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誰かの心に残るものを作りたい。木材に導かれた若き職人の物語。20220816

この記事は2022年8月16日に公開した情報です。

誰かの心に残るものを作りたい。木材に導かれた若き職人の物語。

札幌で創業70年の老舗木材専門店である「河野銘木店」では、木材を販売するだけでなく「THREEK(スリーク)」という屋号でオーダー家具等の製品製作も行なっています。
前回は、職人気質な時代を経験し、今なお木材の面白さを探求・追求している宮島弘之さんから、木材に対する想いをお伝えしましたが、今回は作り手として働く後藤はづきさんをご紹介します。宮島さんに負けないくらいの熱い想いを伺うことができました!

河野銘木店にたどり着くまでの、【木材】で繋がったご縁。
若き職人である後藤さんのストーリーを、ぜひご覧ください。

木材加工に関わりたい!理想の職場との運命的な出会い。

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後藤さんは札幌市出身。大学を卒業してすぐに河野銘木店に就職し、今年で5年目になります。北海道教育大学岩見沢校の書画・工芸コースで、木材や金属、染色や書など、日本の伝統技術を学んでいた後藤さんですが、木材加工に関わりたいという想いで就職活動をしていた時に、河野銘木店に出会ったのだそうです。

「河野銘木店のことは大学の先生から少しだけ話を聞いたことがあって、当時の社長(3代目)がものすごい知識を持っている素晴らしい人で、木について色んなことを教えてくれる、と言っていたのが頭に残っていました。私は就職活動中で、木材加工ができる就職先を探していたんですけど、大学でちょっと習ったくらいの自分では家具屋は無理かもしれない、どうしたら木に関わる仕事に就けるんだろうと思っていた時に、たまたま河野銘木店の求人が出ていたんです」

職人としての膨大な知識と厳しい指導で、宮島さんをはじめとした社員皆さんに大きな影響を与えた3代目社長は、後藤さんが就職活動をしている頃にはもう亡くなっていらしたそうですが、間接的とはいえ、後藤さんの入社にも影響を与えていたとは......!

「木材業界で働きたいってずっと考えていて、札幌の実家から通えて、自分のペースで木材加工もやらせてもらえる、木材に関われる職場。そんな都合の良い就職先あるわけない、っと思っていたんですが、その全ての条件を満たししていたのが河野銘木店だったんです」

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自分の理想にぴったりの職場と運命的な出会いを果たした後藤さん。
「ここしかない!」と、いう想いで、面接の際はとにかく自分の熱意をアピールしたのだそうです(笑)

「(河野銘木店との出会いは)運命的でした。すごく緊張しながら電話をして、初めての面接だったのでどんなことをするかも分からないから、面接当日は作業着なども全部持っていきました。とにかく熱意を示すために、面接後に『加工体験できませんか』と申し出て作業もさせてもらって。その日の帰り際には『私、ここに勤められますか?』なんて聞いたりして(笑)。そうしたら、当時の4代目社長が『後藤さんの分は空けておこうかな』と言ってくださったんです。今思えばかなりの押し売りだったんですけど(笑)、その日のうちに就職の口約束を取り付けることができました」

その後、大学卒業まで約6ヶ月ほど河野銘木店でアルバイトをして、卒業後、無事に採用されたのでした。
それにしても行動力と売り込み力がすごい後藤さん。取材陣にも当時の熱意が伝わってきます。
ですが、実際に対峙した社員の方達はどうだったのでしょう。宮島さんに当時のことをお聞きすると......。

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河野銘木店の取締役営業部長の宮島さん。別の記事で木材への熱い思いを語ってくれています。

「自分は当時工場長だったんですけど、なんだこの子は!と思いましたね(笑)。だってスカート履いて急に工場に来て『何かやらせてください』って言うんですもん。でもちゃんと自分で持ってきた作業着に着替えて、すぐにがりがり木を削っていました(笑)。働き出してからも、やっぱりものすごく根性がありますね」

忘れられない初対面だったと宮島さんは頬をほころばせました。

ずっと心に残るものを作りたい。木材で繋がった自分のルーツ。

お話を伺っていても、木材の物作りに関わりたいという強い想いがひしひしと伝わってくる後藤さんですが、どうしてそこまで、木材に関わりたいと思うようになったのでしょうか。
そこには、まだ小さかった後藤さんが出会った、あるひとつの木製家具の存在がありました。

「私が幼稚園に通っていた時、幼稚園にそれはもう大好きな椅子があったんです。木製の赤い椅子。私は幼稚園に行くのを泣いて嫌がる子供だったくせに、幼稚園から帰る時間になると、今度はその椅子から離れたくなくて最後まで帰らなかったそうなんです。その椅子のことが大好きすぎて、幼稚園で描いた絵にも、自分とその椅子を描いていたくらい。いまだに私もそんな椅子があったなあと覚えているし、家族など周りからは語り草にされています(笑)」

大学では工業製品のプロダクトデザインの道に進もうと思っていた後藤さんでしたが、たまたま幼稚園の園長先生とお母さんが偶然の再会を果たします。そこでその椅子を作製したのは家具作家の巨匠とも称される高橋三太郎さんというだと教えてもらいます。
その木製椅子の記憶もあり、浪人時代に進むべき路を変更。木材についても学ぶことのできる北海道教育大学に進んだのでした。

「私もあの椅子みたいに、良し悪しの知らない子供から、純粋に心から好き!と思ってもらえるようなものを作りたい。そんな風に思ったんです」

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在学中にまたもや奇跡の再会が!

「大学3年生の時、この程度では全然(木材加工で)就職はできないなと焦っていた時、とある講演会で偶然、高橋三太郎さんとばったりお会いしたんです。私『絶対に今ここで話しかけなくちゃ!』と三太郎さんを追いかけ回して話しかけて(笑)。そうしたら『今ちょうど椅子作りの塾を開いているから、興味があるなら来てみたら』と言っていただけて。それから大学を卒業するまでの1年半、高橋三太郎さんの塾で椅子作りをみっちり学ばせてもらいました」

木製の椅子との出会い。その偉大なる作家さんとの出会い。さらに、河野銘木店との出会い。
それぞれの点が線となって、今、木材のものづくりに従事する後藤さんに繋がっている。
ひとつの小さな「もの」との出会いが、これだけ一人の人の人生を導くこともあるのだと驚かされます。

後藤さんは言います。

「お仕事で目指していることは一番最初から変わっていなくて。お客様一人一人が大事にしてくれる、心に残るものを作っていけたらなと思っています。その想いはここで5年間働いて一層強くなりましたね」

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河野銘木店には、20年前くらいに作ったテーブルを綺麗にしてほしいとか、家具を子供にあげるために新しい形に変えてほしいとか、木材を扱う老舗ならではのご依頼も多く来るそうです。そんなお話をもらうたびに、「こういうお仕事をしていられるのは幸せだなって、すごく感じます」と笑顔の後藤さん。

きっとこれから後藤さんご自身も、後藤さんを導いたあの小さな椅子のように、誰かの心に残るものを作っていかれるんだろうなと胸が熱くなりました。

創業70年の老舗木材店で、受け継がれていく想い。

木材加工の仕事は、重い木材を運んだり、怪我と紙一重の現場で神経を尖らせたりと、体力も精神力も必要とします。特に女性には、体力的にきつい部分がどうしてもあるそうです。毎日加工の現場に入っていた後藤さんは、はじめの1年間は体力が追いつかず、立ちながら寝てしまうこともある程だったとか。それでもやり続けたのは、やはりこの仕事が好きだったことと、目指すものへの情熱があったからなのでしょう。

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しかし、ようやく加工の仕事に慣れてきた2年目。小さなお店ならではのことですが、店舗での接客や営業など、加工以外の仕事も任されるようになります。1年間やり続けた加工とは全く畑違いの仕事に、体力とは異なる面ですり減る日々だったと後藤さんは笑います。

「慣れるのにトータルで3年くらい使ったような気がします。ただ、加工以外の仕事もやらせてもらう中で気づけたこともあります。私、小学生の時から絵を習っていたんですけど、お客さまに説明をする時に絵を描くと、話がとてもスムーズに進むんですよね。自分の得意な絵を活かしたら、接客も営業もできる!と気づいて。そこから、元々大学で習っていた作図の基礎も活かして、図面の描き方も覚えました」

自分が小さい頃から続けてきたことを、こうして仕事に繋げることもできるんだ!と、後藤さんにとって自信につながる出来事だったそうです。さらにこう続けます。

「2年目から一人で店舗に立つようになって、分からないながらもお客様の要望を聞いていくうちに、だんだん木のことも分かるようになりましたし、自分が施した加工はこういう意味があったんだと、加工の仕事へのフィードバックも得ることができました。加工も、店舗での接客や営業も、両方やるからこそ分かることがあると実感しました」

河野銘木店で、はじめから志していた加工の仕事だけでなく、お客様の声を直接聞く接客や営業の仕事も重ねていくことで、確実に、後藤さんの職人としての知識や技術、そして自信がパワーアップしているようです。

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また、後藤さんのお話を聞きながら思い出されたのは、3代目社長をはじめとした職人たちから学び、身につけてきた木材の知識やノウハウを、「ちゃんと若い人たちに伝えていきたい」という宮島さんの言葉。

そのために宮島さんは、いつもスタッフに「フラットにやりましょう」と声をかけていると語っていました。宮島さんは実質、後藤さんの上司にあたりますが、お二人のやり取りからは、上司と部下ではなく、職人同士としてのリスペクトと信頼、そして何でも言い合える仲の良さが伝わってきます。後藤さんは宮島さんと職場についてこう話します。

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宮島弘之さん(左)と、後藤はづきさん(右)。

「(宮島さんとは)よく喧嘩しています(笑)。『フラットな関係で』といっても、なかなかできることではないけれど、宮島さんのお人柄ですね。私は不満がすぐ顔に出るので、そういう不満を口に出せない職場だったら大変だったかも(笑)」

最後に、お仕事は楽しいですか?と、後藤さんに聞いてみたところ、
「楽しいです!」とにっこり。
宮島さんの想いは、後藤さんにも確実に受け継がれているようです。

札幌の街中に佇む、老舗の木材専門店「河野銘木店」。
ここには、たくさんの個性豊かな木材と、木材の可能性を信じ、愛する職人さん達がいます。
この場所で70年間脈々と受け継がれてた「木材への想い」は、これからもずっと受け継がれていくのだろう。そんな風に感じられた取材でした。

木材に興味がわいた方は、ぜひ、河野銘木店に足を運んでみてください。

株式会社河野銘木店 後藤はづき
株式会社河野銘木店 後藤はづき
住所

北海道札幌市豊平区豊平5条6丁目1番10号

電話

011-821-4343

URL

https://www.kishinan.co.jp/


誰かの心に残るものを作りたい。木材に導かれた若き職人の物語。

この記事は2022年6月7日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。