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北海道で暮らす人・暮らし方
余市町

場所よりも、どんな人たちと生きていくのかを大切に考えた二人。20210616

場所よりも、どんな人たちと生きていくのかを大切に考えた二人。

くらしごと編集部も大変お世話になっている、余市エコビレッジの坂本純科さんに、とても素敵な暮らしをしているご夫婦がいらっしゃるから、ぜひ会いに行かれたらいいですよとご紹介いただき、春から夏へと季節が移り変わる2021年のとある日。札幌方面から車で1時間少々。ニッカウヰスキー工場の横を積丹町方面に通り抜け、ほどなくしてから山間に向けて少し登ったその先に目的地はありました。プルーンやリンゴなどの果樹を栽培する農家、「PINK ORCHARDS(ピンクオーチャード)」さん。

ちょうど大きめな低気圧が上空を通過中で、雨模様のあいにくの天気でしたが、おじゃますることができました。

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学生時代を京都で過ごしたお二人が、イギリスに渡り15年。2年の東京生活を経て、農場主として永住の地に選んだのは北海道余市町でした。そんなご紹介だと、普通の人には理解できない経験談でしょう?と思われるかもしれませんが、そんなことはありませんでした。苦労や大きな決断のための葛藤、今も日々泥だらけになりながら学びの毎日。その先にある幸せな生き方を教えてくれた気がしました。

新卒の就職活動もせずにイギリスへ

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お話をうかがったのは、農園の代表である木内 美佳さんと、ご主人の木内 大介さん。ご主人はご自分のお仕事でテレワーク中とのことで、まずは代表であり、子ども3人のお母さんでもある美佳さんに、これまでのことなどをうかがってみます。

「北海道に移住してきたのは2017年の4月ですので、実はまだ丸4年くらいなんです。ようやく北海道の生活リズムがわかってきたくらいで、まだまだといったところなんです」と笑う美佳さん。いろいろとお話を聞きたくなる人との距離感の持ち主。人としての魅力に溢れた方だと直感的に感じたのが第一印象でした。

「余市に移住するまでですか?長いですよ?笑」と美佳さん。なぜイギリスへ行かれたのか聞いてみます。

「夫とは大学時代に出会って、彼が大学卒業後、イギリスへ行きたいと言うので、ついて行ったのが私としての理由です。夫は元々ラガーマンで、ラグビー発祥の地に行きたい!という想いを持っていました。イギリスに渡ったあとも紆余曲折あり、ラグビーに身近な職業ということで結局は理学療法士の資格を取ることになるのですが、長い学生生活でした。その頃は、イギリスでは学生の配偶者は自由に働けるビザでしたので、私は現地のスーパーやレストランなどでアルバイトをしながら生活費を稼いでいました。主人も学生をしながら働いてもいましたが、とっても貧乏でした笑。」

イギリスで一緒に暮らすと決めましたけど、英語なんて全く話せなかったんですよと笑う美佳さんでしたが、就職先も決めず異国の地に行くというのは、相当な葛藤と決断だったのではないかと思います。

日本に戻ってきて、東京が拠点に

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農業に携わることは、大学の頃から決めていました。京都ではまわりの学生を集めて、みんなを車に乗せて農家さんのお手伝いに行くというような活動を立ち上げたそうです。イギリスでも、子育ての合間に、大学院で有機農業を学んだり、農業研修に行ったり、日々勉強を重ねていました。

イギリスでの15年の生活の間、日本へのホームシックはなかったという美佳さんでしたが、ついに日本へ戻る時が来ます。生まれも育ちもイギリスだった子どもたちには、現地での友人との別れで、悲しい思いをさせてしまったと語られますが、農家になるという夢の実現に一歩踏み出し、北海道へ......と思いきや、日本での生活の再開は東京となりました。

「夫が、日本に帰国して仕事を探すなら、東京の方が機会があるからという話になり、それで東京という選択になりました。本当はイギリスから直接北海道に移住したかったんですけどね笑」

ご主人目線でのこれまで

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...と、そこへ、ご主人である大介さんが登場。本業のお仕事を終えて、取材現場に駆けつけてくださいました。

今のところ、大介さんが軸のはちゃめちゃな人生のお話を聞いていましたよ笑! とお伝えしたところ、「ですよね~、ホント、妻には支えられっぱなしです。」と破顔される優しそうな雰囲気のご主人。ご主人サイドのお話も掘り下げてみます。

「高校からラグビーを始めてラグビーの魅力にすっかりとりつかれてしまいました。大学も体育会でラグビーをやったのですが、それが高じてラグビーやスポーツに関わる分野で働きたいと思ったのが、イギリスに行ったキッカケでもありました」

ラグビーのメッカなのはイギリスであるのは前述の美佳さんのお話の通り。でも選手としてだけでなく、その選手を支える仕事の文化も日本とはまた違ったものでした。

「イギリスでは地域のクラブチームでプレーをしたのですが、クラブチームに専属で理学療法士がいて、選手みんなから頼りにされていました。こんな道もあるんだと思い、スコットランドの大学院に入学し、理学療法士の資格を取得しました。イギリスではクラブチームに、プレーのレベルに合わせて何チームもあるんです。激しくプレーしたい人はトップのチームでプレーしますが、週に1度くらいは仲間と楽しくラグビーをしたいという人もプレーできるチームがあります。試合が終われば、みんなクラブハウスで飲むといった感じで、地域に根ざしたそんな文化が好きでした。最初の頃は英語があまりできなかったのですが、スポーツという共通言語で楽しい時間を過ごしていました。」

と、大介さんのラグビー愛がヒシヒシと伝わってきます。...が、実際のところ、資格取得後はイギリスの病院に就職し、スポーツ分野よりも、おじいちゃんやおばあちゃんのリハビリがお仕事の中心だったのは、美佳さんがこっそり教えてくれたことでもありましたが笑。

東京を選んだワケ

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大介さんは、北海道に移住することは最初、乗り気ではなかったとハッキリと教えてくれました。

「40歳も過ぎて、イギリスから日本に戻ってくるときに、就職先の選択肢の多さで考えたのなら、やっぱり東京というのが頭にありました。私の実家が東京というのもありました。」

とても現実的な答えで、家族を養っていくという視点からも誰も否定できるものでもありません。美佳さんが席をはずしているときにも、「もしかしたら東京に住んだら、住めば都で、このまま東京でもいいかな?と妻が思うこともあるかもしれないと当時は思っていました。でも彼女の決意は揺るがず、むしろ、彼女の夢はさらに増大していったのかもしれないですね」

大介さん自身も、実は東京での生活に違和感を感じていました。イギリスの生活のスタートは人口約900万人のロンドンでしたが、その後、スコットランドのアバディーンという人口20万人ほどの地方都市で生活していました。ちなみにアバディーンは、誰もが学校で学ぶ北海油田で栄えた都市。そして、スペイサイドを始めとしてウイスキーの蒸留所が世界で最も密集した地域としても有名だそうです。

農業は人とのつながりだと気がついた2人

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東京に来て2年。生活と呼べない様な東京の2年間に疲れ果て、共にまずは見学程度に1週間だけ...という感じで北海道に訪れます。最初に選んだのはニセコエリア。外国人も多く、英語も活用できるエリアだったからというのが理由だったそうですが、そこでお二人はあることに気が付きました。

「場所じゃないんだな、人とのつながりなんだなって」そう感じた大介さん。美佳さんも同じように考え、農家としての生業だけではなく、民泊との組み合わせなどにも興味を持ち、つながったのが余市町でした。「未経験者の強さって言うんでしょうか笑。滞在先のニセコから、余市町でモンガク谷ワイナリーを運営する木原さんに連絡したらお話しをしに来てもいいよ!って」。余市では、冒頭にも紹介した坂本純科さんともつながり、多くのアドバイスを得られることとなります。

そんな人とのつながりで、余市にくることとなる決断がおとずれたことを大介さんはこう説明されました。

「相談させていただいた方から、こういうのは、ちゃんといつまで!って決めて決断したほうがいいよ!だから、9月末までに決めなさい!みたいに期限がなんとなく決まったんです笑。それで、妻と二人でちゃんと話し合いました。そうしたら妻から一人でも行く、子供たちも連れて行くという強い思いを伝えられました。そうなると私の答えはシンプルでした。家族と離れての生活は考えられないと。それが余市に家族一緒で移住すると決断した瞬間ですね」

夫婦というのは、もともと別々の人生を歩んでいた二人が同じ屋根の下で過ごすというもの。もちろん考え方もそれぞれ。また、子どもの幸せの願い方もまた違うもの。これまでのお二人の話を聞いていて、お互いが歩み寄りながらも、自分の中で筋を通したいこともあって、でも最終的には相手を思いやる気持ちが勝るというような、なにか映画を見ているようなお話になってきました。

今のようにテレワークが身近になる前から

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そんな大介さんですが、北海道に移住をすると決めて、東京で働いていた医療コンサルタントの会社に、その経緯を説明し、退職する旨を伝えたところ、なんと、在宅ワークでいいから、北海道に住みながらそのまま働いてくれとオファーが来ます。予想もしていないことがおこりました。今のコロナ禍に至るもっともっと前のお話です。

「コロナによりオンラインで仕事をするというのが普通になりました。私が関わっている海外や政府・自治体のプロジェクトもオンラインでほとんどすむようになり、逆にめちゃくちゃ忙しくなっています。なので、農園の仕事は全然手伝えてなくって、確定申告や申請などの事務の仕事を主に手伝っています。土日なら農園を手伝えるんですけど、そこは休みなさいって、妻からちゃんと休みをもらえてて笑」

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ご主人である大介さんは、妻である美佳さんのことをこうお話されました。

「彼女は、本当に人とのつながり方が上手い人なんです。ここの前の農園主の80代のご夫婦ともとても良い関係を築いていて、今もいろんな教えをいただいています。地域のみなさんにもよくしていただいていて、そのあたりは本当に彼女の力だと思います。普通の人には、農業って、農地さえあれば誰でもできるような感じに思われるかもしれないです。でもそれだけじゃやっぱりできない。人と人とのつながりとか、地域との交わりとか、そういうのが大事なんだってことを妻から学んでいます。本当にすごいですよ、彼女は」

もしかしたら、この記事は、何万人にも見てもらう妻から夫へ、夫から妻へという手紙のような記事になってきましたが、どこか、北海道でありながら異国の地のような雰囲気の余市の田園風景が、そうさせる魔力をもっているのかもしれません。そして、作物を育てるという行為は、人間としての生き方そのものを再点検させてもらえることなのかもしれないと思わされました。

醸造用リンゴの栽培と、シードルの醸造

pinku teikyo01.jpg写真提供:PINK ORCHARDS


さて、農園のことにももうちょっと触れてみます。あらためて美佳さんにお話をうかがいます。

「今は、前の農園主さんから引き継いだプルーンの栽培がうちの主力になっています。そのプルーンも、前の農園主さんから技術を学びながらも、農薬をなるべく少なくしていくというチャレンジも始めています。プルーンは農薬を使わないと出荷できるレベルを維持するのはとても難しくて、そういうこともイチから学びながらなんですよね。でも私として将来的にやっていきたいのは醸造用リンゴの栽培です。でも、まだ醸造用のリンゴを植えてから3年。本格的な収穫が始まるまではあと2年以上かかるので、まだまだこれからなんです」

pink teikyo02.jpg写真提供:PINK ORCHARDS

余市と言えば果樹、リンゴ。でも醸造用リンゴというのは、普通のリンゴの栽培とはどうやら違うようです。

「日本では、いわゆる食べるためのリンゴの栽培はたくさんあるのですが、お酒にするための醸造用品種のリンゴの栽培というのは、全国でもほとんどないのが現状なんです。私としては、その醸造用リンゴを栽培して、そのリンゴを使ったシードルを生産し、みなさんにお届けできるようになることを目標にしています」

農地はかなりの急勾配で、登るだけでも体力が必要な斜面をあがって行きながら、「意外と慣れるもんですよ!」なんて笑いながら、目標を語られらた美佳さん。ここ余市町でも、高齢化が進むとともに、手間がかかり、脚立やハシゴを使わないと手入れや収穫がしずらいリンゴの栽培が大幅に減っているなか、先人たちの文化を受け継ぎつつ、新たな品種のリンゴを育てることにチャンレンジしています。

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「醸造用品種のリンゴの苗木って、輸入するには制限があってほとんど手に入れられないんです。国の機関で遺伝子を扱うセンターから、なんとか穂木をもらって、それを接ぎ木(つぎき)という技術で育てていくという栽培方法で始めています。接ぎ木とは、簡単に説明すると、根になる部分と枝木になる部分の別々の植物を準備して、それを一体化させて1本の木に成長させる技術です。ですが、協力いただける機関から、分けてもらえる穂木は品種ごとに3本まで!と決められているので、1つの品種をいっぺんに植えられないんです。そんな理由もあって、今、ウチの農園では22品種ものリンゴを植えて育てています。400本ほど植え終わりました。私たちみたいな小さな農家ではそれしか方法がなかったっていうことでもあるんですけどね笑。小さな木の手入れは本当に大変で、害虫から守ったり、鹿に食べられないように保護したりと、手間はやっぱりかかりますね」

シードルの醸造について

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...となると、シードルを醸造するのにも大変なのでは?という質問にも美佳さんはこう答えてくれました。

「そうですよね、ワインであれば、1品種で醸造するのが一般的ですからそう思われると思います。シードルは英国発祥なんですが、現地では何種類もブレンドして醸造するのが一般的なんです。醸造用品種のリンゴは、普通の生食用リンゴにはないタンニンという渋みが強い成分が多くて、食べられるものではないです。渋み、甘味や酸味のバランスで、ビタースイート、ビターシャープ、スイート、シャープの4種類に別れていて、3分の2をビタースイート、3分の1をビターシャープでブレンドすると良いシードルができると英国では言われています。私たちは22品種をうまく組み合わせて、そのブレンドをつくっていけたらなって考えています」

ご説明を聞いているだけで、美味しいシードルになりそうなのはものすごく伝わってきます。

大介さんからも追いかけてご説明いただきました。

「実はワイナリーの設備はすでに完成していて、今年初めてシードルの試作品を仕込んでいるんです。通常、ワイナリーとしては6,000リットル以上の生産を行わなければ免許が取得できないのですが、余市は醸造特区に認定されており、生産量が低いカテゴリーの免許が取得できます。これに加えて、余市にはワイナリーが多く、醸造で分からないことや困ったことがあると相談できる人たちがたくさんいます。そんな好条件が揃っている余市は本当に恵まれています。」

そんなご説明をいただきながら見せていただいたワイナリーはピカピカの新品!余市にある世界的に有名になったニッカウヰスキーだって、一番最初の日があったように、もしかしたらそんな歴史的な場所にいるようなワクワク感を抑えることはできませんでした。

とはいえ、まだまだ木内さんご夫婦のチャンレンジは、その入口に立ったばかり。これからも苦労し、学ぶ日々は続いていきます。

幸せのカタチ

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「今、すごく幸せですね」と、美佳さんがいない場で話していた大介さん。もしかしたら人生をかけた最大のわがままを言った美佳さんにとっては、一番嬉しい言葉だったかもしれません。恥ずかしいですよね? 記事には使いませんから~ってフリで撮影したお二人の写真も添えておきます笑。不思議なことに、お話しを聞き終わった後、どことなくこちらの農園がイギリスの田園風景のようにも見えてきました。

名門大学を出て、グローバルな会社に就職し、世の中を動かす人になることが未だ日本の多くの親が考える理想の姿なのかもしれませんが、たった18,000人の北海道の小さな町に移住した二人も、幸せな生き方のロールモデルのひとつだと思います。そして、ようやくそういう生き方が憧れる暮らし方と認めてくれる世の中に傾いてきている気がします。

...なんて、カッコの良いことで締めるのではなく、お二人のストーリーを知った上で、美味しいシードルを飲みながら、いろんな人たちとお話をしたいですね。そうそう、毎年農園をお手伝いしてくれる方を募集していますから、まずはお二人のお手伝いしながらお話を聞いてください。ファンになることうけあいです。

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随分と長い時間、取材陣を受け入れていただいたのですが、暴風雨を伴って移動していた低気圧はゆっくりと上空から去っていました。

夕日になりかけた明るい太陽は、お二人と農園の前途を祝すかのように、雨露をキラキラさせながら辺り一面を照らしていました。農園名は、ゴッホの絵画「THE PINK ORCHARD」をイメージしてつけたとのお話しでしたが、私たちには、ゴッホの絵よりもステキに輝いて見えました。

PINK ORCHARDS(ピンクオーチャード)
PINK ORCHARDS(ピンクオーチャード)
住所

北海道余市郡余市町沢町447-5

URL

https://pinkorchards.stores.jp/

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場所よりも、どんな人たちと生きていくのかを大切に考えた二人。

この記事は2021年6月4日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。