12月初旬の取材日、根雪にはまだ早いだろうという大方の予想を裏切るような降雪量。そして、積もりはじめの道路は滑りやすく、ハンドルを握る手にも力が入ります。そんな緊張気味のドライブの目的地は、2年前に千葉から新篠津村に移住してきた小野家。インターホンを鳴らすと、元気いっぱいの男の子と笑顔の小野さん夫妻が迎えてくれました。とにかく明るいご主人と穏やかな奥さま、アットホームな雰囲気にさっきまでの緊張があっという間にほどけていきました。今回は、楽しく賑やかな小野家の移住物語です。
ハードル高めの条件をクリアしている中古住宅との奇跡的な出合い
札幌から車で約50分、新篠津村の市街地の少し外れに建つ大きな2階建ての家。周りは田畑が広がり、少し先には定住促進のみのり団地エリアが見えます。「家を探すとき、日がのぼり、沈んでいく太陽の通り道が全部見える、遮るものが何もない場所と決めていたんです」と夫の玲(あきら)さん。と、ここまではよくありそうな条件ですが、玲さんの条件はそれだけではありませんでした。「窓からの景色がよくて、カーテンなしでもよくて、事務所も必要だから部屋数の多い広い家。そして、徒歩でコンビニや飲み屋に行けるところ」という、なかなかハードルの高い条件でした。
ところが、その難しそうな条件を満たしたのが、現在小野家が暮らすこの家。妻の千恵さんが最初にインターネットで見つけたそう。「北海道に移住すると決め、札幌にアパートを借りて移住候補先をあちこち見て回ったのですが、なかなか条件に合うところがなく、そんなときにたまたまこの家が奇跡的に中古住宅でネットに出ていて、もうこれしかないでしょうという感じでした」と笑います。
2022年11月、5WLDKの2世帯住宅だったというこの中古物件に越してきた小野さん一家。まずは移住するまでの歩みについて伺っていきましょう。
チャンスを生かし、ステップアップ。CGパースを使ったクリエイティブな仕事
玲さんは、CGパースを使って空間の演出やデザインを絵にする仕事をしています。立体的で、まるで本物の写真のように見えます。コンサートのステージ演出やスポーツイベントの会場演出などを行う際、企画段階でイメージを視覚化する際に必要となるものをCGパースでデザインし、描いていくのが玲さん。版権があるためここでは残念ながらお見せできませんが、これまで手掛けた作品を見せてもらうと、「見たことある!」という大型イベントのものばかり。
札幌出身の玲さんは、高校を卒業後、二浪してデザイン科のある東京の大学へ。「勉強が好きじゃなくてね」と笑い、大学へ入ったあとも「デザインの勉強は全然しなくて、テニスに熱中していました」と振り返ります。ただ当時(1990年代後半)、CGで作られたF1レースの中継番組のオープニングに憧れ、「自分もやってみたくて、独学でパソコンを使ってデザインをはじめました」と話します。
玲さんが大学を卒業するころは大不況で、就職難。なんとか映画館にスクリーンを卸す会社に就職が決まります。就職して2年ほど経ったころ、デザイン会社に勤務していた大学時代の友達からCGで絵を描いてくれないかと頼まれます。
こちらが、CGパース&デザイナーの小野玲さん。
「玉と椅子の絵を描いたんですけど、たったそれだけなのに40万円も振り込まれたんです。当時、月収が18万円ほどだったので、びっくりしました。それならと思って、26歳で独立することにしました」(玲さん)
ところが、そう簡単に仕事が入ってくるわけではありません。様々な仕事をたくさん積み重ねる時期が続きますが、10年ほど前、ある人気バンドのステージの空間演出の話が舞い込んできます。
「担当の人が病気になってしまって、ピンチヒッターだったんです」と玲さん。ピラミッドがテーマというそのステージの演出を、のびのびと斬新なアイデアで提案するとそれが好評で、それ以降、大きな空間演出などの仕事が入ってくるように。チャンスを見事につかみ取った玲さんは、自由な発想力でクライアントの期待を超える提案を続けます。大手の広告代理店と直接取り引きができるほどになり、仕事の規模が一気に大きくなります。
ご自宅のお仕事部屋には、3つのモニターとノートパソコンがありました。自宅だけでなく、ファミレスやカフェで仕事することも多いんだとか。
テニスで知り合った妻と結婚。千葉で楽しく暮らしていたところにコロナが...
妻の千恵さんは、茨城県のひたちなか市出身。小学生のころからテニスに打ち込み、高校まで選手として活躍します。高校を卒業後、東京の商社で総務や秘書の仕事に就き、テニスも社会人のサークルに入って続けていました。テニスは、地区大会で優勝して区の代表になるほどだったそうです。
一方で、ジュエリーやアクセサリーに興味があった千恵さんは、「商社で働きながら夜間はジュエリーについて学べる専門学校に通っていました」と話します。商社を6年で退職し、都内のジュエリー会社へ転職します。さらにそのあと別の会社へ移り、個人的にもアクセサリー作りを始めます。
こちらが、玲さんの奥様、千恵さん。
「ちょうど夫と出会ったのがその頃だったかな。お互い別のテニスサークルに所属していたんですけど、私のいたサークルの合宿に夫が参加したのがきっかけで親しくなりました」(千恵さん)
出会って約1年で結婚し、その数か月後、千葉県の我孫子(あびこ)市へ引っ越します。「私の実家に車で1時間半くらいという距離だったので何かと便利かなということもあって」と千恵さんが言うと、「僕、仕事場に行くのに千代田線を使っていたんですけど、我孫子が千代田線(JR常盤線)の最終駅だったから」と玲さん。お酒が好きな玲さんが酔っぱらって電車に乗っても、降り過ごすことがないからと笑います。
我孫子での暮らしも悪くはなかったと2人は振り返ります。長女の歓喜ちゃんが生まれ、そのあと長男の飛躍くんも誕生。夫婦で仮装テニス大会に出て、仮装で賞をもらうなど、当時の話をしている2人はとても楽しそうです(ちなみに、その仮装の写真を見せてもらいましたが、クオリティーの高さとユニークさに爆笑でした)。
そんな日常が当たり前ではなくなったのは、コロナが猛威を振るうようになってから。玲さんの仕事の打ち合わせもすべてオンラインになってしまい、「仕事はあるんだけど、お客さんと会って話したり、飲んだりするのが好きなのに、それが一切できなくなって...」と玲さん。いつか北海道へ戻りたいと考えていた玲さんは、家でも十分仕事ができるなら北海道に住まいを移してもいいのではと考えるようになります。
千恵さんは、「夫は長男、いずれ北海道へ移ることになるのだろうなと結婚したときから思っていたので、夫が移住の話をしたときも驚きはしませんでした。それに、子育てするなら北海道がいいともいつも言っていたので」と話します。
子どものひと言が支えに。新篠津村へ移住して良かったと思うこと
そうして、冒頭に述べたような条件で移住先を探すことに。玲さんは札幌出身ですが、札幌市内で玲さんの条件を満たすような場所は予算的にも難しく、札幌は最初から除外していたそう。
「妻がネットでここを見つけて、実際に見に来たとき、条件を満たしているのもあったけれど、子どもの小学校、中学校が近いのもいいなと思いました。新篠津村も村自体がコンパクトにまとまっているのがいいなと思いました」
そして2022年に移住。移住に関する補助金制度なども活用したそうです。移り住んだとき、まずは自治会の集まりに参加して、挨拶をすると、「皆さん、歓迎ムードで溶け込みやすかった」と玲さん。千恵さんも「村の人たちは本当にいい人ばかり」と話します。
村で暮らしはじめ良かったと思うことを挙げてもらうと、ゴキブリ、ムカデ、オオゲジ、蚊がいないということ、我孫子に比べて地震がほとんどないこと、子育てに関する支援の手厚さ、村の人との交流など。
「ゴキブリやムカデに関しては、村に来てよかったねといつも妻と話しています。蚊が少ないのも村は水田が多くてトンボが蚊を食べてくれるからかなと思います。あと、我孫子にいたときは毎週のように地震があって子どもたちが怖がっていたんですが、こちらに来てからはほとんどないのでよかったなと感じています」(玲さん)
「子どもの医療費が無料、予防接種も無償で受けられるほか、村の子どもたちはイギリス人の先生の英会話レッスンも無料で受けられるんですよ。あと、私が5日間入院したときがあったんですけど、近所の方たちが手伝いに来てくれたり、食べ物を持ってきてくたりして、本当にありがたかったです」(千恵さん)
子どもたちも暮らしにはすっかりなじんでいて、歓喜ちゃんの小学校の友達を招いてハロウィンパーティーを開いたほか、親同士の交流も日常的にあるそう。
さらに、「引っ越してきて初めての冬に子どもたちと庭で雪遊びをしていたら、地平線ギリギリで夕日が沈みかけ、辺り一面の雪原がオレンジ色に染まったんです。誰も足を踏み入れていない畑に木々の影が細くのび、そんな景色を見ながら、子どもが『お父ちゃん、これ最高だね』と言ったんです。その言葉が何よりも嬉しかった」と玲さん。実は、都会から田舎へ越してきて本当に良かったのだろうかと玲さん自身、自問自答していた時期だったそうで、この言葉が支えになったと言います。
360度のパノラマビュー。太陽の昇る瞬間から沈むまで、1日の流れを感じることができる、玲さんのこだわりの暮らし。
車の運転ができれば暮らしで不便なことはなく、プライベートも充実
日々の暮らしで困ることなどはないのかを尋ねると、「特にないよね」と顔を見合わせて考える小野夫妻。
「車の運転ができれば、暮らしていて不自由はないですね。買い物や習い事などを村ですべて完結させるのではなく、広域で考えれば、とても便利な場所だと思います。車があれば、札幌も江別も千歳も1時間以内で行けますから。岩見沢なんて車で15分だし、真ん中の息子は岩見沢の幼稚園や水泳教室に通っています」(玲さん)
玲さんの仕事のやり方もコロナ禍からほとんど変わらず、オンラインで打ち合わせをし、仕事部屋で作業を行なっています。「でも、僕は飽き性なところがあるので、家の中にずっといると仕事がはかどらないんです。それで、気分を変えたいときは村の自治センターの自習室へ行ったり、江別の蔦屋書店へ行ったり、岩見沢のファミレスに行ったり、あちこちで仕事をしています」と笑います。「それと、基本的に人に会うのが好きだから、2カ月に1回は東京へ行って、クライアントと打ち合わせをしたり、食事に行ったりしています。新篠津から新千歳空港まで1時間10分とアクセスもいいので、そういう意味でもここはちょうどいいんです」と続けます。
一方、千恵さんは子育ての合間に、2階のアトリエで人工芝を用いたかわいいアクセサリー作りに励んでいます。このアクセサリー、動物などの形にカットされた土台に人工芝が貼られているもので、ブローチやキーホルダーになっています。これらの作品を持って、道内で行われるクラフトイベントに出店することもあるそうです。
「一番下の子(起源くん)が春から幼稚園に入園するので、アクセサリー作りに使える時間も増えるし、夫の仕事のサポートもできるかなと考えています」(千恵さん)
千恵さんは北海道に来て、北広島のエスコンフィールドで野球の試合を見て以来、すっかりファイターズファンに。ときどき試合も見に行くそう。さらに、現在は岩見沢のテニスチームに所属し、岩見沢代表で大会に出場も果たすなど、アクティブに過ごしています。
いいことばかりではないけれど、それでもトータルで考えて移住して良かった
ここまで話を伺っていると、いいことばかりのように聞こえますが、そうではないこともあるようです。
「吹雪いたら諦める、無理をしないと村の人たちから何度も言われましたが、冬の吹雪は本当に侮れないです。僕も札幌出身で、頭では分かっていたけれど、何度も失敗しています。移住1年目の冬、3日間吹雪が続いたとき、視界ゼロの中、車で外に出てしまい、雪山に突っ込んでしまいました。吹雪は永遠に続くわけじゃないから、無理をしないのが大事だと痛感。自然に逆らってはいけないと身をもって知りました」(玲さん)
北海道の冬は侮れない...。多い時だと腰以上の積雪になるんだとか。
このほか、1年目は光熱費と移動経費が想定以上にかかったそうで、「セントラルヒーティングだったので灯油代がめちゃくちゃかかりました。電気代も我孫子時代に比べると爆上がりで、車2台のガソリン代もすごくて...」と玲さん。
そこで、これから先のことも考えて2年目は対策を打ちました。「セントラルヒーティングのボイラーを交換し、次に屋根にソーラーパネルを設置。車の1台を中古の電気自動車に乗りかえ、ソーラーパネルの電気を電気自動車に送る機械も購入しました。概算になりますが、1年目に比べ40万円ほど削減できたかと」と玲さんは話します。ソーラーパネルなど初期投資も必要となりましたが、数年後を考えれば、決して無駄な買い物ではありません。これは参考になります。
「あと、もうひとつ。毎日が平和で穏やかすぎて、仕事のやる気スイッチが入りにくい(笑)。多少刺激がないと、モチベーション維持が難しいんだよね。これが今後の僕の課題かな」と玲さん。とはいえ、「子どもたちが楽しそうにしているのを見たら、やっぱり新篠津に来てよかったなと思います」と話します。
新篠津村での新生活は、地域の皆さんの温かい支えがあってこそ。季節毎のイベントやパーティーで笑顔が広がります。
東京や札幌の友人家族を招いて、夏に屋台パーティーを開いたとき、東京から来た子どもが「花火をはじめてした」と喜んでいたそう。その姿を見た玲さんは、ここで暮らしているからこそ子どもたちにいろいろな体験をさせることができ、たくさんの美しい景色を見せることができるのだと思ったそうです。
最後にこれからのことを尋ねると、千恵さんは「トータルで考えて、移住には満足しています。とにかく子どもたちがここでのびのび育ち、穏やかに暮らしていけたらと思っています」と語ってくれました。元気いっぱい、小野家の移住物語はこれからも続きます。
- ART OF DESIGN 3DCG & CONTENTS DESIGNCGパース & デザイナー 小野 玲さんアクセサリー作家 小野 千恵さん
- 住所
北海道石狩郡新篠津村
- 電話
090-4172-0911