さらさらのパウダースノーと多彩なゲレンデコースで知られる北海道のキロロリゾート。道内・国内ばかりでなく、海外のスキーヤー・スノーボーダーにも人気です。宿泊もでき、夏場もアクティビティが楽しめる本格リゾートですが、キロロってどこの町にある? と聞かれて即答できる人は少ないのだとか。正解は後志管内の「赤井川村」。小樽市から車で40分ほど内陸に入ったところにある「村」で、北海道では珍しいカルデラ地形のなかにある、ちょっとだけ高原チックな農村です。人口は1,260名あまり。この村で14年前からアスパラ生産に取り組み、今では「コロポックル村のアスパラ」として百貨店や一流レストランに引っ張りだこの品質に育て上げて来たのが赤木 陽介さん。今回のお話しの主人公です。
へびを振り回し、赤井川が大好きに!?
有限会社コロポックル村 代表取締役 赤木 陽介さん
「うちのアスパラのお客さんの多くは、東京の有名デパートや飲食店ですが、道外でお客さんとお話しすると、赤井川村というだけで話題になり、多くの方に関心をもってもらえるんですよ」。そんなご説明から始まった赤木さんのお話。「人口1,200人!? 私が暮らすマンションの入居者数より少ないね」とか、「ところで電気は通っているの?」などなど。電気は来ているけれど、FM放送は受信できなくて...なんて話すと、それだけで話が盛り上がり、興味を持ってもらえるのだとか。本当に静かな田舎まち。でも、それが都会の人たちには魅力に映るようなのです。かくいう赤木さんも、そんな「外の目」で赤井川村を再発見したといいます。
赤木さんは24歳の時、赤井川村にUターンしてアスパラ農家を始めました。でも、出身地は札幌市。どういうことなのでしょう?
「僕が6歳の時、父が脱サラして母と赤井川村でカフェを始めたんです。鶏を飼い、ベーコンを手作りして。それから中学校を卒業するまで、僕はこの村で暮らしました。だから、気分としてはUターンというわけです」。
我が道を行くタイプのご両親だったそう。そのDNAは赤木さんにも、しっかり伝承されているようです。年長で転入した村の保育園。お昼寝をしなければならないのが嫌で、自主退園(?)してしまいます。その時、お父さまと約束したのが、一人で遊ぶこと。親や村の人に迷惑をかけないこと。赤木さんにとっては願ってもない条件だったようで、川で魚をすくったり、山に入って山菜をとったり。村の自然が遊び場でした。蛇を振り回しながら村を歩き、「陽介が蛇を持っているぞ!」と近所の家々からいくつも電話が入ったこともあるそうです。
「自分も親になった今にして思えば、6歳の子どもをそうやって、放っておいた両親はすごいと思いますが、そのおかけで独立心が育まれたと思いますし、赤井川村が大好きになりました。それも、迷わず戻ってきた理由ですね」。
隣のおじさんの影響で「農業ってかっこいい」
当時、ご両親のカフェ「コロポックル村」に野菜を届けてくれていた近所の農家の「おじさん」に、いつも可愛がってもらっていたという赤木さん。農業への興味は、幼少のころから芽生えていたそうです。
「トラクターに乗せてくれたり、ご飯をごちそうになったり。本当によくしていただいて。農業って、かっこいいなと、子ども心に思っていました」。
とはいえ、その歳で農家になると決心したわけではもちろんありません。中学を出ると、札幌の高校へと進学。ところが、部活に打ち込もうと思っての進学だったのに、上手くいかずに悩んで退学し、小樽にある定時制高校(夜間)に編入します。札幌のアパートから赤井川村に戻り、日中はそのおじさんのところで農作業。そして、働くうちに「やっぱり農業をやりたい」と気持ちが固まります。
「たまたまですが、高校を替わったことが大きな転機でしたね。それからは、自分は農業をやるんだということを前提に行動するようになりました。幼い頃の思いが、ブワーっと心に蘇って来たんですね」
けれども赤木さん。高校卒業後は職業訓練校へと進み、金属加工を学びます。そして、紹介された東京の鉄骨設計会社に就職。なんとなんと、赤井川村ばかりか北海道を離れてしまうのです。これまでのお話しからは矛盾した行動に見えます。
「人口1,200人の赤井川村で農業を始める前に、日本で一番、大きな都市で暮らし、体感してみたいと思ったのが、一番の理由。万が一、農業が立ちいかなくなっても困らないよう、手に職をつけたいということも考えていました」。
東京都の人口(約1,372万人)は、赤井川村の1万倍! 大都会での暮らしは、どうだったのでしょう。
「赤井川が原風景の僕にとっては、驚きの連続。初めて行った時なんて、人がいっぱい行き交ってて、今日はなんのお祭りだろう?って思いました。普通の東京の日常だったんですけどね(笑)。本当に人が多くて、いつもお祭りみたいだし、水道水がおいしくないのでミネラルウォーターを買うのが当たり前、ということにもびっくり。自分が住むところじゃないなと実感しました。でも、この大消費地がなければ僕たちの仕事が成り立たないことも確か。そんな東京から赤井川村を見ることで、村の良さも再発見しました」
「あり得ない」と言われた栽培方法にこだわる
その後、ライブやイベントなどで使う舞台を組み上げる、ステージサービスの仕事に転職し、さらに4年ほど東京で暮らした赤木さん。それから戻って農業の準備を始めます。
「役場の産業課長のアドバイスで、鶏を飼っていた父にまず農業者になってもらい、その後継者というかたちでスタート。先ほどから話に出ている隣のおじさんが、土地を貸してあげると言ってくれて。そうした人たちの助けがあったおかげで、スムーズに始めることができ、感謝しています」
農業をやろうと考えた当初から、アスパラの栽培に特化しようと決めていたという赤木さん。大学などの研究機関や、道立の花・野菜センターなどの資料、担当者のアドバイスを受けながら、独自の方法で栽培に取り組んでいきます。もちろん「おじさん」も先生です。
「アスパラを選んだのは、軽量で単価が高く、小ロットでもブランド化しやすくて、かつ田植機やコンバインなどの大型の設備投資も要らないから。ハウスでアスパラを育て、立茎(りっけい)を残して9月くらいまで収穫するのが、僕のアスパラ栽培。でも、当初は、そんなやり方はあり得ないと、周囲の方々によく言われたものです」。
もちろんそれは、経験豊富な農家さんの親切心にあふれるアドバイス。それでも、自分が信じた栽培方法を貫き、収量と品質を高めて来た赤木さん。今後も、自らのやり方を変えるつもりはないのだとか。
「赤井川村は僕の故郷と呼べる場所ですが、同時に僕はここで、いい意味で『よそ者』でいたいと思っているんです。父も常々、そう言っていましたし、一度外に出た自分にとっては、よくわかる感覚です。外からの視点や新しい発想が、これからの村のあり方をつくっていく、という部分が大事だと思うんですね」
いいものをつくれば売れる......わけじゃない
全国区に知れ渡るようになり、今ではなかなか買うことのできないコロポックル村のアスパラ
赤井川村には現在、新規就農者が増えてきており、そうした人たちと話すと、大いに刺激になるのだそうです。栽培方法だけでなく、赤木さんは販売先も自ら切り開いてきています。
「僕も妻も食べ歩きが大好きなのですが、食事をしておいしい!と感じたお店で、シェフの方にお話させていただくなど、アスパラづくりへの思いを伝えながら、使っていただけるところを増やしていった、というのが最初です」。
そのうちに、口コミでコロッポックル村のアスパラのおいしさが広まり、レストランや百貨店から商談が舞い込むように。2008年に開催された洞爺湖サミットの料理に採用されたことも、販路拡大のきっかけとなりました。
「いいものを作れば黙っていても売れる。最初はそう考えていましたが、それは違うんです。品質はもちろん生命線ですが、まずは売り先を確保し、期待に応えるアスパラをつくるという流れにしなければ、商売としての農業は成り立たないんですね」。
満足いくアスパラができたものの、売り先がない。一生懸命作業をしてくれたパートさんに申し訳ないと思い、出荷するふりをして、こっそり捨てたこともあるのだとか。情けなくて、悔しい思いをしたその経験が、赤木さんをプロの農家へと育てたという面もあるようです。
「古くから行われてきた家業としての農業ではなく、事業として、産業としてやっていきたいと、僕はずっと考えています。そのために、栽培方法を工夫し、ブランド化を図り、原価や利益、そのための値付けなど、経営者の視点で分析・計画してきました」。
養鶏の分野ももっと拡大の予定。これも「農家の冬」の仕事として、社員を守る対策のひとつでもあります。
そんな赤木さんのコロポックル村では、社員としての人材募集を、初めてスタートさせています。ただ農作業をやるというのではなく「会社」を一緒に運営してくれる、そんな意欲のある人がいれば、と赤木さん。
「なにしろ、初めての社員募集なので、正直、僕の方にも不安があります。ただ、雇用するからにはしっかりした待遇を用意しますし、そのうえで一緒に悩みながら、新しい農業のことを考えていってくれるとうれしいですね」。
冬場も安定して仕事ができるよう、養鶏事業も本格化させていくほか、加工品の製造などにも取り組んでいきたいと考えているとのこと。就農14年目にして、コロポックル村は大きな転換、成長の時期を迎えているように見えます。
「事業としてのモチベーションを高める意味もあって、まずは売り上げ1億円という目標を掲げています。そのうえで、僕は日本一のアスパラ農家になりたいと思っているんです。何をもって日本一か、それははっきりしないのですが、とにかく『アスパラでは誰にも負けたくない』という気持ちもブランド化には大事じゃないかなって」。
札幌まで90分の「便利な田舎」で
自然が好き、アウトドア好きには最高な環境が広がる赤井川村。
赤井川村で買い物ができるのは、1軒のコンビニエンスストアだけ。レストランも飲み屋さんもありません。医療面でも診療所が1カ所あるのみ。村の人たちはそれぞれ、余市や小樽にかかりつけ医を持っているのだそうです。
「それに、車がないと生活できません。でも逆に、車があれば札幌まで90分、小樽45分、余市なら20分弱。風景だけ見ると、何もない田舎ですが、実は都市圏に近く、あまり不便は感じません。お酒を飲むようなところはないけど、夏場はあちこちの家で焼き肉をやっているし(笑)」。
ちなみに、赤井川村では保育所(2歳以上)、小・中学校の給食、中学卒業までの医療費、それに小・中学生のキロロスキー場シーズン券もすべて無料。子育て支援はきっと、都会以上でしょう。そして何より、「何もない田舎」だからこそ、かつての赤木さんのように自然と遊び、学べるという絶対に大都会では得られないことを子どもたちには経験させることができるはず。
「冬は雪が多く、厳しいですが、緩やかな丘陵が続く美しい風景と四季がはっきりしていることに、僕は一番の魅力を感じています。どうですか、赤井川を見てみたくなりませんか?たくさんのことを言葉で伝えるよりも、ぜひ一度、この村に遊びに来てもらって、感じてもらいたいなって思ってます」。
地域に根付きながら「よそ者」意識で赤井川村を見つめる赤木さん。子どもたちの体験学習なども積極的に受け入れ、農業の魅力を伝えることにも余念がありません。「よそ者」とは、本来、ネガティブなワードとして捉えられることがほとんどだと思いますが、今、地域おこし協力隊など、「よそ者」が本来の住民よりも地域のことを知ろうと頑張り、何かをしていかなければ!と、外を知っているからこそ、他のまちと比較したり、比較したことでわかる、ここでできることを紡いでいます。赤木さんが耕しているのは、畑でもあり、地域の未来でもあるということが、何か線でつながった取材でした。
せっかくなので...とお願いして撮影させていただいたご夫婦の写真。映画のような1枚になりました。
- 有限会社 赤井川コロポックル村
- 住所
北海道余市郡赤井川村字都209
- 電話
0135-34-6434