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北海道で暮らす人・暮らし方
赤井川村

1,200人の村に、東京で働いてた女子がやってきた!20190225

1,200人の村に、東京で働いてた女子がやってきた!

突然ですが、今、スマホのない状態になったらどうしますか?

このサイトをご覧いただいているということは、少なくてもパソコンやスマホなどでご覧いただいているはずなので、おかしな質問かもしれません。

今回、ご紹介する1人の女性のお話しで実際にあったことなのですが、よく知らない北海道のまちでスマホを紛失。その時に気がついたことがあるそうです。「途方に暮れて、見上げた空。星空ってこんなにキレイなんだ。今まで画面ばっかり見てて、いろんなことを知ってる気になってた。視野の狭い世界で生きてきてたんだなって」。北海道赤井川村で見た星空に感動し、ここに自分が住むんだと実感したエピソードのひとつです。

スマホをなくしてしまったのは偶然かもしれませんが、その偶然で気がついたこと。私たちもスマホが身近にある生活、ネットでなんでも調べられてしまう文化に完全に染まってしまっているかもしれません。時には、自分の目で、自分の足で、誰かが言っている情報なんじゃなくて自らが体感するというのがすごく重要なのではないかと気づかされます。

そんなエピソードを教えてくれたのは、地域おこし協力隊として、北海道赤井川村にやってきた鈴木 絵利香さん。鹿児島県出身の彼女がなぜ、北海道のこんな小さな村にくることになったのか、東京の銀座で働いていたこともある彼女がなぜ、今は泥だらけになって村を走り回っているのか、これまでとこれからを紐解いていきましょう。

...実はこんな記事を書き出していたのが、2018年9月6日におこった北海道胆振東部地震よりもちょっと前。編集部スタッフも程度の差はあっても震災経験者となりました。地震の後、停電と共に、真っ暗なまちのなかで、星空がキレイだったという声がたくさんありました。そして電気のない生活、スマホを始め、情報や便利さからちょっと距離を置いた生活。北海道の方や災害で停電や不便な生活を強いられた方には特に、鈴木さんが感じたことを、さらに共感を持って読めるかもしれません。

鹿児島で生まれて

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鈴木さんは鹿児島県の志布志市出身。中学生までは親元で過ごすものの、高校からは寮に入り実家を離れます。高校はサッカーのワールドカップで知った方も多いかもしれない、日本代表の大迫勇也選手と同じ「鹿児島城西高校」。鈴木さんもスポーツで?と思いましたが、ファッションデザインを学ぶ学科だったそうです。鈴木さんの幼少の頃から高校時代のことをうかがってみます。

「うちのばーちゃんが地元で小さなお花屋さんをやっていて、ばーちゃんのお店に地元の人が集まってくれて、お茶とかしてたんですよね。そんな様子を見てて、ばーちゃんみたいになりたい!って小さな頃は思ってました。そんな気持ちが残っていたからか、高校でファッション系の勉強をしても、服をつくるよりも、服そのものの魅力を人に伝える仕事の方が自分に向いているって思うようになったんです。人としゃべりたい!って」

そんな鈴木さん。高校を卒業と同時に、大手アパレルメーカーに就職します。日本中の誰もが知っている大手です。もちろん選んだのは、作る側ではなく、売り手のショップスタッフとしての就職。18才にして、東京銀座三越が自分の職場という、日本のトレンドの中心地で、社会人デビューを果たすのです。

「鹿児島の田舎からでてきて、もういろいろビックリの世界。そして銀座は当時、ファストファッションのショップもなくて、高級路線が中心のエリア。鹿児島弁のイントネーションを直すところからっていう始まりでした(笑)。ここではお客様にコミュニケーション能力を鍛えていただいたなって本当に思います。時が流れて、銀座の様子も変わり、もっと若い世代がお客様になってきたり、外国のお客様は大勢でいらっしゃったりなど、いろんなことがありましたね」。

東京でのことと、自分で決めていたこと

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さらりと当時のことを話される鈴木さんでしたが、18才の女の子が単身東京に移住し、人で溢れる銀座で仕事をするなんて、相当な苦労や不安もあったに違いありません。そんな鈴木さん。ひとつだけ決めていたことがあったそうです。

「この世界は25才まで!って自分で決めていたんです」。

アパレル業界も、年齢を積み重ねていくと、店舗ブランドを移ったり、管理職としての将来もあるなど、今は長く働き続けることができる業界です。それでも一区切りつけるというのは、自分の中に引いた線だったのでした。

「ちょうど新人として入社してから7年半。客観的に見ても、ここで一旦次のステップに移ろうってなって退職しました。でも次の仕事を決めて退職したわけじゃないので、そこから半年間は無職(笑)。貯金で生きてました。とりあえず休んで、自分のやりたいことを見つけるための時間ってことにしました。辞めるって決めたのに、何がやりたい!っていうのは決まってなかったんですよね~」。

そんなにバリバリ働いていたのに、何もない毎日なんてどう過ごしてたのかも聞いてみます。

「あんなに人と話す仕事がしたい!って言ってたくせに、もう誰とも話したくない!って急に思って、ひたすらホットヨガに通ってました(笑)。何をするにもまずは健康的なカラダ!って(笑)」。

意外な回答でした。でもそんな毎日を過ごしても堕落する鈴木さんではありません。

「そうだパソコンだ!って思ったんですよね。これまで全くといっていいほどパソコンに触れる仕事がなくって、わかりやすい技術を身につけてみよう!って思い立って、まずは独学で学び出しました。そして、中学を卒業してからずっと地元を離れてたので、1回がっつり帰って、自分の故郷をよく知ろう!っていうことに自分でなったんですよね」。

北海道への移住を決めた!

akaigawa suzukisan 11.jpg鈴木さんがデザインした赤井川のマーク

そんな人生にとって貴重になった半年のお休み。やってみるぞ!と誓ったパソコンのスキルをさらに磨くため、Webメディアの運営を主体とする人材ビジネス企業に転職します。選んだ仕事は「事務職」でした。

「こちらの会社には2年ちょっと勤めることになったのですが、本当に素敵な人がいっぱいいるいい会社でした。若い人も多くって、勢いもあって。事務職にやりがいを感じていたのですが、そんなにコミュニケーションが上手いなら、外にでてみたら?って言われて、その会社の営業職にキャリアチェンジしたんです」。

事務職で入って営業に抜擢されることは稀であり、例えそんな声がかかったとしてもそうしない道もあるにも関わらず、鈴木さんはそんな道を進みます。

「今の自分がいるのは、そこでまた仕事の基本を身につけることができたからですね。例えばアポイントを取って、スケジュールの調整とか管理とかの能力を身につけること。金額交渉などの経験。こちらだけが良くてもダメで、相手にとってもメリットがないとビジネスってなりたたないんだ!というBtoBの世界を体感することができました」。

そう話される鈴木さん。でも結局辞めることになった理由も鈴木さんらしい理由でした。

「アパレル時代は、『服』が好きという根本的なものがあったんです。でもこちらでは、『パソコンの技術を磨きたい』というのが最初のキッカケであって、好きだからという理由で入社させていただいたわけじゃないという事実。そして人材ビジネスの世界に染まっていくなかで、他の方の転職サポートをしていくと、『あれ?自分は?』ってなっちゃうようになってたんですよね」。

大抵の人は、給料がなくなったら生活するのに困るとか、転職ができるだろうかとか、大手に入れたんだしという、辞めない理由を残すところですが、鈴木さんの場合、「好き」と言い切れない仕事をしていくのに対して、その会社や取引先企業に対して失礼ではないのか、そんな自分を自分で許せるか...というのがにじみでてきます。そんな迷いのあるなかで、友人のご主人が、外国から帰国し、ある県でNPOを立ち上げ、地方活性化のために財を投げ打つというお話しを聞きます。それに触発された鈴木さんも、地域おこし協力隊になって、自分もそんな生き方をしてみよう!と思ったのが、北海道が移住先になるキッカケになるのでした。

人生初めての赤井川村

akaigawa suzukisan 03.jpg取材場所・撮影協力:AKAIGAWA TOMO PLAYPARK(スノーピークのモバイルハウス【住箱 JYUBAKO】が設置され、グランピングのできる素敵な場所でした)

これまでも旅行が好きだった鈴木さんは、北海道への旅行ももちろんしていました。2013年からは毎年1回は北海道に旅行していたそうです。そんな鈴木さんでも、赤井川村との出会いは偶然。地域おこし協力隊の募集のなかで、「広報・PR業務」としての役割を見つけたのが始まりです。

「赤井川村って場所もどんなところかもわからなかったんですけど、とりあえずやってみたいなって思って電話しました。そうしたら、『来てみないとどんなところかわからないっしょ!まずはおいで!』って言われて、そんなやりとりだったんですけど、直感でこの電話のやりとりをした人と働いてみたい!って思ったんです」。

これまでもたくさんの人と出会う仕事をしてきた鈴木さん。何かインスピレーションがあったのでしょう。電話の相手は、その後、「同じ志を持つチーム」と表現された、上役になる赤井川村役場の高松さんでした。

「そんな感じだったので、すぐに履歴書を送って、その1週間後に赤井川に来てみました。慣れない自分が、赤井川には簡単に交通機関で行けないので、余市まで行ったら迎えにきてもらえたんですが、そのまま村を案内していただいて、そのまま面接。そしてその場で採用っていうジェットコースターでした(笑)」。

2017年7月のとある日。鈴木さんは人口1,200人足らずの赤井川村に東京から移住してきます。そして事件がおきます。それが前段に書いたスマホ紛失事件。

「東京では忘れ物なんてしたことなかったのに、村をよく知らないまま当時送ってくれた知り合いのクルマにスマホを忘れたんです(汗)。もちろん電話をかけようにも電話がない!(笑)。そもそも誰に電話していいかわからない(笑)。とりあえず公衆電話を探して、いろんなところに電話をかけて...。まぁ、結果的には無事にスマホは自分のところに戻ってきたんですけど。その時に見上げたときの星空。本当に感動しました。いままでずっとスマホの画面ばっかりみてたんですよね。視野の狭い世の中で生きてきたんだな~って」。

今や、電話をするだけでなく、メールや検索やMAPはもちろん、乗り換え案内だったり、写真だったり、スマホがあって当たり前の生活になりつつあります。鈴木さんがおっしゃるように、1日の多くの時間を画面を見て生活し、そこから得た情報で生きていることが自然になってきてしまっているのかもしれません。お話を聞いて、スマホ禁止の日とか、旅先では見ないとか、何か「スマホ縛り」をすることで、忘れていたことを思い出させるかも知れませんし、すでにスマホが身近にある子どもたち世代にも、伝えていくべきなのかもしれないと感じます。

ふるさと納税の仕事を始めてみて

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そんな大変な初日を過ごした鈴木さんに、赤井川村の第一印象を聞いてみます。

「これまでも赤井川の情報なんて全然触れることなんて人生でなくって、なんかもっとものすごい田舎を想像してたので、『めっちゃ家あるじゃん!』って思いました(笑)」。

そして、しっかりとした情報がでていなかった赤井川村だったからこそ、自分がちゃんと住んで、いろいろと体験して、本当の地元の情報を届けるんだという想いが強くなったという鈴木さん。お仕事としては、役場の「ふるさと納税」の返礼品を扱う仕事を担当することになります。

普通であれば、ふるさと納税を管理する仕事と言えば、お申し込みのあった方の住所に、返礼品を発送するという事務手続きが本来のお仕事。でも鈴木さんの場合は最初からその受け止め方が違いました。「返礼品を送るのが仕事なんじゃなくって、返礼品の『品』をつくっている方々の想いを伝えること。それが私の仕事だと思っています。アパレル時代もそうだったように、作り手の想いを知り、それを伝えることで売れるという経験からもきていますね」。

そう語った鈴木さんは、まず、赤井川村にきてからは、返礼品としてラインナップしている全ての生産者さんに顔を出すだけでなく、村のイベントにはどんなものでも必ず顔を出していたそうです。

「業務ってことの前に、やっぱり人と会うことが大好きなんですよね。そして、赤井川村に私が来た目的のひとつとしても『人との交流』だったので、足を運ぶことは楽しいことなんですよね。返礼品の発注とかも、生産者さんに電話で済ませることだっていくらでもできるんですけど、とりあえず私の場合は行っちゃいます(笑)。電話で物事を済ますだなんて私にはまだ早い。通って通って、覚えてもらって、こちらもいろんなことを教えてもらう。その繰り返しなんですよね」。

商品を送るだけじゃない、想いも届けること

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さらには、ふるさと納税のリピーターさんを特に大切にするスタンス。新規就農した方の想いを鈴木さんが取材し、それを利用者の方に伝えたり、写真にメッセージを添えた手書きの手紙を書いて送ったり、電話のお問い合わせひとつにまで気をつかいました。そんなことが功を奏してか、ふるさと納税も順調に推移しているそうです。

ここで、移住を赤井川村に決めた!という理由のひとつ、役場の高松さんと話し合ったことがでてきます。

「高松さんから、なんかふるさと納税でたくさんのお金を集めてワッショイ!!みたいなことはしたくないよねって話をされたんです。寄り道しても、回り道しても、小さい成功体験を積み重ねていくのがいいんじゃないかって。そんな共感もできて、高松さんは上役でもあるんですが、ビジネスパートナーって感じで仕事をしていこうと言われました。その結果なのか、寄付金も増えていって、リピーターの方も増えているっていう成果につながっているのかなと思います。赤井川を応援してくださる方が日々増えていることを実感でき嬉しく思います。今、ホントに仕事が楽しいです!」

akaigawa suzukisan 04.jpg取材場所・撮影協力:やなぎさわ農園(ご夫婦で移住し新規就農を実現されました)

こんなお話しも教えてくれました。「レゴ」のお話しです。そう、あのブロックのレゴです。

鈴木さんが自分の服を洗濯すると、なぜかレゴがいつもでてくるんだそうです。ある時気がついたそうなんですが、寄付金の一部は、赤井川村の子育て支援に使われているそうなのですが、活用先である小学校などにももちろん鈴木さんは通い、その使われ方を取材していました。その時に、子どもたちがこっそり鈴木さんのポケットにレゴを入れていた...ということだったそう。その様子を想像したらとってもかわいらしいシーンです。鈴木さんの活動が垣間見える出来事でした。

地域おこし協力隊でもあり、住民でもあること

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それ以外の活動も教えてくれました。「運動会、しますっ!」そうおっしゃる鈴木さんから渡された1枚の紙。赤井川村の村民運動会をすることにしたそうです。

「赤井川村って近くの人口の多い小樽市よりも広いんです。小学校は2つあるのですが、すごく離れていて交流がしずらいんです。それなのに中学校は1つしかないので、小学校同士の子どもたちも中学に上がる前から交流できたらいいなって思ったんです。他にも、おじいちゃんおばあちゃんが、ゲートボールをするのにも人が足りなくって、たまに私が参加してお話しを聞いていく中で、これはもっと村の人々同士をつなげていかなくっちゃ!って考えたんです。賛同してくれる村の人を集めて、実行委員をつくりました。そして、日頃お世話になっているふるさと納税事業者さん方が協賛してくれました。参加者集めも地域の回覧板に入れてもらったりして、なんとか知ってもらって、興味を持ってもらおう!って動いているんです」。

取材時はこれからやります!というお話しでしたが、取材後に行われた運動会には、67名もの老若男女が参加し、村民同士の交流ができたそうです。

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また、移住して苦労したこと、わかったことも聞いてみました。

「田舎ではクルマは絶対ですね。赤井川村では『地域おこし協力隊』って看板の入った公用車を用意して下さいました(笑)。それなのに運転ができないんです...なんていえませんから、まずは運転の朝練です(笑)。駐車場で何度も練習して、バックで駐車できるようになりました(笑)。これまで10年も乗ってなかったんですよね~。東京じゃ必要ないし。で、今では自分の大好きな大きいクルマも買いました。クルマを好きになったら田舎での暮らしはさらに楽しいですよ!」。

それから...と、他にもなるほど...ということを教えてくれました。

「都会から田舎に移住すると、自分の時間が増えるんです。でもテレビ見たりして過ごすのって東京でもできるから、今は広告のキャッチコピー集とか読んでます。勉強して、返礼品のお礼の手紙で、グッと心に届く言葉を届けたいんですよね~。だから私からのアドバイスとしては、移住は、生活とか趣味の部分も含めて『好きなことを追求したい』って考える人にオススメだと思いますよ。あ、そうそう、赤井川はめちゃくちゃ雪がたくさん降ります。すごすぎますね(笑)。私なんて昔、お母さんが発泡スチロールの箱に雪をつめてきたのを見せてもらったのが雪を見た初めてなくらいだったので、雪の降らない地域からこられたら相当ビックリすると思います。あ、でも、その代わり梅雨もないし台風もほとんどこないっていうのはメリットかな」。

赤井川村は、全国的に有名なキロロリゾートがある村。ウインタースポーツをするのにメジャーなだけでなく、それに紐付いて、移住をしてくる方が増えているそうです。ウインタースポーツだけでなく、自然に溢れた環境にアウトドア・アクティビティを目的とした素晴らしい環境が整ったエリアで、当サイト「くらしごと」としても、これからニセコエリアについでさらに観光地としても移住先としてもブレイクするであろう予感がひしひしと感じてきました。ただ、そのなかでも鈴木さんが発信していきたいのは、地元の人々の想い。そんな温かい情報を通じて、さらに赤井川村に興味を持ってくれる方が増えていくことに誰もが期待します。

村の生活、そして手に入れた新しい生き方

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最後に、赤井川村での鈴木さんの暮らしもたずねてみます。

「まず、食生活がほぼ100%自炊になりましたね。野菜もたくさんもらうし、自分でも育ててますしね!村の方に教えていただいたのですが、『誰かが野菜をやるからもっていけ!っていったら、断るな!食べきれなくっても、ありがとうございます!っていただきなさい』って(笑)。そのおかげか、どこに行っても『持っていきなさい』『食べていきなさい』ってみなさんに言っていただけるようになりました。東京で暮らしてたら、誰かに何かをもらうなんてことはないですから、驚きですよね。それから、本当に開放的に生きてます(笑)。昔は土日も仕事、夜11迄仕事。通勤にもストレス。そんな毎日を癒やすために旅行!みたいな感じでしたけど、今は残業もしません(笑)。残業しないために働くようになりましたね。だから今はストレスゼロ生活です。まぁでも1%くらいはあるかな(笑)」。

鈴木さんとお話ししていると、時折、じいちゃんとか、ばあちゃんとかでてきますが、それは血のつながった祖父・祖母ではありません。赤井川にはたくさんの「自分の」じいちゃんとばあちゃんができたんだそう。本人は気がついてないようにも思いましたが、かつて、幼少の頃に感じていた、本当のおばあちゃんの「地元の人がお茶しに集まる小さな花屋さん」。それと全く同じ...ばーちゃんマインドが、ここ赤井川で花咲いていました。

赤井川村 地域おこし協力隊 鈴木絵利香さん
赤井川村 地域おこし協力隊 鈴木絵利香さん
住所

北海道余市郡赤井川村字赤井川74番地2

電話

0135-34-6211(赤井川村役場)

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1,200人の村に、東京で働いてた女子がやってきた!

この記事は2018年6月28日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。