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「故郷にできることは?」そんな思いを胸にUターンした女性。20180531

この記事は2018年5月31日に公開した情報です。

「故郷にできることは?」そんな思いを胸にUターンした女性。

北海道と本州をレールと強い絆で結ぶ北海道新幹線。その開業とほぼ同時期、北海道新幹線木古内駅の真正面に誕生したのが「道の駅 みそぎの郷 きこない」。某観光情報誌が主催する道の駅満足ランキングでは、総合部門で第4位、観光情報部門では第2位という大人気の施設です。
この施設の『顔』として働いているのが、観光コンシェルジュの津山陸さん。故郷のために何かしたいという思いを胸に5年ほど前、木古内町にUターンを果たしました。

過疎化に拍車がかかる故郷をなんとかしたい。

観光客に向ける笑顔がとてもやわらか。観光コンシェルジュという仕事がぴったりフィットしている、それが津山さんの第一印象。

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現在34歳。中学卒業まで木古内町で過ごし、その後高校進学で函館、大学進学で東京へ。そのまま著名な時計メーカーに就職し、その後もいくつかの仕事を経験しました。
「拠点は東京でしたが、お盆やGW、年末年始などの節目には木古内に里帰りしていました。その度に感じていたのは、まちに漂う枯れた雰囲気。木古内がどんどん元気がなくなっていく気がしていました」
自分が暮らしていた中学時代は、行き交う人も多く、商店にも町民が集っていたはず。いつの間にこんなに寂れてしまったのだろう...そんなことを考えていた矢先、津山さんは少し体調を崩したこともあり、療養のために木古内の実家に戻ります。
「久しぶりの木古内暮らしでしたが、やはり痛感するのは過疎の現実。このまちの復興のために何かできることはないのかなと漠然と考えていました」
そんな最中、津山さんは木古内の地域おこし協力隊の募集を耳にします。
「協力隊の役割は、北海道新幹線開通に伴いオープンする『道の駅』の具体像を、自治体や関係者とともにつくりあげること、さらにその道の駅の重要な役割である『道南西部9町の連携』をコーディネートしていくことでした」
大きな責任を伴う仕事に当初はやや躊躇した津山さんでしたが、かつての同級生や幼なじみ、旧知の町民からの『木古内のために力を貸して』の声に一念発起。地域おこし協力隊のスタッフになることを決めたのです。

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道の駅構想を実現する地域おこし協力隊スタッフとして。

津山さんが協力隊の一員になったのは2012年。
「所属は木古内町でしたが、役場の自分の席に座っている時間はほとんどありませんでしたね。国交省や道庁の方、コンサルタント会社の担当者などと、道の駅のコンセプトを練り上げたり、具体的な施設の内部のイメージを作り上げていったり。果てはどんな土産品を置くか、どんなサービスを提供するかまでを話し合いました」

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行政マン、技術者、経営者、民間スタッフ... 立場が違えば考え方も異なります。会議の場では意見がまとまらないこと、議論が白熱することもしばしば。
「でもそれは、誰もがすばらしい施設を作り上げたいと必死だから。意見は違っても、道の駅に寄せる思いは同じなんです。論戦やミーティングを重ねていくうちに、次第にいいプラン、みんなが納得する計画が出来上がっていきました」
こうした取り組みの合間を縫い、津山さんは道南西部の9つの町との情報交換や連携体制づくりにも奔走します。
「北海道新幹線の開通や道の駅の誕生を起爆剤に、道南エリアを盛り上げていこうというのが活動の趣旨。どの町にも自分の故郷を愛する熱い人がいて、刺激的な出会いや絆が深まる交流を経験することができました」

道南や青森にも同じ思いを抱く仲間がいるから。

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さらに津山さんが『エネルギーをもらった』と笑うのが、津軽海峡マグロ女子会(通称マグ女)なる集い。青森と道南地域の女性たちによるまちおこしグループで、自分の町のPRだけではなく青森や道南エリアの周遊観光のアピールや体験プログラムの企画運営などに取り組んでいます。
「観光庁長官賞を受賞したほどのユニークな活動をするグループ。どの女性も自分の暮らす町が好きで、その町を豊かに楽しくしたいと願っているんです。そのピュアな情熱に心打たれました」
自分と同じように、小さな町で奮闘している仲間がいる。同じ女性という立場で踏ん張っている人たちがいる。
「心が折れそうになった時、あまりの多忙につらくなった時、マグ女のことを思い浮かべ、私だけが負けるわけにいかないって思いましたね」

感動と期待が高まる『道の駅 みそぎの郷 きこない』オープン。

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多くの方々の参加と協力のもと、官民が一体となって取り組んだ木古内町の道の駅のプロジェクト。その集大成ともいえるのが2016年1月の『道の駅 みそぎの郷 きこない』のオープン。場所は北海道新幹線木古内駅の目の前。道南杉を使ったユニークなデザインのエクステリアが、訪ね来る人々の心を躍らせます。
現在の津山さんの所属は、この施設の運営に取り組む一般社団法人木古内公益振興社の職員。さらにここに常駐する観光コンシェルジュとして、木古内町はもとより道南西部の個性あふれる町の観光PR活動や広域周遊ツアーの告知などに取り組んでいます。(*この道の駅の施設やサービスに関しては、くらしごとの記事『木古内町に観光客と活気を呼ぶ、道の駅みそぎの郷』をご参照ください)
この道の駅に足を運ぶのは、北海道新幹線を利用してきた観光客のほか、バスを使って訪れる団体ツアー客、マイカーで来るファミリー客、さらに出張のビジネスマンなどなど。中には大きなリュックを背負った海外からのバックパッカーなどがくることも。
「四季を通じ週末は、平均2千〜3千人が利用しています。GWは1日1万人を超えることもあるんです。道の駅ができる前では考えられなかったですね」

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一番うれしいのは木古内に活気と可能性が生まれたこと。

木古内町へのUターン、地域おこし協力隊への参加、さまざまな人との出会い、北海道新幹線の開業そして道の駅のオープン... 『東京暮らしの何十倍もの忙しさと刺激を受けた5年』を経験した今、津山さんが感じることとは何でしょう。
「道外から海外から、多くの方がこの道の駅に訪れてくれるのはうれしいです。でも私が心底喜びを感じているのは、木古内の町が少しずつ元気になってきたことなんです」
道の駅のフードコートや遊具広場に町民が足を運ぶようになった。町民と観光客の小さな交流が生まれた。町の食堂に商店にコンビニに観光客が出向くようになった。一つひとつは些細な出来事だけれど、その積み重ねがまちの元気に、故郷の活気につながっていく... 津山さんはそう感じているのです。

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「この可能性の灯を消さないためにも、道の駅への集客をさらに高めていくことが、私の使命。そのためにはイベントを企画したり、新しい商品や土産品を取り扱ったり、SNSなどを介してこまめに情報発信をするなど、常に動いているイメージを抱いていただくことが肝心だと思っています」
最後にひとつ質問。津山さん、5年間を振り返って感じることはなに?
「木古内町も変わりつつあるけれど、私自身もこの数年でかなり変わったと思います。せっかく住むなら楽しい町にしたい、誰かにまかせるんじゃなくて自分でやってみたい、どうせ働くならいろんな人に出会ってみたい、そんな風に前向きに考えるようになりましたからね。東京時代じゃ考えられませんよ(笑)」
来年、再来年、数年後。木古内町はそして津山さんはどんな変化と成長を見せてくれるのでしょう。今から楽しみです。

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道の駅 みそぎの郷 きこない
住所

北海道上磯郡木古内町字本町338-14

電話

01392-2-3161

URL

https://kikonai.jp/


「故郷にできることは?」そんな思いを胸にUターンした女性。

この記事は2017年10月31日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。