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まちおこしレポート
室蘭市

建物に宿る「まちの記憶」を呼び覚ます。20170410

この記事は2017年4月10日に公開した情報です。

建物に宿る「まちの記憶」を呼び覚ます。

室蘭開港の地に建つ古い洋館

室蘭には「シンボル」がたくさんあります。最近では工場夜景が人気です。北海道最古の木造の駅舎として有名な旧室蘭駅、関東以北最大の吊り橋である白鳥大橋等々。

その旧室蘭駅舎から白鳥大橋に向かう途中(室蘭市緑町2‐1)にある薄緑色の木造洋館が今回の舞台です。この洋館を知るために、少しだけ時代をさかのぼってみます。

この一帯は明治5(1872)年に木造の桟橋が完成し、現在の森町との間に噴火湾を渡る「森蘭(しんらん)航路」が開設された室蘭開港の地。当時の室蘭にとって行政や経済、そして文化の中心地でした。

muroran_murata13.JPG道道699号に面して建つ洋館。左手には海が広がり、室蘭開港の地でもある

muroran_murata2.JPG屋内も往時の記憶をとどめたまま使われている。

洋館は大正4(1915)年に「三菱合資会社室蘭出張所」として誕生しました。三菱合資とは現在の三菱グループの当時の名称です。三菱の創業者として有名な岩崎彌太郎の長男、久彌が第3代の社長として辣腕をふるっていた時代です。

この頃、明治40(1907)年に日本製鋼所、同42(1909)年に北炭輪西製鐡所(現在の新日鐡住金室蘭製鐡所)が相次いで設立され、鉄のまち室蘭の歩みが始まっていました。製鋼や製鉄を支えたのが道央の空知から鉄道で運ばれてくる石炭です。三菱合資会社は製鋼・製鉄に事業として関わるとともに、石炭を室蘭の港から各地へ積み出していました。この出張所では、石炭の質の分析も行われていたそうです。

もう一つの石炭の積み出し港が小樽です。空知の石炭、小樽の港、室蘭の鉄と港。北海道の発展だけでなく、日本の経済成長に大きく関係した「炭・鉄・港」の役割と歴史にいま、スポットが当てられつつあり、この洋館は室蘭の『古くて新しい』シンボルになる可能性を秘めているのです。

歴史遺産が取り壊しの危機に

2014年、あと1年で百歳を迎えようとしていた洋館に危機が訪れます。老朽化による取り壊しの計画です。


muroran_murata9.jpg手すり子一つを見ても建築時の贅沢さが感じられる

持主は三菱マテリアル、以前の三菱鉱業です。
しかし、三菱合資会社時代の建物で現存するのは佐賀県と福岡県に一つずつと室蘭の3つだけ。この歴史的な建物を保存すべく三菱マテリアルは室蘭市に無償譲渡を提案しましたが、市では引き受けることができませんでした。

そこに登場するのが村田正望さんです。
「ホワイトナイトのようにカッコよく登場したわけではありません。そもそも、ここで商売をしていたんです」。どういうつながりなのでしょうか。

「父親が40年ほど前に電気通信の北星電機という会社を起業し、この建物を借りて本社にしたんです。父が他界して私が跡を継いだのですが、大家さんが三菱マテリアルでした。これだけ古い建物なので、安全性の面からも取り壊し案が出ることは当然なのかもしれません。そして店子の当社にとっても立ち退き料が出るし、冬はとても寒くて湯たんぽを抱えながら仕事をしているので、素直に取り壊し計画に乗るのが無難な選択だったのかもしれません。でも、待てよ、と。本当にこの建物がなくなってもいいのだろうかと考えました」

開港の地に唯一残る木造の洋館という歴史的な建造物は同時に、「まちの記憶」につながっていると村田さんは言います。
大学では宇宙物理を学び、その後に大学院と公的機関で通信技術を研究し、その過程で脳の研究に携わる中で、五感と空間のつながりの強さに気付いたそうです。

muroran_murata6.JPG「歴史展示室」では洋館に関する資料や当時のモノなどを公開

「2012年に借りていたこの建物を公開したのです。すると、ご高齢の方が懐かしいとおっしゃる。この建物に足を踏み入れることは初めてでも、壁や床にふれることで、若いころのまちの記憶がよみがえってきたと言うのです。建物が心の情緒、情感とつながっていくわけです。だから、その数年後に取り壊しの話が出た時に、本当にそれでいいのかと考えました」。

「まちの記憶」のスイッチに

「一人ひとりの記憶が喚起され、それが集積されることで「まちの記憶」として広がりを持っていく、そのスイッチになるのではないかということです。高齢化社会の中で、昔の記録はなくても、記憶を集めることができれば、次世代に手渡すことができる資産になるのでは、と考えました」。

しかし、いくら残したいと思っても、市でも引き受けられない建物をどうするかという大きな問題に突き当たります。残された時間にも限りがあります。そこで、自分が思うこと、考えていることをまずは周りに発信してみたところ、賛同者が集まり始めました。

そして、村田さんを含めて5人で「一般社団法人 むろらん100年建造物保存活用会」を組織し、自分たちで買い取ることを決断します。2014年のことでした。

ひとまず、解体の危機は脱したものの、残していくには修繕が不可欠で、その費用をどうするのか、そしてハードを残すだけではなく、ここからまちの記憶というソフトをいかに発信していくのか。村田さんたちの前には課題が今も山積みだと言います。
活動資金は、村田さんが代表を務める北星株式会社が店子として入居し、社団法人が得る家賃収入、この活動に協賛する法人・個人からの会費収入、そしてポストカードなどの販売収入が主な財源です。

muroran_murata7.jpg

「もちろん、維持・補修にはまだまだ足りません。ただ、未来永劫にわたって私たちが管理するのではなく、どこかの段階で文化財とし、合わせて公的機関で管理してもらえるスキームを目指しています。管理・運営の先は長いけど、まずはこの建物をスタート地点にまちの歴史に関心を持ってもらう活動を地道に続けて行く予定です」。

「角ちゃん祭りを開催したい!」

井上角五郎は、福沢諭吉や後藤象二郎に師事して朝鮮やアメリカに渡り、満州鉄道の設立に関わった後に34歳で北海道の炭鉱史に名を残す北海道炭鉱鉄道の専務に就いた人物です。その後、前述した日本製鋼所と北炭輪西製鐡所を設立した鉄のまち室蘭の立役者です。

村田さんは「そうした人物をあえて角ちゃんと称し、角ちゃんを室蘭の歴史のゲートに置いた祭りをできないかと思案中です」と言います。
その活動の第一弾としてA5判16ページの小冊子「むろらん歴史街歩き~いま角ちゃんが熱い!~角ちゃんの大冒険」を制作し、市内で配布しました。

「井上角五郎氏のお孫さんに断りなく『角ちゃん』にしました。その後、なんとお孫さんにつながることができたので、お孫さんには、この不始末は角五郎氏を盛り上げることでお許しください、と。でも、叱られるどころか喜んでいただきました。できれば来年の北海道開基150年に合わせて祭りを開きたいですね」。

百年前の建物で宇宙をテーマにしたキャンドルを販売

muroran_murata8.JPGオブジェとしても楽しめそうな惑星をイメージしたキャンドル


村田さんが代表を務める北星株式会社では従前からの電気通信のほか、この建物の中で村田さんが製作するキャンドルの販売も手掛けています。キャンドルのテーマは「宇宙」。

「人間は太古から手足の延長である道具を開発し続けてきました。コンピュータも手足の延長の一つです。そして今はAIとして脳の延長を作り始めています。同じコンピュータ領域でも手足の延長と脳の延長ではまったく違います。こうした仮想領域が広がるほどにリアルが求められてくるのではないかと思うんです。このリアルな洋館からまちの記憶が紡がれていくように、手触り感のあるキャンドルはどうか、と。キャンドルの明かりはアナログで、かつリアルな暖かさを持っています。百年前の建物で宇宙をテーマにしたキャンドルを販売する。説明は難しいけど、私の中ではつながったラインなのです」。

まちの記憶の象徴としての古い洋館を起点に、人々の思い出が有機的につながり、市民のまちへの愛着と誇りを醸成していく。時間はかかるかもしれませんが、ワクワクする取り組みであり、挑戦です。

一般社団法人 むろらん100年建造物保存活用会
住所

室蘭市緑町2番1号

URL

http://muroran100.com/


建物に宿る「まちの記憶」を呼び覚ます。

この記事は2017年2月26日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。