北海道でも多くの自治体で導入され、さまざまな人が活動する「地域おこし協力隊」。その活動形態も多様ですが、北海道浦河町では、隊員も卒業生も浦河を愛し、自分らしく活躍していると言います。そこに大きく関わったまちづくり会社の社長がいるらしい...とう話を聞きつけ、浦河町を訪ねてみました。その人は、株式会社ユートラインの村下知宏さん。浦河町出身で「絶対に地元には戻らない」と言って一度は浦河を離れた若者だった村下さんが、現在の仕事に至るまでの経緯を聞きました。
学生時代のインターンでまちづくりに開眼
浦河高校を卒業後、神奈川と東京にキャンパスのある大学に進学した村下さん。在学中にまちづくりに興味を持ち、地域づくりや環境ビジネスに取り組む会社のインターンシップに参加することに。社会人と学生が混ざり、その会社が経営する牧場でのイベントを企画する経験をしました。
そこでまちづくりに魅せられた村下さんは、卒業後にインターンシップで出会った仲間二人と共に奥多摩町に移住し、アルバイトをしながら地域おこしに取り組みました。
「『勝手に地域おこし協力隊』みたいな感じでした。アーティストがたくさん活動する地域だったので、彼らの商品販売を企画したり、高齢者向けのパソコン教室を開いたりといった活動をしていました」
しかし、あくまで地域おこしはボランティア的な活動で、収入源はアルバイト。本人いわく、「あからさまに食えてない」状況を、学生時代にインターンシップに行った会社の上司が心配し、プロジェクトに参加しないかと声を掛けてくれたと言います。
さまざまな地域を見て「地元も面白いんじゃないかな」
そのプロジェクトは、地域活動団体のサポートをするというもの。鳥取県や広島県などで、地域おこし協力隊の中間支援などを行っていました。その任期が終了し、ふと、「地元でやってみてもいいかな」と思ったと言います。
「高校を卒業して進学する時は、地元には『絶対戻んねえ』と思いました(笑)。でも、奥多摩や鳥取の地域を見てきて、改めて浦河って面白いんじゃないかと思ったんですよね。ある程度の規模があり、振興局がある地域なので外から人も来るので風通しが良く、新しいことをしようすとする動きもある。このタイミングで地元に戻って、関わってみたいと思いました」
そうして、2012年に浦河町へUターン。町内の経営者、福祉従事者、農家、行政からなる「うらかわ『食』で地域をつなぐ協議会」の活動に参画し、農林水産省の補助を受け、都市部の人材受け入れ事業に携わりました。翌年には、地域おこし協力隊の運営のサポートや、地域の任意団体などのサポートを行う会社として、株式会社ユートラインを設立しました。
タイミングも味方し、地域おこし協力隊の支援へ
会社を設立してさっそく、浦河町での地域おこし協力隊受け入れ体制の立ち上げをサポートすることに。
「浦河町は、既に移住促進が進んでいたので、単に人を増やそうということではなく、面白い人に来てもらい活躍してもらいたい、と思いました。3年間の期間終了後の道筋も、レールを敷くのではなく自分で探して切り拓いていくというスタンスでしたね」
当時25歳でしたので、ほぼ年上の応募者の採用面接などもこなしました。一方、当時から役場で地域おこし協力隊を担当している企画課主幹の菅野泰弘さんは、「村下さんは、いいタイミングで戻ってきてくれました」と明かします。
浦河町役場 企画課主幹の菅野泰弘さん
「地域おこし協力隊は一歩間違えると、単なる役場の臨時職員になってしまうケースもあると思います。ただ、そこに民間の視点を持ち、中間支援に入ってもらうことで、地域と融合した活動がし易くなります。村下さんは、地域おこしの経験もあるし、農水省の事業にも関わっていたので浦河町で取り組むイメージも作れていて、まさにうってつけでした」
「絶対に定住」ではなくお互いのためになる道を
地域おこし協力隊の浦河町での役割や募集方法も、役場と相談しながら作り上げていきました。
「従来の地域おこし協力隊のスタンスは、二通りあって、道筋を作ってあげるから地域のための活動をして定住してね、というスタンスもしくは自身の責任で起業し、定住してくださいというスタンス。浦河町は、定住だけを目指すということではなく、地域のためにも本人のためにもなる道を選んでもらおうというスタンスです。活動を通して、やはり浦河を離れるという選択もあると思いますが、そういう場合でも何か地域に足跡を残してもらいたいと思いました」
募集に対し、当初は多数の応募がありましたが、人数を満たすより、ここで活動したいという強い意志がある人を採用することを優先し、これまで定数を満たさなくても採用を見送ったこともあると言います。サポートにあたっては、地域に住んでいることの強みを感じながら、伴走型で活動も一緒に作っていきました。
2018年までの卒業生は6人、4人は定住して、観光協会の職員や民間企業への就職といった進路についています。また、町から離れた人も、浦河町のプロジェクトに関わったり、地場産品を使った商品開発に携わったりと、何らかの形で浦河との接点を持っています。「そこまで定着しているのも珍しいね」と言われるそうですが、そこはやはり入り口での意思確認と、地域で共に活動するというあり方がこの結果に結びついているようです。
人材獲得支援のNPOで新たな挑戦
他にも新たな団体の立ち上げサポートや、新企画づくりの支援など、事業は多岐に渡ります。そして、2018年には、Uターン、Iターンの人材獲得支援を行う「NPO法人カエロ」を設立、代表理事に就任しました。「会社では一人でもすぐにできることに取り組んでいますが、大きなプロジェクトはみんなの力でやらないと成し得ません。行政頼りではなく、収益事業として地域に貢献していきたい」と村下さん。
理事のメンバーは、地域おこし協力隊として活動していた人や、地元の会社の社長など。地域おこし協力隊のように道を切り開く活動も素晴らしいが、このNPOでは普通に働く人を受け入れる環境を作りたい、と言います。
「高校や大学を卒業する時、地元には仕事がないから...と思いがちですが、実は浦河には若者が安心して働ける良い会社があるんです。単に情報が伝わっていないから知らないだけ。その情報を私たちが提供して、若者には帰ってきて働く場所がある、地元企業には良い人材が確保できる、という状況を作りたいですね」
「地元の経営者には面白い人が多い」と村下さん。特に、自分たちと同年代の次世代の社長は、新しいことにもアンテナを張り、面白いことにチャレンジしたいという気概のある人がいると言います。こうして人材確保という挑戦をしながら、次の形も模索しています。
皆が使えるフリースペース&コミュニティスペースを作ろうと、この畳店のリノベーションも行っているそうです。
そんな多岐にわたる活動をしている村下さんですが、実はプライベートは完全なインドア派だと言います。
「田舎暮らしというとアウトドアのイメージがあると思いますが、私は図書館に行ったり、ボードゲームができるバーで仲間と飲んだりと、全然アウトドアではないです(笑)。そんな風に楽しめる場所もたくさんあります。浦河は、インドア派にも優しい田舎だと書いておいてくださいね(笑)」
そんなところにも地元愛を覗かせてくれました。
- 株式会社ユートライン
- 住所
北海道浦河郡浦河町大通4丁目8番2 office tatamiya
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