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遠別町

幸せな生き方と働き方を地元に見出した若者。20180219

この記事は2018年2月19日に公開した情報です。

幸せな生き方と働き方を地元に見出した若者。

札幌から遠別にUターンしたイマドキの男性。

北海道留萌管内北部、美しい日本海に面した遠別町。このまちは農業や漁業といった一次産業が主体で、とりわけ「日本最北の米どころ」として知られています。どの地方も頭を抱えているように、農家や漁師など生産者の後継者不足をはじめ、若者が都市部へ流出してしまうというのが大きな課題。そんな状況に対して「ふる里に何かできないだろうか」と札幌から遠別へとUターンしたのが「NPO法人えんべつ地域おこし協力隊」の原田啓介さん。ルックスもファッションもイマドキな32歳の若き男性です。カメラを手に撮影から取材、デザインにイラスト制作など多彩な活動に取り組んでいます。

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地元だからこそスムーズに進んだ情報収集や人脈づくり。

原田さんは生まれも育ちも遠別町。ご自身で「お決まりのパターンかもしれませんが」と前置きするように、多くの地方都市の若者と同じく、欲しい洋服がすぐに手に入らないジレンマやアミューズメントの少なさから、都会へのあこがれを抱いていました。

「隣町の天塩高校を卒業し、進学先として選んだのは札幌の北翔大学。僕は運動学や障がい者教育に興味があったので、保健体育と特別支援教育の教員免許を取得しました。正直なところ、当時は遠別に戻ろうなんて考えはゼロ。大学卒業後は教育のフィールドで働こうと、専門学校の営業職として就職しました」
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原田さんの仕事はごく簡単にいえば学生の募集。さまざまな高校生のもとへ出向いては面談を重ね、進学に対する不安や将来の夢をヒアリングした上で専攻コースを提案していました。教育という無形のサービスを売ることに手応えは感じる反面、仕事の進め方がルーティン化し、さらに自分の時間が取りにくい日々に「このままで良いのだろうか」と疑問が生じるようになったといいます。

「最初は田舎でウクレレでも弾きながらのんびり暮らしたいと思い描いていました...安易すぎますよね(笑)。ただ、移住について調べていくうちに地域おこし協力隊という制度があると知り、しばらくしてから遠別町の隊員募集を見つけたんです。それまでも地元の友人が発信するSNSを目にするたび、まちの風景が昔と違って寂しくなっていることに胸がチリチリと痛んでいました。自分がふる里の活性化に一役買えるなら...そんな気持ちが湧き上がり、遠別町の地域おこし協力隊に応募したんです」

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一般に地域おこし協力隊というと自分とは縁のなかったまちで働くイメージ。けれど、原田さんの場合は勝手知ったる地元へのUターン。入口としてはハードルが低く、情報収集や人脈づくりに困ることはなかったと微笑みます。

燃えるような夕陽に心を奪われ、写真撮影がライフワークに。

原田さんが遠別町の地域おこし協力隊として活動するようになったのは5年ほど前。当時はすでに隊員が3名在籍していて、高齢者の見守りや暮らしのお手伝い、農作業の支援などに取り組んでいました。

「先輩方が精力的に活動していたおかげで、自分が何をすべきか考える時間がたっぷりありました。僕は保健体育の教育を学んできたのでスラックライン(綱渡りのような競技)を子どもたちに手ほどきしたり、遠別の広報誌で町民を似顔絵とともに紹介したり、今までの地域おこし協力隊とは違ったアプローチを試すようにしたんです」

enbetsu_hatarakikata_5.jpg原田さんが似顔絵を担当した広報誌のワンコーナー「遠別人」。

手探りのスタートながらスラックラインや似顔絵は町民にも好評だったとか。加えて、田舎で生きていくためのスキルを幅広く習得しようと、デザインやイラストの制作方法も独学で身に付けていきました。

「その年の夏、燃えるような夕陽をバックにエゾニュウが静かに佇むマジックアワーを目にしました。心が奪われるという表現がこれほどしっくりきたのは初めての経験。自分は今までこの美しい風景を見逃してきたんだと後悔したほどです。宝物はごく身近にある。そう思い、遠別の四季が描く自然の表情を切り取りたいと考えるようになりました」

enbetsu_hatarakikata_6.jpg原田さんが撮影した夕陽の写真。心を奪われたというのが実にしっくりくる美しさ。

原田さんはそれまで扱ったことのなかったカメラをすぐさま購入。遠別でしか見られない貴重な瞬間を残そうと、一眼レフを手に町内を散策するのがライフワークになりました。

カメラやデザインのスキルをフル活用して地元の高校をPR!

市町村によって異なりますが、地域おこし協力隊には最長3年の任期があります。遠別町の場合は、高齢者の見守りや安否確認がことのほか支持されていたことから、町民の間では「隊員の卒業とともに活動がなくなっては困る」という声があがるようになりました。

「僕が隊員になってからおよそ1年後。自分を含むメンバー3名と、地域移住コーディネーター1名で『NPO法人えんべつ地域おこし協力隊』を立ち上げることになりました。活動内容は今までと同様に町内イベントのお手伝いや高齢者の生活支援、スポーツを通じた町民の交流、移住事業などなどさまざま。ただし町が管理する地域おこし協力隊も継続していて、そちらも農業支援を中心に隊員が活躍しています。ちょっとややこしいんですが、僕らのことは『えんおこ』って略してください(笑)」

enbetsu_hatarakikata_7.jpg「えんおこ」の代表と移住コーディネーターとのスリーショット。

原田さんは、主に単身者交流イベントとしてまちの男性と都市部の女性をマッチングさせるツアーを担当。少しでもまちの人口増に貢献したいと東奔西走しています。2015年からは、生徒数が少なくなってきている「遠別農業高等学校」のPR事業を遠別町から受託。取材や撮影に加えて、Webサイト「遠農物語。」の制作など身につけたスキルをフルに活用しています。

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好きな仕事に携わりながら楽しく暮らせるというお手本に。

遠別町が管理する地域おこし協力隊は地方公務員にあたるので副業はNG。けれど、NPO法人の場合は個人で仕事を受けることも可能です。原田さんは本業が終わったあとや休日に、写真撮影や印刷物のデザイン、似顔絵・イラストの販売といった幅広いクリエイティブ業務にも取り組んでいます。

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「僕は遠別町の公営住宅に住んでいます。都会に比べると家賃は格安ですし、農産物や魚介類のおすそ分けも多く、食費を中心に生活コストはグンと下がりました。とはいえ、田舎で稼ぐことの楽しさも大変さも自分自身で経験してみたくて、個人事業も手がけているんです。遠別情報を発信するブログを立ち上げてアフィリエイトを取り入れたり、『田舎の言葉』というラインスタンプを制作したり、いろいろトライしていますが...まあ、今のところ全然稼げていません(笑)」

enbetsu_hatarakikata_10.jpg原田さんが手がけているゆる〜いラインスタンプ。

ご自身がいうように、原田さんはまちの暮らしを楽しみながら仕事の在り方を模索し、地域活性化にゆるやかに取り組んでいるように映ります。そのユニークなスタンスは肩の力が抜けていて、「身の丈に合う」という言葉がぴったりです。

「まちおこしを頑張ろうとか、地域はこのままじゃダメだとか、いくら町民に熱心に説いても、今の暮らしを急に変えることなんてできっこないですよね。むしろ『都会から帰ってきたお前に何が分かる』と怒られちゃいそう(笑)。遠別には医療や福祉の施設もありますし、スーパーもあるので、ふつうに生活する分には困ることがありません。なので、Uターンしても好きなことを仕事にしながら、楽しく過ごせるんだというお手本を示すのが先決なのかなって考えています」

enbetsu_hatarakikata_11.jpg「えんおこ」の事務所には移住体験住宅も併設。ぜひ、お問い合わせを。

原田さんは休みともなれば山や海に出かけてカメラを構え、風景写真をブログに載せています。一度は、東京からわざわざ「写真の場所に行きたい」と遠別を訪ねてきたご年配もいたのだとか。町内の居酒屋で店主に頼み込んで撮影した写真は、大手住宅設備メーカーのストーブの広告に使われ、東京の駅にも貼り出されました。身の丈に合ったゆるく楽しい暮らしを伝えることで、じわりじわりとファンを呼んでいく。そんな新しい移住促進のスタイルを垣間見た気がしました。

enbetsu_hatarakikata_12.jpg原田さんが口説き落として撮影をお願いした「居酒屋千世本」のマスターと。

NPO法人えんべつ地域おこし協力隊
住所

北海道天塩郡遠別町字本町2丁目94-1 遠別町移住交流支援センター内

電話

01632-9-7151

URL

http://www.town.embetsu.hokkaido.jp/kyouryokutaiHP/


幸せな生き方と働き方を地元に見出した若者。

この記事は2017年10月24日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。