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釧路から東京、札幌へ。元バスガイドさんが拓く、新たな働き方。20220324

この記事は2022年3月24日に公開した情報です。

釧路から東京、札幌へ。元バスガイドさんが拓く、新たな働き方。

釧路から上京しバスガイドに!
笑顔の裏には努力や苦労も

大雪が続き、疲れで気持ちも沈みがちだった真冬の日。周囲を明るくしてくれる素敵な女性に出会いました。笑顔が魅力的な寺井 裕美子さんは釧路出身。東京でバスガイドなど観光のお仕事を経験した後、札幌へ移住したという経歴の持ち主です。
バスガイドというお仕事を選んだ理由を尋ねると「きっかけは学校に掲示されていたバスガイドの求人募集。私は合唱部に入っていて歌うのが好きだし、英語が得意でカナダにホームステイしたこともあったのでいいんじゃないかなと思ったんですよね」

採用試験を受けて見事合格した寺井さんは、上京して働き始めました。

「バスガイドになるには勉強も必要でした。観光名所などの教本を暗記して、バスがちょうどその場所を通り掛かる時にご案内しなきゃいけないんです。でもただ知識を丸暗記するのではなくて、自分なりに理解してなにか付け加えたりなど工夫しましたね。それは今でも役に立っています」
そんな努力の甲斐あって、バスガイドとして大活躍。得意の英語で外国人観光客に道を教えたり、バスツアーでは最後に「お手荷物にならないお土産を...」と定番曲『東京のバスガール』を歌うなど、楽しい思い出を聞かせてくれました。ですが、時にはバスジャックのような事態に巻き込まれることもあったとか...。

terai_busguide.jpgバスガイド時代の一枚!笑顔が素敵です

あわやバスジャックの体験も笑い話に変える
「乗り越え力」で順調に歩んできたけれど...

「新潟へのお買い物バスツアーに添乗した際、ハサミをいろんな人に見せるなど危険な言動を繰り返す乗客がいたんです。会社に助けを求めるも対応が決まらないうちに、バスは燕三条(つばめさんじょう)に到着。そこはなんと刃物の名産地だったのです!乗客を降ろし、ハラハラしながらお買い物が終わるのを待っていると、別の乗客が青ざめながら『大変!あの人、包丁買ったわよ!』と...押し問答の末、包丁はバス乗車前に預からせてもらってなんとか発車しました。終点間際にパトカーが待っていて危険な乗客は連行されましたが、結局あのとき預かった包丁はどうなったのか...」と笑います。

二十歳そこそこの女性にとってはかなりハードなエピソードですが、自ら「逆境を乗り越える力がすごいあるんです」と語るように、寺井さんにかかると明るく笑えるお話に変わります。その「乗り越え力」で旅行会社でキャリアを重ね、プライベートでも結婚・出産と順調に人生を歩んできました。ですがそんな寺井さんを離婚、そしてコロナ禍が襲います。

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コロナをきっかけに、独立を目指す
札幌へ<Jターン>したのはなぜ?

「バスガイドの後は、人事異動で添乗員や営業や企画などを経験し、コロナが流行し始めた当時は、バスの運行管理を担当していました。9時〜18時の勤務で、育児もワンオペ。1日のうち、子どもと過ごす時間はほとんどありませんでした。コロナで保育園が休みになってしまっても仕事を休むことができず...このままの生活でいいのかな、と考えるようになりました」

元々独立志向が強かったという寺井さんは、このコロナ禍をきっかけに「今しかない!」と思い切って会社を退職。故郷の釧路への<Uターン>ではなく、札幌への<Jターン>を選びます。
「札幌でなら東京よりも家賃を抑えられて、釧路よりも仕事や幼稚園が多いだろうと考えたんです。時季外れで幼稚園探しには苦戦しましたが、なんとか良い園に決まり、住まいは幼稚園の近くに確保。狙い通り、東京の半額の家賃でより広い間取りの物件を見つけられました。札幌で保育園ではなく幼稚園を選んだのは、自分自身が子どもの頃に幼稚園に通っていたからと、なるべく長く子どもと一緒の時間を過ごしたいからです」

準備が整った2020年12月、寺井さん親子は札幌へと移住しました。ふるさとではない札幌に移住して、寂しさや苦労はなかったのでしょうか。「お仕事での人付き合いもあったので寂しくはなかったですし、私は困ったことがあってもスリルを楽しんじゃうタイプなんです。いまはもう東京に戻りたいという気持ちはまったくありませんね。人も多いし暑いし...」と明るく笑います。

terai_airport.jpg空港にて。親子二人での旅立ちです

自分に合っている仕事はなんだろう?
「自分の棚卸し」と「人のアドバイス」から探す

さて、寺井さんは札幌に来てからすぐに働き始めるのではなく、まずはスキルアップのため色々な講座に参加したといいます。
「節約すれば1年ほど暮らせる貯蓄があったので、Web講座やアロママッサージ講座など、とにかくいろいろ受けました。温泉ソムリエの資格も取りましたね。半年でお金も40〜50万円は掛かりましたが、いま考えると仕事を続けながら休みの日にちょっとずつ体験してみればよかったと思います(笑)」

当時は自分にどんな仕事が合っているのか分からなかったという寺井さんですが、国が設けた無料の経営相談所「よろず支援拠点」を訪れた時に「あなたの営業力はすごいですよ」と言われたそう。
「自分では気付かなかったけど、そういえば旅行会社でバスガイドの後に営業になった時は1カ月に5,000万円売り上げたこともあったなと。独立を目指す人はまず自分と向き合い、自己分析する『自分の棚卸し』をしてみるといいと思います。また、自分がやりたいことを誰かに話すとアドバイスがもらえたりするのでオススメです」

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子どもと過ごす時間は大幅に増えた!
仲間と助け合いながら働く

また、寺井さんの根底にあるのが女性支援への強い気持ち。自らが離婚で苦労してきたこともあり、困っている女性の力になりたいと思い続けてきたといいます。そこで札幌では女性・子育て支援の団体にも参加。
「個人で運用していたInstagramのスキルを活かして、ママ達とチームを作り企業から運用代行のお仕事をいただいていました。次は、ママ達がスキマ時間で働けるオンライン秘書のようなお仕事を作りたいと思います」

そうした経験を経て、寺井さんは現在lemone(レモネ)という屋号を持ちローカルプランナーとして活動しています。事業内容は『旅行サービス手配業』『地域創生プロデューサー』そして前述のような『営業代行・SNSコンサルティング』の3本柱。自宅で仕事をすることが多く、子どもと一緒に過ごせる時間がとても増えたといいます。

寺井さん自身は「ずっと働いていても苦ではない」といいますが、子どもの寝かしつけなど仕事にかかりきりになれない時があります。「そんな時は仲間の誰かしらが『私がやっておくよ〜』と仕事を助けてくれるんです。私のできないことも得意な人がいて、やってくれたり。そんな人達と密にコミュニケーションを取りながら働いています」。そのように互いに助けあえる人との繋がりを築けるのも寺井さんの持つ大きな力なのでしょう。

yumiko_terai_mashu.jpeg「色々な場所を見て体験させたい」と、息子さんと一緒に旅することも多いそう

福島と沖縄の姉妹校を繋ぎ、アシスト。
高校生たちが開発した「どら焼き」は大ヒット!

『旅行サービス手配業』でも前職での繋がりから色々な依頼が来るそうで、北海道のことを伝えるフリーペーパーをつくることもあるのだといいます。コロナ禍で現地を訪れられなくなった事業をオンラインでの交流に切り替えるお手伝いをすることも増えてきたそう。『地域創生プロデューサー』として最近手がけた、高校生のどら焼き商品化のお話を聞かせてくれました。

「毎年、学校訪問などで交流していた福島と沖縄の姉妹校がコロナ禍で行き来できなくなってしまったんです。そこでオンラインで交流し、共同で商品開発するプロジェクトをはじめました。どら焼きには福島の米粉と沖縄の黒糖を使い、企画から商品デザイン、販売まで高校生が自分たちで行ったんですよ。
この経験から将来の職業の選択肢を増やせるようにと、デザイナーさんや、マーケティングの方、農家さんにのお話を高校生が聞けるオンライン講座も開催しました。講師は皆さん私の知り合いのつてをたどってお願いした北海道の人達です。
完成したどら焼きはそれぞれの高校がある地元で販売し、あっという間に完売!再販を望む声がひっきりなしに寄せられるほどの人気でした。高校生にとっては地域の人達に支えられていることを実感すると同時に、自分達の学校スゴイじゃん!という自信にもなったようです。今後もこうした事業に取り組んでいきたいですね」

寺井さんの事業の柱である「観光」というフィールドでは、彼女の『営業力』『繋ぐ力』『乗り越える力』が最大限に活かせるはず。素敵な笑顔と困難を乗り越えるパワーで、これからもたくさんの人達を繋ぎ、さらに活躍の場を広げていくことでしょう。彼女がこれから北海道でどんな未来を描き、築いていってくれるのか...想像するだけで気持ちが明るく前向きになりました。

lemone(レモネ)寺井 裕美子さん


釧路から東京、札幌へ。元バスガイドさんが拓く、新たな働き方。

この記事は2022年2月24日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。