みなさんは「コミュニティFM」をご存知ですか? これは市区町村の一部の地域において放送される、地域密着型のラジオのこと。開局できるのは1市区町村にひとつが原則で、日本初のコミュニティFMは、なんと我が北海道函館市の『FMいるか』なのです! 以降、徐々に日本中でその数を増やし、2019年2月現在、325局ものコミュニティFMが人々の耳を楽しませています。
その中のひとつ、室蘭市の『FMびゅー』は2001年に開局。室蘭市をはじめ、隣接する登別市、伊達市でも聴くことができます。最初は市民団体3〜4人で「まずはインターネット放送から始めてみよう」とスタートさせ、7年をかけて会社設立、そして開局に至りました。「言い出しっぺの人間に乗っかったら、いつの間にか代表になっていた」と笑う、社長の沼田勇也さんに詳しいお話を伺います。
地域のイベント情報を、誰も知らなかった衝撃
沼田さんは千葉県出身。高校2年の時、親の地元である室蘭市に戻ってきました。高校を卒業して就職し、経理の仕事をしていましたが、ひょんなことから「コミュニティFMを作ったら、もっと町が元気になるんじゃないか?」と言い出した人に誘われる形で、コミュニティFM立ち上げのためのボランティア活動に参加することになります。
「かつて室蘭は人口が18万人もいたのに、今では約8万人にまで減少しています。毎年、1000人ずつ減っているんです。それだけならまだしも、住んでいる人々からも『つまらない町だ』とぼやかれていることも多い。よそから来た者からしたら、こんなすごい町ないですよ。自然も豊かで、北海道の中でも雪が少なく、それでいて夏も涼しい。西胆振というエリアで見たら、食べ物も豊富に採れます。登別温泉や洞爺湖のような観光地も近く、札幌や新千歳空港もそう遠くなく、利便性に富んでいる。なぜ、こんないい町をつまらないと言うのか、本当に不思議だったんです」
そんな時、沼田さんが新聞を読んでいたら、室蘭で開かれる予定のイベント情報が掲載されていました。
「あ、こんなイベントあるんだ、と思って足を運んで、次の日会社でその話をしたら、誰も知らない。『そんなイベントあったの?』と言われてしまい...なんだこれ! 地域で頑張っている人がいても、まったく伝わっていないじゃないか! と思ったんですね」
この出来事がきっかけで、新聞とはまた違うツールを使って、広く市民に情報が行き渡る仕組みが必要だと実感した沼田さん。そんな時に誘われたのが、前述のボランティア活動だったのです。まさに、渡りに船でした。
「やっぱりこの町にもコミュニティFMがあったほうがいいし、むしろ、ないほうが不自然だなと。僕は全道各地をドライブして回るのが趣味なんですけど、その際に各地のコミュニティFMに行って話を聞いていると、みなさん優しくて、様々なことを教えてくれるんですよね。そんな温かい先輩局にも支えられながら、開局を目指しました」
資金調達から地道に「足を使って」行う日々
最初はボランティアとして、仕事を続けながら試験的にインターネット放送を行うところからスタート。しかし、まだISDNが主流だった2000年代初頭のことです。「先駆けすぎて、あまり伝わらなかったですね(笑)。でも放送の練習にもなったし、何人かには情報を伝えることもできました」と話す沼田さん。その他、イベント会場でミニFM電波を飛ばしたり、スーパーマーケットの広場でラジオ放送をやったりと、地域に密着しながら約7年間、開局に向けて地道に活動を続けてきました。
「困ったのは、お金です。スポンサーになってくれるような大きい会社もなく、経済基盤は厳しかった。そこで『じゃあ市民一人ひとりで作ろうよ』ということで、個人も企業も関係なく1株5万円、協賛は5千円からの協賛金を募る形をとりました。それで、2千万円を目標に集めましょう、と。5千円くらいなら『頑張ってね』と言って、出してくれる人も多いだろうという目論見もありました」
今でいう「クラウドファンディング」のような仕組みもなく、とにかく「足で稼ぐ」日々。会社やお家を一軒一軒回り続けました。コミュニティFMとしては、なかなかに珍しいお金の集め方です。法人として設立した後も、資本金1,000万円を目標にお金を集め続け、その半年後にようやく放送局の免許を取得。行政のサポートも受けながら、でも基本的には市民一人ひとりの力が集まってこぎつけた開局です。
「『ラジオ局を作るので、お金をください』なんて人が家に来たら普通、嫌ですよね(笑)。でもコツコツ集まったので、地域の皆さんには感謝してもしきれません。それに、1円でも出していれば興味も持つし、期待もしてくれるし、文句も言ってくれる。このお金の集め方は、皆さんに『コミュニティFMは自分のもの』という意識を持ってもらうことにも役立ったかなと思います」
周りの人の期待と協力を受けて、ようやく開局!
沼田さんが前職を辞めたのは、開局の1年ほど前のこと。急激に忙しくなり、会社のコピー機の前でたったまま寝てしまう沼田さんを会社の人が見かねて「そろそろどちらかにしたほうがいい。やるなら応援するから」と言ってくれたことが励みになりました。辞めた後は、退職金と貯金を切り崩しながらの生活...。それもそれで大変だったそう。
「実は、最後の1ヶ月はお金がなかったんですよ。本当に、いろんな人に助けてもらいました。1ヶ月で済んでまだよかったですけど、命をかけるってこういうことなんだなって思いましたね。自由になる時間もお金もなく、早く開局しないと赤字が増える一方。若かったので寝なくてもなんとかなりましたが、あの頃をもう一度やれと言われてももうやれないでしょうね」
苦労を経て開設した局の名前は『FMびゅー』。西胆振の美しい景観から取った「View」という言葉と、室蘭独特の強い海風の音「ビュー」のふたつの意味をかけています。スタジオは、旧銀行の建物の2階を室蘭工業大学の建築科の学生さんに設計してもらって手作り。沼田さん自ら壁のペンキを塗るなど、DIYで作り上げました。実は建物の老朽化に伴い2019年3月に新しいスタジオへ移転するのですが、10年の月日を過ごした思い入れのあるこの場所を「引っ越しするとなると、寂しいですね...」としみじみ話します。注)取材は移転される前に行いました。
創業時のスタッフは4名でしたが、今は社員7人、アルバイトが4人。平日の朝7〜10時、11時半〜14時、17時〜19時の生放送の間を埋めるようにして、60名ほどの登録ボランティアが制作した番組が流れます。地元大学生の番組や、近隣にある火山などの歴史番組、動物愛護番組など、その内容も様々。タイ語レッスンの番組は、特に「珍しい」と注目されていたそうです。
もちろん、沼田さんもパーソナリティとしてその声を市民に届けています。最初は番組の作り方などわからず、いろいろな人に聞いて勉強をしたそう。でも、大切なのは技術より「伝えたい」という思いだと感じています。
「こちらが伝えたいという気持ちで発信すれば、例えば食べ物の紹介であれば『聴いていたらおいしそうで、食べたくなってお店に行きました』などと、嬉しい反応をいただくんです。それは番組の内容に対する反応ですが、2018年9月に起こった胆振東部地震の時は、3日間で350通ほどのメールが届きました。当時はその情報を紹介する、というサイクルで番組が成り立っていたので『放送とは正に"地域の人そのもの"だな』と感じましたね」
災害の際は、各コミュニティFMがサポート
災害時の情報発信は、コミュニティFMのとても重要な役割です。FMびゅーのスタッフも、胆振東部地震が起こった3時8分の後、36分には放送を開始しています。
「1週間電気がこないという情報を聞いた時は、慌てましたね。3日間くらいは想定していて、発電機を用意したり、スタッフのシフトを想定したりはしていましたが、1週間となるときっと厳しかったでしょう。その後すぐに電気が復旧して、助かりました」
甚大な被害を受けたむかわ町、厚真町は室蘭と同じ胆振地方。しかし、コミュニティFMはまだ開設されていませんでした。何か力になれないか...と考えた沼田さんは、たまたまお知り合いだったむかわ町の方と話をして「情報を正確にみんなに伝えることが難しい」という悩みを解決するべく、臨時で災害FMを立ち上げます。
「帯広、恵庭など道内の局の方にも手伝ってもらってアンテナを設置し、放送の準備をしました。私たちは災害FMをやったことがなかったのですが、東京から『女川さいがいFM』の方々も駆けつけてくれたんです。私たちも東日本大震災の時に女川の応援に行っているので、その恩返しと言っていただきました。立ち上げのノウハウをレクチャーしてくれたり、情報の集め方を教えてもらったりして、9月18日にむかわ町の臨時災害局が開局しました」
その流れで、厚真町の災害FMも立ち上げることに。厚真町では今も役場の方が、ボランティアで昼休みや業務が終わった後などに放送を続けているのだそうです。震災は、地域の方々がコミュニティFMの存在意義について理解する大きなきっかけにもなったことでしょう。また「困った時はお互い様」と、各局が連携してサポートし合う流れができているのもコミュニティFMの素敵なところです。
「局同士はみんな仲がよくて、FMびゅーでも番組内で他局と電話をつなぐなどの企画があるんですよ。地域密着が特徴とはいえ『室蘭は雪がないのに、そちらではこんなに雪が積もっているんですね!』という話題が出るだけでも面白いじゃないですか。そういう余裕も持ちながら放送できるといいですよね」
パーソナリティも同じ地域で暮らす目線をもって
ここで少し、パーソナリティとして働くスタッフの遠藤奈津美さんにもお話を聞いてみましょう。彼女はかつて、恵庭市のコミュニティFM『e-niwa(いーにわ)』でパーソナリティを勤めていたベテランです。ご主人の転勤がきっかけで登別市に移住し、ちょうどFMびゅーが求人を出していたことからご縁が繋がりました。今は、11時半〜14時の生放送『らふ』で、天気やニュース、交通情報やイベント情報などを皆さんにお届けしています。
気になるのは、やはり震災の時のこと。被災者であるご自身も、いろんなことが心配だったのではないでしょうか。
「あの日はスタジオに早く到着したスタッフから放送を始め、数人は市役所などに足を運んで状況確認をしていたような状態です。私は市役所の対策本部に張り付いて『水道が止まっているらしい』『けが人が出たらしい』といった情報が入ったら、LINEでスタッフに伝えて放送で流してもらって...という役割を担っていました」
地震の直後は、ご自身も怖くて仕方なかった、という遠藤さん。家が潰れてしまうんじゃないか、というような恐怖の中、お子さんを旦那さんに預けてスタジオに向かったと言います。
「そこからはもう完全に仕事のことしか考えないで、いかに迅速にリスナーの皆さんに情報をお伝えできるか、ということばかり意識して過ごしていました。とにかく必死で、あの時のことはあまり覚えていないくらいなんです」
この経験を経て「即時性を持つラジオは、災害時において、他のメディアよりも大きなアドバンテージがある」ということを改めて実感したそう。「今後は市民の方々と手を取り合って、西胆振を盛り上げていきます」と話します。
「人口減により、廃れたイメージを持たれてしまうのは少し寂しい。室蘭の景観やおいしい食べ物などをPRしようと頑張っている人たちはたくさんいますから、志を同じくして頑張りたいですね」
今も昔も、ラジオの可能性は無限大!
今は無料アプリの「ListenRadio(リスラジ)」で、コミュニティFMも全国、ひいては世界でも聴けるようになりました。災害時には、出身地のコミュニティFMを聴いて情報を得た方もいらっしゃったかもしれません。また人口減少に悩む地方からしてみれば、全国に向けて町をPRするチャンスにもなるでしょう。それでも、コミュニティFMの一番の責務は「地域の人々の暮らしに役立つ」ことに他なりません。沼田社長にこれからのことも聞いてみます。
「インターネットの力は強いですね。これからは、SNSとも上手に連携していけたらと思います。ラジオだと聴き逃したら終わりなので、もう一度聴きたい情報はSNSに載せる。しかもその情報は、ラジオという公的なメディアが認めた、間違いのないものです。そこをセットで運営していくことが必要な時代かなと思います」
新聞や雑誌、インターネットは検索したりショッピングという目的を持って、自分でリーチするメディアです。ゆえに、興味のある人にしか届きません。しかしラジオは「自分でも気づいていなかったけど、実は興味が持てる情報」に思いがけずアクセスできるのです。何か作業をしながらでも聴ける、唯一の「ながらメディア」でもあります。
「たまたまラジオをつけていた時に耳に入って『あ、これ面白そうだな』という発見から新たな世界が広がったり、人と情報が繋がったりしていくという意味で、ラジオという媒体はすごく可能性があると思います」
沼田さんが思った以上に、若いリスナーもいるのだとか。地域のイベントで行ったパーソナリティ体験では、マイクの前でしゃべった自分の声が聴こえるだけで喜ぶ子どもも多いそうですし、FMびゅーにも幾度となく小中高生が職業体験に訪れていると言います。子どもの頃から「ラジオって、面白い!」と思える機会が増えていることも、理由のひとつかもしれません。
「そうすれば、大人になってからも自然と家でラジオのある生活をしてもらえるかもしれませんね」
苦労して立ち上げたコミュニティFM。設立者の思いは、未来へと受け継がれていきます。
- FMびゅー(室蘭まちづくり放送株式会社)
- 住所
北海道室蘭市みゆき町2-13-1 4階
- 電話
0143-84-1662
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