北海道のヒト・コト・モノが大好物のくらしごとですが、今回の物語は遠く離れた瀬戸内海に浮かぶ「北木島」からスタート。なぜならこの島の風景や地勢が、本日の主役である伊達市のアウトドアガイド、Sotoasobu(ソトアソブ)代表の江川理恵さんと深いつながりがあるからです。
生まれた時から外遊びが大好きだった幼少期
Sotoasobu(ソトアソブ)代表の江川理恵さん
岡山県の北木(きたぎ)島は本州本島からフェリーで約1時間の場所にある、笠岡諸島ではもっとも大きい島。2019年に日本遺産「知ってる!?悠久の時が流れる石の島~海を越え、日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」の構成文化財のひとつとしても登録されている「石のまち」です。近年ではお笑いコンビ・千鳥の大悟さんの出身地としても知られるようになりました。
この島で採れる良質な花崗岩は「北木石」と呼ばれ、海外からも注目されており、まちは古くから石材で栄えてきました。大阪城の石垣や、日銀本店、靖国神社の大鳥居など、日本各地の有名な建築物に北木石が使われています。
商社マンとして、真珠養殖場の場長の仕事に就いていたご両親のもとに生まれた江川さんが、この島で育ったのはわずかに2年間。2歳までだったと言います。シャコやママカリなどの海の幸をおやつのように食べながら、真珠の養殖場のいかだを跳ね回って遊んでいたのだとか。
現在アウトドアガイドとして「外」が仕事場の江川さんですが、当時から外で遊ぶのは大好きでした。
ご両親の仕事の都合で引っ越しが多かった幼少期。千葉や神奈川・栃木など、これまでに10回以上の移住を繰り返し現在に至ります。どのまちに行っても遊び場といえば外!「紙の橋でも叩かず渡る陸型マグロ(動いてないと死ぬ)」を自認する江川さんのフットワークの軽さは、もしかしたらこの時に培われたのかもしれません。
「もうほんとに一人でどこへでも行っちゃうから。家族に毎日『帰りが遅い』って怒られてました。自分でもどこに行くのかわからないんですよね。歩き出したらどこまでも行きたくなって、どこを歩いてきたのかは全然わからない。でも帰巣本能みたいなものはあって、ちゃんと家には帰れるという...。なんか犬みたいですね」
自転車を買ってもらってからは、虫や植物の図鑑を持って外遊びに行っては、日が暮れるまで帰ってこない子どもに成長します。時折日が暮れるまでに帰るという約束に間に合わないこともあり、そういう時は容赦なくお母さんに締め出された思い出も残っているそうです。やんちゃ!
「今なら絶対ありえないと思うんですが、当時はリスク管理とかそんなに言われない時代だったので、子ども会の行事で近所のお花屋さんやお肉屋さんのお姉ちゃんやお兄ちゃんとたちをリーダーに、山やキャンプに連れて行ってもらいました。ゲームやスマホが無かった時代。子供たちは外遊びの中で、自然に、安全と危険のボーダーラインを理解していたんですよね」
北海道上陸、苦悩、そしてインストラクターへ
神奈川では小学校の事務として勤めていた江川さん。当時は今と違い、子供と同じ期間の休みがあったそうで、夏休みだと約40日あったのだとか。
公務員のためアルバイトは禁止なので、ユースホステルのヘルパーとして住み込みで入り、自由時間を利用しては近所の山に登ったりスキーをしたり、旅人との交流を楽しんだり、そ、それはそれは楽しそうなサマーバケーションを、過ごしていたのだ、そうです...!青春がまぶしすぎる!
そうこうしながら陸型マグロは徐々に北上し、ついに北海道に上陸。1986年3月のことでした。
意外なことに、北海道でもまず始めたお仕事は事務職だったそうです。お子さんが小さかったことと、与えられた仕事は一生懸命取り組む持ち前の真面目な性格が奏功(?)し、ここから約13年間事務の仕事を続けてきました。もちろんその間も、仕事の後にはテニスを楽しんだり、外で遊ぶことは忘れませんでした。
お話を聞いていると常にやわらかで前向きなエネルギーに満ちている江川さん。それでも人生は紆余曲折。時には何を見ても心が動かない、塞ぎこんでしまう時期もありました。
そして、そんな暗黒時代から救ってくれたのも、やはり自然でした。
噴火湾に突き出たアルトリ岬から遠くに羊蹄山を望む
光明の兆しは、お子さんがやっていたスキーのレース。送り迎えをしていた江川さんにスキーの指導者をしていた方が声をかけました。
「お母さん、そんなとこに立ってないで一緒に楽しめ!」
塞ぎこんでいるうちに、いつの間にか「母として」「子供のため」になっていた外遊びを、自分ももう一度やってみようと切り替えた江川さんは、徐々に本来の自分を取り戻していきました。
スキーを再開すると仲間ができ、その仲間が自転車をやっていたので「オホーツクサイクリング」にも5年連続でチャレンジ。雄武町から斜里町までの212㎞、強烈な向かい風の吹くシーサイドを疾走したのだとか。
そんな江川さんは、このあとスキーインストラクターになるのですが、なんでものっぴきならない事情があったのだとか。
駄菓子カフェとSotoasobu、二足の草鞋を履きこなせ!
ある日、江川さんはお母さんに尋ねました。そういえば駄菓子屋さんやりたいって昔から言っていたけど、今もやりたい?と。
「やりたい」と、お母さんは答えました。
お母さんは当時69歳。年齢的にも今ならやれると考えた江川さんは、それなら一緒に始めてみようと提案します。お母さんはもちろん喜んでOK。準備が始まりました。せっかくなら駄菓子を売るだけでなく、みんなが集まれるカフェ機能も加えようと計画し、自宅兼店舗として始めたのが「駄菓子カフェ れん」。
オープンにあたり借金はせずに貯金でやると決め、見積もりをもらうと目が飛び出るような金額。見積書のチェックを細かく行い、照明器具や厨房器具は自分で発注して費用を圧縮し、ようやくお店の完成が見えたところで今度は運転資金がないことに気づきました。
こりゃいかんということで始めたのが、出稼ぎで始めたスキーのインストラクターだったのです。
「スキーはある程度滑ることが出来ましたが教えた経験は無く、本当に不安でした。不安というか申し訳ない気持ちというか...。スキーは本州に住んでいたころから好きだったんですが、なかなかうまくならなかったんです。その頃に出会ったのが今の夫で、ニセコのとあるスキー学校の校長なんですよ。その夫に『感覚でやってるからだ』と言われてからは、道具の使い方から苦手な理論まで、まじめに勉強しました」
インストラクターとしての腕を磨き、実力をつけていった江川さん。最初にお世話になったルスツのスキー場では、修学旅行生にスキーを教えていました。それが冬の間中びっしりと入るので仕事は泊まり込みです。
「初めてスキーをする生徒さんたちも多いので、私はずっと山側を見ながら後ろ向きに滑って様子を見ながら教えてました。最終日にようやく前を向いて滑れたような気がします。生徒さんたちは分単位で上達していくので、それを間近で見られるのは幸せな仕事でしたね」
こうして冬は山で稼ぎ、夏は「れん」で働く生活がしばらく続きました。
10年が経ち、お母さんが高齢になってくると、冬場にひとりお店に置いて泊まり込みの仕事に行くことにためらいを覚えるようになりました。また、当時夏場のガイドを依頼されることも増えてきていた頃で、カフェ営業を夜だけにしてみたり、旦那さんにも手伝ってもらったりと、色々な運営の方法を模索していました。
スキーのインストラクターは洞爺のウインザーホテルに場所を変えたことで、泊まり込みではなく通いでの勤務が可能になり、2018年に江川さんはSotoasobuを立ち上げ、代表としてアウトドアガイド・インストラクターの活動を始めます。
ガイド事業に集中!高まる実力と広がるつながり
Sotoasobuを立ち上げた翌2019年、長年連れ添ったお母さんが倒れます。戸惑う時間もなく、江川さんが「れん」とガイドの両方をやることになり、さらに新型コロナウイルスが追い打ちをかけてきました。
「れん」のカフェ部門はコーヒーのみに縮小し、駄菓子部門は注文販売や時間限定オープンで営業するなど試行錯誤を繰り返しました。それでも集まってくれる子供たちもいましたが、江川さん自身の体力もとうに限界を迎えていました。
「このままだと、ガイドとしても『れん』としても、中途半端なものにしかならないと思いました。本当に苦渋の決断でしたが、『れん』をお休みすることにしました」
こうして「駄菓子カフェ れん」は現在、無期限の休業に入っています。閉店ではないそうなので、いつの日か復活することもあるかもしれません!
さて、やることをSotoasobuの事業一本に絞った、アウトドアガイドとしての江川さんの活躍は、ここから加速していきます。ガイドやフィールドについて学び、資格もたくさんとりました。
・北海道知事認定アウトドア優良ガイド 自然ガイド
・WAFAアドバンスレベル
・Leave No Trace インストラクター
・旅程管理主任者
・洞爺湖有珠火山マイスター
などなど、他にも旅行業に関する資格や環境関連の資格など、幅広い知識と技術を吸収してきました。また資格取得だけでなく、その過程で出会った人たちとのつながりが、江川さんを大きく前進させてくれたそうです。
毎年秋に日高で開催される「北海道アウトドアフォーラム」もそのひとつ。現役ガイドはもちろん、観光関連事業者や行政担当者、アウトドアギアの販売事業者など、全道のアウトドアに関連する面々が一堂に会し、ワークショップや座学・交流会を通じてつながる場として運営されています。はじめは参加者として加わっていた江川さんですが、すぐに実行委員として運営に加わり、ここでも多くの出会いが生まれました。
大地を知れば、もっと故郷が好きになる
江川さんの拠点は伊達市。「北の湘南」の異名と、豊富な野菜で有名なまちですが、率直に言ってアウトドアのイメージはあまり湧きません。北海道には知床やニセコなど、アウトドアの代名詞のような場所があるのに、どうしてこのエリアでガイドをしているのでしょうか?
「なんでこの場所ってこんな地形してるんだろうって考えたことありますか?」
え...
ないです...
道の駅あぷたの屋外テラスから噴火湾を望む
今日の取材場所は道の駅あぷたの屋外テラス。目の前に噴火湾、背中に有珠山を背負った小高い丘の上。なんでここが小高くなっているのか。
はい、まったくわかりません。
「私も全然考えたことがなかったんですが、それを考えるきっかけをくれたのが火山マイスターの勉強だったんです。元々有珠山は羊蹄山のような形をしていたと言われていましたが、8000年程前に海に向かって大きく崩れました。その崩れた場所がこの辺りなんです。その崩れた岩が海に流れ込むことで藻場ができて、藻場ができたことで噴火湾には豊富な海の生き物たちが暮らすようになったんです」
な!
なるほどすごい!
取材後一緒に訪れたアルトリ岬から眺めると、江川さんが言っていることが、大パノラマで実感できました。大地の力を目の当たりにするとともに、納得感がこみ上げます。
「『なんでこうなっているんだろう』とか『なんでここにあるんだろう』って考えるとすごく楽しくて。地形だけじゃなく虫や生き物だってそうなんです。こう考えると、場所なんて関係ないんです。ニセコならニセコの、知床なら知床の歴史と今がある。伊達野菜があるのは、温暖な気候と地形や地質、そして農業に関わる人の努力のおかげ。他のまちも温泉・農業・漁業・石材などの産業発展と人の暮らし、それと地形や地質は、密接に関わっているはずなんです。この辺りは洞爺湖有珠山ジオパークと呼ばれていますが、見方次第で世界中どこでもジオパークなんだと思います。」
江川さんにそう気づかせたのは、有珠山から見た伊達の景色でした。火山と海が創り出したその風景は、幼いころに走り回った北木島でみた原風景とそっくりだったそうです。
「全てのひとに故郷をもっと好きになってほしい」
大地と自然の営み、人の暮らし、そのつながりをお客様と共に考えるガイドという仕事は自分にとって天職!と言い切る江川さん。そんな江川さんが手掛けるプライベートツアーは、アドリブだらけなのだそう。
あるときアテンドしたファミリーとは、事前に入念なやり取りをし、ルートを決めていったそうですが、当日はお子さんが芋掘りにドはまりし動きません(笑)。こどもの感性を尊重しようと、その後の行程はキャンセルし、心行くまで芋掘りを楽しんでもらいました。
またあるときは、某地域の登山ガイドさんと豊浦やルスツ・室蘭の自然を歩くツアーを催行中、突然実は鉄道マニアだということが判明。伊達紋別駅にあった会社専用の鉄道を走っていた機関車を見に行ったり、旧室蘭駅舎にあるSLに乗ったりと、その場で行程を大きく変えて提案したところとても喜んでもらえたそうです。
「こういったガイドツアーをきっかけにして、大地とあらゆる命のつながりの面白さを知ってもらえたら嬉しいなと思います。そして、ここで知ったことや学んだことを、その人の住む場所に持ち帰ってもらって、その場所の魅力や面白さを見つけて欲しいって思うんです」
どんな町にも、その地形が現在に至るまでには長い歴史があって、そこに住む人の暮らしや産業の成り立ちに大きな影響を与えている。今住んでいる町も、少し見方を変えることで、今まで知らなかった魅力に気づくことができるかもしれない。江川さんが語るお話は、本当に目から鱗のお話でした。
ATWSと今後の展望
Sotoasobuの仕事を通してどんどん広がっていった人脈。その人脈が江川さんを押し上げ、今年2023年9月に北海道で開催されるATWS(アドベンチャー トラベル ワールド サミット)のエクスカーションツアー(体験型見学会)で、スポットガイドを担当することになりました。
「大げさかもしれないんですが、私としては日本の観光の将来の一端を任せてもらったという気持ちがあるんです。だから同時にすごくプレッシャーもあって、もうドキドキです。でもここで、北海道や広くは日本の良さを認めていただき、ガイドの必要性を認めていただくことで、私より若い世代のガイドさんたちに何か残すことができると信じています」
日本は他のアウトドア先進国に比べ、ガイドの社会的地位が高いとは言えないのが現状。江川さんはATWSをきっかけに、ガイドが本来持つ旅行の感動を倍増させる力をより多くの人に知ってもらい、これからを担う若いガイド達の道を拓きたいと思っています。
「そのためにもまずは、自分がしっかりガイド専門でやれている背中を見せなくてはならないと思います。もちろんまだ全然ですが...。提供できる価値とお客様から頂く対価についても、常に考え続けていきたいですね」
そうそう、江川さんはガイドと並行してライターとしても活躍しています。コロナ禍によりガイドの仕事が激減していた時、「ひたすらまちを歩いていた」という江川さんに声をかけたのは、胆振やニセコエリアの情報サイト「むしゃなび」。
元々文章を書くのは好きだったそうで、まちを歩いて気になる人を取材するというのは、本人曰く「まさに渡りに船」だったそう。これまでに取材した人数は75人以上。取材で出会ったたくさんの人とのつながりは、ガイドとしての提案力やアドリブ力にも活かされています。「ガイド」と「ライター」はお互いがお互いの経験値を高めあう相性抜群のお仕事だったのです。
さらに今年度は「伊達地域ガイド協会」も発足し、江川さんもメンバーとして活動を開始しているのでそちらもぜひ注目を。
江川さんの名刺には、ハートに乗った地球のイラストが描かれています。旅行者だけでなく地元・伊達市の皆さんにも体験してほしい、「いまよりもっと地球を好きになる」Sotoasobu代表・江川理恵さんのガイドツアー。自分の故郷を、もっともっと好きになるきっかけになるかも知れません。
- Sotoasobu 江川理恵さん
- 住所
北海道伊達市弄月町249-4
- 電話
090-3892-3695
- URL