「江差の五月は江戸にもない」
江戸時代から明治時代にかけて、江差町はニシン漁やヒバ材の交易で隆盛を極めました。
当時から続く「姥神大神宮渡御祭」は、そんな漁師町・江差町が誇る北海道屈指の歴史を持つ祭事。毎年開催時期になると、町内の人口が通常の5倍になるとも言われている、江差っ子の魂です。
寒さも風もなんのその、
日本海の白波越えて、
今日も獲物を追い詰める、
命知らずな荒くれ男。
「漁師」と聞いて思い浮かぶのは、やっぱりこういう世界ですね。そうです、もちろん誰もがそのはずです。
今回お邪魔したのは江差町の荒くれ漁師...ではなく、漁師さんの奥様。
「まりちゃん」のあだ名で親しまれる、「藤谷漁業部」の藤谷眞理子さんです。
旦那さんと漁業を営むかたわら、産直品や加工品を販売する「手作りまりちゃんの店」も切り盛りしていると聞き、取材バッグにお箸とタッパーを忍ばせて会いに行きました。
サラリーマン家庭から「浜の母さん」に!嫁いで知った漁師の世界とは?
今でこそ魚介類の加工や漁具の手入れなど、漁師の妻としての仕事を軽快にこなす眞理子さんですが、元々漁業とのつながりが深かったわけではありません。大きな転機は漁師である旦那さんとの結婚でした。
こちらが藤谷眞理子さん
生まれてからずっと江差で暮らしてきた眞理子さんと、同じく生粋の江差っ子である旦那さんとの出会いは、今からおよそ40年前。当時眞理子さんは「信漁連(信用漁業協同組合連合会)」にお勤め、旦那さんは漁協の青年部に所属していました。眞理子さんが漁協の協力部員に加わり、その作業の場で知り合ったのだそうです。
25歳になる年で結婚を決めたそうで、旦那さんからは「おいしいご飯を作ってくれれば、あとはなにもしなくてもいいよ」と言われていたそうですが、いざ結婚してみるとアラ不思議。漁師の仕事の大変さを実感します。
「結婚当時は旦那が年中漁に出ていて、3月からマス、イカ、スケソ(スケトウダラ、以下「スケソ」)なんかを時期によって色々と獲ってたよ。結婚してすぐの時期はマス漁の真っ最中だったから、マス釣りのエサになるナガヨ(オオナゴ)を運ばなければなんないんだけど、まだ車の免許を持っていなかったから組合からリアカーを借りてさ、毎回20~30箱を積んで運んでたんだよ。考えてみたらわたしこれが初めてのリアカー体験だったわ(笑)」
そう、江差では網ではなく、当時、はえ縄でマス漁を行なっていました。その漁具の準備は眞理子さんの仕事。
漁師さんが10日間ほど漁に出ている間に、前の漁で使った縄を集め、縄に針をつけてくれる人のところに持っていきます。漁から戻る前に、次の漁の準備をしておくのです。江差町内だけでなく、なんと厚沢部町や乙部町も守備範囲なのだとか!
当時運転免許を持っていなかった眞理子さん、さすがにリアカーでは回りきれず、兄弟やまわりの仲間たちにお願いして助けてもらうこともありました。
30歳で眞理子さんが運転免許をとったときは、「助かった!いつまで使われるのかと思った!」と兄弟から喝采と祝福を受けたそうです。
もと番屋である「手作りまりちゃんの店」には、普段から何かと人が集まります。手前は眞理子さんのだんな様
イカ漁の場合、前浜で獲れている時期は昼頃に出漁し、次の日の朝帰って来ます。しかしお盆を過ぎると場所を変えて、道東の釧路方面まで出かけていき、10月頃まで漁をします。
12月になると今度は前浜でのスケソ漁がはじまるので、イカが終わるとすぐ準備開始。仕事は一年中切れ目なく続きます。
漁師の妻になったものの、漁のことは右も左も道具の名前もわからない眞理子さん。
一週間ずーっと「エサかけ(頭を切って尻尾を結ぶ作業)を行なうこともあったそうですが、一つずつ懸命に仕事を覚えていきました。
「親には『おめはそういうところに行ってもやれないからやめとけ』って言われてたわ。でもかえってなんもわかんないで嫁いだのがよかったのかもね」
徐々に仕事の流れはわかってきましたが、エサかけや縄仕事など実際に手を動かす作業はなかなか上手にできなかったという眞理子さん。
大変でしたよね?と聞いてみると、「まわりも皆そうだからね。大変とかではなく普通だと思ってた。ただうまくできないだけ(笑)」。
今でも先輩の「ベテラン母さん」に混じって勉強中です。
江差の「うまい!」がここに集結。藤谷漁業部自慢の一品たち
「手作りまりちゃんの店」でおなじみの藤谷漁業部が、獲れたて海鮮の産直販売を始めたのは約20年前。3軒の仲間と一緒に鮮魚発送を始めたのがきっかけです。
始めた頃の商品はイカ・エビ・ヒラメの3種類で、藤谷漁業部ではイカを担当。
鮮度勝負のイカは、水揚げしたものを船上で手早く箱詰め。あとはテープを貼って送るだけの状態で陸に上げるのだそうです。
実は取材場所としてお邪魔した建物は、かつて番屋として使われていたものを改装したもの。
「今座っているココはスケソの縄仕事とかエサかけをするスペースだったの。建物自体は13年くらい経つんだけど、(鮮魚の)加工とかやってたから保健所の許可もらうのに直したんだわ」
ちなみにちょうど直した頃からスケソ漁をやめたため、一度もエサかけはしていないんだとか。
晴れて保健所の許可を取得し、加工商品を作ることができるようになった眞理子さんが始めたのは「イカの沖漬け」。船で生きたままのイカを醤油に漬け込んで真空パックする鮮度自慢の逸品です。
ところで加工商品は、魚をさばいて開きや切身にする「一次加工品」と、さらにひと手間加えて刺身や総菜にして提供する「二次加工品」の2つに大きく分けられます。
実は眞理子さん、建物を改装した際にあらかじめ二次加工品の製造も行なえるよう、厨房をリニューアルしていました。
こうして藤谷漁業部では、大人気商品の「ほっけの天かま」など数多くの商品を、世に送り出してきました。
ちなみにこの「ほっけの天かま」のおいしさのヒミツは「自然であること」。
獲れたての生の魚を使い、添加物を加えずに、昔ながらの作り方で素朴に真面目に作っています。
「やっぱり生と冷凍ものだと全然違うと思う。冷凍だとどうしてもパサパサしてしまうしょ。油にもあまりつけないようにしてるの。フライパンとかオーブントースターであっためて食べるのが一番おいしいと思うわ」
あたためるだけで美味しいという眞理子さんご自慢「ほっけの天かま」
聞けば旦那さんは自宅にお客を連れて来ることが多い方で、家にあるものだけで食事を作らなくてはならない場面も頻繁にあるのだとか。
その積み重ねで眞理子さんのお料理スキルはどんどんレベルアップしていきました。
「江差で獲れるもの自体が美味しいから、そんなに手をかけているわけではない」と謙遜しますが、その塩梅はこうした日々の集大成なのだろうなあと実感させられます。
そんな眞理子さんが作るすり身は、お魚方面に舌の肥えた仲間達からもお墨付き。ぜひ一度は食べてみたいところです。
最近はニシンの水揚げが増えているので、下処理したニシンを使った甘露煮などの商品展開も行なっているそうなので、こちらも要チェック。
取材日現在、藤谷漁業部の商品を購入できるのは、対面販売だと藤谷漁業部の店舗「手作りまりちゃんの店」とアンテナショップ「ぷらっと江差」などです。
お店を出入りしている業者さんにお願いして作ってもらったものだそうですが、過去に一度だけ不思議なことがありました。
「途中でね、なんか知らないけどね、イラストの顔にシワが入ってきたの。ここのシワなんで入れたの?って言って、とってもらったの(笑)。余計なことしないでー!って。シールはいつまでも若くていいからー!って(笑)」
もしこのレアシールをお持ちの方がいらっしゃいましたら、くらしごと編集部までご一報下さい!
眞理子さんのつくる商品は、このシールが目印!
まちのため=自分たちのため!引き継いだ先代部長の思い
漁師の奥さんであり、「手作りまりちゃんの店」の顔でもある眞理子さん。
なんとさらにもう一つ「ひやま漁協女性部江差支部長」としての顔もお持ちです。
元々は漁師の奥さんの団体であった女性部ですが、今では「マリンメイト」という名前で漁業関係者以外からも広くメンバーを募集しています。
先代の部長を17年務めた能登真弓さんによると、女性部ができたきっかけは、漁協が独自に行なう月掛貯金制度への加入の声掛けなのだとか。
真弓さんが部長に就任した平成8年は100名超、平成26年に眞理子さんが就任した時には50名のメンバーがいました。現在は30名のメンバーで公私にわたって互いに協力しています。
年々減っていることについては「私達の若い頃は、漁師と結婚したら漁師の仕事をするのが当然という風潮だったけど、今は他の仕事も選べる時代。そうなるとなかなか若い人たちは入ってこないわ。私達の跡継ぎの息子たちも会社勤めしているの」
主な活動の舞台はまちのイベントや魚のさばき方講座などで、その多くは役場や振興局水産課からの依頼だそう。
色々なイベントを手伝いながら、女性部としての活動資金を作るため料理を販売したりと大忙しなのです。
真弓さんによると「産業まつりでみんなに食べさせる300食分のちゃんちゃん焼を作ったこともあったし、イカ刺しまつりで活イカを刺身で提供したり、とにかく忙しかった」とのこと。
本業の仕事と女性部の仕事で年中ひっぱりだこな眞理子さんたちですが、昔はここまで積極的にまちの行事に関わってはいなかったそうです。
こちらが能登真弓さん
今の風土を築いたのは、先代部長の真弓さんでした。
「イベントやまちの行事に漁協の女性部が参加することは、いつか自分たち漁師にとっても良い影響があるはず」という思いを原動力に、まずは5人仲間を作ることを目標にしました。
当時は今のようなまちとの関わり方への理解は浅く、メンバーの賛同を得るには時間がかかったといいます。
記念植樹や産業まつりのお手伝いなど、なにをやるにも噴出する「そったらもの何でやらなきゃいけないんだ?」という意見に対して、一つひとつ説明し理解を求めていきました。
また、役場とタッグを組んで一緒にやることに対して批判もあったそうですが、一緒にやるからこそ役場のバスを借りることができたり、逆に女性部の活動を手伝ってもらったりもできているそうです。
こうした「おたがいさま」の関係性をまちの行政と築けたことは、女性部の活動にとって大きなメリットでもありました。
こうして女性部に「他人のためではなく自分たちのためにやるんだ」という考え方の基盤を作った真弓さんの思いは、平成26年に、眞理子さんへ引き継がれました。
「そんなんやるつもりはなかったんだけどさ、知らないうちになってしまったの。今は楽しくやってますよ、たまにこうして食事したりね」と眞理子さんは話します。
眞理子さんを選んだ理由を真弓さんに聞くと、
「まりちゃんは人柄がこういう人だから、みんないい具合について来てくれてる。やっぱり人柄なんですよ」
取材陣の分まで用意して頂いた、絶品"浜の母さん飯"。採取から加工まで全て行う海苔の味にも感動!
ピンチを乗り越える文殊の知恵。江差のおいしさを全国へ向けて発信!
北海道漁業歴史において、江差の海は獲れる海産物の種類が多く、1年を通して漁ができるとても恵まれた場所でした。
しかし昨今の全国的な不漁は、その江差すら例外ではありません。漁獲量が多く、長年エース級の商品だったスケソとイカを例に挙げてみましょう。
平成17年には1440t・3億1300万円だったスケソは、平成28年には3t・100万円に激減。
平成17年には807t・2億4900万円だったイカは、平成28年には402t・1億9600万円とこちらも大きく減少しました。
※データは江差町役場HP「江差の水産業」より
江差の海は波が高く養殖業には不向きとされているそうで、一部ナマコの養殖を除いて活発に行なわれてはいません。
■現在の若手漁師の主な漁
春...ざつなわ漁※色々な魚(ホッケやガヤなど)をはえ縄で獲る漁
春・秋...マスや鮭の定置網漁
夏...磯廻り漁(ウニ・ナマコ※7月、アワビ※10月~)、昆布)
冬...ナマコ(潜水漁は2月~4月中旬)
このほかにイカ漁を行なう漁師もいるそうです。
長く家を空ける出稼ぎ漁ではなく、前浜での漁が多いことが江差の漁師の特徴です。また、古くからはえ縄を使う漁が多いのは、資源の枯渇を防ぐ先人の知恵が現在にも受け継がれているのかもしれません。
江差のあちこちで見かける"江差の繁次郎"は、江戸時代に実在したと言われるとんち名人。江差を訪れたら是非探して見ては?
そんな漁業のピンチこそ、百戦錬磨の浜の母さんたちの出番です。
すでに紹介した、にわかに漁獲量が増えているニシンの加工品開発や、イベントやTV・ラジオなど各種メディアでの江差産海産物PRなど、眞理子さん・真弓さんをはじめとした女性部の活躍の舞台は広がるばかりです。
「最近だと大手飲食店レビューサイトとかで、藤谷漁業部の情報が出ているみたい。私のかまぼこも『見ました』『ありますか?』って道内・道外から電話で問い合わせが入るようになってるよ」
以前岩のりがTVで紹介されたときは、放送から数分で問い合わせの電話がかかってきたそう。
新商品のアイデアは、会議などで話し合うよりも、外からの「こういうの作ってもらえないか」という声に応えるために、みんなでどうしようかと頭をひねるっているのだとか。
「私が作れるものは、ここ(江差)で獲れたもののおいしさをそのまま生かした素朴なもの。江差の海産物のおいしさを、もっといろいろな人に知ってほしいね」
これからも、江差の台所を切り盛りする、浜の母さんたちの動きにご注目を!
眞理子さんの後ろに写るのは、函館でフレンチレストランをかまえる息子さんのひと皿。親子そろって地の食材を活かす
- 藤谷漁業部 藤谷眞理子さん
- 住所
北海道檜山郡江差町津花町36番地
- 電話
0139-52-6818
営業時間 9:00〜17:00