ分の動きがなくなったのが現状です。僕らは、祭りやイベントが多く、元気だったころの時代を見ています。あのころには戻れないかもしれないけれど、町外で見聞を広められたので、あのころ楽しいと感じたような何かを、まちのためにできれば」と語ります。

bihoronagasawasann20.jpeg永澤さんが代表をつとめるB.W.Fのメンバー。B.W.Fとは.....?
「ながさわ」本社近くの商店街で青年部として活動している寛樹さん。2016年、美幌のまちに大きなインパクトをもたらす出来事を仕掛けました。

商店街のお祭りのイベントの企画を考えている時、「自分の好きなものなら楽しめる」と考えて思い出したのがプロレス。中学生の時から『週刊プロレス』を愛読し、密かにプロレスラーを目指していたほどのファンだったのです。さっそく商店街仲間に提案すると、「実は、僕も好きなんです」と同調する声が、作業用品店の同志から上がりました。2人でイベントの実現へ動き、「プロレスを見て元気になろう」と協賛集めに奔走していると、プロレス好きを「カミングアウト」する人が続々と現れました。そして同好会「BWF(美幌・レスリング・ファクトリー)」を立ち上げ、今では14人の会員を擁するまでになりました。目指すは「プロレスの町 美幌」です。

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2016年から4年連続で、道内拠点の「北斗プロレス」や全日本プロレスが美幌に出張して興行。初回は小雨の中、町民ら200人が観戦して、「来年は来ないの?」と期待する声が寄せられました。寛樹さんは「少しでもまちが元気になったんだなと思えて、活動の源になりました」と振り返ります。2017年の全日本プロレスの試合には道内外から500人以上が集まりました。その熱量に、団体の関係者からは「なんでこんなに小さなまちに、こんな人が集まるんだ!」と驚かれたそう。誇らしい思い出です。

忙しい中でも「時間をつくってやる」

この話を受けて、美香さんも興行前夜の光景を思い出しました。「一目でそうとわかるようなレスラーが、まちなかを歩いているんですよ。プロレスを知らない人にとってもワクワク感がありましたね」。障がいのある人の入所施設の関係者がチャリティーで招待され、「その利用者の皆さんが大興奮して声援を送って、会場が一つになりました」と目を輝かせて教えてくれました。華麗な技を見て、子どもからお年寄りまで、障がいがあってもなくても、誰もが元気になれるスポーツ。美幌のまちに元気をもたらしました。

bihoronagasawasann14.JPG取材の日も、しっかりB.W.FのTシャツを着用です!
その美香さんにも、とっておきの趣味があります。家業の事務や経理、地元のタマネギにこだわったオリジナル「美幌ジャンボ餃子」の製造、「あおぞら市場」のレジ、鮮魚加工のサポートなど忙しく仕事に励んでいますが、音楽や運動好きが高じて、持ち前のバイタリティーでズンバのレッスンに2、3年前から熱を入れています。「『時間があるからやる』ではなくて『時間をつくってやる』、というスタイルが私にとってのリフレッシュ法です。3世代で暮らしているので、義理の両親にも子どもたちを見てもらえるのが私の強みです。『行ってらっしゃい』と言ってくれる家族がいるので」と嬉しそうに笑います。

bihoronagasawasann18.jpegズンバの他にも、様々なサークルやスポーツ少年団などの活動が盛んなのだそう

まちとのつながり、築いてきた信頼が支え

20代前半の若さで美幌にUターンし、将来の「ながさわ」を背負うと決めていた寛樹さんですが、当時は不安もあったといいます。「小さいころより会社の事業は大きくなっていたので、継ぐとなると『僕にできるのかな』と...」。一方で、なじみある地元で暮らすうち、変化が生まれました。「家族や社員、取引先、お客様に支えられていると思えました。不安を逆に糧として、皆さんに支えられて、継承していければ。そういう自信になりました」

「ながさわ」とその関連会社は、今や多くの施設を運営し、羅臼町の水産加工会社も経営するほど町域を超えた多角経営をしていますが、寛樹さんにとっては家業のルーツでもある「まちの魚屋さん」という意識が強いといいます。客の声を直に聞き、その人のために美味しい魚を仕入れ、「美味しかったよ」という言葉をもらう―。この喜びが原点です。

まちの魚屋さんとして、ニーズに合わせて細やかに対応できるのが強みです。お刺身なら『イカとタコだけでつくってほしい』『〇〇グラムで盛り合わせできる?』とオーダーメイドの注文をもらい、お得意さんの料理人からは『きょう何あるの?』とよく聞かれるそうです。町内の小学校の給食にも食材を卸していて、「日々良いものをきちんと届ける」という責任と充実感に包まれています。

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美香さんも「顔なじみのお客さんと親身になって会話できるのがうれしいです。年配の方と『孫が帰ってくるからお刺身買って帰るんだ』『お孫さん何歳になったんですか』と話すことも多いですね。お客さんがうれしいのは、私も嬉しいです」と魅力を感じています。

「先代から受け継がれてきた『魚屋』を大事にこれからも商いをして、美幌のためになれば」。そう話す寛樹さんの語り口は、筋トレでたくましさを増す身体とは対照的に、優しく、落ち着きがあります。一方、「お客さまの思いを大事にした商売をしていきたい」と言う美香さんは、寛樹さんと並ぶと小柄さが際立ちますが、その言葉には芯の通った強さが漂います。息の合った2人が、「まちの魚屋さん」でありたいと願う理由が、少し分かった気がしました。

bihoronagasawasann13.JPGお父様とのスリーショット。親から子へと家業がしっかり継承されていきます

美幌町 永澤さんご夫婦
美幌町 永澤さんご夫婦
URL

http://www.bihoro.co.jp

■株式会社 ながさわ(本社) 北海道美幌町字東1条北1丁目

■有限会社マルカイチ水産(支店) 北海道目梨郡羅臼町知昭町43-1

■マルカイチ あおぞら市場 北海道美幌町字栄町1丁目8番地

■道の駅 美幌峠物産館 北海道美幌町字古梅


雲海もプロレスもそろう美幌町。「まちの顔」を支える魚屋さん

この記事は2021年2月15日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。