ミネラルたっぷりの豊富な雪解け水を有する羊蹄山麓の自慢は、おいしい農産物。ニセコ町でもほくほくのジャガイモはもちろん、夏はみずみずしいメロンやアスパラガス、秋になると米や豆などの穀物がすくすくと育っています。
しかしこれまで、ニセコ町には農産物を使った加工品がほとんどありませんでした。そこで第一期の地域おこし協力隊のミッションとして「特産品の開発」が掲げられ、2011年に採用されたのが齋藤行哉さんです。
現在は地域活性化に取り組むニセコフードコミッション企業組合の運営をしながら、自身の飲食店である「味楽屡(みらくる)ゆきや」でニセコ産の米粉や大豆などを使った商品を販売したり、グルテンフリーのメニューを提供したりしています。
JRニセコ駅の裏側にひっそりとたたずむ「味楽屡ゆきや」
安心安全であることはもちろんですが「食事はとにかくおいしくなければダメ!」と話す齋藤さん。そのこだわりと、これまでの歩みについて聞いてきました。
57歳で、これまで縁もゆかりもなかったニセコ町に移住
齋藤さんは北海道帯広市の出身。札幌市の大学を卒業したあと、大手農業資材メーカーの北海道支社に勤務していました。やがて支社部長と開発事業部長を兼任するようになり、東北エリアも担当していたことから「人生の半分くらいは北海道にいなかったな!」と笑います。
終始やさしい笑顔で周囲を和ます齋藤さん
サラリーマン時代の業務は、乳酸菌やキトサンのような有機資材を使ってより安心安全な農作物を作るためのサポートをしたり、収穫後の農作物の販路を作ったりと多岐にわたり、道内各地や東北を忙しく回る日々が続いたといいます。
その後会社を退職した齋藤さんは、札幌・円山にある友人の飲食店の経営をサポート。当時はマルヤマクラスのオープンや、まるやまいちばの改装など、街が変革を遂げていた時期で「人の流れが変わるから名物のひとつでも作れないか?」と友人に相談されていたそうです。
「友人は老舗の米屋でもあったので『米粉でケーキを作って新しい商売をしたらどう?』と提案したら『じゃあ、やってよ』と言われて。そこで、元開発部長の魂に火がついたんですね(笑)。当時、米粉の製品なんてあまり市場になかったから、一から始めて試行錯誤し、米粉のシフォンケーキを完成させて販売していました」
そんな折、齋藤さんはテレビで地域おこし協力隊の特集を目にします。「面白い取り組みだな」と感じていたところ、地場の農産物を使った特産品の加工をミッションに据えて協力隊を募集していたニセコ町が目に留まりました。
「今働いている飲食店も、すべて自分の好きなようにやれるわけではない。特産品の加工なら、今までの自分の知識や技術を活かして新しいことができるかもしれない」と感じた齋藤さんは、思い切って応募。面接では80人もの人が集まりましたが、採用されたのは齋藤さんを含むたったの3人でした。持ち前のフロンティア・スピリットに後押しされ、57歳にしてこれまで縁もゆかりもなかったニセコ町へ移住することになります。
2年という短期間で、生産者との関係構築から独立開業まで実現
配属先は、役場の農政課。2011年の5月に着任してからというもの、任期中は目の回るような忙しさでした。なにしろ協力隊の任期はたったの2年で、着任した瞬間から独立開業に目を向けなければならず、ミッションと並行して準備をおこなうのは至難の業だったのです。
「この土地に根ざして生きていくためには、地域の人との協働が不可欠です。そこで、前職で培った有機農法の技術や知識をもとに生産者と丁寧に対話しながら、ときに生育トラブルについてもアドバイスするなどして、少しずつ関係性を築いていきました」
水田に放たれた元気なアイガモのヒナは雑草や害虫を食べ、排泄物はやがて肥料となります
こうして初年度の8月に菓子製造の営業許可を取り10月には、ニセコ町産の米を産地限定のブランドとして販売開始。加工品についてはこれまでの仕事で生まれたご縁を活かして、まずはニセコ町産の米を札幌の製粉屋に頼んで米粉にしてもらうところから始めました。その後は米粉を活用するための講習会を開くなどしながら、翌年11月には地域の皆さんと組合設立、飲食店営業許可を取り、自身も米粉の「詩風音カステラケーキ」づくりを始動。さらに米粉の認知度を上げるためにニセコ産米粉ベースの料理コンテストも開催しました。
地元の人との関係づくりから米粉の啓蒙、自身の開業準備に至るまで、短期間で順調に実現させていった齋藤さん。しかしその間、水面下で「地域を活性化し、地元の人と一緒にニセコを世界に発信するためにはどうしたらいいのか」ということをずっと考えていました。
「やはり外からやってきた私が、ひとりで『ニセコはすごいだろう!』と言っても仕方がない。地域の人たちと一緒に長くやっていくことが大切だと思ったんです」
そんな思いから、齋藤さんは2012年に「ニセコフードコミッション企業組合」を立ち上げます。目的は、ニセコエリアで生産される農作物・水産物の加工販売をおこない、作る人と食べる人に「安心安全」の絆を結ぶこと。構成員の多くは生産者ですが、現在は理念に共感した主婦や料理人、学生など幅広い属性の人々が参加し、食を通じたニセコの魅力を伝えるべく尽力しています。これまで齋藤さんがおこなってきたニセコ町産のブランド米の販売や、米粉を使った加工品の製造販売も、すべてこの企業組合の理念に合致するものです。
齋藤さんから「あきちゃん」と呼ばれ頼りにされている本田明子さん。創業当時からお店を任されています
そして2013年に協力隊の任期を終え、3月に役場を退職した齋藤さんは、ニセコ町産の米を販売・加工するための場として、空き家を改装して「味楽屡(みらくる)ゆきや」をオープン。地下は工房、1階はニセコ町産のあいがも農法ゆめぴりかや米粉の詩風音カステラケーキなどの加工品販売、奥には小上がりの喫茶スペースを作り、食事の提供も開始しました。
評判は上々。ところが、と齋藤さんが続けます。
ニセコエリアに集う人のニーズに合わせた加工品を作ることに
「ニセコエリアの地域性として国際色豊かなところがあり、外国人のお客さんがたくさんいらっしゃるんです。私も最初は米だけで勝負しようとしていたのですが、あまりにも頻繁に『ヴィーガンの商品はないか?』と聞かれるんですね。よくよく話を聞いてみると、アレルギーで食べられないものがある人がかなり多かった」
齋藤さん自身、娘さんが卵アレルギーで苦労した経験があったことから、お客さんの気持ちが痛いほどよくわかったといいます。そこで「重度のアレルギーは命にも関わる。米粉製品を売る上でしっかりと『グルテンフリー』をうたおう」と決意。どうせやるならデイリーフリー(乳製品不使用)もうたっちゃえ。アディティブフリー(無添加)もやれるかな、と、気付けば複数のアレルギーに対応する流れに。「中途半端に自分の首を絞めても仕方がないから、完璧にやってやろうと思って」と笑う齋藤さん。その果敢な挑戦に、頭が下がります。
しかし原料に制限がかかる分、通常の加工品と比べて作りにくかったり、味がよくなかったりと、かなり苦戦を強いられたはず。それでも齋藤さんは、おいしさにこだわることをやめませんでした。
「近年、アレルギーに配慮した食事やお菓子が増えていますが、おいしくないものも多いですよね。そして『安全だからおいしくなくてもいい』という、どこか我慢が当たり前のような風潮も見受けられますが、私はそれが許せないんです。食事とは本来、命にとって一番大切な時間なのに、おいしくない除去食を渡された子どもは、つまらない顔をして仕方なく食べるしかない。そういう姿をたくさん見てきたから、おいしくないものは作りたくないんです」
米粉の詩風音カステラケーキは今や14種類に!
齋藤さんのものづくりの基準は「自分が食べておいしいと思うもの」。これまでの経験をもとに日々研究を重ね、米粉を使ったパンや麺のほか、発芽玄米粉100%の薬膳そば、大豆で作ったパスタなど、続々とメニューのラインナップを増やしていきました。最初の商品である詩風音カステラケーキも、ニセコ産の日本酒の酒粕やニセコ産大豆を使ったものなど、今や14種類にもなっています。
人気商品のひとつに、小豆や大豆を原料とした4種類のチーズがあります。牛乳の代わりに豆乳を使ったチーズはこれまでも存在しましたが、齋藤さんのこだわりは、大豆を丸ごと入れること。つまり、おからも全部使うのです。大豆自体も発芽・発酵させることで、味も濃く、栄養価の高いものに。発芽・発酵をさせると独特の糠臭さが出ますが、においを取る方法も研究するなど、とにかくおいしさの追求に余念がありません。
小豆や大豆を原料とした4種類のチーズは、牛乳を使用していないとは思えないおいしさ
大豆のチーズをはじめ、齋藤さんが作る加工品はホールフードが基本です。たとえばパンプキンケーキにも、カボチャの種や皮が入っています。「農作物の栄養、そしていのちを丸ごといただくということです」と齋藤さん。食品ロスの観点からも有効な取り組みですが、「まるごと使える」というのは、原料の品質に自信があることの裏付けでもあります。
「安全性やおいしさに加えて、食べるときの『快適さ』も重要視しています。冷凍の米粉パンも販売していますが、一斤まるまる冷凍してしまうと、『一切れだけ食べたい』というときに全部解凍しなきゃいけなくなりますよね。だから、スライスしたものを冷凍しているんです。あとはケーキひとつとっても、シールをちょっとつまめば剥がれるようにするなど、味だけでなく、自分が食べたときに気持ちがいいように...ということは心がけています」
ふわふわもっちり米粉のパンは、ニセコの高級リゾートホテルの朝食でも提供されています
お店をオープンした当初からスキー場や道の駅、温泉施設などにも加工品を卸しており、スキー客の増える冬には詩風音カステラケーキが100個売れることもあったのだとか。ニセコに集う人のニーズと、齋藤さんの作る商品の方向性がうまくマッチしただけでなく、消費者の立場に立ったものづくりも買い手の心に響いたのでしょう。
ものづくりの基準のひとつは「大切な人に食べさせたいかどうか」
齋藤さんが協力隊としてニセコに移住した理由のひとつに、これまで北海道でも複数回起きていた産地偽装問題があります。飲食店の勤務経験なども経て「結局のところ、たしかなものを作るには農産物そのものを自分の目で確認しなければならない」という思いを強くしていったのです。
安全性を確認するためには、自分の目を養う必要もあります。そこで2014年には、水田環境鑑定士の資格も取得。水田の水質検査から、水中の生き物の種類、数などを調査し、ある一定の点数を満たした米だけが特Aの称号を得られます。齋藤さんはニセコ町の米も複数鑑定しており、前述のあいがも農法ゆめぴりかも自身で鑑定したものを店頭で販売。「ニセコの米は安心安全、そしておいしい」という裏付けを自らとっているのです。
その誠実なものづくりは、数多くのお客さんを笑顔にしてきました。なかでも、齋藤さんにとって忘れられないエピソードがあります。
「小学生の子どもを連れたお客さんが、4人で来店されたんです。すると3年生か4年生くらいの男の子が、米粉の麺をそれはすごい勢いで食べていました。よっぽどお腹が空いていたのかな?と思ったら、食後にお父さんに『この子は人生で初めて、麺というものを口にしました。本当にありがとうございました』と感謝されたんですね。アレルギーを持っていて、麺を食べたことがなかったそうなんです。そのとき、ああ、この仕事をやっていてよかったと思いました。その子の、人生で初めての経験に立ち会えたんですよ」
米粉でできた「米うどん」
日々漫然と食事をしていては、気づけないことが本当に多いと実感させられるエピソードです。「食事というものが、ただエネルギーを摂取するだけの時間なのか、家族と過ごす楽しくておいしい時間なのかで、子どもの心の豊かさも変わってくるんじゃないかな」と齋藤さん。麺をおいしそうにすする男の子の姿が、かつての娘さんとも重なったのかもしれません。
「自分が食べておいしいと思うことも大切ですが、これを毎日家族に食べさせたいかな?というところもものづくりの基準になっています。自分の体は、食べたもので作られる。私が作ったものが、食べた人の人生や将来をも左右するという気持ちを持って、加工品づくりをしていきたいです」
まだまだ現役ですが、後継者を見つけ、技術や思いを後世に受け継ぐことにも力を入れたい、と話す齋藤さん。マインドを継承しながら、新しい旋風を巻き起こしてくれる後継者の誕生を、私たちも楽しみに待っています。
- ニセコフードコミッション企業組合
味楽屡(みらくる)ゆきや - 住所
北海道虻田郡ニセコ町中央通113
- 電話
0136-44-1400
- URL
営業時間/10:00〜17:00(ランチ11:00〜16:00LO)
定休日/月・火