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中川町

直感を信じ、森のまちに飛び込んだ、女性職人たち20210114

この記事は2021年1月14日に公開した情報です。

直感を信じ、森のまちに飛び込んだ、女性職人たち

森と、人と、わざがつながる中川町

どこか奥ゆかしい、深い森が広がる北海道北部。その中でも、町域の85%が森林という中川町には町有林だけで札幌ドーム363個分の2,000ヘクタールもの森があり、その豊かさには目を見張ります。そしてこの「森のまち」は同時に、「作り手のまち」という顔も。豊かな森の恵みに向き合い、丁寧に、地道に、思いを届ける作家たちが、手工業組合「森と手と」として活動しています。本州から移住し、山ぶどうの蔓や白樺樹皮でバッグや生活道具をつくる樹皮細工職人の入舩絵美さんと、オニグルミや白樺樹皮や根曲がり竹でカゴを編む、かごあみ絲さん(以下 絲さん)を訪ね、中川らしいものづくりと暮らしの魅力を教えてもらいました。

moritoteto19.JPG右から、かごあみ絲さん、工房の先輩である 木工 髙橋綾子さん、樹皮細工 入舩絵美さん
「森と手と」は中川町を拠点とするつくり手たちの団体で、そのうちの3人の女性たちは、もともと幼稚園だった建物を改修した共同の工房をアトリエにしています。その名が示すように、身近にあって毎年成長する資源を少しずつ、おすそ分けしてもらうことや、大量生産や大量消費とは無縁のものづくりを提案しています。

新潟県出身の入舩さんは2018年7月から、京都府出身の絲さんはその1年後に、ともに地域おこし協力隊を卒業して、一つ屋根の下で工房を構えました。出身や経歴、タイミングこそ違いますが、驚くほど共通点が多い2人。森林資源を守りつつ多様な形で無駄なく活用する、「森林文化の再生」という中川独自の道しるべと、そこから生まれた不思議な人のつながり。その2つに導かれるように移り住みました。

moritoteto16.JPG作品づくりは中川の森での素材集めから

違和感に正直に。ゼロから、「好き」を探し求めて

入舩さんは、祖父が大工さんで、その作業を間近で見て育ったことをきっかけに、幼いころからものづくりに興味を持ちました。大学では、後に「森と手と」の先輩となる木工作家の髙橋綾子さんと同じゼミに所属し、マングローブの木について研究しました。
髙橋綾子さんの記事はこちら

就職活動では「一生やっていける仕事を」と考え、建築系を志望。大学卒業後は地元の建築会社に入社しました。リフォーム部門で、契約から工事完了まで数千万円という案件を扱う仕事で、20代後半で店舗の責任者として活躍していました。「お客さんと一生かかわっていく、覚悟のいる仕事。営業も建築の仕事も大好きだったんですけど、管理職になるとお客さんに向ける時間よりも、人や時間、お金の管理が増えていきました」と悩み、悶々とすることが多くなりました。30歳を目前にして「このまま続けるのか、ゼロになっても新しいスタートを切るのか」と具体的に考え始めました。

すぐにチャレンジの中身が決まったわけではないと言いますが、思い出したのは幼い頃からの家族との思い出。父に連れられ、休日という休日は山に登り、万全の準備やこつこつ積み上げることの大切さを学んだと言います。やがて「山にかかわる仕事がしたい」という思いが沸き上がります。「好き」を追求して木工作家を目指し、北海道に移住する寸前だった髙橋さんの存在が思い浮かび、久しぶりに連絡を入れました。

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一方の絲さんは大学を卒業して外資系の家具販売店で販売の仕事をした後、留学をへて地元に戻り、大学生向けのキャリアカウンセラーとして仕事をしていました。もともと海外に行きたい気持ちが強く、いずれはヨーロッパに移住するつもりで、実際に中川町に来る前の年もビザを取得してドイツに滞在していました。しかし、そこでシリアからの難民の方に出会ったことが転機に。
「日本にないものをもとめていたけど、自由がある自分の状況を見つめて、ふとわれにかえりました」

それからは日本でやりたいこと、できることを探し始めます。
ヨーロッパを好きになった原点は、マルシェ(市場)でかわされる人々のやりとりと、その中にあるそれぞれの「自由な選択」が素敵だと感じたことでした。そこで見た、紳士たちがカゴを持っている「かっこいい」光景が印象的で、カゴへの興味のきっかけとなりました。それ以来、カゴへの憧れは色あせず、また農的な暮らしにも関心があり、農村の伝統的な手仕事であるカゴ編みの魅力に引き込まれていきました。

ただ、技術もなければ、知識もない、ゼロからのスタート。カゴに関連したキーワードをネットで検索すると、町民向けにクラフト作家を育てるという中川町の事業を見つけ、「自分にはぴったり」とアンテナが反応しました。地図で見てあまりの遠さにひるみますが、行ったことのある旭川市でイベントがあると知り、「まず旭川なら。これを逃したら中川町まで直接行く勇気はないな...」と、道北を目指しました。そこで、今につながる運命的な出会いが待っていました。

moritoteto1.JPG農家の冬の手仕事だったかごあみ。その技を現代に引き継いで

髙橋さん夫妻から知った中川で、ゼロからスタート

入舩さんは2014年に中川町に移住していた綾子さんに連絡した後、中川町を訪ねました。後に綾子さんの夫になる役場職員の髙橋直樹さんにも引き合わせてもらい、森や木を生かしたまちづくりがさかんで、作り手を育むまちだと知りました。そして「ここだったらゼロベースの自分でもできることがある」と確信しました。「山にかかわる仕事を」という希望を抱き、地域おこし協力隊の扉を開けました。

一方の絲さんは旭川市でのイベント会場で髙橋さん夫妻に会い、温かいもてなしを受け、その流れで中川町を案内してもらいました。森を歩き、起業セミナーにも参加。「その回の講師に『ずっとここにいなきゃと思わなくていい。やりたいことをやればいい。まちを背負わなくていい』と言われ、来ない理由がなくなりました」と笑います。

もともと農家との兼業をイメージしていましたが、根曲がり竹、オニグルミと白樺の樹皮等の素材が、中川の森に豊富にあることを知り、「かごあみ絲」という屋号で作家としての道を歩むことを決めました。

中川町に来てから、2人はまず、地域おこし協力隊として土台を築くことになります。

moritoteto11.JPG入舩さんの編む、山ぶどうと白樺のバッグ
入舩さんは市場に出回らない町産木材を作家に届けたり、イベントに携わったりする「木材流通コーディネーター」として活動。かねてより「作り手の気持ちを分かりたい」と思っていましたが、コーディネーターの仕事を通じて山ぶどうという素材に出合います。力強く、生命力みなぎる、今までに見たことのない素材。採取のために山に入って重労働に汗を流した経験が決定打になりました。「こんなに苦労したものでできているんだと、すごい感動して。自分でやったからこそ、山ぶどうで作ってみたいという気持ちになりました」と振り返ります。

ベテランの職人に師事し、コーディネーターの仕事の傍ら、技術を一から身に着けていきました。協力隊の任期後は、山ぶどうや白樺樹皮を使った作家として独立する覚悟でした。「初めは素人。とにかく勉強して覚えて、人とつながって教えてもらってという繰り返し。でも山ぶどうと出合って、自然と、本当にやりたいことに出合えました」と満足そうです。

絲さんの場合は、協力隊に応募した時点でカゴ編み作家として歩む思いを固めていましたが、協力隊に就任したばかりの5月の時点で、6月の出展の機会をもらうほど制作に追われました。「まだ知識も技術も十分でないときから、作っては販売、作っては販売という状況でした。作るのが遅くて、こなすのが使命のようでした。ですが、素材が採れるタイミングや量が限られる中で、できることとできないことの見極めができるようになりました」。ゼロから新しい仕事を始めるからこその苦労を味わいました。

moritoteto5.JPG日常に溶けこむ絲さんのカゴたち

1500人のまち。まち全体が応援団

入舩さんは、木材流通コーディネーターをきっかけに、材そのものの販売や、町で立ち上げたウッドプロダクトのブランド「KIKORI」シリーズの販売にも携わったり、草木染めに挑戦したりと、町から投げられたボールで鍛えられたといいます。「ゼロだから、とりあえずやってみようと、チャレンジしました。『やってみます』『やってみます』と仕事を受けすぎてしまいましたけど」と笑います。今は独立して自分のペースで制作できていますが、当初は町からさまざまなオーダーや提案があり、売り先のなさから心細くなることはなかったようです。さらに「森と手と」に加わったことで、「身近に作っている人がいるので相談しやすいです。出展も一緒に行くことが多いので、情報共有させてもらえます」と安心感も手に入れました。

絲さんにとっても、町役場からのフォローは大きかったようです。「作家への支援方法が町で一定程度確立されていて、たくさんの魅力的なオファーもいただき、制作に専念できました。髙橋さん夫妻が築いたものがあったからこそ、売る場所があり、町で研修費用も負担してもらえるので、ありがたかったです」と言います。「髙橋さんも入舩さんも先輩なので、とりあえず困ったことがあれば、すぐ聞けます。すると、ほしい答えをもらえます。販売面でも、一人とは違った広がりがあってありがたいです」

町内を走るJR宗谷本線には天塩中川という駅があります。ここには地域おこし協力隊がかつて営み、現在は町内の道の駅が引き継いで月に3日営業するカフェがあります。ここで「森と手と」がブースを構えることもあり、地元で発表と販売の機会があるのも中川の強みです。「新型コロナウイルスの影響もありますが、都市部に出ることなく、販売機会をもらえるのはありがたいです」と絲さん。人口が1,500人と少ない中川町は、コンパクトな分、人の顔が見えやすく、町ぐるみで応援する土壌があるようです。

moritoteto17.JPG風情のあるJR手塩中川駅

中川だから、自分だからできる手仕事を

今では家族も増え、協力隊を卒業後も中川に根を下ろす2人のおススメは、本州と違う雪。入舩さんは「毎日パウダースノーでキラキラして、空気も澄んで。冬は毎朝幸せです」と嬉しそうです。海外志向だった絲さんには嬉しい誤算も。「夕方になれば家に戻り、朝は早くから活動するというのがナチュラルにできる。そんな時間の感覚や、べったり過ぎない付き合い方、天塩川の景色など、海外に求めていたものが実はここにありました」。日本離れした、独特の雰囲気が心地よいようです。

今後のことを聞くと、優しく、透き通るような笑顔を浮かべてくれた2人。落ち着いた語り口からは、余計な力は抜けつつもしなやかに、じっくり制作に打ち込む思いが伝わってきます。

カゴ編みの原点になったマルシェへの思い入れが強い絲さんは、「近い夢でいえば、カゴは物を入れるものなので、カゴを通してつなぐような役割をしていきたいですね。中川のものを外に、外のものを中川の人に知ってもらえるようなマルシェを定期的にやりたいです。大きい目標としては、日本ではカゴといえばほとんどが女性が持つイメージがあるので、男性にもいいなって持ってもらえるようなカゴを作ることです」と教えてくれました。

moritoteto6.JPGお気に入りのかばんと
生命力を感じる強さとともに、使い込むほどにしなやかに、艶を増して変化していく山ぶどうとの出合いが職人としての原点になった入舩さん。長く愛せることで使い手にとっても、未活用だった資源を生かすことで森にとっても、良い循環をもたらすことを願って素材に向き合っています。「日々鍛錬だと思っています。大きい変化は求めていません。ずっと、コツコツと続けることができたら」と気負いはなさそうです。

「森と手と」の作り手6人のうち、入舩さん、絲さん、綾子さんは実は同い年。単なる偶然とは思えない、不思議な絆があります。3人の作品はいずれも、木の一本一本の命に寄り添った、優しい風合いのものばかり。手に取って目を閉じると、森の雰囲気まで伝わってくる気がします。思いと思いが見えない糸で結ばれ、それが人のつながりを編み、森の恵みが、人の豊かな暮らしをつくっていく。日本のてっぺんの作り手のまちは、奥ゆかしい魅力に包まれていました。

『手工業組合 森と手と』 樹皮細工 入舩絵美さん・かごあみ絲 さん
『手工業組合 森と手と』 樹皮細工 入舩絵美さん・かごあみ絲 さん 
住所

北海道中川郡中川町字中川228-1
※こちらの工房はシェア工房となっています。基本的には製作を行っているので販売や見学は行っておりません。不定期ですが販売会を行う際はSNSにてお知らせしますのでご確認下さい 

URL

https://www.facebook.com/moritoteto/

◎森と手と Instagram・・・https://www.instagram.com/moritoteto/?hl=ja
◎樹皮細工 入舩絵美HP・・・https://irifune-emi.com
◎樹皮細工 入舩絵美Instagram・・・https://www.instagram.com/irifune.emi/
◎かごあみ絲Instagram・・・https://www.instagram.com/ito.am.saori/?hl=ja


直感を信じ、森のまちに飛び込んだ、女性職人たち

この記事は2020年11月4日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。