みなさん、ビールはお好きですか?
「おーっ!」っていう声が今にも聞こえてきそうです。
日本でのビール消費量は世界で第7位だそう。人口の多い国が上位を占めるなかですごい数字ですね。でも、1人あたりの消費量は世界で54位。数字から読み解くに、ものすごく好きな人がビール消費量を引き上げてくれているようです。消費量に貢献している方、みなさんの身近にもいますよね? きっと。そしてたくさんの量を飲まなくても、大好きな人ももちろんいるはず。
「とりあえずビール」「一杯目がビールじゃない人は?」っていう宴会の決まり言葉からも、あまりにも身近な存在です。でも、身近に「ビールをつくってます!」っていうお知り合いはいますか? なかなか出会えないのではないでしょうか。ビールを飲むのにも、つくるのにも最高なロケーションである北海道で、ビールづくりに関わる方のお話を聞きました。読み終わった後には、必ずビールが飲みたくなることでしょう。いえ、ビールを片手に読んだ方が、いい記事かもしれません。
地ビール? クラフトビール?
まずはお話を進める前に、ちょっとだけお勉強です。
ウィキペディアで確認するに、諸説ありそうですが、ビールは「紀元前4千年紀にメソポタミア文明のシュメール人により作られていた資料が最古」との記載があります。メソポタミア文明...とは恐れ入ります。ちなみにシュメール人はワインの製法にも関わったとされています。どこのどなたかは存じませんが、シュメールの方には感謝しかありません(笑)。
ということで、その歴史は想像できないくらい古いことがわかります。日本、そして北海道での歴史はそれに比べると非常に最近。明治5年に大阪で日本人が初めてビールの醸造を開始。明治9年に札幌で北海道開拓麦酒醸造所が創設されたのが、私たちにとって身近なところです。
そこから時代は流れ、1994年の法改正により、小規模醸造が解禁になったことを皮切りに、全国各地にたくさんの地ビール会社が誕生することになるのです。そう、昔は「地ビール」「ご当地ビール」と言われるお土産的な存在でした。地域おこし、地域活性化につながるものであるのは間違いありません。今も観光地の売店には専用コーナーが必ずといっていいほどあります。
ところが、さらに現代では、そんな全国様々な地域でつくられたビールが、その地に行かなくても飲める飲食店や販売網などが整備されると共に、「クラフトビール」という呼び方に変わってきているのが最近の傾向だそうです。東京にはクラフトビアバーなる専門店舗もたくさん出来てきており、ちょっとしたトレンドから、文化にまでなってきている様子もうかがえます。
そんな時代で、札幌市の隣に位置する江別市で、クラフトビールの醸造に汗を流す会社がありました。SOCブルーイング(株)です。こちらの会社で取締役兼工場長として働く多賀谷 壮さんにお話をうかがいました。
カナダに行って修行してきた!...って言ったらカッコイイけれど。
「カナダに行ってビールづくりの修行に行ってきました。なんて言ったら格好いいんですけど、そんなに格好いい人生じゃないんですよね(笑)」。と、笑顔で工場に迎え入れてくれて、軽快にお話をしてくださる多賀谷さん。頑固一徹!ビール職人!という感じではなく、とても優しそうな第一印象でした。
多賀谷さんは、旭川出身。ビールの醸造とは程遠い、旭川工業高等専門学校で電気工学を学んでいたそうですが、5年生まである学校生活を3年で切り上げたそうです。そのころの多賀谷さんは「なんか突然、考古学を学びたい!ってなっちゃったんですよね(笑)」。結局、考古学を学ぶ夢は叶わなかったそうで、北海学園大学を卒業。法学部でした。ところが、卒業後も自身の将来を決めあぐねていて、悩んでいた折、大きな転機がきます。「大学時代の友人がカナダに行って、ビールづくりを学べるチャンスがあるって話をしてきたんです。『俺も行きたい!』ってなったことが、ビールづくりの世界に入るキッカケでした」。「食」や「技術」をずっと勉強してきたわけではないのに、「やってみたい」からキャリアがスタートするというのは、この業界で働いてみたい人にとっては勇気を与えてもらえるキッカケですね。
英語は話せないけど、カナダに通った日々
これがいい!と思ったら邁進する多賀谷さん。
「そもそもカナダにはビールづくりを学ぶためという目的でしたので、当時は就労ビザではなく、観光ビザで入国していました。なので、大体3ヶ月スパンくらいでカナダに行って学んでは日本に戻ってくるというのを繰り返していました。現地にある商社にも随分とお世話になりました。もちろん英語なんて全然話せませんでしたから、最初はもう大変。でも、ビール醸造の世界において必要な英単語とかっていうのはわかってきて、特に、温度やグラムといった数字を中心に記録しまくって学んでいきました。ビールづくりの師匠もカナダにできたんですけど、その師匠から学んだことは、『Beer is Art』ってこと。ビールは数学じゃない、アートなんだ!って。感じろ!って。ビール醸造は、実際は科学なんですけど、師匠は、最終的に表現することは感性なんだ、科学はツールとして使うんだっていうことを教えられたのは、自分にとって大きなアドバイスでしたね」。
そんな学びを続けているなかで、また転機がおとずれることになりました。この学んだことを活かして就職するのではなく、できれば独立してやってみたいと思っていた矢先、お世話になっていた商社を通じて、道外のサラリーマンの方々から、北海道でビールづくりを一緒にチャレンジしてみないかというお声がかかったのです。
札幌市で開業。そして江別市へ。支援もいただいて。
2002年に(有)カナディアンブルワリーを設立。ビールづくりを学んだ「カナダ」にちなんだ名前をつけました。その後、2003年1月に酒類製造免許を無事に取得。2003年3月から醸造を開始したのです。
「大きな物件ではありませんでしたが、古い札幌軟石倉庫を改築した醸造所。そしてこじんまりながらも、レストランが併設された形態で始めました」。そこから7年ほど、その地でビール醸造の技術もさらに高め、商品レベルを上げていくと同時に、多くのファンがついていきます。
「ありがたいことに、需要が増えてきている反面、醸造設備が小さくて、毎日やってもやっても間に合わないという状況になってきたんです。さらには札幌市の地下鉄北24条駅が最寄りではあったものの、ちょっと距離がありまして、ご来店いただくにもご不便をおかけしていたという背景もありました」。
そこで移転先を探すことになったそうです。「最初は札幌市内で探していたんですけど、なかなか良さそうなところに出会えませんでした。そこで札幌の近郊にまで候補を広げてみて、最終的には絶対に江別市!ってなったんです。江別は農業も盛んで、麦もつくっている。ビール屋なら間違いなく江別でしょうって感じで決めました」。2009年4月のことでした。ビール名称もリブランド。これまで「札幌手作り麦酒」というブランドで展開していたのですが、クラフトビールを首都圏での展開もさらに重点化し、東京の人に対してアプローチするため、北海道を島と見立てた「ノースアイランドビール」とし、江別の工場で生まれたビールが、同年7月、初出荷を迎えたのです。その後、2011年9月に新たな出資者として、北海道地場IT企業である、SOC株式会社からも支援を受け、社名を「SOCブルーイング(株)」と変更。従来の小型醸造設備に加え、1,000ℓ以上の醸造設備も導入し規模も拡大しています。
小さなビール会社の醸造現場
生産規模が大きくなったからといって、大手ビールメーカーと違い、今でも多賀谷さんは作り手の最前線のひとり。ビールづくりの様子も教えてくれました。
「レギュラーとしては今、6アイテムを製造していますが、季節に合わせた限定モノのビールもつくります。クリスマスビールとしてのその時期だけのものなんかもあるんですよ。大きな会社ではないですので、時季による製造量の増減なんかで毎日の仕事は変わります。ビールの仕込みが大きな仕事ではありますが、夏場で週に3〜4日くらいかな。仕込みには9時間くらいかかるんですが、1回の仕込みで1,000リットルくらい製造できます。仕込み以外の仕事としては、樽詰め・瓶詰めといった作業。タンクやパイプ類などの洗浄をしたり、製品を開発することも仕事の一部です」。
その他にも、仕込み終わった後は、20度くらいの温度で1週間発酵させて、アルコールが生成された後に、さらに冷蔵で3週間寝かせることや、味の種類をつくるために、ラガー用・エール用などの酵母を使い分けたり、ブレンドしたり、ローストした麦芽を使うことなどで味わいを変えるということも教えて下さいました。シンプルなところと、複雑な部分とが組み合わさっているので、とても奥が深い仕事であり、「アートだ!」と言われる所以もわかった気がします。
北海道のビール会社として大変なこと
ここまでのお話を聞いてきて、とっても楽しそう!うらやましい!って思った方も少なくはないはず。
でも、大変なことも多賀谷さんは教えてくれます。「まず、北海道ではクラフトビールを一般家庭の方が普通に飲むような文化や、専門店で飲むような文化はまだ根付いていないのが現状です。ですから、今、私たちが出荷しているのは主に首都圏。となると、実は送料との闘いでもあるんです。運送会社さんの送料変更によって、大きく当社の経費が変わりますし、全国各地から東京に集まるビールを北海道だからって値上げしてもらうこともできません」。
そうご説明されながらも、運送会社で働く人たちも生活が掛かっているんだから、しょうがないこと。それにもし、なくなってしまったら困る業界。そう話される多賀谷さんの人柄が現れます。
こんな説明もされました。「東北の大震災のときに、日本中が大変な状況だったと思います。実は当社にも大問題を抱えることになりました。物流がストップしてしまったからです。その一件があってから、今後もそんなリスクを考えると北海道内での販路の拡大も必要と考えるようになりました。完全に民間企業ですので、私たちも社員がごはんを食べていけるように最低限のリスクヘッジが必要ですからね」。
そんなリスクヘッジのひとつであり、クラフトビールの文化を広げるために、移転した今も直営の店舗を持っています。工場と併設ではなくなってしまいましたが、札幌の観光の方も地元の方も多く集う「創成川イースト」と呼ばれるエリアに、「Beer Bar NORTH ISLAND」という店舗を構えている他、毎年、クラフトビールを広げていくための有志が集まって実施している野外イベント「Sapporo Craft Beer Forest」も6年目を迎えています。
ノースアイランドビールのこれから、江別とのこれから。
これからの多賀谷さん、これからの会社について最後にうかがいました。
「大手のように戦略的に売れるものを商品として展開していくという方向性じゃないんです。自分たちが美味しい飲みたいものをまずはつくりたいんです。自分たちが納得できるものを、わかっていただける方々に提供していきたいっていうのが基本になりますね」。
大手には大手のやり方があり、守るべきものもある。小さいからこそできることもある。その考え方は、なんだか北海道の地場企業全てに通じる考え方のようにも聞こえてきました。
さらに、ホームグラウンドとなった江別市のことも。
「私は札幌から江別に移住してきました。隣まちだからプチ移住かな。住んでみてわかったのが、とっても静かで空が広いって感じたことですね。そして思ったより都会(笑)。もう、江別に骨を埋める気ですよ!会社としては、主な出荷先が首都圏なので、あんまり地元の方には知っていただけてないかも...。地元の酒屋さんやスーパーにも置いてもらっているのですが、もっと広げていかなきゃですね。今、ドイツやイギリスからの原料が大半で、北海道産の大麦は、収穫前から大手メーカーと先に契約している場合が多かったり、焼酎用だったりしていますので、できればもっと地元農家さんとかとつながって、江別市で育てられた原料を使って、江別で醸造しているビール、『江別仕込み』みたいなブランディングを広げていけたらって思っています。そんなことができれば、江別の一次産業を広げていくこともできますし、地名も全国に知ってもらえるかもしれない。そんな地域との循環が大きな輪になっていくところを夢みていきたいですね」。
北海道江別市でつくられたクラフトビール、ノースアイランドビール。多賀谷さんはじめ、多くの方々の想いと、北海道の看板を背負って首都圏で戦っています。応援していきたいですね。
まずはグラスを傾けてみましょうか。
- SOCブルーイング(株) NORTH ISLAND BEER
- 住所
北海道江別市元町11-5
- 電話
011-391-7775
- URL
<直営店>
Beer Bar NORTH ISLAND
(北海道札幌市中央区南2条東1丁目1-6 M'S二条横丁2F)