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このまちのあの企業、あの製品
芦別市

素材、品質、環境にこだわった単板・合板を生産。滝澤ベニヤ20231217

素材、品質、環境にこだわった単板・合板を生産。滝澤ベニヤ

「星の降る里」というキャッチフレーズで知られる芦別市。市の面積の約88%が森林という豊かな自然が自慢の町です。そんな森林資源を生かそうと、1936年(昭和11年)に創業したのが「滝澤ベニヤ」。現在は、十勝など全道各地から仕入れた道産の広葉樹を用いて単板(ベニヤ)、合板を製造しています。さらにこれまで培ってきた技術を生かし、「ペーパーウッド」という新しいプロダクトを開発。ペーパーウッドを使った小物は、海外でも高く評価されています。今回は、同社3代目・瀧澤貴弘さんに会社のことやこれからのことを伺うとともに、工場の製造部で活躍している女性技術者の鈴木麻里さんにも仕事のやりがいなどについてお話を伺いました。

原材料は道産材が9割。国内でも少ない丸太から単板を生産する工場

芦別の市街地から富良野方面へ車を10分ほど走らせたところに、滝澤ベニヤの本社工場があります。事務所のそばには線路と踏切があり、その奥にはたくさんの丸太が積んであるのが見えます。


takizawa_gaikan106.png事務所と工場の間にある「滝沢踏切」。昔はすぐ近くの駅から木材を運んでいたのだそう

takizawa_mokuzai003.png高く積まれた丸太。暑さなどから守り、品質を保つために水をかけ続けています

「多くの合板の会社が海外から単板を輸入して、それらを貼り合わせて合板にしているのですが、うちは丸太を仕入れて単板から生産しています。昔はそういう会社もたくさんありましたが、今となっては全国でも珍しく、ロータリーレースの工程を見られる工場は数少ないと思いますよ」

そう話すのは、代表取締役の瀧澤貴弘さん。本社工場では、ロータリーレースと呼ばれる機械を使って、丸太を大根のかつらむきのように薄くむいて単板を作っています。

「うちで使っているのは、9割が北海道産の広葉樹。先代のときからそこにはこだわりを持って製品作りに取り組んできました。広葉樹は、木が硬めで加工性が良いのが特徴。単板にするのに向いているんです。毎年11月あたりから春先までに1年間分の丸太の仕入れを行っています」

工場の周辺に積み上げてある仕入れた丸太に、スプリンクラーから水が噴射されていましたが、これは丸太を長持ちさせるための工夫なのだそう。丸太は放置しておくと腐ったり、干割れしたりするため、それを防ぐために水をかけているとのこと。

「うちは合板会社としては、決して大きい工場を持っているわけではありません。ただ、その分、小回りもききますし、お客さまの要望、ニーズにお応えしやすいという利点はあります。また、高い技術力と木を見る目をもった職人たちがたくさん在籍しているので、高品質な商品を提供することができます」

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そんな技術力を生かして生まれたのが、滝澤ベニヤのオリジナル合板「ペーパーウッド」です。道産のシナとシラカバの単板の間にカラー再生紙を挟んだもので、断面にカラフルなストライプ模様が表れるのが特徴。インテリア製品や建築物に多く採用されています。

東京での会社員生活を切り上げ、地元に戻って跡を継ぐことに

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このペーパーウッドを商品化し、世間に広めたのが瀧澤社長。ここで、商品誕生のきっかけを含め、社長のこれまでの歩みを伺いたいと思います。

本社のある場所で育ったということで、子どもの頃から跡取りになることが決まっていたかと思いきや、「僕は次男で、自分が跡を継ぐとは思っていなかったんです」と瀧澤社長。すぐそばに工場はあったものの「危ないから線路の向こうに行ってはいけない」と言われていたため、幼少期に工場に入ったことはなく、家業について詳しいことは分かっていなかったと言います。小学校時代はバスケットに明け暮れ、中学・高校は勉強の傍ら、卓球に打ち込み、高校時代には星の観察にも夢中になったそう。

高校卒業後、青山学院大学へ進学し、芦別を離れます。大学時代はバスケットを中心にさまざまなスポーツを楽しむオールラウンドサークルに所属。その際、合宿などの手配で関わっていた東京の旅行会社に卒業後は就職します。ところが2年ほど経ったとき、実家から息子のどちらかに戻って跡を継いでほしいと連絡がきます。

「兄は継がないと決めていたので、それなら自分が...という感じでした。東京の満員電車がイヤだったというのもありましたし、暮らしやすい地元へ戻るのもいいかなと思いました。とはいえ、木工業に関してはまったくの素人。1年間は近くの取引先の工場で研修させてもらいました」

26歳になる年に滝澤ベニヤに入社し、旭川工場で研修を4カ月ほど受け、そのあとは本社工場に3年勤務。その後、営業として外回りを始めます。

「すべて問屋任せにしていたので、うちには営業の人間がいませんでした。その頃、売上を占めていたパチンコに使用する合板が、アクリル板に代わりはじめ、業績が下がりかけていたこともあり、自社営業が必要だと感じて営業に出ることにしました」

環境にも配慮したオリジナルプロダクト「ペーパーウッド」を開発

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ところが、どこへ営業に行っても滝澤ベニヤという会社を知っている人はいない状態。なかなか直接の取引に繋がるものはありませんでした。なにかフックになるオリジナルの新商品を作れないだろうかと考え、当時建築資材としては使えないとされていたシラカバで環境配慮型の合板を作りました。自信作でしたが、なかなか商品の品質や良さを見てもらえず、値段のことばかり言われる日々。もっとインパクトのある商品を作れないだろうかとヒントを求めて、東京の展示会へ足を運びます。

「そこで、板に布やアクリルなどを挟んだプロダクトを見つけ、これをうちで作ることができないかそのデザイナーの方に声をかけさせてもらいました。うちの工場は小回りがきくし、特殊なものを作るのに適していると思ったので、まずは工場を見てもらいました」

職人の技術力や用いている木材、接着剤などを見てもらい、共に商品化していくことに。そして、単板の間にカラー再生紙を挟んだペーパーウッドが誕生します。もともと合板製造に関しては高い技術力があったため、紙を貼る際に少し試行錯誤した程度で商品化はスムーズに進みました。

完成した商品を持って工務店に営業をかけますが、シラカバ合板のときと同じように反応はイマイチ。そこで、現場作業を行う工務店ではなく、その前の設計やデザインを手がける設計事務所の営業回りを始めます。すると、特徴があり、環境に配慮した資材を求めていた設計士たちに認知され、採用される機会が増えていきます。

「同業で同じようなものを出しているところがなかったこともあり、徐々に声がかかるようになりました。個人宅はもちろん、大きな建物や公共施設でも取り入れていただけるようになりました。ペーパーウッドは、機械でラインを組むほど大量生産するものではなく、職人の手で生産するのにちょうどいいタイプの商品で、うちにぴったりな商品でした」

2010年にはグッドデザイン賞を受賞し、国内外の展示会でも高い評価を得ます。建物のイメージなどに合わせて挟む紙の色を変えるなどの特注も受け、直近では5つの色で作ったペーパーウッドが札幌オリンピックミュージアムの家具や什器に用いられているそうです。

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また、海外向けにペーパーウッドを用いた小物もデザイナーと共に制作。「PLYWOOD laboratory」というブランドで、ペーパーウェイトやオブジェ、時計などを発表。アメリカのニューヨーク近代美術館(MoMA)のミュージアムショップでも取り扱いがあるそうです。

「昔から海外とやり取りをする仕事をしたいと思っていたので、ペーパーウッドをきっかけにフランス、シンガポール、韓国、台湾、アメリカといろいろな国の展示会に参加でき、実際取り引きもさせてもらって、夢が叶っているなと思います。ただ、コロナで取り引きは一時期ダウン。やっとコロナ禍があけ始めたので、少しずつ回復できたらと考えています」

サステナブルな社会に合った新商材や、森や山に関するサービスを検討中

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今は、新しい合板商品を開発中。紙以外に、廃棄されるようなものや未利用材を用いて挟めないか、いろいろ試しているそうです。

「持続可能な社会について考えるのが当たり前となった今、木工業に携わる者として、環境のことも常に考えています。もともと、接着剤も環境や人体に安心安全なものを用いていましたし、国産材を用いるのも、森を守るために必要なことだと考えているからなので」

山を守り、森を育てていくためには、海外から安い木材を仕入れて用いるのではなく、国産の木材を使用し、山を整備し、新しい木を植えていくことが必要。森が育つと二酸化炭素を減らすことにもつながります。

「道産材を用いて、その価値を高めていくことが、結果として持続可能な社会に貢献できると考えています。また、山の価値と人の健康を結びつけるような何か新しいサービスや事業もできないかと考え中です」

takizawa_LogoCap_109.jpg左が新しいロゴ。右の旧ロゴの「八鱗」を持つ意味を踏襲しつつTakizawaの「T」の形に八つのウロコを並べたデザインに進化しました

去年、会社のロゴを新しくし、今年は経営理念を新しくしました。その理念は、「四方良し」。売り手、買い手、環境・社会、そして作り手(従業員)の四方にとっていい会社経営をしていきたいという想いがあります。

「三方良しは、売り手、買い手、社会ですが、うちはものづくりの会社。作り手である職人さんたちにとっても良い会社であることが大事と考え、四方良しにしました」

作り手が働きやすい環境を整え、新しい経営理念「四方良し」を進めていく

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「四方良し」のひとつ、会社にとって大切な職人の方たち。たくさんいる職人さんの中から、今回、女性の技術者で製造部の係長を務める鈴木麻里さんに会社のことや仕事のことを伺いました。

岩見沢出身の鈴木さんは、木工に興味があり、札幌のデザイン学校で木工を専攻。卒業後、学んだことを生かせたらと滝澤ベニヤへ就職を決めます。

「最初は、右も左も分からない状況で、現場で教えてもらいながら仕事を覚えていきました。工場は男性ばかりかと思ったら、女性のスタッフもいて、皆さん親切ですんなり溶け込めました。入社が決まってすぐに会社のほうで住む場所の手配をしてくれるなど、仕事に入りやすいようサポートしてくれたのもありがたかったです」

毎日覚えることがいっぱいだったという鈴木さん。上司がいろいろ挑戦してごらんとチャレンジをさせてくれる人で、2年目から機械にも触らせてもらえるようになります。

「原料の木は、堅さや節の入り方など、一本一本異なります。その特徴を見極めながら、機械の調整をして作業をしていかなければならないので、経験や技術力は必要。また、機械が古いので扱い方のコツを覚えなければならず、先輩たちについてもらいながら仕事を覚えていきました」

毎日同じことをしているように見えて、原料によって微調整が必要になってくるため、「毎日が勉強ですし、毎日成長を感じられます」と仕事のやりがいを話す鈴木さん。会社で手がけているオリジナルのペーパーウッドやそれを用いた小物なども、「自分が携わった原料を用いていると思うと誇らしい」と話します。また、自身の母校でも教材に滝澤ベニヤの合板を使っているそうで、それもうれしいと感じています。

takizawa_clipper_093.jpg「クリッパー」の作業。節などを避けながらスピーディにベニヤをカットしていきます

入社して11年目の鈴木さん。普段はクリッパーという裁断作業を担当することが多いそう。取材班が工場に入らせてもらった際もテキパキ作業。鈴木さんは、「年数を重ねるとスピードもつきます」と笑いますが、その素早い動きはカメラマンもシャッターを押すタイミングに苦労するほどでした。

takizawa_suzukick_062.jpgベテランの鈴木さんは検品作業も素早く、次々にチェックを進めます

この日は、検品作業の担当スタッフがお休みだったこともあり、鈴木さんが検品チェックする場面も。検品作業も素早く、小柄ですが頼りにされているのだろうなと感じました。最近は現場の仕事の傍ら、管理業務や後輩を指導することも増えたそうで、「個人的には指導力をつけたいと思っています。また、いろいろな人が働きやすい環境づくりにも力を入れていけたらと思っています」とこれからの抱負を語ってくれました。

素材、品質、環境にこだわったものづくりを行っている滝澤ベニヤ。「四方良し」を掲げたこれからの展開も楽しみです。

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滝澤ベニヤ株式会社
住所

北海道芦別市野花南町1000番地

電話

0124-27-3111

URL

https://www.takizawaveneer.co.jp/


素材、品質、環境にこだわった単板・合板を生産。滝澤ベニヤ

この記事は2023年10月24日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。