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石狩市

農園や直売所で生まれる、温かな絆と野望の話。20210806

この記事は2021年8月6日に公開した情報です。

農園や直売所で生まれる、温かな絆と野望の話。

石狩市のマチナカから車で数分。住宅街をしばらく行くと「小林農園はるきちオーガニックファーム」の看板が。ユニークなイラストとオリジナルのロゴ、一目でセンスの良さが伝わってきます。そのサインの先にある赤い屋根の古いガレージが、小林卓也さん芳見さん夫婦が営む直売所です。

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洒落たショップのような、ワクワク系直売所。

直売所と聞くと、かつてはビニールカゴに盛られた野菜が無造作に置かれている沿道の小屋のようなイメージがありました。けれど小林さんの直売所はそのイメージとは正反対。トマト、スイカ、ゴーヤ、キュウリにナスなど十数種類の野菜が、しゃれた木籠の中に整然とレイアウトされ、その奥には卵や蜂蜜がオリジナルパッケージの中にきれいに収まっています。それぞれには手のひらサイズのカードが添えられ、品種名やイラスト、料理のヒントなども描かれていました。

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天井の辺りには、色とりどりのドライフラワーやクラフト細工のひょうたんまでがディスプレイされて。眺める楽しさ、探す楽しさ、発見する楽しさが凝縮されたセンシティブな空間、 これはもう直売所じゃないよ... なんて思いながら、取材前のショッピングを楽しんでいると売場の奥から「遅くなりました」と、ブルーのキャップを逆さまにかぶった小林さんがニコニコ顔で登場しました。

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有機栽培だけが正しいと錯覚していた時代。

実は筆者が小林さんを取材するのは初めてではありません。以前お会いしたのは、かれこれ十年以上前。
当時の小林さんを一言で表すなら「尖っている」でしょう。話題の多くはご自身の有機栽培論。冷静な分析、筋の通った論理、諭すような語り口。言葉にはせずとも「有機栽培こそが正しい農業」という思いが、話の節々からあふれていました。なにより目線が鋭かった...。
しかしやや長めの歳月を経て再会した小林さんの表情は、驚くほど柔和になっていました。「えっと、久しぶり、ですよね」確かめるように話しだすその様は、気さくな生産者そのものです。
そんな感想を正直に伝えると、小林さんは笑いながらこう答えてくれました。「あの頃は自分の農法こそが正解だと思ってた。そして周りを全然見ていなかったんですよね」

『鼻っ柱を折られた』同年代の生産者との出会い。

凝り固まっていた小林さんを、解きほぐしてくれたものとは何だったのでしょう。
「ひとつは『REFARM北海道』のメンバーとの出会いですね」
REFARM北海道とは3K(稼げて・カッコよく・感動させる)農業を目指し、新しい農業のスタンダードの構築を目的に多彩な活動を展開した若い生産者のグループ。その集いに参加した小林さんは〝鼻っ柱を折られるような〟衝撃を得たと話します。
「一言で有機と言っても、そこには千差万別の世界観がある。それどころか慣行農業にだって、信念があり理屈があり正しさがある。自分も農の多様性のほんの一部だということに気付かされたんです、同世代にね」

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それまではあらゆることを『有機栽培』という視点で捉えていた小林さんでしたが、この出会い以降、その視点は『おいしさ』へと変化していきます。「おいしくなきゃ、有機だと声だかに言っても意味がない」ことに気づいたからです。
考え方が変わってからは肩の力も抜けました。周りにはいろんな人がいていろんな農があることに気づきます。だからこそ農が面白いということにも。
「そんな当たり前のことを、当たり前に教えてくれた貴重なグループなんです」
REFARM北海道は役割を全うし4年ほど前に解散。しかし当時のメンバーとは今も頻繁に連絡を取り合っているんですよ、と小林さんはいいます。

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子どもたちのためにという、明確で正確な物差し。

REFARM北海道のメンバー以上に、小林さんの農に対する考え方を大きく変えた存在、それが二人の子どもたち。
「正直、赤ん坊の頃は『この子のために』なんて思うこともなかった。ただ上の子が3歳の時だったかな、一人でハウスの中に入り、汗だくになりながらメロンを抱えて出てきたんです。そして、お父さんこれ食べたいと。それを聞いて、はっとしたんです」
子どもたちが両手いっぱいにメロンを抱える姿。それは自分の栽培する農作物が「子どもたちの体をつくり心を養っていること」の象徴にも見えました。

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「それまで自分は、有機野菜を求める人たちのために『漠然』と野菜を作ってきたんです。けれどこれを機に『この子たちのために作る』と考えるようになりました」
無意識に取り組んでいた作業も、『この子たちのために』という物差しで測れば、その必要性が明確化します。逆に子どもたちのためにならない取り組みは、すべて止めることもできます。メロンの一件以来、子どもたちの体の糧となる食糧づくり、体の底から欲するおいしくて高品質な野菜づくりが小林さんの使命となったわけです。
「子どもらが勝手にトマトをもいで食べられる、そのための手段が有機栽培。こういう伝え方のほうが、一般の方に小林農園の方針がわかりやすく伝わるとも思いました」
子どもたちのために種を植え、水をやり、汗を流して収穫する。その積み重ねが今日の小林さんの農業です。

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地元を思う気持ちと、それに応えたいという気持ちと。

十数年ぶりに訪ねた小林農園にはたくさんの働き手がいました。
「それも大きな変化ですよね。あの頃は何でも自分でやらなきゃ気が済まなかったから」
かつてはボランティア頼みだった労働力も、今は有給のスタッフに変わりました。フルタイムで安定的に働いてくれるのは8名。そこにパートさんも加わります。畑での収穫、雑草抜き、加工場での袋詰め。それぞれが担当を持ち、キビキビと動き回っています。

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「今日の農園にはスタッフの皆さんの存在が不可欠。その一人ひとりに役割をつくり、気持ちよく働いて頂けるよう指示を出したり調整したりするのが今の自分の大切な仕事です」
畑で働くスタッフの中に一層黒く日焼けした筋肉質の男性がいました。聞けば石狩の少年サッカークラブに所属しているコーチだとか。
実は小林農園はコロナ禍で運営が難航するこのクラブチームのスポンサー。せめてもの恩返しとコーチの方々はこうして農作業のサポートに来ているのです。
「雇用や支援で地元に貢献できればという自分の思いと、それに応えたいという地元の方々の思いが実を結んだわけです」
小林さんのその言葉を象徴するように、奥様と地元の方が笑い合う声がガレージの方から響いてきます。あの直売所も今や地元のふれあいの場として定着しています。


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大都市が生み出す残渣と有機農法のコラボ。

取材の最後は有機肥料の話に。
小林農園は石狩湾新港で開催されるイベント「ライジングサンロックフェスティバル」で出された生ゴミを農園の堆肥に利用していたことでも知られています。
「この取り組みをもう一歩推し進め、例えば札幌で出される生ゴミを有機肥料として活用できないかと」
すでに小林さんは、農園の周辺の食品加工場やコーヒー焙煎業者から出される残渣(野菜の外皮、切り残し、豆かすなど)の有機肥料化に取り組んでいます。このモデルケースを札幌という大都市に拡大投影できないかというのが小林さんの構想です。
「ただし自分たちの力だけでは無理。行政を動かし、研究機関、業者など多くの方々の理解と協力を取り付けないと。課題は山積みだけれど、でもいつか絶対やれると思っています」
十数年の歳月を経て、すっかりなりを潜めたはずの小林さんの『尖り』。いやいや、まだまだ顕在なのです。

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はるきちオーガニックファーム直売所
はるきちオーガニックファーム直売所
住所

北海道石狩市花畔 363-13

URL

https://harukichi-farm.com/

営業期間:5月〜10月
営業時間:9:00〜13:00


農園や直売所で生まれる、温かな絆と野望の話。

この記事は2021年7月8日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。