昨年(令和5年)の11月に開催された新十津川町の「わいわい会議」。新十津川の豊かな自然とこれまで積み重ねられてきた文化、産業をつなぎ、地域にあるたくさんの宝物を次世代へ伝えていこうという思いで行われました。当日は、新十津川で活躍している4人が登壇し、それぞれが行っている事業や活動を話し、そのあとは参加者も交えて、「持続可能な社会づくりに向けて、地域の資源を生かすには?」というテーマで話し合いました。これまで、その登壇者のうち3人の方はくらしごとでもご紹介してきました(五十嵐威暢美術館かぜのび館長の大畠ひとみさん、アウトドアブランド「WAVER KRAFT.」の吉原正樹さん、もみ殻を使ったエネルギー資源を作る村田和也さん)。今回紹介するのは、4人目の登壇者・松岡和樹さんです。
松岡さんは札幌にある株式会社地域環境計画北海道支社に生物多様性推進室 室長として勤務。今回は、新十津川との関係、会社で取り組んでいる仕事のことや仕事に就くきっかけ、今研究しているアオバトのことなどを札幌の事務所で伺いました。
自然環境の保全や自然を生かした地域づくり。新十津川の「ほある」のサポートも
まずは、松岡さんが勤めている地域環境計画という会社がどのような事業を行っている会社なのかを紹介しましょう。「ちいかん」とも呼ばれる同社は、動物や植物の専門家が揃っている自然環境を扱う自然環境コンサルタント。企業の環境保全活動などに必要な生態系の調査や自然環境の保全活動をはじめ、野生生物の保護管理・被害対策、このほか自然環境や生物に関する普及啓発活動なども行っています。
「20年以上前、自分が会社に入ったころは、開発に伴う環境アセスメント(環境影響評価)が主流でしたが、最近は時代の流れとともに生物多様性への対応を主軸にした自然環境の保全や自然資源を生かした地域づくりの仕事が増えています」
こちらが松岡和樹さんです
この数十年で社会貢献活動(CSR)に取り組む企業の数も随分と増えました。SDGsや生物多様性が重視されるようになり、松岡さんたちの会社にも自然環境や生物多様性に関する活動に取り組む企業、取り組みたいと考えている企業からの相談や依頼が増加傾向にあるそう。松岡さんが室長を務める生物多様性推進室は、環境省の事業などを担当するほか、企業が有する森や山の環境調査、その活用方法の提案、管理なども行っています。活用方法に関してはイベントを企画したり、教育現場へ出向き啓発活動を行ったりもするそう。
実は松岡さんと新十津川を結び付けたきっかけが、私たち北海道アルバイト情報社の社有林「ほある」でした。もともと紙を扱う媒体を発行している弊社は、森林資源との持続可能な関係を学ぶため、2013年から新十津川町に43.3haの社有林を所有しています。社員にも森のことを学んでもらいたいと考えていたとき、地域環境計画に社員向けの森のガイドやレクリエーションができないかと相談させてもらったのがはじまり。当初から「ほある」を担当してくれていたのが松岡さんでした。
「森と言ってもすべての森が同じではないので、まずはその森がどんな森かを知るために森の生き物のインベントリー調査をさせてもらいました。天然記念物のクマゲラもいるし、ちょうどいいサイズの川もあるし、クマも少ないし、いろいろ遊べそうだなと思いました。それで、ここの森の良さを社員の皆さんに伝えていきましょうということで、最初に森を知るためのゲームやバーベキューなどを一緒にやりましたね」
実際の川遊びイベントの様子
それ以降、社員だけでなく地域の人たちにも「ほある」のことを知ってもらおうと、新十津川の町民の人たちにも参加してもらえるイベントを企画したり、北海道教育大学岩見沢校の学生さんたちにサバイバルキャンプの場所として提供したり、森のフォトコンテストを行うなど、少しずつ森の関係人口を増やしていきました。そして、松岡さんは定期的に新十津川町へ足を運んでいるうちに町の人たちとも親交を深めていきます。
「新十津川にはいろいろ面白い活動をされている方がたくさんいて、僕自身も楽しく関わらせていただいています。僕は町民ではありませんが、『わいわい会議』にも登壇させていただいて、新十津川の自然の魅力についていくらかお伝えできたかなと...。『ほある』に関しては、この10年を振り返って、森で暮らす生き物を知ることからはじめ、この森と共生する地域作りを目指すという大枠は見えてきたのかなと思います。あとはこれをいかに実行し、継続していくか、守り育てていくかが大事になってくるかなと思います」
こうした調査結果をまとめるのも松岡さんの仕事の一つ
地域の人、企業、自治体を結び付け、みんなで地域の自然を守り、育てていく
松岡さんは新十津川町だけではなく、全道各地を飛び回り、企業の社有林などの調査や管理などを行っています。たとえば、苫小牧市にある出光興産株式会社の北海道製油所。この構内緑地の生物多様性の保全活動にも松岡さんたちが関わっています。ここは、企業などの緑地化やその取り組みを評価する「SEGES(シージェス)」という認定制度の最上位ステージ認定ラベル「Superlative Stage」を北海道で初めて獲得した場所だそう。ほかにも環境省の「自然共生サイト」にも認定されています。こうした認定に必要な調査はもちろん、書類作成などのサポートにも松岡さんたちが携わります。また、地域の人たちを対象にした植樹や体験型の環境学習会などのイベントも実施。さらに製油所が立地する苫小牧市の「苫小牧市生物多様性地域戦略策定業務」や原生由来のハスカップを保存する活動の「ハスカップバンク」などにも携わり、まさしくみんなで苫小牧市の自然を守り、育てていくことに努めています。
「民間が努力して取り組んできた生物多様性の保全活動を見て、自治体が動き出すこともあります。このように枠を取り払い、地域の人、企業、自治体が連携し、自然と人が共生できる地域づくりを後押しするのも自分たちの仕事なんです。新十津川町もゆくゆくは地域の人、企業、自治体がひとつになって自然資産をみんなで守り育てていけるようになればいいですね」
松岡さんの話を伺っていると、仕事内容が調査やその報告だけでなく、多岐に渡るというのがよく分かります。「森に入ってもちろん調査もしますが、持続可能な森づくりなどのために何が必要かを企業や行政に提案したり、地域の人たちや子どもたちに自然について楽しく学んでもらうためさまざまなイベントを企画したり、そのための準備も含め、結構仕事内容はいろいろあるんですよ。いつも森にいるわけではなく、デスクワークの日もありますしね。でも、変化があって楽しいですよ」と笑います。
農業に進む予定が野生動物の研究に変更。そして現在は野鳥調査の専門家に
さて、ここで松岡さんが地域環境計画に入社したきっかけなど、これまでの歩みを伺うことにしましょう。
松岡さんは、生まれたのは岡山ですが、父親が転勤族だったこともあり、全国各地を転々としていたそう。小学生から大学生までは関東エリアで過ごし、就職を機に北海道へ。
「中学生のとき、ちょうど自転車で東京農業大学の横を通ったら、なんだかすごく懐かしい匂いがしたんです。そこから農業に興味を持ち始めて、東農大の付属高校へ進学し、大学もそのまま東農大へ。畜産学科に入ったんですが、1、2年のころはダラダラしていて、もう畜産をやりたくなくなってしまって(笑)」
ゼミを決める際、畜産以外のゼミを探していると野生動物の研究室があると知ります。見学に行くと、そこで野生動物の調査をしている先輩たちが少年のように目を輝かせている姿を目の当たりにします。「先輩たちは動物を見つけるために山に何日もこもったりしていたんですけど、それが本当に楽しそうで。自分も子どものころ、虫や鳥を探すのがとても好きだったことを思い出して...。なんか面白そうって思って就職のことなど一切考えないでその研究室を選んでしまいました」と松岡さん。
松岡さんは、自身の研究対象を「ムササビ」と決め、東京都青梅市にある御岳山に籠って調査していたそう。「すごく楽しくて、もし就職できなかったら研究室に残りたいと思っていた」ということですが、ダメ元で受けた地域環境計画から内定が出ます。
地域環境計画に入社し、勤務地は北海道に。「父方の祖父母が登別なので、何度か北海道に遊びに来たことはありましたが、暮らすのは初めてでした」と話します。
会社ではそれぞれが調査する動物や植物が決められます。松岡さんは鳥が専門。「僕は上司が鳥専門だったこともあり、3年ほどその上司について鳥についてイチから学ばせてもらいました」と話します。
入社した頃に多かった環境アセスメントの調査はひとつの調査に対して数名のチームで動くのが基本。社員のほか、フリーランスで調査の仕事をしている人たちにも加わってもらうそうで、「先輩たちや外注先の皆さんにも北海道の自然の知識、鳥の知識などを随分と教えてもらいました」と振り返ります。
調査の依頼が入ると、計画を立て、準備をし、それから調査へ。そしてその結果をまとめてレポートを出すところまでが仕事です。同時進行で動く案件やスケジュールが重なるものも多々あり、それらの調整も松岡さんたちが行います。「猛禽類の調査の仕事ってとても多いんですよ。だからスケジュール調整が結構大変で。でも、パズルみたいなものだから、ピタッとはまるとうれしい」と笑います。
株式会社地域環境計画の本社は東京都世田谷区にあります
1年のうち、半分近くは調査のための出張に出ているという松岡さん。調査で山や森に入る際に心がけているのは、「何かあっても落ち着くこと、臨機応変に対応すること」と話す松岡さん。「森に入ったら、安全という保障はどこにもない。街の中にいるときと違って命に関わる危険がたくさんあるので、自分の命は自分で守るつもりで森に入っています。野生動物を相手にしていると余計にそれは感じます」と続けます。
林道の粘土状のぬかるみにタイヤがはまって抜け出せなかったり、実際にクマに遭遇したりなど、これまで何度か怖い経験をしたこともあるそう。「森の中にクマがいるのは当たり前と思って行動します。糞を見つけたらそれが新しいものかどうかなど、現場の状況判断を自分でしていかなければなりません。この辺は経験を積んで学んでいった感じですね」と話しますが、実はクマより怖いのは気付かずに巣に接近してしまった時のスズメバチだとも言います。
世界初、アオバトの子育ての様子を映像に。アオバトの調査研究に取り組む
これからのことについて伺うと、「僕、大きな野望があるんですよ」とニコニコ顔の松岡さん。「シマエナガ人気をアオバトに変えたいんです!」。なぜ、アオバト??
実は松岡さん、苫小牧にある出光興産北海道製油所が林野庁の「法人の森林」制度を利用して保有する森で、2021年に世界でも非常に珍しいアオバトの子育ての様子を映像に収めることに成功。あまり知られていないアオバトの繁殖や子育てについて観察を続けています。
アオバトとは、緑色をした美しいハト。頭から胸のあたりが明るい黄緑色をしており、全長は約30センチ。私たちがよく見るハトより少し小ぶりに見えます。日本では北海道から九州まで生息していると言われます。主食となる木の実だけでは足りないミネラルを補給するため、海岸で海水を飲むなどの行動特性を持ちます。
北海道の自然を伝える写真雑誌 faura(ファウラ)に掲載された松岡さんの記事です
「アオバトは卵を1度に2個しか産まないんです。そして、産まれた2羽の雛は巣の中で親鳥のピジョンミルクなどを飲んで育つんですけど、ピジョンミルクというのはアオバトが食べたものを貯蔵する『そのう』という消化管の一部から分泌される栄養価の高いもので、これを雛が親鳥の口の中にくちばしを突っ込んで飲むんです。ピジョンミルクはオスもメスも分泌されるので、アオバトはオスとメスが交代で巣を守り、雛を育てます」
誕生から2週間ほどで雛は巣立ちをしますが、そのあとも子育ては続きます。まだエサを自分でとれないため、枝の上でも相変わらずピジョンミルクももらいます。
「雛たちは親鳥から給餌を受ける時に親鳥の両側に1羽ずつ寄り添い、給餌が終わると親鳥は両翼でその雛たちを包み込むんです。親の愛情が伝わってくるなんともいえないかわいいポーズで、これは日本の他のハトには見られない特徴です。僕はこの子育ての姿をたくさんの人に知ってほしいと思っています」
松岡さんが撮影したアオバトの親子
現在、アオバトが両翼で雛を包み込んでいる姿をぬいぐるみ化できないかと検討中なのだそう。アオバトの子育ての姿をシマエナガ並みにたくさんの人に知ってもらいたいというのが松岡さんの野望というわけです。
もちろん研究者としてアオバトの観察は続けており、日本鳥学会で口頭発表を行ったり、博物館などから依頼されて講演会を行ったりもしています。全国に生息しているアオバトですが、子育ての様子をこんなに身近な場所で観察できるのは恐らく北海道くらいだと松岡さん。まだ知られていないアオバトの繁殖生態についてこれからも新しい発見を期待したいですね。
まる環ゼミチャンネル/アオバトの子育て
実際に松岡さんが撮影されたアオバトの子育ての様子です。
- 株式会社地域環境計画 北海道支社 松岡和樹さん
- 住所
北海道札幌市北区北17条西1丁目1-3 末永ビル
- 電話
011-717-8001
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