「民間救急」という言葉を知っていますか? コロナの感染拡大がはじまった際、公的な消防救急の出動が難しい場合に民間救急の車両が患者を病院へ移送するなど活躍したことから、聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。民間救急はその名の通り、民間の企業や団体が運営している医療に特化した患者さんの搬送サービスのことです。全国各地にこの民間救急のサービスを提供している会社がありますが、この夏、苫小牧にも新たな民間救急の拠点が開設されました。今回は、その「株式会社民間救急北海道」の苫小牧営業所を訪ね、民間救急の役割や業務内容、これからのことなどを伺いました。
介助が必要な人や疾病のある人を搬送。民間救急と介護タクシーの違いとは?
「民間救急北海道」は、札幌に本社を置く会社。介護タクシー事業も行っているそうです。「もちろん苫小牧でも依頼があれば介護タクシーのサービスを提供しています」と教えてくれたのは、苫小牧営業所のスタッフのひとりで、介護移送支援課課長の稲葉貴弘さん。「私も、もともとは札幌で介護タクシーのドライバーをしていたんです。その前は介護福祉士として施設に勤務していました」とのこと。
ちなみになぜ介護タクシーのドライバーになったのかを尋ねると、「一カ所にずっといるより、いろいろ動けるほうが自分には向いているなと思い、自動車の二種免許を取得し、介護の経験も生かせる介護タクシーのドライバーになりました」とニッコリ。
介助が必要な方や疾病のある方を搬送するという点では、介護タクシーも民間救急も同じカテゴリーにあるように思いますが、その違いはどこにあるのでしょうか? 民間救急と公的な救急車との違いも気になりますが、まずは介護タクシーと民間救急の違いについて稲葉さんに教えてもらいました。
「ひと言で言えば、車両の中に、酸素や点滴、心電図モニターなどの医療装置が搭載されているか、処置をするスペースがあるかないかの違い。あとは、きちんと研修を受けた看護師や救命士など医療に携わるプロが同乗しているかという違いもあります」
介護タクシーは運輸局の許可を得て介助が必要な人を移送するものであるのに対し、民間救急は各自治体の消防局・消防本部が認定した「患者等搬送事業者」として、医療スタッフによる見守りが必要だったり、継続的な医療処置が必要だったりする患者さんを運ぶというもの。くくりとしては似ていますが、役割や目的の違いがあるというのが分かります。
実際に同社が保有している民間救急の車両を見せてもらうと、中には公的な救急車と遜色ないだけの装備が用意されています。また、さまざまな医療装置はたくさんの電気も必要とするため、車のバッテリーも一般車両と同じわけにはいきません。「これは、ほかの市で実際に使われていた救急車を払下げしたものなんですよ」と稲葉さん。
消防救急と民間救急の違いは、緊急性と長距離搬送が可能かどうか
では、赤色灯のついている公的な救急車の消防救急と民間救急の違いはどういった点にあるのでしょうか。「緊急性の違いですね。消防署や病院から出動する消防救急は、一刻を争うような病気や事故によるケガなど、突発的なものに対応しますが、民間救急は急を要さない場合の搬送となります。たとえば緊急性は低いけれども一人で動くのが難しい方や、点滴管理や酸素投与といった医療処置が必要な方、看護師らによる付き添いが必要な方たちの搬送ですね」
緊急性の低い患者さんを搬送・移送する民間救急の車は、緊急車両としては認められていないので、私たちが想像する赤色灯を付けた救急車のような走行はできません。
「消防救急は基本的に離れた都市や道外への搬送はしませんが、逆に私たち民間救急は飛行機やフェリー、鉄道などを使った長距離搬送の対応も可能。当社は、全国各地の民間救急の会社と提携しているので、現地の空港まで私たちが搬送し、空港からは現地の民間救急の会社が搬送するということもできます」
つまり、消防救急の救急車は予約できませんが、民間救急は事前に予約もできるということです。消防救急と民間救急の関係性や在り方に関しては、苫小牧営業所を統括している所長が熱い思いを持っているということなので、後半にまた伺おうと思います。
一期一会だからこそ、どんなケースでも精一杯の力で搬送に付き添う
稲葉さんの次にお話を伺ったのは、看護師の上田麻衣子さん。苫小牧出身で、東京で看護師として勤務したのち地元へ戻り、子育てに専念していましたが、今年の夏、苫小牧営業所が開所になるタイミングで看護師として復帰しました。
「正直、入社するまで民間救急について、言葉は知っていたものの仕事内容までは把握していませんでした。実際に仕事に就いてみて、病院勤務とは全く異なる緊張感とスピード感を体感している毎日です」
転院をはじめ、病院から施設あるいは自宅への患者さんの搬送は、基本的に予約が入っているケースがほとんど。酸素投与や点滴管理など医療行為が必要な患者さんに関しては、あらかじめ病気のことや症状などをヒヤリングして情報収集をしますが、当日現地へ行ってみて初めて確認することも多々あるそう。
「ドキッとしますね。少ない情報量の中で、頭をフル回転させて、どうすればいいかを考え、最善を尽くすという感じです」
苫小牧市内での移動もあれば、本州へ行くこともあります。上田さんも先日、本州まで患者さんを搬送するために帯同したそう。
「酸素投与が必要な方だったので酸素ボンベを持って、本州のご自宅まで搬送させてもらったのですが、ご自宅に無事届け終わったあとはホッとして肩の力が抜けました」
このような緊張感はありますが、その分大きなやりがいも感じているそう。「病院と違って、搬送の仕事は一期一会のケースがほとんど。私たちのサービスを利用してくださる患者さんに対して、送り届けるまでは本当に精一杯の気持ちで対応させてもらっています」と上田さん。先にお話を伺った稲葉さんもやりがいに関しては同じことをおっしゃっていました。
「私自身、もっと知識を深めなければと考え、今は来るべきにときに備えて日々勉強中です。今、この営業所で看護師の資格を持っているのは私だけなのですが、一緒に仕事をするほかのスタッフにも看護師としての動きや医療行為に関して理解してもらえるよう分かりやすく伝えていき、より良いチームで動けるようになればと考えています」
消防と民間、両方の救急を経験しているから分かる「公と民」の連携の必要性
最後にお話を伺ったのは、苫小牧営業所の所長。消防士として本州の消防署に26年勤務し、救急救命士としても活躍してきた経歴の持ち主です。家族で北海道へ移住したのを機にまったく異なる仕事に就いていましたが、コロナ禍に経験を生かせる仕事をと「民間救急北海道」へ転職しました。「最初は民間救急というものを知りませんでした。コロナ禍に患者さんを搬送していると聞いて、救命士の資格も持っていますし、経験が役に立つかなと思って入社しました。実際、入ってみると、救急と名前は付いていますが、消防の救急搬送とはまったく違っていました」
前述したように、緊急性がないという点が大きく異なるため、はじめは戸惑いもあったそうですが、「とはいえ、パンデミック状態だったコロナ禍は緊急性が少し高い方の搬送もありました」と振り返ります。
コロナの患者さんの搬送をする中で、民間救急の存在が消防救急の救急車の適正利用に関する課題解決の一助にもなると所長は感じはじめます。
常々社会問題として取りあげられる救急車の適正利用。令和4年の消防庁の調査によると、救急搬送された人の4割以上が軽症だったと言われます。所長も消防救急の現場で仕事をする中で、緊急性の低い救急車要請をいくつも目の当たりにしてきたそう。
「たとえば、ひとつの管轄エリアに救急車が1台しかないところはよくあります。緊急性の低い人がタクシー代わりで呼びつけた場合、数分違いで命に係わるほど緊急性の高い人から要請があっても、すでに出動しているためにその貴重な1台を本当に必要な人へ回せないわけです。救急車の数には限りがあります。緊急を要する人の命を繋ぐための救急車を適正に使ってもらいたいと心から思います。だからこそ、緊急性は低いけれど、医療サポートが必要な場合は私たち民間救急を活用してもらえれば...と思ったのです」
所長が描く最終的なビジョンは、「本当に必要な人が救急車を使えるよう、トリアージ(緊急度や重症度に応じて治療の優先度を決めること)に応じて、これは緊急性が高いから公の消防救急、緊急性は低いけれどサポートが必要だから民間救急と振り分けできるシステムを構築すること」と語ります。「公と民間がきちんと連携し、民間救急が消防救急のカバーに入れるようになれたらと思いますね」と続けます。「絶対に命を諦めない。助ける」という強い意志で消防救急の現場に臨んでいたからこそ、救急車の適正利用の重大さを痛感しているという所長の思いが伝わってきます。
ターミナル期の患者さんに寄り添った搬送ができるのは民間救急だけ
さらに、「民間救急は命を助けるわけではないけれど、民間救急だからこそできることもある」と所長。ターミナルケア(終末期医療)を受けている患者さんの中には、病院ではなく自宅で最期のときを迎えたいという方もいます。中には海が見たいというターミナル期の患者さんも。所長は、「そういう患者さんに寄り添って、最期の願いを叶えるための搬送を行えるのは我々なのです」と話します。所長自身も親友を亡くした際に「あのとき民間救急を知っていれば、家に帰りたかったであろう彼を病院ではなく家で看取れたのでは...」と悔やむことがあると言います。「自分のような人はたくさんいると思う。だからこそ、民間救急のことをたくさんの方に知ってもらいたいし、活用してほしい」と続けます。
「ターミナル期だからと諦めるのではなく、納得いく最期を迎えてもらいたいと思います。医療従事者が帯同する民間救急だからこそ、最期の願いに沿ったことができると思います」
また、地域のソーシャルワーカーとの連携も進んでいるそう。「ソーシャルワーカーの方もできるだけ担当している方たちの意に沿って、できることを叶えてあげたいと行動されています。実際、ここを開所してからは苫小牧のソーシャルワーカーの方からの問い合わせが毎日のようにあり、本当に我々が必要とされているのだなと実感しています」と所長。
病院から自宅へ搬送したターミナル期の患者さんに、「ありがとう」と手を握って感謝の言葉をかけてもらうことも多いそう。「我々は、プロとしてやれることをやるだけ。でも、プロとしてやる以上、対応できない搬送はないと思ってやっています。公と民間の連携も含め、これから民間救急をやる団体や会社が全道各地に増え、ネットワークが広がればと思います」と最後に語ってくれました。所長をはじめ、スタッフの皆さんの熱くて真摯な思いが伝わってくる時間でした。民間救急という存在を少しでも多くの人に知ってもらい、必要な方に情報が届けばと願うばかりです。
- 株式会社民間救急北海道 苫小牧営業所
- 住所
北海道苫小牧市双葉町1丁目9-16
- 電話
0144-84-7970