テラス席に座ると、空には飛行機雲。目の前にある公園からは子どもたちが遊ぶ楽しそうな声。
今回取材でおうかがいしたのは、千歳市の道の駅サーモンパーク千歳の中にあるピザ屋「ピザドゥ」さんです。
この日は平日にも関わらず、お昼を過ぎても次々とお客様がいらっしゃっていて、店内には焼きたてのピザのいい香りが広がります。
取材時間より少し早く到着したこともあり、おいしそうなメニューと香りに誘われて、ピザを堪能。少し大きいかも?と、思ったものの、結局ペロリと完食。そのおいしさにお腹も心も満たされます。
さて、ここで少しお客様も落ち着いてきたので、そのおいしさの秘密と、ここで開店するまでの道のりなどをゆっくりうかがいたいと思います。
お店のテラスにつながる公園にて。聡さんと奥様の里絵さん
大企業のサラリーマンでいるより、挑戦の道へ
マスクをしていても、豪快な笑顔が伝わるオーナーの久保田聡さんと、お隣で微笑む奥様の里絵さん。
「僕たち美大を目指していて、浪人中に通っていた予備校で出会ったんですよ!そして彼女は無事美大に入学したのに、僕はなぜか落ちたっていう(笑)。
まぁ、僕のほうが絵はうまいんですけどね!」そう笑い合うお二人からは、仲の良さがうかがえます。
群馬県桐生市出身の聡さんは、美術大学への入学を諦め慶応義塾大学へ。その学生時代に、ピザとの運命的な出会いを果たします。
学生バイトとしてピザ屋に入社した聡さんですが、メキメキと頭角を現し、卒業前には店長同様の働きを見せます。
「大学卒業後は大手広告代理店での就職も決まっていたし、バイトは辞める予定だったんですけどね。もちろん一度はバイトは辞めたんですが、気が付いたら昼は広告代理店、夜はピザ屋のダブルワークになっていました。これも流れっていうのかな。もちろん会社には秘密にしていましたよ(笑)」
えっ?新卒でWワーク?しかも大手広告代理店なのに??と、取材陣もびっくり。
ですが、そんなWワークの日も長くは続かず、入社から約2年、聡さんはある決断をします。
「東京の飲食業界はまだ景気も良かったんでねぇ。このまま会社員でいるより、ピザ屋で挑戦しよう!そう思ったんですよ」
決意はしたものの、軍資金を蓄えるほどの時間のなかった聡さんに、ピザ屋オープンへの流れがやってきます。古くからの友人のお父さんが、やりたいなら銀行で融資を受けたらいいと言い、手を引かれるように銀行へ。すると、とんとん拍子に融資の話が進み、広告代理店の仕事は辞め、ピザのチェーン店のオーナーとして独立することに。
一方、東京都出身の里絵さんは美術大学を卒業後、平塚市にある授産施設「工房絵」で知的障がいのある方々にアート教える仕事をしていました。
「教えるなんてことじゃなくって、アートを通して自分を表現するお手伝いをしていたんですよ。彼らが持っている可能性や個性をどうやったら引き出せるかなぁっていうね。
実際私たちの想像を超える作品が誕生して、こちらのほうが受け取るものが多かったです」
と、優しく微笑む里絵さんの言葉から、障がいをお持ちの方々と、まっすぐな想いで向き合ってきたことが伝わります。
また、「工房絵」での取り組みは、当時、障がい者との新たな道として、佐藤真監督の映画「まひるのほし」の題材となり、注目を集めたそう。
絵を描くことが好きで美術の道へ進んだ里絵さんでしたが、自分が描く以上の感動や、やりがいを感じる仕事だったと教えてくれました。
こうしてそれぞれの道を歩んでいたお二人ですが、聡さんがチェーン店としてピザ屋を始めて3年経とうとした頃、「もっと素材にこだわった、オリジナルの生地や具材を楽しめるピザを作りたい!」と、チェーン店を卒業することを決心。
そして1997年、東京都国立市に自身のお店「ドイツ亭」を構えます。
試行錯誤の末に編み出した、天然酵母と発酵バター使用のオリジナル生地は大好評で、そこにトッピングされる自家製無添加ソーセージなどもあいまって、お店は瞬く間に人気店に。
あこがれだった北海道へ移住を決意
「実はこの年に結婚、長男誕生といろんなことが同時にあって、なんていうかバタバタした1年でしたねぇ・・・」と、当時を振り返る聡さんと里絵さん。
千歳のお店では念願だった薪釜を設置。その前でパシャリ!
その後さらに2人の息子さんにも恵まれ、お店の経営と男の子3人の育児に忙しく過ごしていたお二人でしたが、お子さんにはのびのび育って欲しいという思いがありました。
そのため、お子さんたちには体験を通して生きる力を学んだり、アイヌ文化から琉球文化まで幅広く日本の文化に触れられたりと、自由な校風が魅力の学校を選んでいたそう。
「実は僕、大学時代アイヌ文学を専攻するほどのアイヌ好きというか、北海道が好きで、そういう歴史的な面や文化を学ぶ機会を大切にしたいなという想いから、子どもの学校を決めましたね。
でも、それ以上にやっぱり実際北海道に来て自然の中で過ごす時間は特別で、家族ができてからは毎年釣りやキャンプを楽しみに夏の北海道に来ていました!でも、そういえばこっちで暮らしてからまだキャンプしてないですね(笑)」と聡さん。
東京にお店を持っていた頃は、気温の高い夏のシーズンが暇だったことから、ゆっくり夏休みを取って北海道へ来ることが楽しみだったそう。
そして「ドイツ亭」オープンから数年後のこと。軽井沢などでシェフが、自家菜園の野菜をメニューとして提供するレストランがブームになっていることを知った聡さんは「ピザ屋でやっているところはまだあまりない!せっかくやるなら、大好きな北海道で自家菜園のピザ店を出したら面白いかも!」と、北海道への移住を本気で考えはじめます。
その想いを実現すべく、さっそく聡さんは、「自家菜園が作れる庭のある住宅と、店舗になる物件を探したい」と北海道の自治体窓口に相談します。
最初のまちこそ良いお話にならなかったものの、2件目に電話した黒松内町ではとんとん拍子に話が進み、道の駅に併設で店を出して欲しいとすぐに開店準備がはじまります。
大人気のオリジナル生地
あまりに急な展開でしたが、妻の里絵さんは動じるどころか「流れには逆らっちゃだめだわ」と北海道移住を後押し。
ご長男こそ嫌がったものの、大好きなラグビーを続けられること、東京を離れる前に高級天ぷらをおなかいっぱい食べること、を条件に北海道行きを決めてくれたそう。
なんとも面白い条件にお二人の楽しい子育ての様子が伝わってきます。
順調だった北海道でのお店、しかし次のステップへ
ところで、東京にある「ドイツ亭」こちらはどうされたのでしょうか?
「ドイツ亭は信頼できる田中くんに任せてきました!彼はドイツ亭をオープンする頃、調理の専門学校生としてアルバイトに来てくれていたんです。卒業後一度はケーキ屋に就職するために辞めたものの、数年後にうちのドルチェ担当として引き抜いていたんですよ。彼がね、ホントいいやつなんですよ。味のことでぶつかったこともあるけれど、この子なら店を任せてもいい!そう思えたので、自分は北海道へ行くことを伝えて、店を引き継いでもらいました。もちろん今も国立でこの味を守ってくれています!」と、聡さん。
今もなお、たくさんのファンの方に愛されるお店として営業されているそうです。
そうして2010年、黒松内町の道の駅に北海道1号店となる「ピザドゥ」をオープンします。
そのおいしさからまたたく間に評判を集め、町内外から連日たくさんの人が押し寄せる人気店となります。
この時、もちろんご家族も一緒に北海道へ移住。ご長男は地元の中学校、次男・三男は地元の小学校へと転校しました。
「当時、長男は中学生だったし、急に田舎の学校になじむのは大変だったみたいだけど、高校生になる頃には北海道に来て良かったと言ってくれました。小学生だった次男と三男は、自然学校での遊びを通して、都会では体験できないような、人として豊かに生きるために必要なことを学びました。やっぱりここに来て良かったですね」と聡さん。
黒松内町には「ぶなの森自然学校」という、学校とは別に自然体験学習をする会員制の学びの場があり、町内の子どもたちはもちろん、近隣からの参加者も多いのだとか。
1年を通して、生き物を飼育したり、森の中を探検したり、自然を通して世代を超えた繋がりから学ぶものはたくさんあったと当時のことを教えてくれました。
黒松内の暮らしも、お店も順調に進み、このままここで暮らすのかな。そう思っていた頃、久保田さんご夫妻に次の転機となる、千歳市道の駅リニューアルに伴う出店募集の話が舞い込みます。
「道の駅で飲食店の公募をするから、ぜひ応募してみないかってお話しだったんですが、ここまでの流れを考えたらきっとこのタイミングなんじゃないかなって思いましたね。もしお店を出せるなら薪窯を採用したいことなど、こちらからの条件提示もさせていただいたうえで、もしそれが叶うなら本当に嬉しいじゃないですか」そう話す聡さんは、公募の結果は天に任せ、今後の家族の暮らしについて考え始めます。
「これからの暮らしを考えた時、千歳なら都会過ぎず、田舎過ぎない、ほどよい田舎暮らしができるんじゃないかなぁ」と聡さん。これには、妻の里絵さんも頷きます。
「せっかく東京から出てきたのに、マンションやビルのあるところで暮らすのは嫌だったんですよ。でも田舎で暮らしてみて、その良さも不便さも体験できたことで、もう少し人の多いところがいいかなぁとは感じていました」移住から5年、里絵さんの中にも考えるところがあったそう。
サーモンパーク千歳。この中には現在2店舗を経営
そしてこう続けます。
「千歳に行ってみたら空港や商業施設もあって、すごく便利に暮らせるのに、郊外には静かな田園風景が広がっていて、北海道らしい景色の中で暮らせるんだなぁというのは正直意外でしたが、移住の決め手にもなりました。それに空港が近いので、東京にもすぐに行けるし、関東で就職した長男が帰って来やすいこと。次男・三男も高校に通いやすいことなど、考え出したらいいこと尽くめで(笑)」と笑顔を見せます。
これには息子さんたちも同意した様子で、家族揃って千歳に拠点を移すことを決めます。
新しいお店では念願の薪釜も導入
そして、家族の想いも一致したところに、道の駅の公募結果でも無事出店が決まります。
「やっぱり流れに身を任せるって大事なのよね。流れに逆らわなければ、ちゃんと進むべき道が用意されるのよ」里絵さんの悟りとも感じられる言葉と、お二人が歩んできた道のり。
普通なら躊躇してしまうようなことも、二人で協力してきたからこそ、その流れに乗れることができる。そう、お二人の強い絆を感じました。
お店のスタッフさんたちと
こうして2015年8月、千歳市にて新しいお店がオープンしました。
「念願だった薪窯を導入したんですよ!手間はかかるけど、やっぱり薪窯はおいしさが違います」と、満面の笑みで窯を紹介してくれる聡さん。
厨房の奥には、自慢の薪窯がお客様からも見える位置にあり、提供されるまでの待ち時間もワクワクに変えてくれます。
もちろん今まで同様自家製ソーセージなどの加工もある中、薪割もご自身でされるそうで、忙しい聡さんを最近では息子さんも薪割のアルバイトをして支えているそうです。
「空港があるので、きっとお客様の大半は観光客だろうなぁと思っていたんですが、実際オープンしてみると、意外と千歳市民や近郊の方々が足を運んでくださって、これには本当に嬉しかったです!」と笑顔を見せる聡さん。
もちろん観光客の方にも楽しんでいただけるよう、北海道産素材をふんだんに使用したメニューが並ぶ店内ですが、聡さんは北海道でピザを作るようになって気づいたことがあると話します。
「東京にいる時は、1年中いつでも同じ食材が手に入っていたんです。でも、北海道に来たらアスパラガスは5月の頭に登場したと思ったら6月には採れなくなる。当たり前のことかもしれませんが、野菜には旬があって、この旬のアスパラガスを食べた時に本当に感動しましてね。これまで食べたアスパラガスはなんだったんだろうって(笑)
それにチーズのクリーミーなこと。こんなチーズに出会えるなんて思ってもみませんでした。
あと、水揚げされてまだパカパカ動く状態で届く新鮮なホタテも、もぉ衝撃としか言いようがないくらい、北海道の大地が食の宝庫だということを思い知らされました。
この素材の味わいを最大限にいかすこと。それこそが、自分がピザ職人としてこの場所でできる最高の贅沢で、ここなら日本一のピザを提供していける。そう確信しました!」と、目を輝かせる聡さん。
美味しさが違う!という薪釜の火
こうした聡さんの熱い想いから作られたレシピで提供されるピザは更なる人気を呼び、千歳のお店も行列ができる店となります。
また、黒松内、千歳と続いた「ピザドゥ」は、スキーヤーなどに人気のルスツ村からも出店の声がかかり、新しいお店をオープンさせるなど、その勢いは止まりません。
「そうそう。そういえば、東京の「ドイツ亭」を任せた田中くんも、ここ千歳のオープンの時は3年間手伝いに来てくれたんですよ!それにうちのスイーツのレシピは全て当時ドルチェ担当だった田中くんが考案したものを採用しているので、スイーツにも自信があります!」と、今もなおドイツ亭時代からのお付き合いが続いているのだとか。
その時々で出会った人を信頼し、こうした人との繋がりを大切にしてきた聡さんだからこそ、新しい土地でも次々と出店の声がかかることに頷けます。
暮らしという目線でも理想的な場所にたどり着けた
ここで千歳での暮らしについてもうかがいました。
「千歳はまちの新陳代謝がいいというか、発展の可能性を秘めたまちだなって感じています。
人との距離もちょうどいいし、自衛隊があるからか常に人の流れもある、若い人も多く活気があるところも魅力ですね」と、聡さん。
「空港があったり、転勤族の人も多いからなのかな。新しいものが入って来ることをよしとしている風土があるような感じがしますね。それと買い物がすごく便利になりました!」と里絵さん。
東京と比べればかなり田舎ではあるものの、千歳での暮らしは快適な様子。
時間があくと、ここで小川を眺めながら休憩するというお二人
そんな千歳暮らしから5年、いよいよお二人は千歳市に根を下ろすことを決めます。
「せっかくなら景色のいいところで、ゆっくり暮らしたいと思っていて、広い庭のある一軒家を探していたら本当に希望どおりの物件が見つかったんですよ」
2020年、千歳市郊外に中古住宅を購入した久保田さんご夫妻。
その敷地、なんと400坪!一般住宅としては北海道民も驚く広さです(笑)
もともと昆虫の研究者さんが暮らしていた場所と知り、趣味でカブトムシのブリーダーもされている聡さんは、ほぼ一目惚れ。
「ここしかないって思いましたね!もちろん庭の白樺とか、自宅から見える景色。どれを取っても毎日が北海道を感じられる。ただちょっと古いので、これから手直しが必要そうです」
今は、この家を自分たち好みにカスタマイズしたり、ツリーハウスを計画するのが楽しみのひとつなのだとか。
「こっちに来てから夏は忙しくて休みどころじゃないけれど、クリスマスを家族で過ごせるのが嬉しいよね」そう微笑みながら歩くお二人の背中からは、これまで支え合ってきた日々が見て取れます。
これからについてたずねると「今すぐとはいかないかもしれませんが、せっかく近くに支笏湖やたくさんの自然があるので、また昔みたいに家族でキャンプや釣りも楽しめるくらいの時間を作りたいですね」と聡さん。
「私自身は、もしできることなら、また子どもたちや障がいのある方々にアートを通して表現することを伝える場づくりだったり、そういう機会をつくっていきたいなって思っています。
もうすぐ子育てもひと段落するし、お店のことは優秀なスタッフさんに恵まれているので、あまり心配していません。こういう時代だからこそアートという形で、何かできることがあるんじゃないかなって思っています。まだ全然具体的じゃないですけどね(笑)」そう、里絵さんは新たな道へも想いを馳せます。
"流れに身を任せる"
ピザ屋をオープンすると決めたその時から、いつか北海道へ来ることすら決まっていたのでは?と、思わせるくらい数奇な巡り合いのもと、ここまでやってきた久保田さんご夫妻。
「流れに逆らっちゃだめよ」里絵さんのこの言葉が、全てを物語っていました。
"次はどんな流れがやって来るのか?"それすら楽しめるお二人の未来と、「ピザドゥ」のこれからが楽しみでなりません。
- まき窯ピザ工房 ピザドゥオーナー 久保田聡さん・里絵さん
- 住所
千歳市花園2-4-2 道の駅サーモンパーク千歳内
- 電話
0123-26-6055(営業時間 11:00~20:30/不定休)
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※取材当時の情報です。
※現在、この場所での営業は終了しておりますのでご了承下さい。