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恵庭市

50歳で叶えた夢は「北海道で宿を開くこと」20211007

この記事は2021年10月7日に公開した情報です。

50歳で叶えた夢は「北海道で宿を開くこと」

北海道恵庭市。道道46号線沿という車通りも多い大きな道路のすぐ近くに、新築の香り漂う木を基調とした素敵なお家が建っていました。

笑顔で出迎えてくださったのは、松田康次さん。2019年に神奈川県横浜市から移住してきました。こちらの新築が松田さんのお家...?と思いきや実はここ、自宅兼民宿。「北海道で民宿のオーナーになる」と、30代の頃から約20年間構想をしていた夢を50歳にして、このまちで叶えたこれまでのストーリーをお聞きしました。
夢はいつだって叶えられるし、叶えた方がいい、松田さんがそう教えてくれたような気がしました。

1B2A3270.JPGこちらがその民宿

鉄道マンが惚れた北海道という場所

松田さんは小さい頃から電車を見るのが大好きな少年でした。親戚の家の近くに踏み切りがあり、その近くに行っては、通りゆく電車をいつまでも眺めていたのでした。そんな鉄道好きの少年が進んだ進路は、鉄道学校という高校。まさに鉄道のことについて学ぶ学校で、そこで知識を深め、卒業後は大手鉄道会社に入社しました。もはや生粋の鉄道マンと言っても過言ではないでしょう。


eniwa_matsuda3.JPG鉄道マン時代に使っていた名札を見せてくださいました。

その会社で32年間と長い期間働き続けました。駅員や、車掌、運転士などを経て、事務職を一度経験した後、再び運転士として、首都圏の線路を走る毎日。そんな日々を送っていた松田さんの1年で一番の楽しみは、毎年7月に行く北海道ひとり旅でした。

松田さんが北海道に魅了されたきっかけは、遡ること小学生くらいの時のことでしょうか。

当時、タバコの「マイルドセブン」のCMで、北海道美瑛町の風景が流れていました。今も尚、観光地としても名高いマイルドセブンの木です。 それを目にした松田さんはその景色に惚れ込み、いつか自分の目で見てみたいと子ども心に焼き付いたそうです。

その後、20代の頃に高校時代の仲間たちと北海道旅行へ行く機会がありました。松田さん、念願の北海道の地です。 「仲間たちと、自分が行きたいところを1カ所ずつ挙げて、そこへ行ってみよう!と決めたんです。そこで自分は、幼少期にCMで見て感動した美瑛に行ってみたいと提案し、あの時画面越しに見ていた、まさにあの風景を自分の目で見ることができました」 その時の感動は、今でも忘れられないと言います。

美瑛町をはじめ、北海道の大自然や広大さに魅了され、ドハマりしてしまった松田さんはその後、毎年北海道へひとり旅をするようになりました。 松田さんのひとり旅のスタイルは、車をフェリーに乗せて北海道へやって来ては、約2週間ほどかけて全道をまわります。ホテル等に泊まるのではなく、小さな民宿に泊まるのが松田さんのこだわり。ここでたくさんの人に出会いました。

eniwa_matsuda6.JPG松田さんの宿の階段部分。来のぬくもりと白い壁、そして光がたくさん入る窓がとても気持ちの良い空間を演出しています。

そんな北海道旅を毎年楽しんでいるうちに、次第に「自分でもこんな宿をやってみたい」なんて気持ちが芽生えてきたと言います。

しかし、それは夢のまた夢。
まだまだぼんやりと、松田さんの中にその気持ちが浮かんでいただけでした。

しかしその想いは消えることなく、40歳半ばを迎える頃には「やっぱり北海道で宿をやりたい」という想いが強くなっている自分に気付いたそうです。とは言え、それは長年勤めた会社を辞めることでもあり、もちろん生活環境も一気に変わります。簡単に踏み出せる一歩ではありません。

そこで松田さんは「もし、自分が50歳になった時にまだ『北海道で宿をやりたい』という気持ちでいたら、その時は退職して北海道に移住しよう」と考えたのでした。

人生のターニングポイントでの潔い決断

北海道への移住を考えるにあたり、50歳を迎えるまでに何度も「北海道移住フェア」なるイベントに参加しました。このイベントに通ったのは3〜4年程でしょうか。

松田さんは毎年その移住イベントに足を運び「もし自分が移住したら、どこのまちで宿を開こうか...」そんな想いで様々な市町村のブースを訪れ、まちのことを知っていく中で出会ったのが恵庭市でした。

「正直恵庭市には最初興味はありませんでした(笑)」と正直に笑う松田さん。これまで何度も北海道旅行をしていましたが、松田さんにとって恵庭市は「通過点」というイメージ。いつも車で通り過ぎているだけのまちでした。

しかし、松田さんの心に残ったのはイベント後の恵庭市の対応の早さと丁寧さ。 「恵庭市はいつも移住イベントに行くと、すぐさまお礼状を送ってくれたんです。もちろん他の市町村も送ってくれるところはありましたが、恵庭市は驚くくらいその対応が早かった」

eniwa_matsuda4.JPG当時のことを振り返りながらお話する松田さん。

それ以来、移住イベントに行く度に恵庭市のブースを訪れては、次第に移住担当の方と顔見知りのような存在となり、恵庭市の存在が松田さんの中で大きくなってきました。

「やっぱりこういう顔見知りがいる市町村の存在は、心強いです」と話します。 何かあった時に、助けてくれるまちかもしれない...恵庭市は、松田さんにとって、いつしか心強い存在となっていたのです。また、自治体の方々とこうして距離が縮まることによって、リアルな話が聞けるというのも移住イベントでの醍醐味のようです。

こうして月日は流れ、ついに松田さんの50歳の誕生日を迎えました。

「北海道で宿をひらきたい」 その想いは50歳になった時も消えることなく、松田さんの心にむしろ前よりも大きくなって存在していました。 あの時決めた自分との約束を果たすべく、ついに会社を早期退職。 そして、ひとまず市役所とも繋がりのある恵庭市へと移住しました。

恵庭市を拠点に、じっくりと「どこで宿をやろうか」と考え、まわりに競合はいないかなどの特性を見つつ探そうと考えたのです。 その後恵庭市に移住事業の協力業者として登録している不動産屋さんがとても良い土地を見つけてくださったそう。 松田さんはついに、恵庭市に完全に身を置くことが決まったのでした。

eniwa_matsuda5.JPG取材時はまだまだ内装準備中。

早期退職し恵庭市へと引っ越してきたのは2019年2月。この時期はまだまだ雪がたくさん降っている時期です。 「今まで7月の夏の北海道しか知らなかったため、あえて2月に来て雪の生活を体験しようと思いました。来たばかりの時はまだ車もなくて、スーパーに行くだけでも苦労しましたね...」

雪道を歩くのも大変です。転んだりしました?と野暮な質問をしてみると「当たり前じゃないですか、何度も転びましたよ(笑)」と笑います。

長年の夢が詰まった宿

取材当日、お家も完成し、引き渡しが行われたばかりの時。家具などはこれからというところで、まだお部屋にもいくつかのダンボールがある状態ではありましたが、そんな準備中の段階でも伝わる宿の魅力...。なにせ、この宿には松田さんの長年の夢と構想が詰まっていますから。 「宿名も、宿の内装も、全部ずっと構想していたんです」 それがついにカタチとなった姿は、きっと感動ものだったことでしょう。

宿名は「tabi-yado even(旅宿イーブン)」

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「『even』には、均等という意味があります。『宿主』と『お客』ではなく、『同じ立場にいたい』という想いを込めています」

お客さんと対等な関係で、色んな旅のお話がしたい。そして「また来たよ」と言ってくれる人が増えて欲しい、そんな想いと、夢がぎゅっと詰まっているのです。

そして、注目ポイントは、至るところに松田さんの大好きなこの地「北海道」を感じさせるものがたくさんあるところ。 宿泊部屋となる3つの部屋のテーマは「春」「夏」「秋」。 壁紙の色でそれを表現し、各部屋のカーテンの柄、細部までこだわりが。また、全体的には、ウッド系を基調としているのも、北海道らしさを出すため。ここは譲れなかったポイントだそうです。

こうしてついに夢をカタチにした松田さんの表情は綻びます。 「たった一回の人生。やりたいことはやった方がいい」 50歳にして夢を叶えた松田さんからのその何気ない一言。なんだかとても背中を押されたような気がしました。

eniwa_matsuda2.JPGこのドアの向こうに「ただいま」と言って入っていく人が増える日を目指して

tabi-yado even(旅宿イーブン)松田康次さん
住所

北海道恵庭市寿町1丁目27-1

URL

https://tabi-yado-even.jimdofree.com/


50歳で叶えた夢は「北海道で宿を開くこと」

この記事は2021年7月20日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。