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Uターンで起業、富良野でフリーペーパーを作るデザイナー20180208

この記事は2018年2月8日に公開した情報です。

Uターンで起業、富良野でフリーペーパーを作るデザイナー

富良野での「暮らし」を発信

広告収入で運営され、無料で様々な情報が手に入るフリーペーパー。スマホが普及する以前、クーポンはフリーペーパーで入手するのが当たり前だったため、本当にたくさんの種類のフリーペーパーが発行されていたものです。

furano_nakamura10.jpgこちらが実際のWAKUDOKI FURANOのフリーペーパー。富良野のお店、サービス、イベント、習い事などの情報の他に富良野の「仕事」と「人」にスポットを当て、富良野の情報を発信しています。

このWAKUDOKI FURANOは2016年9月創刊と比較的新しいフリーペーパーですが、最も目に入るのはその一面に溢れる笑顔ではないでしょうか。無料とは思えないほど作り込まれた一面のインタビュー記事はいつも「富良野に関わる人」。まるで雑誌のような記事で、その人やその仕事の魅力を引き出し、発信しています。

furano_nakamura3.jpg遊び心たっぷりのコーナーも。

WAKUDOKI FURANOのコンセプトは読む人も作る人も「ワクワク、ドキドキ」すること、そして「人と人とをつなぐこと」。まさに誌面からはそんなワクワク、ドキドキが伝わってきます。

地元の人でもあまり知らない、ちょっと素敵な富良野の魅力を引き出し、たくさんの人に届けているのがWAKUDOKI FURANO編集部の「フラノデザイン」です。

フラノデザインの代表はデザイナーを務める中村靖教(なかむら やすのり)さん。そして集まっていただいたのは中村さんと飲み友達というプログラマーの矢島さん、中村さんの「はとこ」にあたり、営業を担当している近藤さん、中村さんの同級生の奥さんということで出会い、企画、校正を担当している鴇田(ときた)さんです。皆さんこの編集部とは別に他のお仕事もしています。

furano_nakamura4.jpgメンバーのみなさん。一番奥の男性こそが、この記事の主役中村さんです。

編集部の皆さんに中村さんの印象を聞くと口々にこう言いました。

「こうしたいって言ったらすぐ動く、その行動力はすごい奴だな〜と思いますね」
「いい加減が素晴らしい。でもそれで成り立っているのが彼なんです」

furano_nakamura5.jpgみんな思い思いに中村さんについて話しますが、その場にいる当の本人は・・・ちょっと恥ずかしい。

それでは、どうして中村さんはこの富良野でデザイナーになり、WAKUDOKI FURANOを創刊するに至ったのでしょうか。中村さんの素顔に迫ります。

まちにデザインが必要と感じて、未経験からデザイナーへ

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フラノデザインの代表である中村さんは1985年に富良野で生まれました。旭川の学校に進学後、東京に本社を構える外資系のIT会社に就職します。そこで3年ほど営業、保守(管理・運用)の仕事をしていましたが、ご実家の事情で富良野にUターン。

生まれ故郷である富良野に戻ってきて中村さんは「富良野のためにできることは何か」と考えるようになりました。そうして考えてみると富良野と言えば、やはり「観光」だったのです。

furano_nakamura12.jpg富良野の中心市街地を活性化させるべくつくられたフラノマルシェ。多くの観光客が富良野に訪れた際には一度はここに立ち寄る、と言っても過言ではありません。

帰省してからは観光客も多く足を運ぶレストランで働き始めました。そうして働くうちに「富良野」で需要がありそうなものが見え、「このまちに必要なものはデザインだ!」と思った中村さんは、すぐに行動を開始します。もちろん仕事をしているのでデザインの学校に通ったりはできません。

そこで、独学で勉強を始めようと思った中村さんは本を買って読み込んでいくことに。また、出かけるたびに目に付いたオシャレなパンフレットやチラシを集めては持って帰り、そのデザインの要素を勉強していきました。

現在中村さんはこのフリーペーパーの編集長兼デザイン担当。ワクドキフラノの誌面を作っているのが独学で勉強したデザイナーだなんて驚いてしまいます。

furano_nakamura7.jpgやれば出来る!ということを、その真剣な眼差しが教えてくれた気がします。

WAKUDOKI FURANOが生まれるまで

こうしてデザインの勉強をする中で、もうひとつ思ったことがありました。それが「富良野の情報を、富良野の人が手に入れられる媒体が無い」ということ。

もちろんインターネットが普及している今日なので、調べたい情報は検索をすれば出てきますが、それではあくまでも「調べたい情報」しか出てきません。富良野には本当に素敵な仕事やお店がたくさんあるにも関わらず、それを伝える術はなかったのです。

そこで思いついたのが「フリーペーパー」でした。設置型では多くの人の手に渡らないので、新聞折り込みで富良野に住むたくさんの人に富良野の情報を届けたいと思い立ち、準備を始めます。その過程でだんだんと中村さんの想いに共感したメンバーが増えていき、2016年9月に地域密着型フリーペーパー「WAKUDOKI FURANO」が創刊となりました。

当初は一人でもやるつもりだったという中村さんでしたが、「今思うとこのみんながいないとできなかったと思いますね」と話します。

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立ち上げの際は印刷費や広告費なんてもちろんありません。そこで中村さんたちはクラウドファンディングに挑戦することにしました。「富良野の素敵な情報を、富良野の人に届けたい」その想いに共感した多くの人の支援を受けてプロジェクトは無事に成功し、第一号が発行となったのです。

今では富良野で7割位の人が誌面を見せると「知っている!」と言ってくれるそうで、今後は残りの3割の人にも届けたいという気持ちでいっぱいのご様子。

どうしてこんなにも富良野のために頑張ることができるのでしょうか?

100年後に「このまちに生まれて良かった」と思える富良野に

「いい加減さも魅力」なんてメンバーには言われる中村さんですが、一方でとっても熱い部分も持っていると言われています。


メンバーの一人である近藤さんは先日直売所をオープン。その時には、中村さんから「人と人との繋がりは本当に大切なものなんだ」というメッセージを受け取ったそうです。

その言葉通り、中村さんは本当にたくさんの人との繋がりを大切にする人。特にこのWAKUDOKI FURANOを始めてからは縁が縁を呼び、たくさんの方との繋がりをもらったと言います。

こうした原動力は、富良野にUターンし中村さん自身が子育て世代となったことで「子どもたちにどんな故郷を残せるだろう」と考えるようになったことからだったようです。

富良野に戻ってきた時、中村さんはこの富良野がすごく良いまちだったことに気が付きました。

水も空気もきれいで、食べ物もおいしい。ロケーションが良く自然が多いので子育てにも良い環境です。

furano_nakamura8.jpgメンバーの矢島さんと娘さん

そして何より、自然と人とが助け合えるあたたかいまちなのです。
50年後、100年後に富良野の人たちが「富良野に生まれて良かった」と思ってもらいたい、自分の子どもにも、いつかは孫にもそんな素敵な場所に住んでいてほしい、そんな想いを語ってくれました。

今の富良野には新たな雇用の場が少ないと感じている中村さんは、このまちから進学などで一度出てしまった人でも戻ってこられる環境づくりを目指しています。

Uターンした人々が働ける場をもっと増やしたい、そして夢を見られるまちであってほしい。その気持ちが「富良野の素敵なところ、お店、仕事を富良野の人に届ける」というWAKUDOKI FURANOを生み出したのでした。

「今は富良野に支えられて仕事ができている」という中村さんですが、今後のフラノデザインについて聞いてみました。

「自分たちの目標は、この富良野がもっと盛り上がって楽しくなっていくことなんです。だからそのために『これだけ』っていうことはありません。どんどん競合するフリーペーパーが出てきてもいいし、それで雇用が増えるなら僕たちはそれで嬉しいんです。それで困った時は......また皆で新しいことを始めればいいだけですから!」

furano_nakamura9.jpgこのポーズ、WAKUDOKI FURANOのポーズ。指でつくられた「W」が、WAKUDOKIの頭文字を意味しています。

常に前向きで走り続けるフラノデザインは、これからも「100年後の富良野のために」新しいワクワク、ドキドキを届けてくれるに違いありません。

フラノデザイン 代表・中村靖教さん
URL

http://furano-design.com

WAKUDOKI FURANOのフリーペーパーに関するサイトはこちら

◎お問合せは下記メールにてご連絡ください

furanodesign2014@gmail.com


Uターンで起業、富良野でフリーペーパーを作るデザイナー

この記事は2017年11月13日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。