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北海道で暮らす人・暮らし方
網走市

悲しみやツライ体験を乗り越えて、小物をつくり続ける主婦20180501

悲しみやツライ体験を乗り越えて、小物をつくり続ける主婦

冬になると流氷が接岸する北海道の都市のひとつ、網走市。その「流氷」のイメージ、さらには博物館「網走監獄」のインパクトも強くあることから、多くの方に観光業の盛んなまちとして認識されているのではないでしょうか。その通りではあるのですが、そんなまちでどんな人が暮らしをしているのかを、知っている人は日本全国にどのくらいいるのでしょうか。

網走市に拠点を置き、暮らしている一人の女性の強烈なまでの過去と、それを乗り越えて見つめる未来についてのお話を取材してきました。「つらいこと」があると、なかなか未来や将来のことを考える余裕がなくなるのが人間だと思います。特に何かの壁にぶつかっている方や、迷っている方、ものづくりに関わっている方などに読んでもらいたい力強いお話が聞けました。

農家の娘としてうまれた幼少期

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網走市の中心部から内陸側へクルマを走らせるとすぐに見えてきたのは、戸建て住宅に、手作りの看板「はんどめいどShop たかみ〜」の文字。こちらに住まい、バッグやアクセサリーなどの小物を製作し、販売している解田(ときた)保惠さんが今回のお話の主人公です。

解田さんがお生まれになったのは、北海道長沼町。お米農家の三女として誕生しました。21歳になるまで長沼町にお住まいだったそうでしたが、当時を振り返っていただくといろいろあったそうです。

「高校を卒業したら、本当は建築の学校に行きたかったんです。小さな頃、火事で家が全焼してしまうという悲しい出来事があって、新しい家を建てることになりました。その時に子どもながらに感じた木の香りとか、『モノ』が出来上がっていくワクワク感が、私の夢のはじまりになりました。でも姉が2人、弟もいて、実家の台所事情もあって、進学させてもらえる状況ではありませんでした」。進学という夢はあきらめ、地元の農協に勤め出したそうです。

農協に就職できるなんて、とても安心出来るような環境に見えましたが、解田さんは、実は想いを秘めていたのです。「自分でお金を貯めて学校に入ろうって!そのために働くんだって自分に言い聞かせていました。3年弱働いて、学校の前期分の学費、アパートの敷金や引っ越し代などを貯めた後、退職して札幌のデザイン専門学校の夜間コースに進学しました」。日中は、家具屋さんとミシンメーカーで働いて、空いている時間は他にもスナックやファミレスでもバイト。そうしながら生活し、学校に通い続けるための資金を稼いでいたそうです。

てへへと笑いながらも、説明する解田さんですが、社会人になって、学費を貯めて、安定した仕事を辞めてまた学校に行くという行動にでられる人は、本当に強さのある人と感じます。

「イヤな仕事」じゃなく、「好きな仕事」だったからのつらさ

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「専門学校の宿題のヒントになるのでは...と考えて、札幌の大谷地にあるマイホームセンターに見学に行って、いろんなハウスメーカーのモデルハウスを見てまわったんです。その最後におじゃましたハウスメーカーで、その会社の担当の方に案内してもらっていたら、いつの間にか面接に!(笑)。その日のうちにその会社の本社に行き、制服までもらって、翌週にはその見学したハウスメーカーのモデルハウスで働くっていう出来事がありました」。その面接をしてくださった方には、宅地建物取引主任資格の勉強にもお付き合いいただくなど、その後も随分とお世話になったそうです。

ようやく自分の好きなことを学び、好きな業界で働き始めた矢先でしたが、お母さんの体調が悪くなってしまい、家事手伝いをするためにやむなく退職し、また長沼町に戻ります。「姉妹の3番目でまだ若いから、再就職するのにも有利だろうってことで、家族との相談の上で、私が戻ったんです。なかば強制的でしたが...(笑)」。

その後、お母さんは快方に向かい、ふたたび札幌に出てきて、最初に働いていたハウスメーカーとは別のハウスメーカーに設計の職として再就職(実は、営業としての採用だったそうですが、入社してみたら設計だったそう)、その後、「やっぱり建物を通じた営業をしたい」という想いから、不動産賃貸の会社に転職します。学校も卒業した24歳のころでした。そのころを思いだしていただき、こう解田さんは語ります。「楽しかったですね〜。とにかく人と話をするのが大好きでしたので、本当に天職だって思いました。実はものっすごい方向音痴で(笑)、さらには車の運転もへたくそで(笑)、冬道の運転とかも怖い怖いって言いながら物件を内覧するお客様を連れて歩いてたりしたんですよ!...時にはお客様に運転代わってもらったりなんかも...汗。信じられないですよね(笑)」。

そんな解田さんでしたが、充実した幸せな日々は1年半ほどで終わりを迎えます。

「当時、本当に表現できないほどすごく忙しくて。若さもあったし、仕事も楽しかったし、勢いで働いていましたけど、気がついたらカラダはボロボロ。ありがたいことに役職もいただいたのですが、それも逆に仕事の範囲が増えたりもして、体調的も精神的にも限界がきちゃったんです」。お昼ごはんをまともに食べる時間もなく、移動中の車内でおにぎりを食べながら次のお客様のところへというのもしょっちゅうだったそう。

仕事を心底一生懸命にする人にありがちな、自らのことを顧みなかったことが裏目に出てしまったのかもしれません。イヤな仕事だったからではなく、好きな仕事だったからこそ、そんな状況になってしまったツラさは、なかなか他の人にわかってもらえるものでもないと感じます。

ご主人との出会い、そして自分のカラダとの闘い

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「落ちました。もう落ちるところまでって感じで。わからない人にはわからないと思うのですが、実は地下鉄に乗るのも怖くなっちゃうくらい私の世界が変わってしまったんです。世の中に自分なんて必要ないんじゃないか...なんてことも考えるくらいまできていましたから、相当な落ち込みようだったと思います」。

その一方で、自分を客観的に見て、「やりたい仕事をやりきった感」もあったという解田さん。そして、このまま引きこもっていても、仕事をしなくては生活ができない。親に援助はお願いできない...。なるべく近くで地下鉄の乗り換えがなくて...と、偶然探し出したある土木関係の会社で再び働き始めます。

「今では笑い話なんですけど、住宅関連の会社だと思って入社したら、土木の会社だってわかって(笑)」と解田さん。仕事内容や会社というよりも通勤方法っていう消去法で選び、しかも勘違いして入社した会社だったのですが、そこで運命の出会いがあります。旦那さんとの出会いでした。

幸せと言葉にならない悲しみ

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その後、順調に仕事も覚え、旦那さんとのご縁も深めていたある日、また大変な状態になってしまいます。

「また体調を崩してしまいました。自分の想像よりも重たくって、腎臓の問題だとお医者さんからは言われました。その後も内臓の疾患がでてしまい、即手術。社会復帰もムリですと宣告されました。お医者さんから言われた通り、社会復帰がムリなどころか、ほぼ寝たきりの生活になってしまいました。治療に専念しなければいけない。仕事はどうしよう?自分の生活は?未来は?と悩んでいたなか、そんな状態なのに、一緒のアパートに住まわせてくれた上に、『もらうつもりだよ』と彼が言ってくれたんです。本当に嬉しかったのを結婚して20年経ったいまでも鮮明に覚えています」。働いていた会社では、「デスクは残しておくから、回復したら戻っておいで」とまでおっしゃってくれたそうですが、残念ながらご本人の状況から、それも叶わなかったそうです。ちょうど北海道の南の方でトンネル崩落事故があり、土木系の会社でしたので、ご主人が激務に追われているころの出来事でした。

それからは治療をしながら、ご主人の転職と共に、北海道内を転々とする生活が始まります。普通であれば、だいたい波瀾万丈の人生も、幸せな結末ということで終わりますが、解田さんの場合は、もっとつらい出来事にあってしまいます。お二人の間のお子さんが亡くなってしまったのです。そのお話を聞いたとき、取材陣は声をかけることもできませんでした。こんなに元気で明るい解田さんに、そんなつらい過去があったとは想像もしていませんでした。

網走への移住。最後のマチに。

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ここでは書き切れないほど、さらにたくさんの経験をされながら、場所も変えながら、6年前に縁があって網走に移住してきます。「転勤族という生活も悪くはないですよ!」と解田さん。観光とはまた違った時間が流れ、そのまちの良さをゆっくりと知ることができると言います。
「今度は海の見える場所が良いな〜なんて、主人に言っていたんです。函館かなぁ、小樽かなぁ、なんて。そしたら網走かいっ!って(笑)。確かに海は見えるけどさぁ(笑)」。でも、網走が最後の移住地。根を下ろし、生きていく判断をご夫婦で決めたのです。

「網走の生活ですか?ネットで見ただけで物件の現地確認もしないでやってきたんですが、引っ越してきたときは寒すぎて死んじゃう、このままじゃ死んじゃう!って思いました(笑)。6月のことですよ!家で寝て、朝起きたら絶対凍死してる!って思うくらい寒かったですね(笑)。ここは監獄か!!って。...あ、監獄のまちか!(笑)」。

そんな冬の厳しさがあっても、網走でやっていけると思ったのは、地域の方々とご縁があったからと説明されます。「網走で『手仕事なかま展』という取り組みがあって、そこに関われたことで、世界がすごく広がったんです」。医者からは社会復帰はムリとまで宣言されていたのに、実は頑張って短い時間から...ということで、パートの仕事を始めていました。いろいろと暮らしたマチのひとつ、遠軽町にお住まいの時のことです。そのパート先は、衣料品販売のお店でしたが、被服材料になる生地なども扱っていたため、端材がでてしまうそうで、その活用や、自分の趣味もあったことから、小物づくりにのめり込むようになったそうです。そんな流れもあって、網走に引っ越してからもその趣味を続け、地元の手芸店にいったとき、「手仕事なかま」とのつながりができたそうです。

趣味から商売に。商売をまわりの幸せに。

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「網走では、体調もかなり回復してきていたこともあって、パートではありましたけど、1日8時間っていうフルタイムのお仕事にもチャレンジしてみました。でもやっぱり身体的にキツかった。さらに趣味としてやっていた小物づくりにかける時間もなくなり、心のバランスも崩れだしていました。そんな折、手芸店の店長さんに作品を見せたところ、『クオリティ高いのにそんな安価で売っているの?もっと上げてもいいんじゃない?』とか、同業の方から『オホーツク界隈では解田さんの作品のクオリティは抜群だよ!』なんておっしゃっていただいたりもして、調子に乗って(笑)、いろんなことが重なって腹をくくることにしたんです!」。

解田さんが腹をくくると決めたのは、趣味であった小物作りを商売にすること。

「生活をしていくために、旦那さんのお給料だけじゃなくて、自分も貢献を少しでもしたい、でも体調的には長時間労働が厳しかった。そして網走での手仕事なかまや販売イベントとの出会い。それらの全てが重なって、やってみることにしたんです。でも、そんな感じなので、目指しているのは『ソフトな商売(笑)』。ガツガツと稼ぐぞ〜っ!っていうのじゃなくて、私がつくった作品を見ることで、誰かが幸せになったらいいな、かわいいと思ってくれて気持ちが柔らかくなったらいいな...そんな感じかな。そしてもし私の作品を買ってくれる人がいて、その人がまた買いにくるために自分の仕事を頑張るんだって目標とかにもなったらさらに素敵!って思ってました。最初は手作りバッグから商品を揃えて、遊びの感覚でフェルトの小物ケースなんかから制作を開始しました。服もつくっていたんですけど、実は今の家が狭くって、生地を広げきれないんです(笑)。だから今はお休みしています。他でいくと面白いものをつくるのがとっても好きで、変わったものもたくさんつくってます。『おにぎり』をモチーフにしたものなんかも作品としてつくってます。最近は『天むす』も登場!(笑)。でも、面白いものをつくるのが好きというより、それをみて『ぷっ!』って笑ってくれる人を見るのが好きなんですよね〜。笑ったら、今日も一日元気でいてもらえるんじゃないかって思えるんです」。

歩いたら売れるセンス!? 主婦業とのやりくり

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こんなこともあったそうです。

「ある販売イベント期間の最中に、たぶん80歳くらいのおばあさまでしたが、『このバッグ気に入った!買いたいけどお金持ってないから、郵便局からお金下ろしてくるから待ってて!』と申されて、取り置きしていたんですけど、全然戻ってこられない...。心配してたんですが、その日の閉店ギリギリに戻ってこられたんです。嬉しかったですね〜。どこまで遠くの郵便局まで行かれてたのかはさすがに聞けなかったですけど(笑)。そうそう、こんなこともありました。普通に自分がつくったバッグを下げて歩いていたら、顔見知りの方だったのですが、『そのバッグはどこで買ったんだい?』と聞かれたので、自分で作ったことを伝えると、『おばさん、そのバッグ気に入ったから売って欲しい!』となって、持っていたエコバッグに荷物を詰め替えてバッグを差し上げたんです。その流れで商店街のくだもの屋さんで買い物をしてましたら、お店のおばちゃんに『そのエコバッグはどこで買ったの?』とまたしても聞かれ、『じ、じぶんでつくったんです...』と伝えると、売って欲しい!って(笑)。最終的には、私はスーパーのレジ袋に自分の荷物を入れ替えて帰りました(笑)」。そんなことが何度となくあったそうで、いつも自分のバッグはお古のものになってしまうそうです。

そのくらいに人を惹きつける魅力がある商品をつくっている解田さん。自宅をショップとして販売しながら、2017年は36日ものさまざまな地域での販売イベントに出たそうです。「どうしてもイベント前となると、『残業?』っていうのかな、自宅だけど...。残業しなきゃいけないこともあるのですが、ちゃんとものづくりは9時から17時まで、それ以降はちゃんと主婦業って自分のなかで線を引いて仕事をしています。時間をちゃんと区切ることで、ダラダラ感がでずに、集中して作業もできるんです」。たくさんの商品を製作し、販売もし、主婦としても活躍するというのは、とってもすごいことだと思います。

自分の体験を、伝えていく。地域や必要とする人にとっての役割を担うこと。

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さらに、とても面白い取り組みについても教えていただきました。

「2年ほど前なんですが、向かいの郵便局のおばちゃんから、ある病院の精神科で手芸を教える先生を探しているとお話がありました。月2回ということでしたし、断る理由もありませんでしたので、『私にできることであれば』とお受けしたんです。その後、アートヘルスアドバイザーという資格が世の中にあることを知り、その資格を取得。勤務回数も毎週金曜日の月4回に増え、その病院で今も講師をしているんです。2時間程度の短い時間なのですが、一生懸命やっています。私自身の体験談で、つらいことがあったときに、ものづくりに没頭することで、嫌なことを忘れられたり、達成感を得られたりすることで、癒やしがあるって本当に思っていましたが、自分のやっていることが『人を癒やす力にもなるんだ』ということにも気がつきました。人に作り方を教える難しさもありますし、鋭利な道具は使えないことと、限られた時間という枠組みでできることを考えないといけない難しさもありますけど、本当に関われて良かったって思っています。ミサンガやシュシュをつくるケースが多いかな。アートヘルスアドバイザーっていう仕事は、国としても推し進めようとしている動きですが、もっと世の中に広がったらいいなって思っています」。

これまでの解田さんの体験を聞いてきたからこそ、この活動の意味や意義が、本当に伝わってきました。

ショップの店長は、「緑色のアイツ」

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...と、ここで、ずっと気になっていたことを聞いてみます。

「こ、この、家の中をのそのそしている亀さんは...?」

解田さん「ウチの店長です!小吉先生です!」

ということで、かわいい亀も解田さんと共に、ショップを支えていました。もともとは、お祭りなんかにいる、ちっちゃい子亀だったそうですが、かなり大きく成長したそうです。のそのそと動く姿は本当に癒やされます。どことなく、話を聞いてくれているような雰囲気も(笑)。ちゃんとお客様がお見えになったら接客もしてくれるそうです(笑)。

悲しいこと・つらいことがあっても、明るい未来に続くことを実証していく

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最後に、これからのことについてうかがいました。

「実は、6年ほどこの自宅兼店舗っていう感じでやってきましたけど、ついに、新しいお店として物件を決めたんです!今は、まだ内装のデザインとかを考えている最中ですけど、楽しみにしていて下さい!ということで、昨年は36日もイベントにでていましたが、今年は抑えめにして、商品のストックをせっせとつくっています。新しいお店ができたら多くの人に来てもらって、作品を見て癒やされてもらえたら嬉しいな〜。新店ができても相変わらずのんびりゆったりやっていくつもりですけど(笑)」。

いつも笑顔で元気。メールのやりとりもいつもニコニコ。そんな解田さんの過去には、悲しみ、苦しみ、つらさ、もどかしさ...そんな出来事がたくさんありました。それでも前を向いて、今自分ができることを一歩一歩進んでいく...。つくってきた製品のひとつひとつに、その想いがこもっていて、それが伝わるのかもしれません。

最後に、この記事を解田さんと確認するやりとりのなかで、手書きのコメントをいただきましたので、そのまま記載します。

「18歳から目標とは違った道に流されながらも、ひとつの光を見失わないで、全て自分で選択してきた。今となってみれば、接客業についたことも、スナックでバイトしたことも、建築の勉強をしたことも、出会ってきた人たちも、1つとして無駄な経験ではないことに気づき、それだから、今、こんな作品になっているんだと感謝しています。でもね、当時は悲しいとか、ツライとか、言ってる場合じゃなくて、とにかく必死。うしろを振り返っても変わらないし、今できること、今考えること、誰に何ができるのか...だけだったよ。とにかく進めーーーーって(笑)。『あ〜、結構大変だったなぁ〜、でも乗り越えられるから与えられてるんだって解ってるから、頑張れたんだと思うし、支えてもらった分、返さなきゃ、なんかのカタチにしてって。今は、支える側として少しは返せてるかな(笑)』」


優しいご主人、網走というマチやマチでの活動、理解し支えてくれる友人のみなさんも、解田さんの活動をサポートしてくれているというのが、お話を聞いていてとてもよくわかりました。大変なこと、つらいことがあっても乗り越えられる。それを実証し、その乗り越えた経験をさらに周りへの支援に変えていく。北海道の網走市。そんなまちもそんなまちでの暮らし方も知らない人がいるかもしれませんが、こんなまちに、こんな生き方をしている人がいることを知ってもらえたら幸いです。そして、ここに来たら幸せになれる、笑顔になれるお店として、網走を代表するお店になっていくことを願わずにはいられません。

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はんどめいどShop たかみ〜
はんどめいどShop たかみ〜
住所

北海道網走市台町3丁目3-12

URL

https://www.facebook.com/100008504970221

常に店舗として開店しているわけではありませんので、URLのFacebookより、販売イベント情報などをご覧ください。※Facebookにログインしていないと表示されない場合があります。


悲しみやツライ体験を乗り越えて、小物をつくり続ける主婦

この記事は2018年2月20日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。