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このまちのあの企業、あの製品
むかわ町

移住者の青年が出会った、福祉という天職。社会福祉法人愛誠会20250303

移住者の青年が出会った、福祉という天職。社会福祉法人愛誠会

みなさんは「穂別」という地域をご存知でしょうか? 旧名を「穂別町」といい、現在の正式名称は「むかわ町穂別」。むかわ町から車で30分ほど、札幌方面からは道東道「夕張IC」から約30分の山あいに位置するまちで、かつては炭鉱や林業で栄えていました。
人口およそ2,500人という過疎化の進む地域の中心にあるのが、穂別で唯一の社会福祉法人である愛誠会。聞けば、同法人にはこの地域の外から移住して働いている職員が多数いるのだそうで、今回の主人公・新井裕太朗さんも函館の大学卒業後にまちへとやってきた移住者の一人。彼がなぜこの地域にやってきたのか、その話を紐解くところから取材を始めていきましょう。

ボランティア団体との出会いで、「小さな支援」のあり方を知る。

取材現場にやってきたのは、上下かっちりとスーツで揃えた新井さんの姿。その理由を問うと「ハイ、取材ですので正式な服装で...」とやや緊張したご様子。少し張り詰めた空気感の中、取材がスタートしました。

ご出身は苫小牧市。幼い頃からYMCA(※)が主催するスポーツ教室等に通っていたこともあり、障がいを持つ人や下級生と関わりを持つ機会が多かったのだそう。こうした経験から物心付いた頃には教職を志し、北海道教育大学函館校へと進学。当初は教職への道へと勉強を続けていましたが、次第にある思いが心の中に芽生えていきます。

「児童福祉や地域福祉を学んでいく中で、学校だけではなく、地域や社会と広い接点を持ちながら働きたいと思うようになりました。そんな時に、大学での講義を通じて知ったのが『自立の風 かんばす』というNPO法人です。函館で障がい者の自立支援や、地域の方々に障がいを理解してもらうための啓発活動を行っている団体で、存在を知ってすぐに自分も関わってみたいと、ボランティア募集に申し込みをしました」

aiseikai_araismile_023.jpg新井裕太朗さん
それからの新井さんは学業と並行してNPOでの活動を開始。一人で暮らしている障がい者の方の支援を行ったり、自立に不安やお悩みを持つ人からの相談に応じたり、ユニークな企画としては、障がいを持つ方が自らの人生を語るイベントの開催のお手伝いもしたそうです。

ここで「障がいを持つ方にとっての『自立』とは何だと思いますか?」と取材陣に問いかける新井さん。「自立」と言うからには、一人で働いたり、旅行に行ったり、大きな夢を叶えること...でしょうか?

「そう思いますよね。ところが、それは私たちの勘違いで、障がいを持つみなさんの目標は『カフェに行きたい』『夜に出歩きたい』という、ごくごく小さな目標も多いんです。ということは僕らが思っている以上に、僕らがお手伝いできることが身近にたくさんある。ボランティアを通じて当事者の方々の生の声を聞いたことで、視野がグッと広がりました」

(※)キリスト教青年会。地域のボランティア活動や国際協力といった慈善事業、青少年に向けたスポーツの振興活動等を行っている。

aiseikai_araitalk_081.jpg取材陣にはやや緊張のご様子ですが、利用者さんの前では落ち着いた表情を見せる新井さん。

就職まで3度も現地を訪ねて感じた、小さなまちならではの距離感。

NPOでのボランティア活動を経験したことで、福祉分野での就職を決意した新井さん。在学中に社会福祉士の資格を取得し、就職活動がはじまると道内のさまざまな福祉事業所を訪ねて、自身の理想に合う職場探しを行いました。そのひとつが、社会福祉法人愛誠会です。

「僕が理想としていたのは、利用者さまの『小さな目標』に寄り添い、地域に貢献できるような福祉事業所です。穂別はどこだろうと地図を見ると、山の中でビックリしましたが、小さなまちだからこそ、利用者さんとの距離も近いはず。そんな期待を抱いて、見学を申し込んだんです。苫小牧までわざわざ車で迎えに来てくれるという手厚いご対応にも驚きました」

aiseikai_araidoryo_062.jpg介護や福祉といえばハードなイメージがありますが、愛誠会は職員同士の仲がよく、会議の場では「おいしいお店の情報を共有するぐらい余裕がある」のだそう。

そして初めて訪れた愛誠会は見立て通り、温かな雰囲気で人々の結びつきが強いという印象を抱いたそう。

「コロナ禍だったこともあり、一度目は全ての施設を見て回ることができなかったのですが、職員同士がプライベートの話をしていたり、利用者のお話に熱心に耳を傾けていたりと、人々の密接なつながりや温かな雰囲気を垣間見ることができました。さらに他の施設も見たいというと『感染が落ち着いたら、また来てもいいよ』と言ってくださったんです。お言葉に甘えて合計3度も訪れました(笑)」

2022年春、いよいよ新井さんは穂別へと移住、愛誠会へ入職します。その後は1カ月ほどでさまざまな方と世間話もできるような間柄になったそう。当時を振り返り、嬉しそうにこう続けます。

「職員も利用者さんもそのご家族も、とにかく僕の入職を喜んで、すぐに名前を覚えてくださいました。誰もが『新人君』ではなく『新井さん』と、はじめからきちんと名前で呼んでくれるところに、小さなまちならではの温かさを感じます。函館では周囲に馴染むまで時間がかかった自分も、ここではすぐに慣れることができました」

aiseikai_araisoda_017.jpg同僚で札幌出身の曽田さんと。愛誠会には現在約130名の職員がいて、20代も10名ほどいるそうです。

炭鉱は消えても、人々の心からは消えなかった「よそ者を歓迎する」風土。

穂別には「よそ者を歓迎する風土がある」と誰もが口を揃えるのだそう。上司である「ケアハウスこすもす」施設長の明石芳朋さんによると、その背景は古くからの地域の歴史と密接に繋がっているのだといいます。


aiseikai_akashi_053.jpg「穂別の生き字引」とも称される明石芳朋さん。東京の大学を卒業後、穂別に来て50年以上になるそうです。

「穂別は今でこそ人口2,500人のまちですが、かつては1万人以上もの人口を誇っていました。当時、主要産業であった炭鉱や林業には日本全国から労働者、つまりは「よそ者」が集まり、見知らぬ者同士が支えあって暮らしていたそうです。時代の流れと共に炭鉱は閉山となったものの、移住者を温かく歓迎する風土だけは人々の心から消えなかったのでしょう。かくいう私も初めて穂別へやって来た時に、皆から『どこから来たのか』『どこで働いているのか』と、根掘り葉掘り聞かれた...なんて思い出が残っています(笑)」

また「道内初・地域初」の試みも多くなされたまちで、恐竜でのまちおこしをはじめ、住民たちで映画を撮ったり、四国から観光列車を呼び寄せたりとユニークな催しの数々が行われたのだそう。愛誠会もそんな先駆的な存在の一つだと明石さんは続けます。

「愛誠会が設立されたのは、日本でまだ高齢化が話題にすらなっていなかった1975年(昭和50年)でした。同時期には役場が『人間健康宣言』を掲げて医療・介護中心のまちづくりを宣言しており、そうした流れから当会も高齢者施設だけでなく、福祉系や通所系など、さまざまな事業所を持つようになったというわけです。新しい人の存在を受け入れ、新しい取り組みを実践し、それがまた新たな住民を増やす...という好循環を生み出してきたのが穂別。実際、職員は地域外から多くの方が入職してくれていますし、福祉施設には東京からの利用者様も多くいらっしゃいます」

aiseikai_kyoryukanban_074.jpgまちのそこかしこには恐竜のモチーフ。「むかわ竜」こと「カムイサウルス」の化石が発見されたのも穂別地区で、2026年には新しい博物館のオープンも控えています。

コンビニは1軒だけだけど、商店街には魅力的な個人店がズラリ!

お話を再び新井さんへ。穂別での暮らしについても詳しく伺っていきます。


「僕はもともとインドア派なので、休日は読書やアニメを楽しんだり、仕事の勉強も兼ねてパソコンをいじったりと、一人の時間を満喫しています。コンビニは一軒だけ、大きなスーパーマーケットはありませんが、大体なんでも揃う『ホッピー商店街通り』がありますし、当然ネットでも買物ができます。先輩や同僚から『札幌行くけど欲しい物ある?』と聞かれることや、一緒に買い物に行く機会も多いです。あと、メロンやアスパラなどの特産品はさまざまな方からもらえます(笑)」

意外なことに一人カラオケも趣味だという新井さん。平取町方面に40分ほど車を走らせるとカラオケ店があるそうで、ゆずや嵐、エレファントカシマシなどの曲を一人で熱唱しているのだとか。ちなみに十八番はビリーバンバンの「また君に恋してる」と、なんとも渋い曲のチョイス...!「この間は97点を出しました」と得意げです。

「僕のようなインドア派には、ここでの暮らしは充分なもの。苫小牧、札幌、新千歳空港へのアクセスも悪くないですし、生活には全く不便していません。逆に、お金が貯まりやすくていいかなあ、なんて前向きにとらえています(笑)」

aiseikai_fukei_075.jpg「ホッピー商店街通り」には菓子店、スーパー、理美容室に喫茶店など個人経営の店が軒を連ねます。さらに視界を広げるとイタリアンレストランや居酒屋も。

小さなまちだからこそ、一人ひとりの存在が大きい。

新井さんは現在「生活支援員兼世話人」という肩書きで、障がいを持つ方のグループホーム4軒を周り、日用品の買い出しや食事の提供、お金の管理、掃除などさまざまな生活支援を行っています。まち全体の温かな空気感も後押ししてか、利用者さんともフレンドリーな関係を築いているのだそう。中には障がいの重い方もいるそうですが「だからこそ福祉の仕事にはやりがいがある」と続けます。


「時に意思疎通の難しい方や、気分の浮き沈みが激しい方、なかなか重い腰を上げようとしない方もいらっしゃいます。でも日々接する中で僕の気持ちが通じて、自分から率先して動き出してくれたり、時には家事のお手伝いをしてくれたり、つい先日まではできなかったことが突然できるようになったりしたり...そんな時、パッと目の前に光が差したかのように嬉しい気持ちが湧き上がってくるんです」

aiseikai_riyoushasan_078.jpeg現在、福祉施設には100人ほどの利用者さんがいますが、そのほとんどは町外からやって来た方なのだそうです。

穂別は高齢化や人口減という課題を抱えたまちでもあります。しかし、小さなまちだからこそ、一人ひとりが解決できることも大きい。冒頭の緊張からすっかり開放された表情で、新井さんは話を続けます。

「都会の『大多数の一人』ではなく、『一人の人間』として尊重して大切に扱ってくれるのが穂別です。その価値は福祉の根本的な考え方にもよく似ていて、障がいの有無に関わらず誰にでも個性があり、特性や好みがあり、一人ひとりを尊重することが大切。このまちだからこそ、学べることは大きいと思っています」

最後に「ところでビリーバンバンが分かる同世代はいますか?」と聞くと「いませんね」と苦笑する新井さん。聞けば、昔からよく「変わり者」と言われるのだそうで、そんな新井さんが「よそ者」を歓迎する穂別、そして「変わり者」を尊重する福祉の仕事と出会ったのは、まるで運命の巡り合わせかのように思えてならないのでした。

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社会福祉法人愛誠会
住所

北海道勇払郡むかわ町穂別80番地10

電話

0145-45-2455

URL

https://www.hobetsu-aiseikai.or.jp/

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移住者の青年が出会った、福祉という天職。社会福祉法人愛誠会

この記事は2025年2月6日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。