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放牧酪農の先にあるのは「家族との幸せな暮らし」。丸藤牧場20210121

この記事は2021年1月21日に公開した情報です。

放牧酪農の先にあるのは「家族との幸せな暮らし」。丸藤牧場

就職活動をやめて北海道へ。そこで出合った放牧の魅力

北海道らしい景色といえば、広大な放牧地で、のびのびと草をはむ牛たちの姿が思い浮かびます。その一方で、365日休むことなく世話に追われる重労働というイメージがつきまといやすいのが酪農という仕事。2008年に中川町で新規就農した丸藤英介(がんどうひでゆき)さんは、8年の下積みの末、理想の放牧酪農をするために移住しました。探していたのは、一家5人の幸せと、牛たちの幸せを同時にかなえる生き方でした。

「丸藤牧場」には牛舎周辺に集約された分だけで40ha、全体では70haの平らな牧草地が、見渡す限り広がります。冬支度が間際に迫った10月下旬に放牧地を案内してもらうと、四つ足を投げ出して完全にリラックスしている牛の姿もあり、なんとも微笑ましい光景でした。丸藤さんは「触っても大丈夫な牛がいれば、逃げる牛もいます。一頭一頭に性格がありますからね」と教えてくれました。経産牛40頭、育成牛20頭を手塩にかけて育て、毎日の観察を欠かしません。

ganndoo19.JPG放牧酪農の魅力を教えてくれた丸藤さん
牛たちの様子の変化をはっきり感じられるのは、春の放牧スタートの時と、新しい草の生えている牧区への移動時だそうです。「放牧が始まる時の牛の喜びようは、すごいです。馬のように駆けたり、飛び跳ねたりする牛もいます。新しい草の牧区へ移動させるときに「べーべー」と呼ぶと、普段はのんびりな牛たちも早足でついてきます。広い場所で寝っ転がったり、新しい草を食べられるのは、牛にとって幸せだと思います」と言います。

牛がリラックスできる環境や、良い健康状態に対するこだわりは、大学卒業後に北海道の地を踏み、放牧酪農を志した時から培われてきました。

丸藤さんは横浜市生まれ。山で一人で遊ぶような幼少期を過ごし、大学生のころには「都会のサラリーマンになって仕事ができる自信がない。一次産業のほうが満足度が高そうだ」と漠然と感じていました。イメージしていたのは、北海道か沖縄で自然に囲まれた生活。そんな時、助教授の「好きなことやった方がいいぞ」という言葉に背中を押されて就職活動をやめ、馬が好きなこともあり、大動物つながりで牛を、自立して安定した経営を期待し「酪農」に照準を定めました。東京にある「北海道農業担い手センター」で相談し、訓子府町の牧場で実習に励みました。たまたま図書館で借りた「マイペース酪農」という本にも感化され、徐々に放牧に目覚めていきます。道内各地の放牧農場を訪ね歩き、憧れの度合いをどんどん強くしていきました。

「牧草地の生草を牛が直接食べることで、牛が健康になり、低コストにも繋がる。良い牛乳が搾れて人間もハッピーになれる。こんな魅力的なことはない。乳量に合わせて、化学肥料や配合飼料など足りないものを最低限入れる循環型サイクルができて、無駄がない」と、放牧酪農にすっかり魅了されました。

ganndoo9.JPG四つ足を投げ出して、完全リラックスの放牧牛

数ではなく、家族の幸せを追う。幸せを実現するための逆算を

訓子府町の牧場で学んだあと、授精師の資格を取得し、アルバイトで100万円貯めて、神奈川県の農業大学校に入りました。就農先としては、生まれ育った横浜に愛着はあったため周辺でも可能性を模索はしましたが、土地の価格が高くて断念。自立した経営が見込める北海道を、再び目指すことになりました。

浜頓別町の研修先では奥さまと出会い、町内での就農を探ったものの条件が合わず、稚内市から音威子府村にかけての全町村に電話で問い合わせしました。そこで、色よい返事があった3町の一つが中川町でした。

ゆずれなかった条件はまず、広くて手頃な値段の土地。そして、放牧の生命線である良質な牧草が育ちやすい環境でした。なかでも、「ペレニアルライグラス」という栄養価の高い牧草は十勝や道東では冬に死んでしまうこともありますが、雪に覆われて土壌が凍結しない地域なら、そうはならないそうです。中川町は安定した積雪があり、紹介してもらった今の牧場も、ペレニアルライグラスにとって最適でした。丸藤さんは現場を見て、「こんなに広い土地があったら、いろんな放牧酪農の可能性があるなと。すごい胸がときめいて、ドキドキワクワクしました」と一目ぼれ。32歳だった2008年、ついに新規就農を果たしました。

経営方針は明確です。家族で過ごす時間や経済面でゆとりをもち、幸せを感じることを大目標にし、そこから逆算して適正な規模を自分で設定するというスタイル。多くの頭数を牛舎で飼い、できるだけ出荷量を増やすという手法とは一線を画します。

ganndoo5.JPG栄養価の高い、ペレニアルライグラス
例えば、飼料。丸藤さんによれば、一般的によく使われる濃厚な「配合飼料」を加えて乳量を増やした方が短期的に利益が出るのは明らかですが、飼料のほとんどは、自生したり土づくりから自分で手がけたりする放牧草を使います。たんぱくや糖分、エネルギー価が豊富な草や、牛が好んで食べて乳量が多く期待できる草が良好に育つように心がけます。土壌の状態から見極め、草の丈は20㎝ほどにキープ。「丈を20㎝くらいに保つと、海外から買う配合飼料に負けない栄養価になるんです。この放牧草は、牛にとっての『機能性食品』です」と聞けば、牛をうらやましいとさえ思ってしまいます。

低コストな自給飼料で健康状態を良くし、自分たちが飲みたいと思えるようなおいしく質の高い牛乳をつくる。そして、自分たちでできる無理のない規模で、効率的な家族経営を長く持続させるという考え方です。

家族が不自由なく生活していくために必要な所得をはじき、そこから1頭あたりの乳量は年間で7,000㎏と、一般的な農場の半分強に設定。それに基づき、必要十分な飼料の量や栄養価を考えていきます。「7,000㎏という出荷量から計算して、それに見合うように、自分の牧場の中で物質のサイクルを生む循環型の酪農ができます、足りないものだけを、牧場の外から最低限入れます。7,000㎏出すのに12,000~13,000㎏の牛と同じような体はオーバースペックで、無駄なエネルギーが必要になります。排気量の大きなエンジンはいらない、うちの牛は軽自動車でいいんだ、という感じです」と笑います。

必要なことは自分で。足りないものはうまく補って効率化

足りないものをしっかり把握して効率的に補うという得意技は、既に神奈川県の農業大学校に進んだときから身についていました。

ganndoo10.JPG軽自動車タイプの乳牛
訓子府町の牧場で実習した後、こう考えました。「酪農を始めるのは技術面でも資金面でも大変。経営者はすべてをやらないとけないし、機械作業の技術が著しく足りないけれど、普通の実習や勤務だと一定のことしか任されない。いろんなもの学んでから『教えてください』と言った方が近道。農業大学校なら必要なことを集中的に学べる。急がば回れだ」。意思を固めてからの行動は速く、迷わず神奈川に戻りました。

授精師の資格を取得し、半年間のアルバイトで100万円貯めて、農業大学校に入学。全般的な知識を学び、在学中に農業機械の運転、溶接技術などのスキルを一気に手にしました。卒論は北海道での新規就農計画について、必死に練り上げました。知識に基づいた現場での観察にどこまでもこだわる丸藤さんですが、長期的な計画を立てる大切さも心得ていて、当時の学びが、その基礎を磨くことにつながりました。

一方、生き物と向き合う酪農という仕事で避けて通れないのが、時間をやりくりするという難題です。仕事に打ち込むほど、私生活が犠牲になりかねません。その足りない「時間」を補い、家族の幸せをかなえるために「このシステムがなかったら新規就農しようと思わなかった」というほど重宝しているのが、酪農ヘルパーです。毎年、20日以上を利用していて、「金額を勘定したら休みにくいので、使ってもいい日数を決めています」とポリシーを教えてくれました。放牧酪農が盛んなニュージーランドへ視察研修に行った時は、一週間ほどヘルパーのお世話になったこともありました。

ganndoo15.JPG1度に複数の子牛に哺乳可能!?酪農は試行錯誤の繰り返し
「昔は365日休みなしでしたが、酪農家だから出かけられないのは家族がかわいそうだし、マイナスの要素が強い酪農にしたくないんです」と信念をのぞかせます。就農当初は、仕事以外のことを考える余裕はなく、奥さまにも注意されたとか。「家族の幸せを考えて酪農を始めたので、笑って生活できるようにプライベートを充実させないといけないと思いました。子どもたちにも、楽しく酪農してお金も稼ぐということを伝えたいし、自分の背中を見せて、できればこの牧場を継いでほしい」と明かします。

「第三の故郷」に根付いて12年。足元の幸せに気づく

少しずつ自分たちらしいペースをつかみ、試行錯誤を重ねて10年ほどで経営は安定し、労働時間も2割ほど減ったといいます。子どもは小学6年、3年、1年生と成長し、バギーに乗っての牛追いやゲートの切り替え、搾乳といった作業を楽しそうに手伝ってくれるように。上の2人は「将来酪農をやりたい」と話し、真ん中の3年生からは「俺は酪農家になるために生まれてきたんだ」と頼もしい言葉が飛び出たようです。

供給している乳量は少ないといいますが、丸藤牧場の生乳は中川町の道の駅でソフトクリームになって売られています。この身近な商品が、家族にとっての大きな満足感をもたらしています。「儲けとかよりも、自分でつくった牛乳のソフトクリームを、地元でみんなに食べてもらえる嬉しさが大きくて。子どもたちも喜んでるし、誇りを持っていますね」。そう語る丸藤さんの表情も幸せいっぱいです。

ganndoo18.JPG牧草の発酵具合を確認中。経験のなせる技
中川を横浜、浜頓別に次ぐ「第三の故郷」にした丸藤さん。「特徴的な建築物とか、観光客がばんばん来るスポットとか派手なものはないですが、風土は恵まれています。畑作の北限地で積算温度も高く、気候や土壌の条件もいい。それでいて土地が安いんですよ」と営農環境を推します。

生活面では、大きな病院や店まで離れているものの車を使えば大きな不便はなく、宅配サービスにも大いに助けられています。最近は敷地内でニワトリの飼育や家庭菜園、キノコ栽培も始めました。ニワトリは孵化器で繁殖させ、雄は肉としていただくこだわりよう。ニワトリ小屋も手元にある材料で自作しました。家庭菜園では、子どもたちが登校前や学校帰りに、野菜や果物をもいだりかじったりしています。2021年は酪農仲間と近くの川で、渓流釣りを本格的に始めるつもりです。

「買うものが減ったというわけではありませんが、楽しみと食育のために、ちょっとずつ、いろんなことを始めています。なんにもなさそうな町ですが、人間の生活の基本に立ち返ったような楽しみをつくることができます」と魅力を語ります。特に新型コロナウイルスに見舞われている今は丸藤さんにとって、「遠い場所にあって便利と思ってきたものから、身近なものへ、その良さを見直す時間でもあります」。一家の暮らしは、大切なことを教えてくれているようです。

そんな居心地の良さを感じ取ってか、丸藤さんとの縁で町内に新規就農する人も続いているようです。「放牧酪農の仲間が増えてきているし、大学生をはじめ放牧で牧場を持ちたいという志を持った若者たちが、意外と増えているんです。そういうネットワークを大事にして、コミュニケーションを続けて仲間づくりをしていきたいです」と力を込めます。

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気付けば、就農してから12年。酪農の世界に足を踏み入れて20年になりましたが、「これがいい、というのがないので終わりがなく、死ぬまで勉強という意識でやっています」と奥の深い酪農への探求心を絶やしません。とはいえ、経営は安定し、経験も豊富になり、次の世代につないでいく立場に。「育成する側として自立した経営者になってもらえるサポートをしたいし、ただ教えるばっかりというより、新たな刺激や学びを期待しています」と、ますます意欲的です。

低い声と、淡々と落ち着いた話しぶりが印象的な丸藤さん。こだわりが敷き詰められた牧草地を歩く足取りからは、足元にある幸せをじっくり、しっかり見つめる意志が伝わってきました。

丸藤牧場 丸藤英介さん
丸藤牧場 丸藤英介さん
住所

北海道中川郡中川町字大富150番地1

URL

https://www.facebook.com/gando.feel.nature


放牧酪農の先にあるのは「家族との幸せな暮らし」。丸藤牧場

この記事は2020年11月4日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。