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稚内市

子どもたちの未来のために、今の時代を生きる牧場主20211125

子どもたちの未来のために、今の時代を生きる牧場主

北海道の最北の地「稚内」。天気が良い日はその最北の地点からロシアを目視できるほど。そこから車で約30分程南下すると、「豊別」という地域に入り、広大な牧草地が広がります。小さな集落にある郵便局や小さな商店を横目に通り過ぎて行くと、今回のくらしごとの取材場所「大島牧場」がありました。

まずはこの地の特徴からお話すると、最北端だからこその「寒さ」により、農作物が育たないエリアと言われています。その分この地では牧草地が長け、酪農業が盛んとなりました。牛たちの餌となる牧草は、冬時期には雪で守られ、春の雪解けとともに、また元気な姿で顔を見せてくれます。

さて、今回お話を聞かせてくださったのは大島優一さん、39歳。ご実家の牧場を継いだ大島さんがですが、昔は「酪農業なんて絶対に継ぎたくない」と思っていたと話します。

wakkanai_oshima2.jpgこちらが大島さんです。

「楽しくない仕事はしたくない」そう思っていた20代

もともとこの「豊別」という地域で生まれ育った大島さんは、高校から札幌へと出て、その後東京へ渡ります。東京では服飾関係のお仕事に就いていたというのですから、今とは全く違う業種です。


この当時のことを振り返り、大島さんはこう話します。

「甘えた考えでしたけど...楽しくない仕事はしたくない、好きじゃない仕事はしたくないって思ってたんですね。それで服飾の世界に行ってみたら...現実はそう甘くはなかった」

やりたいことをやって、それをお金にできる人は一握り。
今でこそSNSがあり、その宣伝方法によっては素人も知名度を高く持つことができ、物が売りやすい時代となりましたが、当時はそんな手法もなく...

「あの時代にそれ相応のお金を稼ごうもんなら、大変でした」

そう話す大島さんは、24歳の時に豊別へと戻ります。その時の気持ちについては「特に大した決意もなく、『農家の息子だから』という安易な理由で戻ってきたんですよね」と当時を振り返ります。

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戻ってきた...はずでしたが、大島さんは1年程で再び家を飛び出してしまいます。それも、「もう二度と帰ってこないぞ」という強い想いを抱えて...。

家を出た理由は、仕事がきつかったらからですか?と聞いてみると、首を横にふる大島さん。

「というより、環境ですね。東京の都会から、稚内に戻ってきて、環境が一気に変わった。どちらかと言えば、大自然よりも大都会の方が好きなので(笑)」

と話しますが、今ではその考えも変わったようで...

「都会は遊びに行くのはいいけれど、住むところじゃないなって思うようになりました」

そうして再び豊別に戻ってきたのは大島さん29歳の時でした。ちょうどその頃、お父様から「離農しようと思う」という話が出てきたと言います。

「実は、母親が認知症で。親父も、さすがに面倒を見ながら牧場も経営するっていうのは限界だったんですよね。親父が離農するっていうことは、つまり俺の実家が無くなるということなんだと思った時に、それは嫌だなと思った。それに、親父があれだけ頑張ってやってきて、多くの資産...牛や土地や建物や機械を手放すのはもったいないなって思い、恥ずかしながらもまた戻ることに決めました」

このふたつの想いが、再び大島さんの心に火をつけました。

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悪いことが重なり、どん底に

それからは本腰を入れ、牧場の仕事に奮闘...とは言い難く、牧場でのお仕事の傍ら、お母様の介護も大島さん一家の大きなウェイトを占めていました。仕事と介護に明け暮れ1年経った頃...程なくしてお母様が亡くなりました。


この時、大島さん自身も、そしてお父様も燃え尽きてしまったと言います。

介護と牧場の両方をやっていくのは至難の業で、介護に明け暮れた数ヶ月は、ただただ流れるように牧場の仕事をしていただけでした。その結果として、牛の乳量はもちろん、頭数が一気に下がりました。

さらには追い打ちをかけるように、1,000万円程するトラクターが壊れたり、これまた1,300万円程するショベルの電気系統から火が出たり...余力のない状態のところに、悪いことがどんどん重なって起きたのです。

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「もうこの時は、『今』を改善していくためにはどうすればいいのかを考えることで必死でした。まだ今より若かったので、朝から休みなく14時間くらい働いてましたね...脱水、低血糖で震えた時もありました(笑)」と、とにかく牧場を建て直すことに必死だった当時を振り返ります。

この時、社会全体が牧場の好景気だったということもあり、無事に乗り越えることができました。今ではどんな苦難も乗り越えられる気がするという大島さんです。

また、この時支えてくれた一人のキーパーソン...稚内に身を置く獣医さんについても話してくださいました。

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「母親のことに気を取られていて、やるべきこと、やらなきゃいけないことを怠ってしまっていた牧場経営ですが、そんな自分にイチからゆっくり、できることを少しずつ先導してくれたのがその獣医さんなんです」

「その人がいるから、今の自分がいる」と大島さんは強く言いました。

決してお金にはならないのに、大島さんにたくさんの時間をかけて「農家としての志」や「土地の維持とどう向き合うか」といったことを教えてくださったそう。ひとつひとつ問題をクリアにしていき、じゃあ次そこで何が生まれるのか...本質としっかり、大島さんを向き合わせてくれたようです。

「うちの牧場のベースをつくってくれた人ですね」と恩人のことについて教えてくれました。

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ほかにも、近くで同じく酪農業を営む先輩がこの道でしっかりと結果を出している姿を見ていたのも、大島さんにとっての心の支えでした。やり方次第で、しっかりと稼ぐことができるということを間近で見ることができたからこそ、大きな安心にも繋がっていたと言います。

離農した牧場を買って、新規就農希望者のサポートがしたい

「当初は自分の牧場を大きくして、自分の収入を大きくするとしか考えていなかったけど、ここ2〜3年で考えが変わりました」


それは、離農された方の牧場を買い、新規就農を目指す人にその場所で就農してもらい、牧場のなり手を増やしていくこと。

酪農業界では「離農」がひとつ問題視されています。
また、新規就農するのにも、ある程度借金をしなくてはいけませんが、そこを大島牧場が少しでも軽くしてあげたいという考えです。

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まずは大島牧場で仕事のノウハウを覚え、後継者を育成。離農され、大島さんが買った牧場に入ってもらいます。

今、SDGsでも「持続可能な社会の実現」と謳われているように、牧場の後継者を育てて、次に繋げていきたいと大島さんは大きな目標を抱いています。

大島さんのこの想いの根源にあるのは「子どもたちへの想い」です。

子どもたちにとって「やりたい仕事」の選択肢のひとつに牧場が挙がって欲しい、そう強く願う大島さんには現在5歳の息子さんがいます。「息子が牧場をやりたいって言うか言わないかは別として、やりたいって言ってもらえるような酪農産業にしていきたい」と話します。

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そして、「豊別」という地域を大きくしていきたい。牧場を、このまちの産業として維持していきたい。だって、このままだとこの地が衰退し、「地元」が無くなってしまうから...

「この地を維持し、次の世代に続けさせていくためには親父たちのような団塊の世代の人たちと同じやり方じゃ、なり手は減っていくばかりだと思っています」

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それを現実にすべく、来年一軒離農した牧場を買うことが決まっており、さらにその次の年にも離農予定の牧場を買う予定。だからこそ、今、切実に人が欲しい大島牧場...!!

聞けば週休3日制を取り入れるなど、働き手のことを考えた勤務形態のようです。

「今いる若手スタッフが入ってきた時は23歳くらいだったかな。その当時は明らかにひょろひょろな体型をしていて、この仕事に耐えられるのか不安なくらい。でも、1日10時間の労働にしないとシフトが組めないからこそ、あえて休みを多くしたんです」

それから半年くらいして自ら「週休2.5日にしてほしい」と申告してくれたり、そのスタッフの成長を見ることができたりとしたそうです。

確かに体力が必要なお仕事ではありますが、働きやすくなるようにとさまざまな工夫もされています。そのひとつが、TMRセンターの存在。ここは、いわゆる牛の給食センターで、牛の餌をつくることで、各牧場で餌作りをするという負担が軽減されています。

wakkanai_oshima23.jpg搾乳も効率化できるようこのような大型機械を導入しています。

さらには大島牧場の求人の特徴として「就業準備支援金」というのがあり、少し珍しいのかな?と思い聞いてみると...

「この地に引っ越しをしてくるってやっぱりお金もかかるし、特に若い人や家族持ちの人は大変ですよね」
また、引っ越しだけではなく仕事に使う作業服の準備なども、このお金で準備してねという支度金としているようです。

最近も2020年8月に、釧路から、そして道外では新潟からこの地にスタッフとしてやって来てくれました。住む場所も、大島牧場で契約した市の建物があるので、住宅も完備。それも、基本的には一軒家だと言うので、ここもまた家族連れにとっても魅力のひとつかもしれません。

本当にかゆいところにまで手が届くほどに、働いてくれるスタッフ想いの大島さんです。

一見不便な土地と感じるかもしれませんが、今やインターネットの普及により買い物でどこかに行こうという感覚はあまりないと言います。

「たまに東京に行ったりしたら、買い物したい欲求も満たされます。それに稚内の良いところはなんと行っても羽田までの直行便があること」

北海道の最北端に住みながら、都会との行き来がしやすいのも、このまちの特徴です。

前を向いて走り続ける

さまざまな道のりを歩み、時には困難にも乗り越えてきた大島さんにこの仕事をやっていて良かったと思った瞬間は?と聞いてみました。


「牛の頭数を増やし、年間の出荷乳量が増えていき、自分の牧場ではここが限界だろうなと思っていた数字を塗り替えられた時は嬉しいですね」と話してくださいました。

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「できないのをやらないのは簡単。でも、できないことを、どうやったらそれが可能になるのかっていうのを考えないとできない。最終的には無理なこともあるかもしれないけど、最初から無理でしょって自分で制限をかけてしまうのはやめる。こうやっって、どうやったら利益出るかなって考えたりする時間が楽しい」

そう話す大島さんの表情はとてもイキイキしていました。

稚内、豊別というこの土地で、地元を守ろうとしている強い志を持った人がいる。大島さんの熱い心に心動かされ、協力してくれるまわりの人がいる。きっと、大島さんならこのまちを変えてくれるかもしれない。一度後ろを見たからこそ、前へ向いて進む方法を知っている大島さんが創り出す、この牧場の未来を見てみたい、そう思った瞬間でした。

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大島牧場
住所

北海道稚内市声問村字上豊別

電話

0162-74-2932


子どもたちの未来のために、今の時代を生きる牧場主

この記事は2021年11月4日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。