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当麻町

コンセプトは「木と社会をつなぐ」。森を知っている木工家20240703

コンセプトは「木と社会をつなぐ」。森を知っている木工家

風薫るという言葉がぴったりな季節、農業と林業が盛んな北海道当麻町を訪れると、辺りの田んぼはちょうど田植えが終わったばかり。水を張った田んぼの表面は太陽の光できらめき、辺りの山の木々は新緑が芽吹き、車窓から見えるこれらの景色に心が洗われるようです。今回取材させていただくのは、同町で「木と社会をつなぐ」活動をしている「合同会社フィールドギフト」の原弘治さん。活動拠点の一つでもある「くるみなの木遊館」におじゃまし、これまでの歩みやこれからのことなどを伺ったほか、自身が所有する山にも案内してもらいました。

FIELDGIFT_26.jpgこちらが今回お話を伺う原弘治さん。

いろいろな出会いと経験からたどり着いた「森と木と人をつなぐ」役割

町の面積の65%が山林の当麻町。基幹産業の一つが林業です。「くるみなの木遊館」は、当麻町産の木材を活用した木育拠点。子どものうちから木を身近に感じてもらうため、木製遊具がたくさん用意されています。町の子どもたちはもちろん、観光で訪れた人も利用が可能です(町民は無料、町外からは有料)。「くるみなの木遊館」には、木材加工施設が併設されており、ここではガラス越しに作業の様子が見えるほか、木工教室などのワークショップも定期的に行われています。

合同会社フィールドギフトの原弘治さんは、この「くるみなの木遊館」に依頼のあった木工品の製作や加工施設の機械の管理、ここで行われる木工教室をはじめとする木育イベントの企画運営などを受託しています。

その活動はそれだけにとどまらず、別の場所にある自身の工房でオリジナルの木工製品も製作し、自身が保有する山林の整備や管理も行います。ときに依頼があれば、ほかの山林整備に行くことも。さらに、学校などで「木」にまつわるあらゆる講座の講師も務め、木育マイスターとしても活躍。淡々と話されるので、最初は気付きませんでしたが、よくよく考えるとその活動範囲の広さに驚きます。

「木の世界では、木材を生産する林業を川上と呼び、それを使って木工品などを作る業者を川下と呼びます。これまではそれぞれが分断されていましたが、自分は『いろいろ』なきっかけがあって、川上から川下まで関わるようになりました。その中で、森と木と人、すべてがつながることが大事だと考えるように。それをつなげるのが自分の役割だと思っています」

さて、原さんがここに至るまでの「いろいろ」を伺っていくことにしましょう。

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自然の中で遊ぶのが好きだった幼少期、ものづくりに興味があった10代

仙台生まれ、札幌育ちの原さん。実家の近くには自然林を有する約7ヘクタールの公園があり、いつもそこで遊んでいたそう。自然の中で外遊びをたっぷりさせてくれる幼稚園に通っていたこともあり、「こうした原体験が今につながっているのかもしれませんね」と笑います。

原さんが生まれて初めて「木工」を意識した出来事は小学校4年生のとき。テレビで見たバードカービングをやってみたいと思い、「父親に角材を買ってほしいとねだったのが最初かな」と振り返ります。ブロック遊びや粘土遊びも好きで、「ものづくりに対してはもともと関心が高かったかも」と話します。

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高校生のとき、先生の紹介で参加したボランティア活動をきっかけに、福祉分野にも関心の目が向き、「福祉環境住コーディネーター」という資格があると知ります。

「ものづくりやインテリアも好きだったから、福祉と住環境という自分の関心が一つになったこの資格に興味を持つようになりました」

いろいろ調べ、当時札幌にできたばかりの専門学校のインテリアデザイン科でその資格が取得できると分かります。そこに進学し、2年間インテリアデザインについて学ぶうちに、「今度は、デザインしたものを自分で作れるようになりたいと思って...」と原さん。専門学校の先生に相談すると、家具の町・旭川市の高等技術専門学院を紹介されます。

「その先生が、木のことを尋ねると何でも答えてくれる方で、その先生のようにもっと木のことも知りたいという憧れに近い気持ちもありましたね」

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技能五輪で金メダルを獲得。技術力に磨きをかけていた時期

専門学校を卒業後、同学院の造形デザイン科に進み、デザインと木製品の製作の両方をここで学びます。在学中に技能五輪全国大会に出場し、家具の部門で金メダルを獲得。

「大会に出場できるのが23歳以下なので、自分はあとがなかったんです(笑)。高校を出てすぐに専門学院に来ている子はまだ余裕がありますけど、自分はそのときで22歳だったので必死でした」

同学院を卒業後、札幌へ帰ることも考えましたが、旭川で特注家具を作る会社に就職します。高い技術力を持つ原さんは、入社から半年で特注の仏壇製作をひと通り任されるようになります。

「でも、来る日も来る日も同じ仏壇を作ることに抵抗を感じて...。もっといろいろなものを作って早く成長したいという気持ちがその頃は強くて、約1年半でその会社を退職しました。若かったんですね。今思えば、あのときの1年半は、製造の精度を上げる、効率よく作るなど、同じものを作り続けるからこそ得られたものがたくさんあった貴重な時間だったと思います」

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独立するものの、理想としていた働き方ではないことに迷いが...

木工家として独立したいと考えていた原さんは、その後、資金をためるため、業界内でも厳しいと評判の会社に転職します。独立も視野に入れていることをあらかじめ伝えていたところ、1年半経ったころ、「早いほうがいいんじゃない?」と社長から背中を押されるような形で個人事業主として独立することになります。

「旭川の豊岡に60坪の倉庫を借りて、社長に教えてもらった融資制度を活用して融資も受け、木工に必要な機械も入れて独立。Bacana(バッカーナ)という屋号でスタートしました」

FIELDGIFT_1.jpgこれまでのことを思い出しながら、その時の心情も丁寧にお話してくださる原さん。

Bacanaとは、ポルトガル語で「ステキ」「素晴らしい」と言った意味。また、原さんが好きなイタリアの家具ブランド「カッシーナ」と、フランスのクリスタルブランド「バカラ」を組み合わせてもいるそう。さらに、「周りに独立なんてまだ早すぎると言う人もいて、『えー、そんなバカな』のバカナもかけています」と笑います。こういう言葉遊び的なものが好きなのだそう。

独立後は、図面をもらって製造する注文家具や什器の製造の仕事がほとんど。BtoBが多く、「木工家としてオリジナルのものを作ったりしたかったのに、あれ?ちょっと違う...という部分はありましたが、少しでも融資を受けた分を返さなきゃと思って仕事をしていました」と話します。

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独立してから3、4年経ったころ、旭川の高等技術専門学院の先輩であり、原さんと同じく在学中に技能五輪で金メダルを獲得していた木村亮三さんが会社を辞めると耳にします。

「先輩が工場を訪ねてくれて、いろいろ話をしていたら、独立して家具を続けたいという気持ちを感じ、よかったら自分のところの工場の機械を使いませんかと声をかけました」

その頃、原さんの工場には13台近くの家具製造に必要な機械がそろっていました。いつも1人ですべての機械を使うわけではないため、木村さんに家賃と機械の使用料を折半する形を提案。それなら独立できそうだということで、木村さんとの工場シェアをスタートさせます。

「先輩も自分も仕事が増えていって、若い人を育てようと思うもののなかなかうまくいかなくて...。さらに1人でやっていると、製造も事務も営業もいろいろなことを1人でやらなければならず、このままでいいのかなという感じがありました」

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先輩と会社を大きくするものの、再び自由に使える作業場が欲しいと物件探し

原さんはBacanaの看板をおろし、すでにオリジナル家具を作っていた木村さんの「gauzy calm works(ガージーカームワークス)」と一緒になることを決めます。

「自分はずっと受け身で仕事をしてきたけれど、先輩はオリジナルも手掛けていて...。だったらそのオリジナル家具を伸ばしていったほうがいいんじゃないかと考え、自分が工場長をやり、先輩が営業に回り、オリジナル家具を販売していく形を取ることにしました」

作ることに専念するようになり、「役割分担って大事なんだと実感した」と原さん。木村さんと一緒にやるようになり、3年ほどで会社は一気に大きくなります。

「展示会への出品のために、自分のデザインを取り入れた家具作りもさせてもらえるなど、やりたいこともできるようになりました」

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しかし、その一方で、休みの日に使える自分の自由な作業場が欲しいという思いも沸きはじめ、農家の納屋など作業場として使える場所を探すように。「どこかで木工家の夢を諦めきれない部分があったのかもしれません」と話します。

当時付き合っていた彼女(今の奥さま)のお父さんが元JA職員で、地元の農家に知り合いが多く、物件探しに力を貸してくれます。ある時、当麻町の農家の物件を紹介されます。

「そのころ、とにかく作業できる納屋があればと思っていました。でも、実際に見に行くと、家はあるけど、納屋は隣の農家さんに売ってしまっていて...」

FIELDGIFT_29.jpgこちらは「くるみなの木遊館」内の作業場です。

自分の山を手に入れ、森について学ぶ中、退職して当麻町の地域おこし協力隊に

納屋が使えないのなら購入を断ろうと思ったところ、売主であるおばあさんが「山いらんか?」とひと言。家の裏にある2ヘクタールほどの山も一緒に購入しないかという提案に、原さんは心が動き、山と家を購入することにします。

「週末になると、旭川から当麻に通いました。山に入りはじめたら、山が楽しくて。当時は山のことはそれほど詳しくなかったのですが、あとからその山は冬もアクセスできる道があり、水も電気もあって、すごくいい条件がそろっていたと分かりました」

山に入るようになると、森のことをもっと知りたいと思うようになります。林業の方のところへ通って話を聞いたり、フリーの木こりである清水省吾さんにチェーンソーの使い方を教えてもらったり...。森のことを知れば知るほど、森の大切さを実感するようになります。

FIELDGIFT_24.jpgこちらが原さんが所有する山のほんの一部。ツリーハウスも制作中とのこと。

「これまで素材としての木は知っていたけれど、その木がどこでどんな風に育ったものか考えたこともありませんでした。板になっている木材の樹種は、ほぼ分かる自信があるけど、その頃は森で立っている木を見ても何の木か分からなかったんです。木を伐採して使うことは場合によって森を壊していることにもつながるんだと思ったら、森を知らないのに『木の家具っていいでしょ』と言っている自分がダサいなって思って(笑)。まずは森の木について学ぼうと思いました」

退職を決め、1年かけてパートとして工場長の仕事を引き継ぎます。再び独立も考えましたが、当麻町で「くるみなの木遊館」の運営スタッフとして地域おこし協力隊の募集があり、それに応募。無事、採用が決定し、当麻町へ住まいも移します。

原さんは、3年の任期の間に、木や森、自然環境について学び、木育マイスターやグリーンセイバーの資格を取得。「くるみなの木遊館」の運営サポートを1年、残りの2年は活動範囲を町内全域に広げることになり、旭川大学(現在は旭川市立大学)の学生と一緒に林業の6次産業化をテーマにしたプロジェクトを実施します。地域の山(フリーの木こり 清水省吾さんが所有する旭川市内の山林)で木を伐るところからはじめ、最後は図書館に設置するディスプレーの製作までを行いました。川上から川下までを一貫して体験するという内容です。翌年は北海道の暮らしのそばにある白樺を使うことにし、同じように木を伐り出し、大学の学校祭のカフェで使う什器を作りました。白樺を用いたこれは、その後、一般社団法人白樺プロジェクトという形に発展していったそう。(この白樺プロジェクトは、過去にくらしごとでも取材をさせていただきました)

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協力隊の任期を終え、現在は「FIELDGIFT」で多岐に渡る活動を展開

地域おこし協力隊の任期を終えた原さんは、2020年に「合同会社フィールドギフト」を当麻町で立ち上げます。社名について、「苗字の原は英語でフィールド。山や森のフィールドもかけています。そして、ギフトは贈り物や才能という意味。自分の才能を使って、自分の活動範囲、手の届く範囲で生み出したものをお届けしたいという想いを込めています」と説明。手の届く範囲というのは、「切り株の分からない木を使って製品を作るのがイヤになったため」と原さん。山でどのように育った木か、材料の板になる前のことがきちんと分かっているものを使いたいという強い気持ちの表れです。

Bacanaとして独立したときと異なり、FIELDGIFTの活動内容は冒頭で述べた通り、木や森と人・社会をつなぐもので多岐に渡ります。

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お話を伺った「くるみなの木遊館」でちょうど原さんが作っていたのは、地域の森の木で作ったファーストトイをそれぞれの自治体で赤ちゃんに配る「森の輪(もりのわっこ)プロジェクト」のおもちゃ。地元で加工できる木工会社や職人がいない場合、ここで原さんが製造するそう。原さんは、2024年に法人化した「一般社団法人森の輪」の理事も務めています。
また、北海道の落葉広葉樹の苗木をオフィスで育て、北海道の山に植樹するプロジェクト「MODRINAE HOKKAIDO(戻り苗 北海道)」で使うラックも、当麻町の木を使って原さんが手がけています。ほかは公共の仕事が多く、学校の机を地元の木で作ってほしいという依頼なども寄せられているそう。

さらに旭川の高校や道立の北の森づくり専門学院(北森カレッジ)で講師活動も行い、川上から川下まで知っている原さんだからこそ話せることを伝えています。森に関する冊子の執筆や監修を行うこともあるそう。もちろん、山や森の活動も積極的に取り組み、木こりの清水さんらと任意団体「上蝦夷自伐ソサエティ」を立ち上げ、山の手入れなども行っています。「なので、作家活動はほとんどできていません」と苦笑。

人生の軸は木。森の木のように根を張り、活動の枝葉を伸ばしていきたい

せっかくなので、原さんの山を少し案内してもらうことに。「くるみなの木遊館」から車で10分ほど移動したところに、古い家屋とその奥に山がありました。現在、家屋は山から伐り出した木などの材料置き場にしているとのこと。

山に入る手前で、細い木の枝をカットし、「これは柳。今の時期、こうやるだけで皮がスルッとむけて、白い木肌が現れるんですよ」と取材陣に見せてくれる原さん。カットしたものは、木工体験の材料に使う予定だそう。

FIELDGIFT_28.jpg気持ち良いくらいスーッと皮がむけました。

山の中には、森好きな仲間と原さんがコツコツ作っているという製作途中のツリーハウスやブランコ、焚き火場がありました。ここに地域の子どもたちを集めて、遊ぶ機会を設けることもあるそう。

「考えてみたら、自分の人生はいつも木と一緒だったなと思います。人との出会いも含めて、いつも木に呼ばれているような気がします。これからも森のこと、木工のことに取り組みながら、『木』の良さを本質的な部分から伝え、木と社会をつないでいきたいです。自分は、木が人生の軸になっているので、森の木のようにしっかりと根を張り、活動の枝葉を伸ばしていきたいですね」

森の中で、木の話をしている原さんはイキイキしていてとても楽しそう。忙しいと言いながらも、充実している感じが印象的でした。

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合同会社フィールドギフト
住所

北海道上川郡当麻町中央6区-1

電話

080-3454-2999

URL

https://fieldgift.co.jp/

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コンセプトは「木と社会をつなぐ」。森を知っている木工家

この記事は2024年5月31日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。