「うちの会社のジャンプ選手です」
そんな第一声で驚かされましたが、取材陣がおじゃましたのは、北海道士別市。農業が盛んで、羊が有名なまちと北海道の人には知られるところで、旭川市よりも少し北にある都市です。国道を走って士別市を通過したことがある方も多いかもしれませんが、その都会的なイメージとはかなり離れた、かつてはひとつの町として存在していた「朝日町」というエリア。そこに古くからある株式会社イトイ産業さんにおじゃましました。朝日町は、2005年までは2,000人ほどの町として存在していましたが、市町村合併で、今は士別市朝日町というエリアになっています。見渡した感じは農村地帯で、コンビニの看板も見えず、牧歌的な雰囲気120%の場所でした。
士別市はよくおじゃましていても、朝日町という場所は初めて訪れる場所。そこで地域貢献を古くから頑張っている企業があると聞き、おうかがいしてみてビックリ。
会社の裏に、スキーのジャンプ台があるではないですか!
そして、まず最初にご紹介されたのが、「ウチのジャンプ選手です!」と。まるで事前リサーチせずに取材におじゃましてしまったことがバレてしまいましたが、取材の最初から驚きです。
ジャンプ選手としてご紹介していただいた比較的小柄な、かわいらしい女性。土木や建築を担う会社としては意外ではあったものの、真面目で素朴な雰囲気の一見普通の新卒入社の社員さん。その女性こそが今、これから世代のジャンプ選手としてメキメキと実力をつけてきている鴨田 鮎華(かもだ あゆか)さん、現在18歳のスキージャンプの選手です(2019年6月時点)。しっかりとイトイ産業の作業着も着ていて、ご紹介いただかなければジャンプ選手とは思いもよりません。
なぜ鴨田さんはイトイ産業の社員になったのでしょうか、そして社員でジャンプの選手とはどういうことなのでしょうか?
人手不足と言われる土木・建設業や、田舎地域の企業のこれからの在り方のヒントもうかがえた気がします。
ジャンプ少年団から全日本選手へ
鴨田さんは士別市のすぐ北にある内陸のまち、名寄市の出身です。5人兄弟の長女に生まれた鴨田さんは、スキージャンプをやっていたお父さんの影響で小学校1年生の時にスキージャンプを始めました。
素人からするとあんなに高いところから猛スピードで滑って、さらには飛ぶなんて!と思ってしまいますので、怖くはなかったのですか?と極普通な質問をしてしまいました。
ニコッと笑って鴨田さん。「最初は怖いと思いました。でもやってみたら大丈夫だったんです!」
とまるで何でもないことのように教えてくれますが、小学校1年生という「怖さ」も理解しだした年齢で、何かすでに「持っていた」のかもしれません。
鴨田さんのチャレンジ精神はその後もスキージャンプの能力を徐々に上達させていきました。
北海道では、ジャンプ選手を数多く輩出しているのが、名寄市や士別市といった北海道でも北側のエリアに集中しています。名寄市と士別市とも隣接する下川町は、何人もの世界的選手を輩出していることでも有名なまち。そんな下川町にある「下川ジャンプ少年団」に鴨田さんは所属しました。この少年団に所属できるのは中学校3年生までのため、中学校を卒業した鴨田さんはスキー部のある下川商業高校に進学することを決めました。
高校に進学してからはスキーの練習もさらに増え、高校2年生の頃には第28回TVh杯ジャンプ大会で優勝するなど、様々な大会で実績を残していきます。こうして多くの輝かしい成績を残した鴨田さんは、全日本の選手に選抜されるまでになっていました。鴨田さんをネットで検索してみてください。ジャンプ業界での注目度がすぐに実感できると思います。
働くこととスキージャンプ
写真左が、御家瀬 恋(みかせ れん)さん。彼女もジャンプ界注目のひとりです。
こうして18年の人生のほとんどをジャンプに捧げてきた鴨田さんですが、実はずっと目指しているものがありました。
「私は中学校の時から、選手としてだけではなく、仕事をしながらジャンプをしたいと思っていました。その時はどうやったらそれができるのかは分からなかったのですが、同じチームに選手として選抜されている先輩からイトイ産業のお話を聞いたんです」
その先輩というのが鴨田さんの1つ年上の女性、御家瀬 恋(みかせ れん)さんです。お名前だけで並々ならぬオーラも感じます。御加瀬さんは高校を卒業後、イトイ産業で仕事をしながら選手を続けているのですが、鴨田さんがイトイ産業に就職するきっかけとなったのはそんな御家瀬さんの紹介だったのです。
それでは土木事業をメインに行うイトイ産業でどうしてジャンプの選手を採用しているのでしょうか。会社のお話を少し伺ってみましょう。
イトイ産業という会社
代表取締役 菅原 大介さん
イトイ産業は、イトイグループとしてホールディングス化したなかの土木・住宅事業を行う核となる企業。2018年に創業70周年を迎えた、朝日町に密着し地域と共に歩んできた会社です。
そんなイトイ産業の合言葉は「地方創生企業」です。なぜ土木事業を行う会社が地方創生を掲げるのでしょうか?会社のお話を代表取締役の菅原大介さんにうかがいました。
「私たちの会社は道路や河川といった公共事業に関わる土木事業を行う会社です。こういった公共事業を行う仕事というのは、みなさんの税金で補っているという側面も持っています。言い換えれば、私たちはこのまちに生まれて、このまちやお住まいのみなさんに支えられて会社を続けることができてきました。ですので、公共の土木事業を確実に行うことは当然として、もっと地域に密着し、地域と共に未来へと進んでいくことが理想的な姿だと思っているんです」
そう話してくれた菅原社長はイトイ産業の3代目。会社の歴史をうかがうと、そこには昔から地域と、そしてスキーと深い繋がりがあることがわかってきます。
「スキージャンプと言えば下川町が非常に有名ですが、実はこの朝日町にも昔からジャンプ台があって『スキーのまち』とも言われているんですよ。ちょうどジャンプ台が会社の裏にあるのですが、朝日町のジャンプ台はサマージャンプができることでも有名ですね」
朝日町は人口が約1,200人という小さな集落。しかしそんな小さな集落に、大会や合宿でなんと1万人ほども人が訪れるのだというから驚きです。北海道に長年住んでいても知らない人も多いかもしれません。
菅原社長の過去についても聞いてみます。
「実は私の父が秋田出身なのですが、もともとはスキーの選手だったんです。父はスキーの大会で朝日町を訪れた際に初代社長の娘、私の母と出会いました。その後、父はイトイ産業に就職し母と結婚して2代目の社長になったというわけです。そんな父の息子なので、当然私と弟もジャンプをやったんですよ。ただ私はちょっと向いていませんでしたけどね(笑)」
そんな環境で生まれ育ったからこそ、菅原社長にはジャンプに対して強い想いがあります。
「ジャンプの選手というのは、本当に厳しい状況を強いられます。ハードなトレーニングをしなければならないにも関わらず、経済的負担は大きい。しかも『レジェンド』と言われる葛西選手のような方は本当に限られた一握りで、多くの選手は若くして現役を退きます。そうなった時に、常にジャンプのための練習と自己研鑽が求められ、真っ直ぐに頑張ってきた彼らには、一般的な職に就けるスキルもノウハウも無い状態で、社会に向き合わないといけない状況になるんです」
そんな選手たちをジャンプのまち朝日町にある会社だからこそ支えていかなければならないのではないか...そう考えたイトイ産業が出した答えが、会社でスキーチームを持つことでした。
選手たちには手に職をつけてもらうことができ、安定した収入を得てもらうことができます。そして会社では、スポーツと両立してもらうことはもちろんですが、人材不足を解消することにも繋がります。
こうして2018年の春から、イトイ産業は会社にジャンプ選手が在籍する会社となったのです。
目標は、イトイ産業をジャンプで世界へ!
「会社にうかがった時に『うちの会社はガッツリ仕事するけど大丈夫?』って聞かれたんです」
鴨田さんはそんな質問にも「大丈夫です!やらせてください!」と答えたと言います。
「最初はちょっと不安でした。土木のお仕事って何をするのかも知りませんでしたし、私の実家は兄弟が多くていつも賑やかだったので、初めての一人暮らしもちょっと寂しいな...と思ったりもしました。土木作業の現場や仮設事務所などに行って仕事をするのですが、私はジャンプで元々男の子にまじって練習もしてきたので、男性の多い職場には抵抗はなかったです。それに何より、会社の皆さんがとっても優しく接してくれるんですよね。もっと先輩たちのお役にたてるように、仕事を覚えて色々なことができるようになって、いつかは重機とかにも乗ってみたいです!」
そう話された鴨田さんですが、菅原社長はこう語ります。
「実は鴨田がいると現場の士気が上がるんですよね。彼女は本当に頑張り屋さんで、非常にチャレンジ精神があるんです。今は現場で監理補佐の仕事をしてもらっていて、現場の写真を撮ったり書類の整理をしてもらったりしているのですが、ジャンプも仕事も頑張る努力家なので現場でも可愛がられているんです。冬場は仕事量が減ってくる、土木や建設の仕事とウインタースポーツ選手の組み合わせって、実はすごく相性がいいのかもしれないっていうのを実感していますね...まぁ、ジャンプの選手とはいえ夏も大会があったりしますから、思ったより本人たちは大変ではあるんですけどね(笑)」
日ごろからストイックにトレーニングをし、頑張る姿勢は仕事にも生かされている様子が鴨田さんから強く伝わってきます。
鴨田さんに今後の目標を伺うと、こんな答えが返ってきました。
「イトイ産業の名前をもっとたくさんの人に広められるように、世界で活躍できる選手になりたいです。会社の仕事もしっかりしていきたいですし、ジャンプの成績ももっと上げていきたいと思っています。それが一番の目標です」
それを隣で聞いていた菅原社長の目が、ちょっとだけ潤むのを取材陣は見逃しませんでした。イトイ産業の看板を背負った、こんなに若い子がジャンプ台に立った姿を下から見たら、感無量になりませんでしたか?と追撃してみます。
「ホントに、そうなんですよ。もうなんか記録なんてどうでもいいから、無事に飛んでくれ!って願うような気持ちって言うか、直視できないっていうか(笑)。なんか自分も含め、ウチの社員とその家族の夢を代わりに背負って飛んでもらってるって考えただけで、涙がでそうになりますよね。休みの日に社員たちがジャンプの大会を見に行って応援して、その選手が日ごろは現場で頑張っていて...。そんな姿が会社の中にあることって、企業にとって非常に価値のあることだと思っています」
取材したこちらにもお互いの想いが伝わり、ほっこりとした気持ちになりました。
会社と従業員という関係ではなく、親が子を思うような、お互いを支える存在がそこにはあったような気がします。昔は、会社は家族...なんて言われていた時代もありました。それが今はドライな世の中な風潮もありますが、イトイ産業には、何か失ってしまった大切なことが、スキーチームを設立したことで、再び戻ってきたようにも思えます。
人出不足と呼ばれる会社も多くなってきている世の中ですが、イトイ産業のように、地域で頑張る子どもたちの夢を支援する代わりに、一緒に企業の一員としても在籍してもらう。そんな働き方の提案が、もしかすると、北海道の若い能力や魅力を開発する一歩になるのかもしれないと思った取材でした。そして、鴨田選手、御家瀬選手をメディアで目にする機会もこれからもっと増えるはず。そんなときは、土木女子...ドボジョジャンパーだ!って思いだしてもらい、応援してもらえたら嬉しい限りです。
※イトイグループホールディングスは、もっとたくさんのことをチャレンジしていました。イトイグループホールディングスをご紹介する記事はこちらから。
- (株)イトイ産業スキーチーム 鴨田 鮎華さん
- 住所
北海道士別市朝日町中央4025番地
- 電話
0165-28-2600
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