この日本に「株式会社大人」というユニークな名前の会社があります。創業者は北海道小樽市出身の五十嵐慎一郎さん。今や北海道を飛び出し、多くの事業を手掛けている注目の人。
大学進学に興味がなかったものの東大へ
五十嵐さんは日本のトップとも言われる東京大学を卒業したという経歴の持ち主ですが、実は大学への進学はあまり考えておらず高校在学中からインドへ旅立つという奇行に出た、とご自身で当時を振り返ります。インドから帰ってきたあとも、2002年のワールドカップのボランティアを経験したりと日々を楽しく過ごしていたそう。
さて、次は何をしようかと考えてみた時「世の中のことがよく分からない」ということでご両親とも相談の上大学へ行ってみる、という選択をしました。
そうして、実は東大に入る前に国際基督教大学(ICU)に入学していた五十嵐さん。アメフトと麻雀に明け暮れていた日々。そんな日々を過ごす中で、建築への興味を持っている自分に気づいたと言います。
建築への興味に関して五十嵐さんはこう話します。「思えば一番最初に買ったファミコンのソフトはSimCityだったし(笑)あと、地図を見るのも好きだった」
このまま流れに身を任せていても、結局就職するしかどうやら道はないらしい...。それならば興味のあることをもっと勉強したいと「せっかくなら最高峰の大学へ」ということで東京大学の建築学部へ転入を果たしました。
東大に行ってもアメフトを続けた五十嵐さん。
「軍隊みたいな生活でしたね。毎日昼から筋トレしてミーティングして...週6でやっていました。もうほぼ毎日部活。みんな本気で命かけてやってましたから。なかなかあんなにピュアに命かけることってないですよ」と、当時を振り返ります。
もちろん勉強をしに来たわけですから、建築関係の方も怠りません。アメフトを引退したあとは、日本の建築家としても有名な安藤忠雄さんの事務所に住み込みでインターンシップも経験。
ただ、建築に興味があると言っても、五十嵐さんのその興味の幅は広いのです。
「建築の上流も下流も携わりたいと思ったんです。このまちにこんな場所があったらいいなとか、企業だったらこんなのがあったらいいなとか...そこにどんな人が関わって欲しいかっていうのが大事だと思っていたんです」。
そういった想いを抱え、五十嵐さんは東大卒業後に東京の小さな不動産会社に入社します。
毎日スーツを着ることを辞めたあの日
「そこの会社では一応営業ということで仕事をしていましたが、ありがたいことに社長が『あいつには好きなことをさせろ』って言ってくれたんです。その時に今も銀座で経営しているthe SNACK(ザ スナック)っていうコワーキングスペースをつくりました」。
こちらがそのコワーキングスペース。大人の秘密基地のような、なんだかワクワクする雰囲気が写真からも漂います。
これは大体2012年頃の話。当時はまだ日本はもちろん、海外でもコワーキングスペースというものが普及し始めたばかりの頃でした。
「このスペースで同世代の起業している奴らやクリエイターたちと日々顔を合わせていく中で、自分でリスクを背負って自分のやりたいことをやっているという姿が良いなって思って」。
こうして刺激を受けた五十嵐さんは毎日着ていたスーツを脱ぎ去る選択をし、独立の道を選びます。
「会社勤めは無理だなっていうのもあったんです。毎日スーツを着る生活や、組織だとルールに縛られることも多くあるし、人数がたくさんいる分もちろん人間関係の問題も出てきますからね」。
五十嵐さんのトレードマーク(?)のヒゲも会社務め時代はしっかり剃っていたそう。「ヒゲ剃らないって楽なんだなって気づきましたよ(笑)」なんて笑います。
大好きな地元北海道のために
独立を決意したものの、特別「これがしたい」というものはなく、とにかく「一人でやってみよう」そんな想いだったそうです。ただ、五十嵐さんが立ち上げたコワーキングスペースがあったらからこそ、繋がりを持ったまま独立の道に進めたのは大きいと話します。
そして、住民票と会社登記を地元北海道へ移します。
しかし、決して北海道へ完全にUターンするわけではありませんでした。
「いきなり北海道へ戻っても仕事があるわけではなかったこと、そして当時縁あって岐阜や栃木でも進めていたプロジェクトがあったので。だから当時は友達の家に泊まったり、会社の寮に泊まったり、色んなところを飛び回っていてほぼホームレス状態でした(笑)」。
さらには、もともと五十嵐さんが立ち上げたコワーキングスペースの運営を再び担うことになり、今も尚東京での仕事の割合が多い現状も理由のひとつ。
「同世代で東京に出てきた奴らと会ったりすると、必ずみんな『北海道にいつか帰りたい』『北海道のために何かやりたいね』って話すんですよね。でも、就職して結婚して子どもが生まれて家を買って...ってなるとどうしても戻りづらくなってしまうんですよ」。
また、北海道で何かやりたいとは言っても、外に出てしまったら北海道のことがなかなか見えないという難しさもあると話します。
例えば、道外の人が北海道を見ると「なんとなく北海道って仕事が無さそうでつまらなさそう、仕事があっても給料が安そう」なんてマイナスイメージを持たれてしまうことも。
だからこそ、北海道にはこんなプレイヤーがいて、こんな地域があって、とその面白みを伝えていくだけで違うだろうなという考えていた五十嵐さん。
そこで立ち上げた「札幌移住計画」。
札幌への移住希望の方に向けた企業見学イベントを始め、東京でのイベントなども積極的に開催し、企業と人を結びつける役割を担っています。今では全国に「○○移住計画」と47都道府県はもとより、市町村単位でこうした団体が結成されているそうですが、札幌移住計画は活発的に活動をし続けている1つでもあります。
きっかけは「面白そう」
こうした札幌への移住を手掛ける他に、取材した当時(2018年9月)まさに佳境に入ってきていたのが「移住ドラフト会議」というイベント。これは、移住やUターンを検討している方(選手)を北海道のおもしろい・元気な自治体や企業(球団)が指名し、交渉権を獲得する移住マッチングイベントのこと。「人が、北海道を動かす」をテーマに交流し、新たな出会いの創造も目指します。
こうした取り組みを一番最初にスタートさせたのは鹿児島県。2016年に始まり、2017年、そして2018年は南九州で、とその姿を大きく変えてイベントを開催するそうです。実際に鹿児島県への移住者も増えている実績のあるこのイベントを、北海道でもやってみたいと五十嵐さんは考えていました。
そして、北海道で活躍している知人と話していた際にふと「移住ドラフト会議、北海道でやったら面白そうなんだよね」と五十嵐さんが発した言葉に「いいね、やろう!」と共に立ち上がってくれたメンバーといよいよ動き出したのです。
こちらがその移住ドラフト会議の運営メンバー。2018年10月27日、28日に行われる本番に向けて奮闘。この時の写真は、このイベントに関する記者会見を行った時のもの。楽しい大人が3人、とっても素敵な笑顔です。
社名に隠された野望
お話の中で何度も出てきた北海道への想い。外からの視点があるからこそ五十嵐さんは北海道に対して強く想うことがあります。
「もっともっと外に対して興味を持つ人が増えて、新しいことにチャレンジするというカルチャーが根付いてほしい」。
昔から変わらずそこにある海や山といった自然や景色、ご飯の美味しさ、水や空気の綺麗さ...北海道の魅力を知っているからこその想いです。
今は東京と北海道を往き来する二拠点生活をしている五十嵐さん。だからこその視点も...。
「今は東京と北海道を比べると情報や人の集まり具合も圧倒的に差が出ています。ビジネスシーンでやっていくためには色んなアンテナをはっていくことが必要だし、そのためには二拠点生活が有力なひとつとなる。WEBを叩けば色々と情報は出てくるけど、結局は人と直接会って話すという行為はデカいんですよ。そうじゃないと生まれないものがある。二拠点生活ではなくとも、外に出て行くということは大切なことのひとつかと思います」。
こうして様々な場所を飛び回り、多くの人と繋がり業務を拡大し、移住関連の事業の他、WEB運用やウェディング事業などの仕事も請け負っていたりと多岐にわたります。「ここまで色々なことを手掛けていると、自分を紹介する時なんて言うんですか?」なんて聞いてみると、「最近は『色々企む会社です』って言うことに落ち着きました」と笑います。
ちなみに会社名の由来は、
「大人になりたくないってのもあるし、素敵な大人になりたいってのもある。素敵な大人が増えたらいいな、増やしたいなって。そもそも『大人』の概念を変えた方がいいのかなという想いもあって、文字をひっくり返しているのもそういう意味が少し込められています。...って、社名の由来を聞かれたら出来るだけ毎回違うことを言おうと思ってます(笑)」なんて言う五十嵐さん。皆さんぜひ、チャンスがあれば由来を聞いてみてください。もしかしたらくらしごとに書かれているこの答えとは違うかも。そうそう、株式会社大人のHPには、五十嵐さんの手書きで書かれた文字が並んでいるんです。
「大人になんかなりたくない。でも、素敵な大人になりたいと思う。(中略)crazyでartに素敵でオバカにcreateな大人が、世界に溢れるように。」HPに書かれたその文字が、きっと五十嵐さんの姿そのものなのでしょう。北海道から生まれた素敵な大人が、今日もどこかでワクワクすることを企画しているかも。
- 株式会社大人 五十嵐慎一郎さん
- 住所
札幌市中央区南12条西21丁目2-1-101
- 電話
090-9755-4289
- URL