北海道に自生する樹木はたくさんありますが、広く一般的に知られているものの一つはシラカンバ(シラカバ)ではないでしょうか。
このシラカンバ。漢字で書くと白樺は、街路樹としても公園に生えている木としても良く見られ、樹皮が白いことから見分けもつきやすく、北海道民ならば馴染みの深い樹木の一つです。
さて、この白樺を中心にとある面白いプロジェクトがあると聞き、旭川に車を走らせました。
その名もズバリ「白樺プロジェクト」。
このプロジェクトには、研究機関・大学の教授などがメンバーとして集い、さらには白樺から家具や器、樹液飲料や化粧水、樹皮を活用したクラフト、陶芸作品などなど様々なものを作っている人達が関わっています。
白樺を北海道の大地・森に最初に自生する「パイオニア」としてとらえ、幹も、小枝も、樹皮も、樹液も、葉も、燃やした灰に至るまで、この「白樺の恵み」を全て享受するプロジェクトには、たくさんの人達の想いも詰まっています。
今回はこの白樺プロジェクトの発起人である林産試験場の秋津裕志さんと、木と暮らしの工房の鳥羽山聡さん、そして陶芸家の工藤和彦さんにお話しを聞きました。
全2回の白樺プロジェクトのお話しをどうぞご覧ください。
なぜ白樺??
そもそもなぜ白樺に目をつけたのでしょうか。
その疑問に回答をくださったのが旭川にある北海道立総合研究機構 林産試験場の秋津裕志さんです。
林産試験場とは木材利用のための研究を行っている機関で、もともとは北海道庁の出先機関でしたが、2010年に地方独立行政法人として独立しています。
研究機構をうたっているだけあって、林産試験場では北海道からの研究依頼はもちろん、企業からも依頼試験がくるといいます。
秋津さんは大阪府出身、就職で北海道に来たといいます。もともと木が好きで専門で仕事がしたいと今のお仕事に就いたのだとか。
「北海道は森林面積が広く、広葉樹の蓄積量は全国の1/4もあるんですよ」と細かく教えてくださいます。
「本来、林産試験場では一般的に人の手で植えられたトドマツやカラマツなどの人工林材の研究が一般的なのです。広葉樹は天然更新(人の手を介さずに自然に落下した種子から樹木が育成すること)していくために人が管理しにくいのです」という前置きをした上で秋津さんはお話を続けます。
「本来、森は200年、300年と人間にはとても長い期間で更新されていきます。そんな中でも白樺は60年〜100年という短い期間で更新し、100年も経つと木材としては中が腐ってしまって使い物になりません。それに広葉樹だと樹木の太さが60センチ以上ものが使われてますが、白樺はそんな太くならずに腐って倒れてしまうことがほとんどで、木の幹が細くほとんどがパルプ材(紙の原料)として使われてきました」
ただ、白樺自体は世界的に広く分布しており、その短い更新サイクルのために人が管理しやすく、活用している北方の国もあるといいます。
「50年や60年で更新していけるのに、なぜ使われていないのか、調べれば調べるほど不思議になってきました。さらに、材としての性能についても同じ広葉樹と比較してもすごく良いわけじゃないですが、すごく劣るわけでもない。むしろ山の奥に行かなくても里山でまとまって生えていることが多く、質も悪くない。使わない手はないのではないかと思い始めたのです」
一般的な広葉樹だと成長が遅く、木材として利用するまでに長期間を要するため、量より質で勝負しないとなかなか木材としての利用価値を上げるのは難しく、持続的に使っていけませんが、白樺ならば更新が早く、日が当たる場所であれば広い範囲で勝手に成長していきます。
「白樺は山火事や皆伐跡地に一斉に生え、シラカバ林を形成することがあります。他の樹種にはあまり見られないことです。あと、高速道路の脇などにも生えているでしょう。あれば道路工事したあとに勝手に生えてきています。それだけ成長する力がつよい樹木なんです」
そんな白樺をつかってまずは椅子の製造を試みたといいます。
「旭川は家具の産地です。旭川の工芸センターと協働で椅子をつくりました」
椅子は人を支える重要な家具。強度が重要になってきますが、接合部が一番壊れやすいため接合部の補強などをしながら作るとどうしてもデザイン性が落ちるという部分も見えてきました。
ですが、素材自体は柔らかく軽い。作ったときには軽やかで色も白く、女性や年配の方には扱いやすい椅子になったといいます。
白樺で作った製品が出来たことで、家具メーカーへ持ち回り、反応をみたと言います。
「ASAHIKAWA DESIGN WEEKとして今や有名になりましたが、その前身でもある旭川家具産地展に出展したりもしました。その後、ある家具メーカーさんにもお力をいただき、ダイニングセットを作り第一回のASAHIKAWA DESIGN WEEKに出店しました。2016年のことです。このときの反応が凄く良かったんです」
そしてASAHIKAWA DESIGN WEEKの2年目から、旭川の家具再生・製造を手がける「木と暮らしの工房」の鳥羽山さんにも関わってもらって学習机のセットを作りました。
こうして、2019年、白樺を使った製品や商品をもっと普及させていこうとして始まったのが白樺プロジェクトです。
更に、もともと白樺の材を使って商品や作品を作っていた人達にも着目して声をかけ、メンバーを増やしていったのだとか。
このあとは木と暮らしの工房の鳥羽山さんの物語にバトンタッチです。
そのお話しへいく前に秋津さんから「最初は鳥羽山さん、このプロジェクトにはしぶっていたんだけどね」と笑いながら教えてもらいました。
秋津さんや鳥羽山さんたちの、白樺を通じた戦友のようなバトンパスです。
さてさて、しぶっていた鳥羽山さんのお話しにいきましょう。
左は林産試験場の広報を担当する阿部さん。取材時には阿部さんも一緒に立ち会っていただき林産試験場についてお話しなども聞かせて頂きました。
白樺プロジェクトの中心メンバー、木と暮らしの工房の鳥羽山さん
「最初はね、しぶりましたよ(笑)」と笑いながらお話しいただいたのは木と暮らしの工房の鳥羽山聡さん。
「だって、今までシラカバで家具を作ってみたこともないし、家具材には強度が必要で、白樺でお客様に安心安全な家具を作れるのかなって不安でした。豊富にあるけど使われていない材料だったので使うべきかどうかというところも悩みました。お客様に納得していただける家具になるのかなって。でも材質調査の結果は表面の柔らかさはあるものの強度としても問題なく活用できるとわかりました。そして持続可能な森林利用のために、我々ものづくりの現場・家具製造の分野から林業に還元する可能性を見出しています。白樺プロジェクトでは、白樺をつかって化粧品を作る方、樹皮をつかってカゴを作る方、陶芸家などが参加していて、白樺という木から我々は本当に恩恵を受けています。だから我々から林業に還元し循環するような仕組みとなっているんです」と熱い眼差しで語る鳥羽山さん。
では鳥羽山さんがものづくりの世界に飛び込んだ理由から、白樺プロジェクトに関わることになった経緯を紐解いて行きましょう。
鳥羽山さんが経営する「木と暮らしの工房」は、旭川に数多ある家具製造会社のなかでも「家具再生」に取り組んでいる工房です。
壊れたら新しいものを買い直す、ではなくて出来るだけ直して使う。ここで購入した家具だけでなく、他で製造された家具のお直しも行っている会社なのです。
取材の時には、鏡面塗装のダイニングチェアを修理しているところでした。
鳥羽山さんは静岡県出身。北海道とは縁もなにも無かったのだと言います。
「たまたま北海道大学の文学部に入学したんですよ。何も考えずに入学して、在学中には英語の教師にでもなろうかと思ってました」と笑う鳥羽山さん。
大学を卒業後は名古屋の外資系の会社へと就職したそうですが、3年で「向いていないな」と思ったそう。
「会社を辞めようかなと思っていた頃、実家の静岡県浜松市へ帰省していた時に、いつも行っていた日曜大工店に行きました。そこで隣の天竜市(今は合併して浜松市)でとれた大きな一枚板の木をみて、『これだ』ってなぜか思ったんです。神の啓示だと自分では思っているんですが(笑)。そこで簡単なテーブルの作り方を教えてもらい、その板で大きなテーブルを作ってみたんです。そのときに『良い家具』が少しでもあれば十分豊かな生活ができるんだなぁと感じて、間に合わせに買った家具は知人に譲ったら、なんだかスッキリしたんです」
そして大学時代を過ごした「北海道へ戻りたい」という想いもあり、家具職人に必要な技術を身につけるべく、北海道立北見高等技術専門学院に入学したのです。鳥羽山さんが26歳の時でした。
自分のやりたいことを見つけた鳥羽山さんは、ものづくりの楽しさに夢中になりました。
そして専門学院に入学した1年生の春休みに、木を育てているところを実際に見てみたい!という想いから浦幌町にある石井林業という会社に直談判し、住み込みで研修を1カ月させてもらったのだと言います。
「ほとんど押しかけに近い状態で(笑)。石井林業さんは石井山林と呼ばれる山を所有していて、森をしっかり未来に残していこうと施業している林業家さんでした。当時2代目はもう80歳くらいで、押しかけた私にも(笑)しっかり色々と教えてくださって、伐木の様子や山林の調査、天候の悪いときには銘木市に連れて行ってもらったりなど、本当によくしていただきました。石井林業さんで研修したからこそ、家具製造だけでなく、家具の再生や林業や製造現場での循環、山への還元みたいな意識が染みついたのだと思います。『林業を外から支えられるような仕事がしたい』と、そう思っています」
鳥羽山さんは、学校を卒業後は5年間、家具を製造している会社に入社します。
そこで家具製造の基礎・基本を更に身につけ、独立を決意します。
「まずは上川総合振興局主催のマネジメントセミナーみたいなのに参加したりして、アイデアを出して、こてんぱんに言われたりして(笑)。でもそのときに本当は家具の再生・修理をやりたいんだと思って、今の『木と暮らしの工房』の考え方が固まりました」
当時2人目の子どもが生まれたばかりのころだったそうで、奥様には「心配かけただろうなぁ」と笑います。
こうして独立を果たし、2002年に「木と暮らしの工房」を立ち上げたのです。
木を一本まるごと使い切る。その日本人らしさ
「2015年頃から秋津さんや家具製造組合から白樺を使って何か作れないか、という話がでてきたんです。初めは家具やフローリング材とかを作ったりしていたようですね」
前段でお伝えしたような白樺についての可能性を秋津さんから聞き、最初はしぶっていた鳥羽山さんも白樺での家具製造にこれからの未来を重ねるようになったといいます。
「白樺についていろいろと調べているとき、置戸町でオケクラフト作家の友人から、『森の今まで価値のなかったものに価値を見出していく』ということを教えてもらいました。そして既に白樺をつかって製品を作っている人達がいることも知り、その人達の力を合わせると、白樺の木を一本まるごと『使い切る』ということになる。それがとっても日本人らしいなと思っています」
ASAHIKAWA DESIGN WEEK2019への展示参加は急ピッチで進められたといいます。
「開催期間まで約1カ月半で展示のレイアウトはどうしよう、どんな展示にしようかなどそれはもう大急ぎでメンバーと共に仕上げました。それぞれの分野で培ってきた作品を出し合い、いざやってみると『北海道らしい空間』が出来上がったんです」
展示の様子1
白樺だとパッとわかるようにするため、樹皮の有効活用をしたスツールやテーブルは参加者の方たちの目を惹きました。
そして、家具がズラリと並ぶ展示の中、白樺を使った小物作品や化粧品、飲料、羊毛フェルト作品、陶芸作品など家具だけではない展示に足を止める人も多かったと言います。
「私たちが伝えたかった森のストーリーについても展示を行いました。多くの方の共感を得られた実感もありましたし、メディアに取り上げてもらう機会も増えました。今はまだ始まったばかりですが、こうしてビジネスの成果が山に還元し、またこれから白樺を育てて使うという循環になるんです」
展示の様子2
まさに、石井林業さんで経験し心に誓った「林業を外から支えられるような仕事」になっているではありませんか。
「山林というのは使ったらすぐに回復する物ではありません。山村社会とものづくりの会社が持続的に続くものじゃないといけない。ということは今までとは違う経済を作っていかないといけない。白樺は未利用材だから使おうということではなく、その持続可能性があるから使うんです」と熱いまなざしで語る鳥羽山さん。
鳥羽山さんが代表の木と暮らしの工房が新作の家具をたくさん作って売る、のではなく「家具を再生して使う」ことに重きを置いているのにも繋がります。
「新しく家具を作る技術とは別に、今では失われつつある技術もあります。古い家具や建具の装飾を作る技術だったり、継承する人がいなくて終える木工製造会社は日本全国にあります。弊社ではその技術もできるだけ継承していきたい。そして若い職人を育てていきたいと思っています。生産性の向上や手段だけを考えるのではなく、時代に合わせて『人の豊かさ』を一緒に考えていけるようになれば」と会社の未来を担う従業員のことにも想いを馳せる鳥羽山さん。
実際に木と暮らしの工房には若い社員が集います。
白樺が作り出した一つのプロジェクトがたくさんの人達をつなぎ合わせ、また多くの物語が生まれていくことでしょう。
木の天然更新と同様に、人々のものづくりと山づくりへの思いも途切れることなく、未来へと繋がっていきますように。
(次回は白樺プロジェクトにも関わり、白樺の灰釉薬をつかって作品づくりをしている陶芸家の工藤さんをご紹介します)
- 白樺プロジェクト 事務局
- 住所
北海道旭川市高砂台6丁目12-1
- URL
<白樺プロジェクト>
info@shirakaba-project.jp
<地方独立行政法人 北海道立総合研究機構 森林研究本部 林産試験場>
北海道旭川市西神楽1線10号
0166-75-4233
http://www.hro.or.jp/list/forest/research/fpri/index.html
<木と暮らしの工房>
北海道上川郡東川町西11号北29番地
0166-73-9202
https://kitokurashi-no-koubou.com/