HOME>このまちのあの企業、あの製品>親方の人柄に惹かれて集まる次世代の林業従事者。穂別の宮田木材

このまちのあの企業、あの製品
むかわ町

親方の人柄に惹かれて集まる次世代の林業従事者。穂別の宮田木材20240502

親方の人柄に惹かれて集まる次世代の林業従事者。穂別の宮田木材

北海道の森林面積は全国の約22%を占め、道民1人当たりの森林面積は全国平均の約5倍と言われています。道内各地で林業が営まれていますが、むかわ町の穂別地区(旧穂別町)はかつて道内でも指折りの林業が盛んだったエリア。山仕事に従事する人たちの数も多かったそうです。今回は、そんな穂別に拠点を置き、70年近く林業を営んでいる「宮田木材」へおじゃまし、代表の宮田重広さんと5年前に東京から移住してきたスタッフ・森陽平さんに仕事や暮らしについて伺いました。

農業との兼業も多く、かつては道内屈指の林業エリアだった穂別

miyata_oyakatasmile49.png


皆から「親方」と呼ばれている、代表の宮田重広さん。お話を伺うまでは、黙々と山仕事に取り組む、怖そうな職人気質の親方を勝手に想像していました。しかし、ニッコニコの笑顔で、「俺はね、大酒飲みのほらふき重ちゃんって呼ばれてんだよね」と豪快に笑う姿はまったく予想とは真逆でした。

宮田木材は、親方のお父さんが昭和36年に認定事業主の認可を取得したのが始まりだそう。もともと農業を営んでおり、穂別の特産であるメロンや米を作っていましたが、「兼業農家だったんだよね。今も自分は米農家をやりながら、林業もやっているんだ」と親方。そのため、夏場は田んぼの仕事と山の仕事で大忙し。「冬のほうが少し時間はあるかな」と話します。穂別地域は、農閑期に林業に従事するという人が多かったそうで、今も冬になると農家の方たちが宮田木材で山仕事をしているそうです。

穂別の林業は、明治後半、山から伐り出した木材を、鵡川を使って苫小牧まで運んだこととからはじまりました。苫小牧の製紙工場で使用するパルプの原料になるほか、苫小牧港から全国各地へ木材が運ばれていきました。

「穂別はね、昔、林業がすごく盛んだったんだよ。国有林、道有林が多い地域で、昭和には今の倍くらいの数、20近くの業者がいたね。その頃は道内でも一番事業者の数が多かったはずだよ」

親方が林業に携わるようになった今から50年ほど前はまだ重機も少なく、「ユンボがなくて、ブルが主体。6割近くが人力だったね」と話します。

「今はね、ひとつの現場に5、6人だけど、俺が初めて山に入ったころは飯場に60人くらいは人がいたね。あと、車じゃなくて馬を使って木を運びだしていたから、馬も10~15頭はいたかな」

miyata_forwarder59.png切り出した木を、昔は馬で、いまは機械で運びます

誰かが山を守らなければ...。面倒見がよく、若手育成にも注力する親方

しかし、石油へのエネルギー転換や木材輸入の自由化などが理由で林業全体が衰退する中、廃業する同業者も増えていきました。農業だけに切り替える人も多かったそうですが、そのような中でも、親方は農業と林業の両輪を続けてきました。「山の管理は誰かがしなくちゃならないでしょ? 俺さ、頼まれたら断れないから」と笑います。


miyata_kumiaito168.png管理業務の発注元である苫小牧広域森林組合の職員さんと

現在は苫小牧広域森林組合の仕事が中心。偶然、現場に立ち寄られた組合の職員の方の話では、親方や宮田木材の職人さんたちのスキルの高さはこの界隈でも随一とのこと。「難しい場所の作業も、親方のところは腕のいい人が多いので安心してお願いできるし、本当に頼りにしています」と職員の方が言うと、横で聞いていた親方は「もう余計なこと言うなっ!なんも出ないぞ!」と大きな声で照れ隠し。でも、職員の方が小声で「親方は面倒見がいいので、いい職人さんがたくさん残っているんです。親方がいないと困ります」とニッコリ。親方の人柄が伝わってくる一幕でした。

さて、親方に林業の面白さややりがいについて伺うと、「自分が頭の中で考えたこと、例えばこっちに木を倒したいときにどうやったら倒れるかを頭で考えて、それから木を倒すんだけど、考えたことがその通りにできたときに面白さや達成感を感じるね」と答えてくれました。

「同じ木なんて1本たりともないし、地形や地盤の状態もさまざま。先輩たちに一つずつ教えてもらいながら経験を積んでいくうちに、いろいろなことができるようになるのが面白いよね」

そんな親方も次世代の育成に力を入れています。「そろそろ若い人たちに山を管理してもらって、木を育て、守っていってもらわないとね」と話し、積極的に若い人たちや次の時代の林業を担ってくれる人たちを採用し、培ってきた技術を惜しみなく継承しています。

「働きやすい環境を整えないと若い人は来てくれないから、福利厚生や退職金などは全部付けています。未経験者で入っても、もちろんイチから丁寧に仕事を教えますし、林業に必要な資格取得もこっちで全部サポートしています。今は通年で16人ほどが働いてくれていて、冬になると農家の人たちが来るからプラス10人くらいになるかな」

機械化が進み、近年は女性が増えてきた林業の世界。宮田木材にも女性が3人ほどいるそうで、「うちは山の作業だけでなく街路樹の枝の伐採の仕事もあるし、女性でもできる作業がたくさんあるから」と話し、「ねぇ、うちで働かないかい?」と取材の女性スタッフをスカウト。一同大爆笑となりました。

登山がきっかけで林業に興味を持ち、憧れの北海道へ移住

miyata_mori126.png


宮田木材の次世代を担う1人が、東京から移住してきたという森陽平さん。親方が「なんでもできる器用なタイプで、これからいろいろなことを任せていきたい」と話す若手の1人です。

生まれも育ちも東京の国分寺市という森さんは、体を動かすのが好きで、学生時代はサッカーをしていたそう。東京で働いていましたが、25歳のときに登山をはじめるとすっかりハマり、「百名山に登りたい!」と30歳になる前に仕事を辞めて、全国の山を登り始めます。

「プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんという方が、NHKの『グレートトラバース』というドキュメンタリー番組で百名山を登っているのを見て、同じことをやりたい!と全国を旅しながら山を登りました」

ちょうど地震の時期と重なり、熊本の阿蘇だけ登れなかったそうですが、それ以外の山はすべて制覇。

「山を登りながら、次は自然の中で働ける仕事に就きたいなと考えていました。林業の方たちが作業しているところもよく見かけていたので、林業もいいかもしれないなと気にはなっていました」

百名山を登るのに北海道も訪れていた森さんは、「東京出身の自分には、北海道の自然環境や人口密度、季節がはっきりしているところなど、すべてが新鮮でした。そして、漠然とですが北海道で暮らすことに憧れも持っていました。東京とはまったく違う風景がある場所で、今まで感じたことがないものを感じながら働いてみたいと思って、何の伝手もないまま北海道へ来ました」と話します。

とりあえず北海道で林業の仕事に就くことを前提に、林業就業支援講習を受け、林業に必要ないくつかの資格を取得し、北海道へ。スーツケース1つとバックパック1つで、森さんが最初に訪れたのは十勝でした。特に理由はなく、「なんとなく山もあるし、十勝かなぁと思って」と振り返ります。帯広のハローワークへ行き、林業で仕事を探すと数件の求人がありました。

「5社くらいあったのかな。そのうちの1つが、宮田木材だったんです。親方に電話したら、ちょうど十勝清水に仕事で来ているから、駅で会おうってことになって」

面接だからとスーツを着て、駅のベンチで待っていた森さん。なかなか親方らしき人が現れないと思って携帯に電話をかけたら、何度も森さんの前を行ったり来たりしていた作業服姿の男性が親方だと判明。親方曰く「だって、スーツ着てきてるとは思わんでしょ」と言い、森さんはその逆で「まさか作業着だとは思わなかった」と笑います。

そんなスタートでしたが、森さんは「第一印象で、親方のところで働きたいと思いました。今までに会ったことのないようなインパクトの強い人でしたが、何より気取っていなくて、親しみやすく、話しやすいのがいいなと思いました」と振り返ります。

好きな自然の中で体を動かす仕事は贅沢なこと。北海道の暮らしも充実

宮田木材で働くことが決まり、穂別にある借り上げの寮に入った森さん。町に駅がないことに最初は驚いたそうですが、「それもまた面白いかなと思いました」と笑います。

「最初は街路樹の伐採の仕事からはじめました。先輩たちから現場で仕事を教えてもらいながらでしたが、毎日が新鮮で、仕事も暮らしも驚くことの連続でした。たとえば、北海道にはほとんど杉の木がないことや、北海道の人は意外と寒がりだということ、暑い時期がびっくりするくらい短いなど...。北海道の人には当たり前のことなんでしょうけど、自分には本当にそれらが面白くて」

しばらくすると山の現場の仕事にも携わるようになります。「今は、伐倒の作業や寸検などの作業を中心に、少しずつほかの仕事も教えてもらっているところです。重機関係の資格も取得して、これからその辺りの作業も覚えていく感じですね」と森さん。

現場で共に仕事をするメンバーは20代から70代まで幅広く、各世代がそろっています。

miyata_mori_talk109.png

「みんな人がいいんですよね。堅苦しさはまったくなくて。親方がああいう感じだから、みんなもフランクというか親しみやすいんでしょうね。でも、やっぱり山の仕事は危険がつきものですから、仕事モードにスイッチが入ると、みんなキリッとなります。安全第一ですからね」

森さん自身も安全に作業するため、「油断は禁物」と日々自分に言い聞かせているそう。さらに、チームで仕事をするため、日ごろのコミュニケーションの大切さも感じていると言います。

仕事の面白さややりがいを尋ねると、「もともと体を動かすのが好きだし、自然の中で働きたいと思っていたので、好きな山の中で、体を動かしてお金がもらえるというのは自分にとってはありがたいこと。それだけでも十分贅沢だなと思います」と森さん。その上で、「黙々と作業することも多く、職人的な仕事ですが、伐倒したあとに目の前の景色が広がって、辺りが明るくなったのを見ると、ほかでは味わえない爽快感がありますね」と話します。

「山の仕事は奥が深くて、まだまだ経験していないことがたくさんあります。もっとたくさん先輩たちから学んで、極めていきたいと思いますね」

話を聞いていると、日々充実している仕事の様子が伝わってきます。プライベートでは、仕事終わりにむかわや苫小牧のジムに通って体を鍛え、休みの日には山登りや温泉巡りを楽しんでいます。初めての冬に水道管を凍結させてしまったこともあるそうですが、今では北海道の暮らしにもだいぶ慣れ、満喫している様子も伺えます。

森さんの話をひと通り聞き終えると、撮影班と外にいた親方が戻ってきました。「話、もう終わったかい? ほらほら、これ飲みなよ」と勧めてくれたのは、薪ストーブの上に置かれた缶コーヒー。取材陣が伺ったのは、まだ山に雪が残る3月下旬。外は思っていたより寒く、温められたコーヒーに親方の優しさを感じました。

宮田木材
住所

北海道勇払郡むかわ町穂別安住273−2

電話

0145-46-6246


親方の人柄に惹かれて集まる次世代の林業従事者。穂別の宮田木材

この記事は2024年3月26日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。