移住、結婚、独立、新規就農・・・人生の転機が訪れる
まるで昔話に出てきそうな、のどかな風景の中にある松鶴健作さん、愛さん夫妻の「松鶴ファーム」。ここはお椀を伏せたようなこんもりした山々を背景に、田畑が広がる北海道南富良野町の下金山地区というところです。
夫の健作さんは兵庫県伊丹市生まれ。親の仕事の関係で子どもの頃は引っ越しが多く、小学校と中学校の途中までは札幌で、高校は福岡、そして大学時代は千葉で過ごしました。一方、妻の愛さんは大阪府交野市の出身。
そんな二人は、スキー・スノーボードをきっかけに北海道へ訪れ、そして北海道の冬山に魅せられてしまったのです。
二人はそのまま北海道へ移住、結婚、独立・・・現在では新規就農と、変化の激しい道のりを歩み始めることとなりました。
新規就農を経た今、夏はミニトマトなどを栽培する農家として、冬はテレマークスキーのインストラクターや冬山ガイドとして、一年を通じて南富良野の自然の中で働いています。
なぜこの土地を選び、さらには農業を始めることになったのか・・・数々の人生の転機について、まずは健作さんの歩みから紐解いていきましょう。
アウトドアガイドから、そして農業の道へ
健作さんは北海道へ来る前、商業施設の設計管理の仕事をしていました。やりがいはあるものの、週の半分は徹夜という忙しい日々。
そんな中で、改めて「自分はどう生きたいのか」と考えた時、「雪がある環境での暮らしがしたい」という考えに行き着きました。
大学時代、スキー同好会に所属し、冬は雪山にこもって合宿していたという健作さん。その経験もあって、雪のあるところで暮らしたいという想いのきっかけにもなったそうです。
そこで試しに1シーズン、北海道占冠村にあるリゾート施設、「トマム」でスキーインストラクターの仕事に挑戦してみることに。
「初めてのインストラクター体験は刺激的で楽しくて。大学時代のようなワクワク感が甦ってきましたね」と健作さんは満面の笑み。
そして冬が終わり、再び夏がやってくると一旦東京に戻りましたが、次の冬もトマムへと向かった健作さん。
今度は冬が終わっても戻らず、そのまま南富良野のアウトドア会社に所属。そうして、夏はラフティング、冬はスキーという生活が始まっていったのです。
「今思えば、東京では仕事と生活がまったくリンクしていなかった。もっと働くことと生きることを、近づけたかったのかもしれません」と健作さんは話します。
その後37歳でテレマークスキーのレッスンや、バックカントリーツアーを行う「パイングルス」を立ち上げて独立。夏はラフティングガイドと並行して、近所の農家の畑仕事を手伝うようになります。
「南富良野で暮らし続けるための選択肢として、農業に魅力を感じていたいんです。半農半スキーという生き方も、自分たちらしいかなって」。
行動派な健作さんは、新規就農の相談で役場へと赴きます。すると、たまたま担当者の親戚の農家が後継者を探しており、独立を前提に研修させてもらえることになったそう。
そして3年間の研修期間を経て独立、畑や農具を引き継ぎました。
この時健作さんは40歳。この年齢での新たな挑戦に、妻の愛さんは不安に思わなかったのでしょうか?
その問いに対し、愛さんは
「流れが来ているし、これはやるしかないと思いました」と力強く笑います。
地元に帰ることを忘れてしまうくらいここは楽しい
そんな愛さんは22歳の時、スノーボード目当てで冬のトマムの季節アルバイトに就きました。養護教諭の資格を持っていたことで、スキーパトロールに配属されます。冬が終わっても、「次は夏の北海道が見たい」とそのまま残り、ネイチャーガイドの資格を得てアウトドアアクティビティの部署へと異動。
結局、一冬だけのはずが10年近く勤めることとなりました。
生まれも育ちも大阪だった愛さん。
しかし、「大阪に帰るのを忘れるぐらい楽しかったんです」と話します。
健作さんとは26歳の時にトマムで出会い、31歳で結婚。いまは8歳、5歳、3歳、1歳と4人の女の子のお母さんです。
松鶴ファミリー、チーム女性陣での1枚
子どもたちも、小さい時から土を触って農作業!
二人は南富良野での暮らしをこう話します。
「自分達でやらなければいけないことが多いけど、都会の押しつけられるような忙しさとは質が違う。手間はかかるけど、心にゆとりがあるんです」
好奇心旺盛なお二人は、まだまだやりたいことがあるようで・・・
「今後は収穫体験など畑に人が来る仕組みを作って、色々な方に農業に触れてもらいたい。自分たちの野菜を使った加工品作りにも挑戦したい」と、野菜を育てるように焦らずコツコツ、夢を追いかけています。
相棒のスキー板と共に