北海道奥尻高等学校には、全国的にも珍しい「島留学生」という制度があり、全国から進学を受け入れています。島留学生たちを魅了する理由は、ダイビングの授業や地域との連携を活かした奥尻高校独自の教育プログラム。
全国的に注目されている取り組みですが、島留学生のほとんどは卒業後奥尻島を後にします。
しかし2021年4月、卒業後も奥尻島に残り漁師を目指す島留学生が現れたと聞きつけ、奥尻島・青苗地区の漁港に向かいました。
制度開始以来初!島に残った「島留学生」
漁師を目指して修行中!仲川明夢さん元・島留学生の仲川明夢(ひろむ)さんは北広島市出身。3兄弟の長男です。
ご実家が漁業関係というわけではないそうですが、小学校4年生のときにはすでに漁師を目指し始めていたという仲川さん。全ての始まりはTV番組で見た漁師の一本釣りの姿に惹かれたことだそう。
やがて中学校に入ってもその熱は冷めず、卒業後は漁業に関する高校へ進学すると決めていた仲川さんは、小樽の水産高校を第一志望としました。
ところが、ここで突然、天啓とも言うべき出会いが。
もう受験直前というタイミングで、偶然奥尻高校に関する映像を目にした仲川さん。そこに映っていたのは、島留学生の第一期生たちがダイビングの授業を受けている場面でした。知るが早いか即刻当時の担任の先生に「志望校を変えたい!」と連絡したそうです。
「漁師を目指すための奥尻高校への進学という決断に対して、両親は最初冗談だと思っていたみたいで反対されました。でも本当に行きたかったので、多少押し切った形で受験しました。無事合格し入学が決まった際は、がんばれと応援してくれて感謝しています」
温和だけど芯が強い!
いざ島留学生として奥尻高校に入学し、漁師の家に生まれた同級生からリアルな漁師の世界の話を聞く機会が多くなりました。
その中で仲川さんは、憧れだけでは語れない仕事の大変さや見えない作業の多さ、漁の成果が直接収入に関わるという厳しさなど、漁業の現実に直面します。
「こっちに来てから、『やってやる』という気持ちと同時に、『本当にできるのか?』という不安も感じました」
芯が強い人は素直です。
だからこそ在学中は学校の授業だけでなく、3年間下宿させてもらった民宿「かさい」のオーナーさんの漁に連れて行ってもらったり、漁具の手入れやウニの殻剥きを手伝ったりと、漁業にまつわる多くのことを日々吸収していきました。
部活動は吹奏楽部でトランペットを担当していた仲川さん。普段の高校生活で思い出に残っていることを聞くと、高校3年の体育祭だそう。
「僕が入学したころは生徒数が今よりずっと少なくて、確か全校生徒を合わせて50人くらいだったと思います。2年生・3年生と上がるにつれて人数が増えてきて、3年生の頃には90人近くになりました。大勢で準備をしたり、当日も一年生の頃よりもだいぶ盛り上がったりして楽しかったです」
現在は奧尻町役場の水産農林課に籍を置き、町のPR活動と漁師修行を両立。左は担当課長の橫田稔さん
昔から手先が器用だったこともあり、ご両親や先生からは「卒業後は大工もいいのでは」と勧められましたが、ブレずに長年の目標であった漁師を目指します。
2021年春、奥尻高校卒業と同時に、奥尻町初の地域おこし協力隊に就任。役場で広報やまちのPRの仕事をしながら、10人の師匠の下で漁業の修業を始めています。
10人のベテラン漁師から漁業のイロハを学ぶ贅沢
今回の取材に同席いただいた檜山漁業協同組合理事の岩藤義光さんも師匠の一人。
実は岩藤さん、一時は奥尻島を出て東京でサラリーマンとして働いていたそうですが、「働く場所」と「暮らす場所」についてじっくり考えた結果、24歳の頃に奥尻島にUターンし漁業を始めました。
右が岩藤義光さん。長年の経験を仲川さんに伝えます
奥尻の漁業協同組合には「青年部」のほか「水産部会」や「共栄部会」などのグループがあり、、岩藤さんはかつて、ウニやナマコの養殖を専門に行なう「潜水部会」に所属していました。
エサが少ないなど環境の良くないところに生息する身の少ないウニを、より良い環境に移して育てる「中間育成」によって、品質の良い海産物を安定的に水揚げできるように研究と実践を繰り返し行なってきました。
「養殖でウニに与える餌は色々と試してきました。ホッケなどの魚もやってみましたが、今はイタドリ(奥尻では「どんげ」と呼ぶ)の芽を使ってるんです。そして仕上げに昆布を与えることでおいしさが決まります」
キャベツは聞いたことがありますが、イタドリとは意外!奥尻ならでは。仲川さんも初めて聞いたそうです。
岩藤さんによると、奥尻島は全国でも潜水による漁に取り組むのは早い地域だったそうで、昭和60年頃にはすでに組織的に養殖を行なっていたのだとか。
海産資源が常に豊富であれば漁船漁業だけで生計が立てられますが、自然相手ではそうもいない。なので奥尻では早くからアワビやウニの養殖に力を入れ、今では6次化して加工から商品販売まで行なっています。
潜水部会の仕事はナマコ漁では20~30m潜ることもあるそうですが、時には他の部会や漁師さんから「網に魚が入りすぎて上げられない!」という相談を受けて網から魚を追い出したり、逆に「あまりに魚が入らないから網の様子を見てきて欲しい」という依頼を受けることも。
「一人で漁ができるようになるのはもちろん大事ですが、私は仲間と一緒に漁のことを考えたり、悩みを相談できる相手を多く持つことが、漁師として生きていくうえで重要なのではないかと思います。
仲川くんのように、島外から漁師を目指したいと言ってくれる若い人が来てくれたことは本当に嬉しいこと。在学中から漁師の仕事を手伝っていたこともありますが、なにより漁業に興味を持っているから覚えが早いです。ゆくゆくは漁業の取り組み成果を発表する大会にも出場し、全国の漁業者のノウハウを学んで、時代に合った奥尻の漁業を作っていってほしいですね」
岩藤さん自身も、かつて発表会の全国大会で塩水ウニのパックを北海道で最初に開発した事例を発表したり、そこで知り合った流通業者とタッグを組んで配送ルートを拡大した経験から、漁の経験を積むことと並行して色々な同業者の事例に触れることの大切さを教えてくれました。
一本釣りに憧れて漁師をめざした仲川さん。
実際に漁業に携わるようになった今、なにか気持ちに変化はあったのでしょうか?
「一本釣り漁への夢は今でもあります。でもその前にウニやアワビなど他の漁についても広く学びたいと思うようになりました。漁師として経験を積んだうえで、一本釣りに挑戦してみたいです。
奥尻に来るまでははっきり見えなかった漁師になるための道筋が、修業を始めて見えてきました」
広報誌やインスタグラムなどSNSでの情報発信も大事な業務です
地域おこし協力隊制度で「人・まち・漁業」の三方好しを目指せ
仲川さんに今のやりがいについて聞いてみると
「師匠の漁のお手伝いで船に乗って、現場で作業のやり方をよく観察し、覚えること」という答えが返ってきました。
そう、教わる内容にもよりますが、漁師の仕事は手取り足取り教えてもらえるものばかりではないのです。
岩藤さんによれば、親は子どもにアワビやウニの獲り方を教えないのだそう。「技術は教わるのではなく盗むもの」という言葉の通り、かつて岩藤さん自身も腕のいい漁師さんのところに行って一日中漁の仕方を観察し、上手なやり方を学ぶことも珍しくなかったとか。
これは当然単なるイジワルではなく、他人のやり方を見て、やってみて、失敗して、やり方を考えて、成功する、という過程こそ漁師を育てる大事な時間なのだと岩藤さんは考えています。
「誰でもいきなり獲れるわけがない。漁師にとって獲れないことは恥じゃない」という言葉には、「できるまで何度でもやればいい」という仲川さんへのエールが込められています。
取材に行った時期はちょうどツブかご漁の時期。適切なかごの配置やメンテナンスなど、伝授する岩藤さんと、教わる仲川さんの姿はきっと地元のおじいちゃんと孫のように見えることでしょう。
きれいに積み上げられたツブ漁用のカゴ
島留学生として奥尻島に来た若者が、高校卒業後にまちの基幹産業を担う地域おこし協力隊として着任し、島の漁業後継者候補として育っていく。
3年間という学生時代と地域おこし協力隊としての期間を経ることで、顔なじみの島民も増えるし、高校の同級生もいる。
まちの課題を解決する好事例となる可能性をビンビン感じます。
その第一号となる仲川さんが目指したい、理想の漁師とはどんなものなのでしょうか?
「他にも何人か漁師をやっている高校の友人がいるので、僕たちの世代で奥尻の漁業について考えチャレンジしてみたいです。
僕たちの師匠たちをはじめとした先輩漁師さんに頼るだけでなく、自分たちの力で奥尻の漁業をもっと広くたくさんの人に知ってもらえる取り組みを、僕たちの世代からも発信していきたいです」
取材でお邪魔した漁港にある岩藤さんの番屋の中には、ツブかご漁用のかごのほか、どう使うのかわからない、見慣れない漁具もいっぱい。
こうした漁具は既製品を買うのではなく自分で作ることも多いそう。自分のスタイルにぴったり合う漁具は、自分で作るしかないのだそう。
仲川さんのものづくりスキルは、ここでも生かされそうです。
ナマコ獲り用のお手製の道具。その使い方を缶をナマコに見立てて説明してくれました。他にも小屋の中には創意工夫がいっぱい!
若い世代の漁師が紡ぐ奥尻の魅力。
仲川さんの同級生で、すでに潜水部会で働いている若手漁師・小濱梨玖(りく)さんにも話を聞いてみました。
祖父から孫へ!引き継がれる漁師の魂
灼けた肌が良く似合う、江差生まれ奥尻島育ちの小濱さん。
漁師をめざした理由はいたってシンプルです。
「小さなころから釣りが大好きでした。いろんな仕事があるとは思いますが、好きなことで生きていきたいと思ったんです。中学校に上がるころには決めてましたね。
じじの漁にはよく付いて行かせてもらいました」
小濱梨玖さんも、この春奧尻高校を卒業したばかり
「じじ」とは小濱さんの祖父にあたる小濱峰人さんのこと。星や太陽の位置で、船の位置や仕掛けを入れる場所がわかるという生粋の海の男。漁業に関する知識や新しい発想には誰もが舌を巻く、奥尻では有名な方なのだそう。
残念ながら今回取材はできませんでしたが、地元情報筋によれば「お酒飲みながらなら話せるのでは」とのことなので、いつの日か「特別純米酒 奥尻」を携えて再アタックしましょう。
そんなスゴい方と、小さいころから船に乗っては漁の技術を教えられた小濱さんが漁師を目指すのは、ごく自然な流れなのかもしれません。
ちなみに小濱さんが漁師になってからは、やはり直接技術を教えてもらうことは減ったそうです。
「自分で見て盗む方が効率的だし、この世界はいくらかずる賢いくらいでちょうどいい」
奥尻愛が人一倍強い小濱さん、島留学生として島外から同年代の生徒が来ると知ると、独自に「奥尻の漁業後継者獲得プロジェクト」を開始します。
入学した島留学生に向けて、奥尻の自然や海の魅力、海産物の豊富さ、そして奥尻の漁業のあれこれを、PowerPointで作成した資料を見せながら紹介したそうです。
どんな資料だったのか尋ねてみると、
・漁師の年収
・一日のスケジュール
・実際の漁の動画
など、小濱さんが思う漁師の良いことも悪いことも、包み隠さず赤裸々に紹介したそう。
何人か「やってみたい」という島留学生がいたものの、そこはぬか喜びをしない小濱さん。そうは言っても島には残らないだろうと踏んでいたそうです。
だからこそ高校卒業後、島に残った仲川さんには驚いたようです。「俺が捕まえたんだからね」という小濱さんに仲川さんは「途中までしか見てなかったんだよね」と笑い合います。
漁師に興味をもってくれる人を増やしたいと思って始めたこの活動。学校からもう一回やってほしいと依頼されたり、漁業体験を受け入れた際にも協力したそうです。
島への思いと行動力が半端ではない小濱さんは、高校1年生で潜水士(国家資格)まで取ってしまいます。ダイビングの授業はこれからだというのにです。さらに船舶免許も持っているそう。
「漁師がやりたかったから、ダイビングのライセンスより潜水士資格が欲しかったんです」と、とにかく目的に向かって一直線なのです。
潜水道具一式
育てて獲って加工する。潜水部会のお仕事紹介
船ではなく自ら海に潜る潜水部会の一日は、漁師の中で見ると朝はゆっくりです。それでも5:00に起床すると6:00にはもう海の中へ。
2時間ほど潜って獲った海産物と一緒に陸に戻ると、8:00~16:00までは加工の作業を行ないます。
取れ高や次の日の天候により、16:00からもう一度潜ることもあるそう。
こうした通常の業務のほか、中間育成のための潜水作業もあります。
「毎年9/1から室津の離れ小島あたりで身の入らないウニをたくさん採取して、海藻のある場所を探しながら島一周にばら撒くんです。実際にどれだけのウニに身が入りその場所に定着しているかはわかりませんが、来年以降のことを考えて育てる漁業を大事にしています」
とは潜水部会の大先輩・吉田信一さんの言葉。
こちらが吉田信一さん。海の恵みを活かす商品づくりについても色々と教えてくれました
そうして育てたものも含め、ホッケ、ホヤ、ウニ、メカブ、ナマコ、メバルが主な取扱い魚種。これ以外のホタテやウニ・アワビを購入し加工することもあるそうです。
むきうにやアワビ、メバルみりん干しやホッケのかまぼこにホヤの塩辛まで、潜水部会の商品ラインナップは現在17種類以上に上ります。
どれもご飯のおかずはもちろん、お酒のつまみにもぴったりなものばかりです。というか、どうにもお酒が飲みたくなるものが多いです。
それもそのはず、吉田さんによれば「元々は自分たちが仲間と飲むときのつまみだったんですよ(笑)。今でも新商品は飲みながら考えているので、自然とお酒に合うものが多くなりますね」
なるほど納得!
昔はFAXのみでしたが、小濵さんの進言でオンラインショップを開設したことで販路が広がりました。
どの品もしょっぱすぎず、旨みがぎゅっと凝縮された絶品ばかり!お酒がすすんでしまいます。。
潜水部会のオンラインショップはこちら
高校卒業後、小濱さんの指導を行なっている吉田さんですが、特に何かを教えている気持ちはないそうです。
小さいころからおじいさんの漁を見てきたため、すでに漁に関する多くの作業を自分でできる小濱さんは、ちょっと特殊な例なのかもしれません。
昔から自然の中で育ったという小濱さんが楽しい瞬間はどんな時なのでしょうか?
「好きというのとは違うかもしれませんが、何かうまくいかなかったときに、自分でやり方を改良してそれが当たったときは気分がいいです。だからゲームは3日で飽きるけど、釣りは飽きません」
自分が目指す完璧な漁師に対して、今はまだ0.1%もいけていないと自分を評価していますが、「漁師同士は仲間でありライバル」「陸で話すのと漁の場で話すのは別」「人を信じすぎないように」など、心構えは厳しい世界を生きる漁師そのものです。
「奥尻では今70~80代の人たちが頑張っています。これからは30~40代がメインになってくるはず。僕はなんとかその人たちに追いつきたいです」と話す背中には、島の子として奥尻の漁業を背負っていく覚悟のようなものを感じます。
最後にお互いについてどう思っているのか聞いてみました。
「(小濱さんと)同じぐらい上達したいし、一緒に頑張っていきたいです」(仲川さん)
「年の近いライバルはとても刺激になりますが、僕よりいい腕にならないで欲しいです」(小濱さん)
キャラクターは違えどまっすぐに漁業と向き合う2人の若き漁師たち。
奥尻島漁業の今後の展開にご注目下さい!
- 奥尻町 地域おこし協力隊 仲川明夢さん
- 住所
北海道奥尻郡奥尻町奥尻806 奥尻町役場水産農林課
- 電話
01397-2-3111
- URL