
広大な草地に、どこまでも伸びていくかのような格子状の柵。そして、その中で悠々と草を食む馬たち。馬産地・日高地方ならではの牧場は、写真を撮りにわざわざ遠方から来る人もいるほど美しく、愛される情景です。そんな日高の浦河町で、三代にわたり競走馬を生産する市川ファームにお邪魔しました。
まずは3年。その積み重ねが「勝てる馬になる」。
市川ファームは、社長の市川久さんと奥さんの章代さんで営んでいる競走馬の生産牧場です。現在は、繁殖馬を15頭ほど飼育しており、3月からその馬たちが出産の時期を迎え、牧場は一気に忙しくなります。そうして生まれた子馬は、1年間ここで育ち、その後は育成牧場で訓練を受けます。競走馬としてデビューするのは、2歳になってから。種付けからデビューまでは、約3年ほどの時間を要するのです。やはり手塩にかけて育ててきた馬が競走馬になる瞬間は、格別なものだといいます。
競走馬の生産は、「勝てる馬を作る」ことが仕事の目標。その点では、畜産や畑作のように、均一に優れたものを作る農業とはまた勝手が違う、特殊な商売だと市川さんは言います。レースで成果を出せば、その馬の子は高く売れます。そして、3年後にその子が結果を出せば、またその馬の子が高く売れる。長いスパンで、それを地道に繰り返しているのです。
レースで好成績を修められる競走馬を作るには、血統が最も重要です。優秀な成績を修めたオス馬の種は数百万円から取引され、ディープインパクトなど著名な馬になると数千万円クラスになります。繁殖馬も、アメリカで買い付けをするなど投資をしていきます。
まるで取材陣に「いらっしゃい」と話しかけてくれているようです。
最もうれしい瞬間であり、最もシビアな出産。
「勝てる競走馬は、遺伝の結晶」と市川さん。
掛け合わせで成果が出ることを考え、八代前までさかのぼって計算していますが、やはりそこは生き物、相性や適性もあるので計算通りにとはいきません。そうして生まれた子馬には、緻密に計算された飼料を与え、大切に育てていきます。
また、生まれた馬がオスかメスかによっても、運命は大きく変わると言います。
日本中央競馬会(JRA)が主催し、日本で一番規模が大きな競馬である中央競馬では、3歳のオス馬、メス馬それぞれの性別に限定した古い伝統をもつクラシックというレースがあります。ただ、4歳以降はオス・メス混合でのレースがほとんどです。そうすると一般的にオスの方が身体能力は高く、メスの方が成熟も早いため、いわゆる古馬(4歳以上の競走馬)になるとオスの方が、長くレースで好成績を修められるのです。
ですから、子馬が生まれる時は、牧場に最も緊張が走る瞬間です。同時に、この仕事をしていて最も嬉しい瞬間でもあると、市川さんは言います。
「数千万円かけてサンデーサイレンス(※)の種を買って、メスが生まれた時は頭が真っ白になったけどね」
感動的な出産の中にも、現実的でシビアな側面が見えてきます。
(※)1995年から13年連続で日本のリーディングサイアーを獲得した日本を代表する種牡馬。
紆余曲折の末、GIレース10勝の名馬を生み出す。
市川さんは、市川ファームの三代目ですが、30歳になる前までは札幌でサラリーマンをしていました。順調なサラリーマン生活でしたが、父親の体調の問題と、バブル景気だった当時生産牧場も「景気が良く、儲かっていたから」と、この世界に飛び込みました。
「競馬場に行けば、馬主をしている経営者の人にも会える。普通に生活していたら会えないような人たちで、彼らは話が面白く、人間的にもスケールが大きくて話していて楽しかったね」と当時を振り返ります。
市川ファームのこれまで一番の出世頭は、2009年に生まれたホッコータルマエ。2016年に川崎記念(Jpn1)で日本競馬史上初のGI(Jpn1)10勝という偉業を達成したほか、ダートグレードレースで数々の優秀な成績を修めてきました。それまでの苦労話を聞くと、「この馬を作るために、それまで頑張ってきたんだよ」という市川さんの言葉にもずっしりと重みを感じます。ご自宅の中には、ホッコータルマエのぬいぐるみや絵、写真などが飾られており、その活躍ぶりや、ファンに愛されてきた様子が伺い知れます。
ホッコータルマエが第36回帝王杯で優勝した時のお写真。「走っているのは馬だからね」とお写真には写らないのがポリシーの市川さん。
馬は生きている。だから、続けなければならない。
現在は、市川さんと奥さんの章代さん、そしてお父さんと、大阪から移住してきた従業員が市川ファームで働いています。馬の生産牧場で働くには、どんな人が向いているか尋ねてみました。
「馬は生き物だからね、責任を持って続けられる人。毎日、餌をやり続けないと死んじゃう。その上で、馬房の環境整備から始まり、馬の扱い、配合、時には馬を競りに連れて行って営業とか、できることをどんどん増やしていけばいい。経験を積めば任せられることも増えるからね。北海道や馬に憧れて、日高の生産牧場に働きに来て、1年やそこらで辞めてしまう人もいるけれど、やはり生まれた時から育てた馬がデビューする時を味わわないと。『自分が育てた馬を競馬場で見たい』という目標があれば、頑張れると思うよ」
シビアな世界の中で紆余曲折を経験しながらも、大切な馬を守り続けている市川さん。奥さんの章代さんは、札幌出身で市川さんがサラリーマン時代に出会いました。結婚し、浦河町への移住は最初は戸惑ったと言いますが、「馬が可愛いから、この仕事や暮らしにもなじめました」と、うれしそうに馬房を案内してくれました。一見、のどかで牧歌的に見える馬産地の風景。その中には、生産者たちの喜怒哀楽、そして限りない馬たちへの愛情が詰まっていました。
- 有限会社市川ファーム
- 住所
北海道浦河郡浦河町字姉茶375番地
- 電話
0146-27-4569