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中川町

結婚と移住が夢の近道に。頼られ、感謝される町のクルマ屋さんに20230202

結婚と移住が夢の近道に。頼られ、感謝される町のクルマ屋さんに

幼稚園の頃からの「くるまやさんになる!」という夢を、人口1,300人ほどの中川町で叶えた男性がいます。道北を貫く天塩川のそばにある、「株式会社横山自動車」の有馬忠明さん。生まれは300km以上離れた太平洋側の苫小牧市で、2020年9月に家族3人で中川町にやってきました。忠明さんはIターン、奥さまの佳織さんはUターンです。

忠明さんは中学生の頃から「起業して自分の店を持ちたい」と夢を描き、白老町にある高校の自動車科に、続いて札幌の専門学校に進みました。2008年の世界的な金融危機で、自動車系の会社はかなり採用を絞りましたが、整備士として大手のディーラーに滑り込みました。

ただ、組織ではどうしても数字に追われ、上司からのプレッシャーにさらされます。有馬さんは車に触ることもお客さんと話すことも好きでしたが、「この組織で長くは働けないかも...」「誰かのための仕事がしたい」と感じていました。10年働きましたが、もっとじっくりお客さんや車に向き合いたいという思いが募りました。

arimasann16.JPGこちらが、有馬忠明さん
転機は、横山自動車の社長を父にもつ佳織さんとの出会いでした。ヒップホップが共通の趣味で、バーで開かれたイベントで知り合いました。お付き合いが深まるにつれて、佳織さんの実家が自動車整備業だと知った忠明さん。「『社長の紹介で知り合ったんでしょ?』とよく言われますけど、違うんですよ。今思えばそういう運命だったんだな、って」。驚きの引き寄せ力です。

2人は中川町の佳織さんの実家を挨拶で訪れ、社長たちと一緒に焼肉を囲みました。忠明さんが「人が必要なら、ディーラーを辞める気があるので声をかけてください」と、気持ちを伝えたとこえろ、次に会った時には社長からは「いつ来んのよ?」との言葉が。社長はさぞかし嬉しかったことでしょう。

ディーラー勤務で一通り資格を手にしていた忠明さんでしたが、横山自動車への転職を考えて、入念に準備を整えました。整備や車検でショベルカーが持ち込まれるので大型特殊免許を、バスを扱うため大型二種免許を、それぞれ取得。ディーラーでは扱ったことのない大型車両の仕事も不安なくできるように準備し「間違いない、なんでも乗れる万全の状態」で、長く住んだ北海道中部の砂川市から、意気揚々と新天地に飛び込みました。

arimasann6.JPG社長であり義父の秀信さんと

やめられちゃ困る! 町民のライフライン

新しい職場は、車好きにとってワクワクの連続でした。今まで触ったこともない大型車両が続々と入庫し、先輩の整備士に教わりながら経験値を上げていく日々です。社長に至っては、相談すると現物を見るまでもなく、必要な作業と部品を言い当てるほどの凄腕メカニック。ディーラー時代とは違った形で、先輩たちの知識や経験に舌を巻く日々です。

救急車や消防車も、間近で見る機会はそうそうありません。忠明さんは「すごい!」と興奮しながらも、『この車で誰かを助けるんだ』『搬送や出動する道中に何かあったら...』。そう考えると、責任ある仕事だなとあらためて思いましたね」と当時の気持ちを振り返りました。

中川町には自動車を整備する企業が2つありますが、車検に対応できるのは横山自動車のみ。救急車や消防車といった緊急車両、町役場の公用車、地元企業が仕事で使う車両など、あるとあらゆる車が持ち込まれます。さらに、町役場のバスの運転や、バスのレンタル事業も手がけています。車にまつわる全てのニーズを受け入れる、まさに地域を支える拠点です。

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以前、公共工事で整備工場が移転を迫られた際、社長らは会社を畳むことを考えたことがありました。ですが役場側から「やめられちゃ困る!」と強く要望され、5年前に工場を新築することになりました。横山自動車がなくなれば、片道1時間ではきかない名寄市などに車両を運ばないといけないため、中川の町や人にとっては一大事です。

日本唯一の救援車も。北北海道で安心を守る

横山自動車は中川町民だけでなく、広大な北北海道にとってもライフラインになっています。

敷地内には、無骨でいかにも腕っぷしの強そうな「働くクルマ」が鎮座されていました。社長が「日本に1台しかないんだよ」と誇る、メルセデスベンツの特殊な作業トラック「ウニモグ」です。爽やかなブルーとホワイトのツートンカラーをまとい、「(株)横山自動車」とともに、「JAF」の文字もありました。2000年の有珠山噴火を受けてJAFが特注し、その後払下げになったというレア車両です。

実はこのウニモグ、冬の道北で大活躍しているそうです。中川町などを通る国道40号は天塩川の土手に作られている箇所があります。冬になると、雪などで車がスリップし、車線を逸脱して、のり面を落ちてしまう事故が多発。一般的な救援車で事故車のすぐ近くまで行くことは難しいですが、タフなウニモグの走破力をもってすれば、斜面もスイスイ。スムーズに引き上げられるといいます。

arimasann7.JPG作業トラック ウニモグ
横山自動車はJAFから請け負うロードサービスとして、美深町やオホーツク海側の猿払村、時には稚内市など、広域をカバーしています。事務所にはJAFの特殊車両のミニカーがずらり。安心を守る事業者としての自負がにじんでいるようでした。

また保険会社のロードサービス対応も担っていて、忙しく救援に駆け回っています。時には、苫小牧など遠方まで運ぶこともあります。2台ある運搬車のうち、長距離用の1台は納車5年で20万キロを走っています。まさに、車が欠かせない地域のドライバーにとっての命綱。忠明さんは社長、工場長らとともに「暗黙のシフト」を組み、救援の要請があればいつでも出動できる体制を取っています。

「みんな知り合い」という規模感をプラスに

忠明さんは、「ロードサービスも点検整備も、困っている誰かのための仕事なのでやりがいがあります。どんなに大変な作業でも『ありがとう』の言葉で報われます」と語ります。

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ディーラー勤務時代も、整備士として来店客と接していましたが、予約は分刻みで入っていました。営業担当も整備士も慌ただしく、一人ひとりと十分に話ができないのが気になっていました。特に、予約がなく急な困りごとで駆け込んできた客には、納得してもらえる対応をすることは難しいのが現実でした。それとは対照的に、横山自動車では客との距離が近く、直接感謝の言葉をかけられるので、やりがいが大きいそうです。

町内に住む人は1,300人ちょっと。この数字だけ見ると少なく感じますが、車が生活や仕事の足としてなくてはならない地域だからこそ、顧客になり得る人数として考えれば、なかなかのものです。忠明さんは「1人1台は乗っているし、『みんな知り合い』みたいな町です。ある意味、商売にはもってこいです」と前向きに捉えています。

その忠明さんの代名詞は、おしゃれなヒゲ。2日に1度は整えるこだわりようですが、これには「まだ中川に来て日が浅いので、顔を覚えてもらいたい」という狙いが秘めれています。

だからこそ積極的に出かけます。「ポンピラアクアリズイング」の温泉にあるサウナに通って言葉を交わしたり、飲食店に顔を出して知り合いを増やしたり。長い目で見ると、プライベートでも仕事でも良い種まきになっているのかもしれません。

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そうして知り合った若い人には、「クルマ屋さんって入りにくいよね」と言われることがあるといいます。「困ってから車を持ち込むだけではなくて、ちょっとしたモヤモヤがある時に来てもらえるような存在になりたいです。話すだけでも、フラッと入ってこれる工場になれれば」。町民との関係を深めることで、こんな理想を思い描いています。

「みんな知り合い」という規模感

「これだけ多くの人に感謝されて、好きな車の整備ができる。自分の夢はほぼ叶っています」と力を込める忠明さんの表情からは、満足感がはっきりと伝わってきます。ただ、すんなりとここまで至ったわけではなく、充実した日々は、奥様の佳織さんの存在あってのものです。

佳織さんは同級生の数が少ない中川で生まれ育ち、高校卒業まで都市部とは違う不便さも感じてきました。忠明さんと出会った当時は沼田町で暮らしていましたが、中川に戻るつもりはなし。当然、意見が衝突することもありました。忠明さんは「すごいケンカしましたよ。夢をかなえるために、無理を言ってましたから」と振り返ります。

忠明さんも当初は人口の少なさや、買い物と病院の選択肢の少なさなどから、不安もありました。実際、自身が交通事故に遭って名寄市の病院に入院した時には、毎日のように家族が行ったり来たり。「苦労をかけてしまい、アクセスの悪さをあらためて感じました」と明かします。それでも今では、「自然が豊かで義理の両親に子どもを見てもらい、仕事もしやすい。都会よりも良い環境です」ときっぱり。

arimasann2.JPG親戚・家族がすぐ近くにいる、いつでも会えるありがたさ
ディーラー時代は残業が多く、帰宅してもほとんど、息子の響生(ひびき)くんの寝顔を見るだけ。それが今では帰宅後に遊ぶこともでき、家族との時間は持ちやすくなりました。

佳織さんもUターンする前は「周りは知らない人ばかりで、子育ては正直大変でした」と言います。都会に憧れて一度は地元を離れましたが、今は事務担当として家業を手伝っていることもあり、子どもを温かく見守ってもらえる安心感や、働きやすさがあるといいます。

人は減っていく。中川の未来はどうする?

忠明さんは、不便さを補っても余りある中川町の魅力を教えてくれました。

趣味は社長と同じくバイクで、中川町からだと日本海側やオホーツク海側にも出やすく、風光明媚な道北でツーリングを楽しんでいます。響生くんは、広大な天塩川の河川敷で、ペダルとブレーキのない「ストライダー」にまたがって疾走しています。

arimasann14.JPGおじいちゃんのお手伝いをする、響生くん

「キャンプ場や町民スキー場があって、アウトドアやウインタースポーツにもってこい。近々本格的にチャレンジしたいです」と新たな楽しみに胸を膨らませる忠明さん。人気のキャンプ場は、何かあれば家に帰れる距離にあるという贅沢さです。

佳織さんを含めて家族の皆さんはスキーが好きで、響生くんの道具をそろえました。忠明さんは「大きなスキー場だと子ども連れは気を遣いますが、町民スキー場だと子どもも自由に、好きなペースで滑れます」とお気に入りの様子。ご自身も、2022~23年シーズンに向けてスノーボードの一式を新調。生まれ育った苫小牧にはなかったというスキー文化を堪能するつもりです。

これからの未来を背負うお子さんがいることで、町のこれからに関心を寄せます。かつて佳織さんから、「人が少ないと付き合う人を選べない」と言われたことがある忠明さん。地方への移住ではよく指摘されることですが、今はどう考えているのでしょうか。

「選べるに越したことはないかもしれませんが、中川の人は誰とでもうまく付き合うことができます。みんなときちんと接するというコミュニケーションは、社会では大事だと思います。人が少ないのはマイナスばかりではなく、個性に合わせた子育てもできますよ」

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実際、ディーラー勤務時代に住んでいた砂川市は人口16,000人ほどですが、今ほどいろいろな人と知り合い、仕事も遊びも充実していることはなかったといいます。

もし中川にない人材や体験が必要になれば、工夫次第で町外から招き寄せられる時代です。いろいろな仕事や世界が広がっていることを知ってもらいたい。大人が時間をかけて子どものために動くことで、一度中川を出ても「戻ってきたい」と思えるような町になってほしい―。忠明さんにはそんな願いがあります。

「まずは、大人が楽しく働いて楽しく遊ぶ。そうすれば、子どもも楽しく遊び、学んでくれるのかなって思いますね」。自分にぴったりの暮らしを中川で見つけた忠明さん。ヤンチャそうに笑いますが、やけに説得力がありました。
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株式会社 横山自動車 有馬忠明さん
株式会社 横山自動車 有馬忠明さん
住所

北海道中川郡中川町字中川217-9

電話

01656-7-2911


結婚と移住が夢の近道に。頼られ、感謝される町のクルマ屋さんに

この記事は2022年10月28日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。