函館空港から約30分のフライトで空港に降り立ち、少し湿気をはらんだ島の風を浴びながら胸いっぱいに深呼吸。「島」という場所は、訪れた人の気持ちを高揚させる、どこか特別な雰囲気があります。今回訪れた奥尻島もその一つ。
奥尻島は北海道の最西端に位置する東西11km、南北27km、人口約2500人の美しい島。島の中央に鎮座する神威山(かむいやま)から広がる大地は一周約70㎞。島の大動脈である道道39号線がぐるりと囲み、車窓からは常に豊かな自然を眺められます。中でも島の特産であるウニやアワビをはじめとした海産物を育む海は、思わず息を飲む美しさ。取材陣の中でスクーバダイビングのライセンスを持つスタッフは、着いてからずっと遠い目で海を見つめては、「いいなぁ...」とつぶやいています。
と、ついて早々奥尻島の大自然に魅入られた我々ですが、この島と海について知っておかなくてはいけない歴史があります。
それは今から約30年前に発生した「北海道南西沖地震」。
1993年7月12日午後10時17分、北海道南西沖の深さ34㎞を震源とするマグニチュード7.8の大地震が発生し、島には最大30mの津波が押し寄せ大きな被害をもたらしました。死者・行方不明者は奥尻町だけで199人にのぼりました。
島の南側・青苗地区にある「奥尻島津波館」では、当時の資料や映像で地震・津波の教訓を現在に語り継いでいます。また漁港には災害時の避難場所としてのシェルター機能をもつ強固な「人工地盤」が建設され、もしもの時の備えとして親しまれています。
港で作業する方々が、もしものとき瞬時に避難できるよう整備された人工地盤
奥尻島で暮らすということは、海と暮らすということ。
「生活の一部である海とどのように付き合っていくのか?」
「減少傾向にある若年世代にどのように引き継いでいくのか?」
これらは、全国にある多くの離島が抱える課題です。
その課題と柔軟に向き合っていく取り組みがあると聞き、北海道奥尻高校の長谷川友紀先生をたずねました。
手厚すぎるスクーバダイビングの授業!「島留学生」で生徒数が3倍に
奥尻島にある学校は、小学校が2校に中学校と高校が1校ずつ。連携型中高一貫教育を実践しており、改築されたきれいな校舎の奥尻高校と奥尻中学校は、渡り廊下でつながっています。奥尻高校の2021年度の生徒数は、1年生25名、2年生28名、3年生29名の計82名。ですが、なんと生徒の約半数が「島留学生」とよばれる島外から進学してきた学生なのだそう。比率は学年によって違いがありますが、今年の1年生は25名中20人が島留学生というから驚きです。島留学生は入学のタイミングにより寮に入るか民宿に下宿します。
北海道内出身者が大多数を占めますが、東京都や大阪府・京都府、遠くは高知県からの留学生もいます。親や周囲の勧めではなく、数ある進学先の中から自分自身で奥尻高校を選んだ生徒が多いのだとか。
留学生制度がなかった道立高校時代は、9名の学年もあったそうなので、それから比べると生徒数が約3倍になっています。
こちらが長谷川友紀先生
むむむ、なにやら早くも「並じゃない感」がにじみ出てきました。
奥尻高校で理科(中でも生物が好き)の教鞭をとる長谷川友紀先生は、道外出身の30歳。大学卒業後すぐに教師の道を志したわけではなく、青森県の会社に就職し勤務されていたそうですが、4年前に一念発起し教育の世界へ。その舞台に北海道を選んだのは「北海道で働くということに憧れがあって」と、北海道民としてはとても嬉しい理由なのだそう。
北海道教育委員会から初めての勤務先が奥尻高校に決まった旨の通知を受けた際、「いきなり島への赴任で大丈夫?」とずいぶん心配されたそうですが、実は以前屋久島でも仕事をしていたという長谷川先生ですので、島だからと言って特にカルチャーショックはなかったそうです。
そんな長谷川先生に、さっそく奥尻高校の特徴を聞いてみると「スクーバダイビング」という答えが返ってきました。どこかで聞き覚えのある単語です。
スクーバダイビング...
え、さっき取材陣のひとりが遠い目をしていたあのスクーバダイビング?
そう!奥尻高校は水産高校以外でスクーバダイビングの授業があり資格までとれる、全国でもうらやましい珍しい高校なのです。けしからん!うらやましい(笑)!!
どうしてこんなことが可能なのでしょうか?
きっかけは2016年の高校の町立化。離島にある高校ならではの「10のアドバンテージ」を最大限に生かす教育環境を目指す高校として生まれ変わりました。
【北海道奥尻高校 10のアドバンテージ】
1、四方を海で囲まれ、勉学に集中できる最高の学習環境
2、ある意味、一つの国のような島で、地域振興を研究できるプロジェクト
3、スクーバダイビングの資格がとれ、潜水士の資格に挑戦できるプログラム
4、校外でも、社会人とともに高い英語コミュニケーション能力を身につける環境
5、Teacher-student Ratioが1:6の世界がうらやむ学習環境
6、難関大学から一般企業の就職まで、第一希望の実現に実績のある評価の高い進路指導
7、ほぼマンツーマンで、個のニーズに特化した進路指導
8、大学や企業と手を組み、積極的に町おこしについて考え、行動するプロジェクト
9、受け身どころか、自分から説明や発表、質疑応答する機会が多い授業
10、中心メンバーとして活躍できる部活動
安全に海の美しさに触れる方法を学ぶことはもちろん、北海道南西沖地震と津波の罹災を乗り越えた奥尻島だからこそできる防災意識の向上や、世界中につながる海から考える環境保全。
奥尻島でスクーバダイビングの授業を行なうのは、自然な流れなのかもしれません。
ダイビングの授業は、教室での学科やプールの実習を経て、いよいよ海での実習へとすすみます
しかし相手は海。想いだけでは安全性を確保できません。スクーバダイビングの授業はどのように運営しているのでしょうか?
スクーバダイビングにはいくつかの団体とそれぞれが認定するライセンスが存在します。奥尻高校で取得できるのは「NAUI」という団体のオープンウォーターダイバー(Cカード)のライセンス。
「Dive Safety Through Education(教育を通じた安全なダイビングの実践)」を信条とするNAUIと教育機関の親和性は高そうです。
海上・海中での高度な技術や専門知識が求められるスクーバダイビングの授業は、プロのインストラクターに依頼しています。最初の授業から携わっているのが、NAUIの「インストラクターライセンスを発行するライセンス」を持つ株式会社大歩(ダイブ)の中村徹也さんと、積丹でダイビングサービスを提供する土田浩人さん。
確かな技術と知識を持つほんもののプロフェッショナルに、直接指導を受けられる奥尻高校の教育環境、何とも羨ましい限りです。
インストラクターによる授業は、夏休み前に2回+夏休み明けに1回の3回。各3日間ずつ行ない、計9日間で学科授業と実地授業を通じてダイビングの知識と技術を習得します。
生徒の中にはライセンスだけでなく、在学中に国家資格である潜水士資格まで取得するツワモノも。
奧尻の青く透き通る海は、ダイビングには最高の環境!
生徒全員をケアしながら行なうスクーバダイビングの授業は、インストラクターだけでは成立しません。長谷川先生をはじめ9名の教員が授業に関わっているそうです。
例えば授業中の不慮のケガや体調不良の対応、インストラクターの補助。そして一番大事にしているのが町内の協力者との連携。
万が一に備え、生徒が海に入る日は必ず現場に船が待機します。この船を出してくれているのは船を持っている漁師さん。またボンベの空気充てん機を貸してくれているのも地元の漁師さんです。
有志の中には奥尻高校の卒業生もいて、こうした協力が得られる背景には「これからを担う学生たちに奥尻の海を好きになってほしい」という思いがあるそうです。
世界で通用する教育を!奥尻高校の「まなびじま奥尻PROJECT」とは?
実はスクーバダイビングは、島全体を学び舎ととらえる奥尻高校が推進する「まなびじま奥尻PROJECT」の数ある取り組みの中のひとつであり、他にも様々な取り組みが行なわれています。例えば地域の情報を学生の視点で発掘し発信、さらに観光商品の企画やアプリ開発までチャレンジする「奥尻パブリシティ本部」や、起業やエネルギーなど各分野のスペシャリストと意見を交換しながら、奥尻島の様々な課題に向き合う「町おこしワークショップ」など、奥尻島ならではの特徴を生かしたダイナミックな発想が盛り込まれています。
今や全国から注目を集める「まなびじま奥尻PROJECT」ですが、いったいどのような経緯で始まったのでしょうか?
長谷川先生によると仕掛け人は町立として生まれ変わった奥尻高校の初代校長・俵谷俊彦さん。
その発想力と行動力で、島留学やスクーバダイビングなど現在に続く多くの取り組みの原型を作っていったそうです。検討にあたっては、当時すでに高校の魅力化に取り組んでいた島根県・隠岐島にある島根県立隠岐島前(おきどうぜん)高等学校の取り組みを参考にしました。
こうして生まれた10を超える魅力的な取り組みは、二代目校長・清水信彦さんの下で磨き上げられていきます。それは、奥尻島の魅力を活かしながら生徒の人間的成長を目指すため、余分なものを削ぎ落とす「選択と集中」にも似た作業でした。
そして現在、三代目校長・佐野住夫さんや長谷川先生、多くの先生と島民によって「スクーバダイビング」「奥尻パブリシティ本部(総合的な探究の時間)」「町おこしワークショップ(総合的な探究の時間)」「まなびづけ」「Wifiニーネー」「メンタリングシステム」「English Saloon」「ピア・サポートプログラム」の8つを「まなびじま奥尻PROJECT」として推進しています。
現在管理職を除く12人の教員のうち20代が8名を占め、かつ初任地が奥尻高校という教員も多いのだとか。奥尻高校は生徒だけでなく教員にとっても、枠にとらわれない柔軟な発想と、フットワークを大いに活かせる場所なのかもしれません。
部活動の1つ、オクシリイノベーション事業部では、年に2回奧尻マルシェを開催。
「まなびじま奥尻PROJECT」のほか、生徒たちは部活動にも打ち込みます。
色々な部活動がある中で、長谷川先生が顧問を受け持つのは「オクシリイノベーション事業部」、通称OID。
オ、
オクシリイノベーション事業部!
読者のみなさんも思わず二度見したことでしょう。
どこかの企業の部署のようなこの部活動は、「部活動を支援する部活動」なのだそうです。まだよくわかりません。
話を聞くと、どうやらこの部活動は他の部の遠征費を稼ぐ活動を行う部活動で、奥尻島の特産品や奥尻高校のオリジナルトレーナー・Tシャツなどを販売してるそうです。年に2回の奥尻マルシェの開催や、函館市のシエスタ函館にブースを構えて物販と学校紹介を行なったりと、積極的に活動しています。
関係人口から定住へ、島留学生に寄せる期待
最後に、長谷川先生に奥尻に来てよかったこと、つらかったことを聞いてみました。「大変なことはもちろんありますが、それは教員であれば誰しも抱えているものであって、島だから特別つらいと思ったことはないですね。プロジェクトの運営や準備で時間に追われることはよくありますが(笑)」
スクーバダイビングの授業の次の日は疲れて爆睡して終わることもあるそうです。今は仕事に打ち込むことで毎日が充実しているということですね。
「奥尻高校に赴任して4年が過ぎ、私が直接関わらせてもらった生徒の卒業に立ち会うことができました。その生徒たちが島に残り、後輩のためだと言って学校の取り組みに力を貸してくれるんです。卒業後は島を離れる生徒が多いのが現状ですが、今後は島留学生にも島に根付いてもらったり、卒業後も関係人口として関わり続けてもらえるように努力していきたいです」
そして4年目というと、一般的には異動の辞令があってもおかしくない頃合いです。
「私としては初任地が奥尻でよかったと思っています。むしろ最初が奥尻高校だったからこそ、次の赴任先でカルチャーショックを受けるのかもしれません。そんな話を同僚から聞いたことがあります(笑)。教員である以上いつか必ず別の学校に異動になる日は来ます。ですができることなら、もう少しこの島の教員として生徒と一緒に成長したいです」
進学を希望する島留学生の数が年々増加傾向にある奥尻高校と「まなびじま奥尻PROJECT」。離島だからできる教育の最先端を、今日も探し続けています。
海に突き出た岬の上にある宮津弁天は、天然の展望台。風光明媚な奥尻の印象的な景色の一つ
海の印象の強い奥尻ですが、実は島の8割が森林です。珍しい鳥や可愛らしいタヌキにも出会えるんです
そしてこの春、朗報が舞い込みました。
2021年3月に卒業した島留学生が奥尻島に残り、奥尻島初の地域おこし協力隊員として着任したのです。島留学生の奥尻定住は取り組み開始以来初めてのことなのだとか!
そんな北広島市から奥尻島に渡った島留学生・仲川明夢さんについては、また近日中に記事を公開予定です!そちらも是非お楽しみに...。
送り出した生徒が、社会人として島の一員に。右がこの春から地域おこし協力隊員として着任した仲川さん
- 北海道奥尻高等学校
- 住所
北海道奥尻郡奥尻町字赤石411番地2
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