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このまちのあの企業、あの製品
釧路市

自然を感じ、暮らす。阿寒で叶えた夢のカタチ。鶴雅グループ20231130

自然を感じ、暮らす。阿寒で叶えた夢のカタチ。鶴雅グループ

北海道東部に位置する阿寒湖は国立公園に囲まれた自然豊かなエリア。釣りやトレッキングなどのアウトドア体験をはじめ、北海道らしい手つかずの自然を感じたいという人にはぴったりの場所。その阿寒湖の畔には、多くの温泉旅館が並んでいます。

今回は、その温泉旅館の中のひとつ『あかん遊久の里 鶴雅』を訪れました。

阿寒と共に成長を続ける温泉旅館「あかん遊久の里 鶴雅」

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「あかん遊久の里 鶴雅」は、北海道全域で15の旅館やホテル・レストランを運営する鶴雅グループの温泉旅館。鶴雅グループの歴史はここ阿寒から始まりました。

1955年に阿寒グランドホテルを創業をした鶴雅グループは、阿寒の自然と共に息づく郷土力を磨いてきました。2001年、構想に5年の歳月を費やし、グループの原点でもある『あかん遊久の里 鶴雅』が完成。

また、阿寒ならではの自然を活かし、ここでしかできないアクティビティ体験を提供する「TSURUGAアドベンチャーベースSIRI」を2018年にオープン。阿寒エリアには欠かせない自然にふれ、感じるサービスを開始しました。
アイヌの文化や伝統の継承、温泉、そして自然体験と阿寒と共に進化を続ける鶴雅グループで働く社員3名の方にお話をうかがってみます。

岐阜から北海道へ。移住のキッカケは? ~松岡隼平さんのお話

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岐阜県出身の松岡さんは、鶴雅グループのアドベンチャー事業「TSURUGAアドベンチャーベースSIRI」でフィッシングガイドとして働いています。

岐阜県の地元の高校に進み、あまり情報もないなか就職先を決めて卒業。工場で働き出したそうです。転職も経験し、前職は、自動車関係の工場で勤務をしていましたが、好きなことをもっと突き詰めるために、北海道への移住を考え始めました。

釣りが趣味の松岡さんは、釣りをする多くの人がトップクラスの場所だと言われる北海道で釣りを楽しみたいと思っていました。特に阿寒湖はアングラ―の聖地と言われているため、興味を持ったのだとか。今では釣りも仕事の一部となった松岡さんが北海道移住をしたきっかけや、今の生活について教えてくれました。

釣り好き青年に訪れた天職との巡り合わせ

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自らの足で釣りのスポットを探しながら楽しむスタイルの松岡さん。2〜3日程度の旅行では本当に楽しみたいことができないとわかっていて、北海道に移住したいとは思っていましたが、これまで何の縁もない北海道。松岡さんが選択したのは...。

「旅行では短すぎる、かといって、いきなり移住するのはリスクがあると思って、リゾート地で住み込みのバイトを数ヶ月してみたらいいんだ!食事もあるし!って思ったんですよね。で、登録した派遣会社さんには『湖や川のそばがいい!』って伝えていたんです。そのときは、仕事は仕事、趣味は趣味って考えていたので、職種は正直こだわっていなかったんです(笑)」

お仕事の紹介で初めて知った北海道の阿寒という地域。阿寒湖の存在。調べてみると、釣りが好きなら最高の場所だとネットでみんなが言っていて、これは行くしかない!って思ったそうです。

実際に派遣スタッフとして鶴雅グループで始めた仕事は料飲サービス。朝夕食のホールの仕事だったそうで、慣れない仕事が大変だったと思い返しますが、それでも趣味の釣りのためにここに来ているという理由から、未経験の仕事にも前向きに取り組めたそうです。

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そんな働きながら釣りのポイントを探していた松岡さんの元にうれしい巡り合わせが。

ホテル館内にある「TSURUGAアドベンチャーベースSIRI」の受付窓口で「この辺りの釣りスポットを教えて下さい!」なんて聞きに通ったり、教えていただいた場所での釣果について報告なんてしていたら、「好きなことを本気でやってみないか?」と声をかけられたんだそう。声をかけてくれたのは、取締役でありアドベンチャーツーリズム事業部の髙田茂部長。この業界では第一人者ともいえる神様のような存在の方です。髙田部長は「自分の若いころにちょっと似ていたんですよ。仕事に行く前の早朝に釣りに行って、仕事が終わったら今度は夜釣り。寝る間も惜しんで没頭する姿に、きっといいガイドになれると確信していたんですよ。実際、学習するスピードや成長は目を見張るものがありますね」と評価します。

そんな当時のことを松岡さんはこう振りかえります。

「好きなことを仕事にできたらいいなとは思っていましたけど、正直、びっくりしました。3ヶ月と決めて北海道に来ていたけれど、これは腹を決めないといけない」と、驚きを隠せなかったそうです。北海道出身でもなければ、フィッシングガイドやネイチャーガイドの仕事は未経験。未知の世界ではありましたが、松岡さんは、正社員として、フィッシングガイドとしてチャレンジすること...北海道への移住を決めました。

趣味が仕事に。毎日が楽しい学びの場

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フィッシングガイドとしての仕事をスタートさせた松岡さん。ガイドとしてはまだまだ1年生。自分が釣りを楽しむことはできても、お客様に楽しんでもらうためのノウハウを学んでいます。また楽しむことだけではなく、お客様を危険から守るのも大事なお仕事。

「阿寒は手つかずの自然が広がり、野生動物ももちろんたくさんいます。特に熊の対策は怠れないんです。熊の習性や出没する場所などは、自分がフィールドに出て、自らの目と足で確認していくことを徹底しています。また、地域の人とのつながりも大切でして、現地の人にしかわからない小さな情報も大切にしています」

自然が相手ということは、天候ももちろん相手です。ツアーを行う日に雨が降ったときも松岡さんはこんなことをお話しされます。

「お客様は天気を選べません。大抵のお客様は雨が降っていたらガッカリされるんですよね。もちろんそのお気持ちはわかります。でも、雨が降っていないと感じられない自然の雰囲気や、水かさが増したからこその釣りの楽しみ方があります。そういうことをお伝えすることも自分の仕事なんだと思って取り組んでいます」

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フィッシングだけでなく、スポットに行くあいだの工程も楽しんでもらえるように、歴史や木草花についてのことを先輩に教えてもらって、それをお客様に伝える練習をしたりなど、ネイチャーガイドとしても学び、確実に成長を続けているようです。釣りもさらに磨きをかけるように幅を広げているそう。ルアーを使った釣りがこれまではメインだったそうですが、フライも練習中。

「本州との違いはまずは魚のサイズ感ですね。こっちの魚は本当に大きい。この間は60cmもするニジマスが釣れました。竿が持っていかれるほどの経験はこれまでにないものでした。水もキレイで魚も豊富です。アメマスは海に近づくほどに色に変化があるんですが、ここでは金色のアメマスが釣れたりするんです!」と、釣りの話は掘っても掘っても尽きません(笑)

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夢の仕事をスタートさせた松岡さんですが、もう少し現実的な話を聞いてみます。工場勤務時代との収入の違い、また田舎暮らしでのギャップはないか質問をしてみました。

「以前と比べると、実は収入は下がってしまったんですが、めちゃくちゃ低価格で住める寮に住まわせてもらっているので、生活の水準は変わっていません。月に20万円とかの給与でも、本州のように家賃が月6万・7万みたいな感じだと手元に残るお金は少ないですから。田舎暮らしというのもあまり困ってないです。コンビニがあれば生活していけるんですよね(笑)。休みの日に自分で移動するには車があると便利ですが、バスがあるので運転をあまりしない人でも安心して働ける環境だと思いますよ」

趣味の釣りを続けるために、安定した職業に就いた方がいいのかもしれない...と、電気工事士の資格を勉強して取得したそうですが、本当にそれがやりたい仕事なのか?と悩んだことも教えてくれました。それが全くの未経験から派遣のバイトというカタチで接客業に従事。岐阜からの移住と当初は戸惑いもあったようですが、なにより大好きな釣りが仕事になったことは、大きな人生の転機になったようです。

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日本全国、北海道で強力に推進をはじめた「アドベンチャーツーリズム」。高付加価値の「旅」を自然を通じて提供するという取り組みですが、その前線に立つのは「ガイド」のお仕事。そう聞くと、とても大変で難しいイメージもついてしまいがちですが、松岡さんは「本当に仕事が楽しい!」という生き生きとした表情が印象的。「自然が好き」「釣りが好き」という強い興味が、きっとこのお仕事をより楽しいものとし、楽しめるからこそ学習や成長があるんだなと教えてくれた気がします。

そんな松岡さんですが、「TSURUGAアドベンチャーベースSIRI」にスタッフのみんなと3日もいたら、雰囲気の良い会社だってわかるはずと説明します。

「自分も迷いもありましたし、結果、こんな人生になるなんて思ってもみなかったんですけど、もっと早くに自分に正直に動いていれば良かったと、過去の自分に後悔しています。人生で何か考えていることがある人には、何事も飛び込んでみるといいですよ!とアドバイスしたいですね!」

24歳で人生を後悔するだなんて早すぎるとは思いましたが、やりたいことが見つからない、このままでいいのだろうかと考える若い人にとってはとても重要なアドバイスだと思います。アドベンチャートラベルもこれからもっとメディアでの露出が増えていくと思いますが、「旅行」としてだけでなく、ガイドを初めとした受け入れる側の「仕事」として、もっと多くの方に注目いただけたらと思いました。

ふるさとの魅力を世界に発信する『北海道の外交官』。~髙田 健右さんのお話

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次に話をうかがったのは鶴雅リゾートに入社して11年目、営業部副部長の髙田さん。
各国の旅行代理店に北海道や鶴雅グループを知ってもらうためのPRを行う、いわば北海道の外交官的な役割を担っています。各国の文化や習慣など、現地の観光協会から情報を収集し入念に準備を行い、旅行代理店に提案を行っています。提案に興味を持ってもらった場合は、まず下見に来てもらい、鶴雅グループでおもてなしをするという一連の流れを担当。東南アジアやヨーロッパなど約20ヵ国を担当しています。

高校からオーストラリアへ留学。異国の文化にふれた経験が今に活きる

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鶴雅グループの海外での認知度をアップさせる重要な役割を担う髙田さんですが、どのようにこの仕事に就いたのかも気になるところ。詳しくお話を伺うかがってみました。
髙田さんは、阿寒湖温泉の老舗旅館に生まれた、まさに旅行業界の「サラブレッド」。子どもの頃の夢は、外交官になることでした。そして、留学経験のあるお父さん(前出の髙田部長)の話や国際結婚したお母さんの影響もあり、高校から6年半、オーストラリアに留学したそうです。

「父が留学していたこともあり、自分も自然と留学したいと思っていました。大学あたりで留学して...と最初は思っていたんですけど、ええい、高校から行っちゃえ!ってなったんですよね。そんな感じでしたので、英語を全く話せない状態で留学し、語学の習得に半年くらい必要かなと思っていましたが、父からは2カ月ほど現地の語学学校に通い、卒業できなければ帰ってくるように言われていました(笑)。なんとか無事2か月間で卒業できたから良かったんですけど...」と笑って話してくれました。

今や立派な佇まいに責任のあるハイスペックな仕事をされている髙田さんですが、留学をして、現地の高校では「自分が勉強のできないダメな人間であることを痛感させられた」と振りかえります。それでも現地での住まいとなるホストファミリーの優しさに恵まれ、頑張ってこられたそうです。

そんなエピソードのひとつが、語学を学びながら異文化を知る経験をしたことが後に髙田さんの仕事に大きく影響を与える人生の1ページとなりました。

手に職を付けたいと鶴雅グループの代表に直談判!

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オーストラリアから意気揚々と日本に戻ってきたのが、2011年のこと。そのころには、海外から人を呼び込む観光の仕事に就きたいと強く思っていた髙田さんでしたが、当時の日本では大変なことがありました。東日本大震災です。日本中が海外から観光客を呼び込もうという気運は消沈し、髙田さんがやりたかった仕事はほとんどなかったそうです。

「それで、1年間、スキーのインストラクターとして働き出しました。もともとアルペンのスキー選手もやっていたのもあって」と、本当にやりたかった仕事とは別の道で生計を立て始めました。

その後、留学経験を活かし、鶴雅グループに通訳のアルバイトとして入社。働きながら、手に職を付けたいと考えていた髙田さんは、持ち前の行動力を発揮し、とんでもない行動にでます。

「鶴雅グループの大西代表の自宅に正社員として働きたいと直談判に行きました(笑)。とんでもないヤツですよね(笑)」

企業の代表に直談判をするなんて、普通の人は考えもしませんが、想いを伝えたかったというのが行動にあらわれたそうです。

その想いが伝わり、すぐに正社員として登用された髙田さん。営業として......ではなく、ホテルのイチ従業員として、布団敷きの仕事など、ホテルの基本を学ぶ下積みの経験がはじまりました。
こうして数年のさまざまな経験を経て、髙田さんに転機が訪れます。念願の営業部への配属です。そこから、鶴雅グループを海外へ売り込みにいく仕事が始まるのです。

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「『ニセコ』ってみなさんが知っているように、海外でもよく知られているんですが、ニセコがあるのが『北海道』っていうことはあまり知られていないってことに気がついたんです。ましてや『阿寒』なんて海外の方にも知られておらず、まずは『北海道を知ってもらい、魅力的な場所だと感じてもらうこと』が大事な仕事になりました」

それぞれの文化も旅行に関する考え方も違う20カ国もの世界を相手にします。各国の歴史も学び、何を伝えると心に残るのかを考え、現在では北海道の魅力をPRする外交官のような役割になっていきました。留学で海外の文化に触れたことも現在の仕事に活かされているようです。

「サムライ・忍者......みたいな日本のイメージは、世界のみなさんにはもうなくて、テクノロジーの発達しているのが日本!という印象をみなさんお持ちです。その日本のなかの最北にあるのが北海道で、みなさんの地域との緯度経度の違いなどもお伝えしながら説明しています。時にはジョークも交えて場を和ませるのですが、ガタイが大きいので、世界のみなさんから『スモウレスラー』なんて呼ばれることもあるんですけど、否定せずに乗っかります(笑)」。ワハハと豪快に笑う髙田さんですが、交渉には8割がた調査や準備が大事で、ホテルの顔はフロントだとよく言われるなか、本当のホテルの顔は営業スタッフたちだと考え、身だしなみや清潔感、相手との距離感なども綿密に考えていることも教えてくれました。

日本アドベンチャーツーリズム協議会の立ち上げ

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普通の人とはちょっと違った人生を歩んできた髙田さん。ようやく自分がやりたかったことを実現し、快進撃をつづけているところで、再び試練が訪れます。コロナ禍です。

「自然や文化、アクティビティなどを提案するアドベンチャーツーリズムを世界的に売り出していこうという矢先の出来事でした。とても残念でした」とATTA(Adventure Travel Trade Association)のアンバサダーにも選ばれていた髙田さん。

2019年から2021年まで、シンクタンクの株式会社JTB総合研究所に出向し、日本アドベンチャーツーリズム協議会の立ち上げに携わっている最中でした。

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新型コロナウイルスの流行により2021年に予定されていた日本アドベンチャーツーリズム協議会の札幌大会がWeb開催になるなどの逆風でも、それでも2023年の世界大会に向けての準備期間ができたとポジティブに捉えていたという髙田さん。Web開催の札幌大会のメインMCを務めるなど、コロナ禍でもできることをどんどん実行していったそうです。海外の顧客との繋がりを保ちながらも新しいメソッドを学ぶことができ、営業に活かすことができているのだとか。これからもアドベンチャーツーリズムを仕掛ける側としての活躍も期待できます。

少し話題を変えて、海外や東京を経験してきたからこその、阿寒の良さを尋ねてみます。

「阿寒の生活は、自然が近いんです。休日にサンドイッチをつくって、森で食べて、足湯に入ってから家に帰るみたいなことが日常なんです。休日にやることがないってことがないんですよね。東京にも2年半住んでいましたが、もういいですね(笑)。嫌いなマチではないんですけど、誘惑が多くて太るんです(笑)。東京から飛行機で戻ってきて、釧路空港で冷気を感じるフレッシュな空気を吸うと、やっぱりココがいいって思っちゃいました」

世界や日本中を飛び回り、たくさんの異文化も知っている人が、北海道がいい、阿寒がいいという言葉はとても重いものであり、嬉しいお言葉でした。

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最後に、髙田さんにこれからをうかがってみます。

「鶴雅グループの考え方は『ホテルに泊まってもらう』というのは1つのキッカケなんです。会社にあるほとんどのプロジェクトが地域密着型で、会社を育てるのではなくて、地域を育てるということを考えています。鶴雅があることで、道内のさまざまな地域に来てもらう理由として頑張っていますが、最終的にはその地域のファンになってもらい、また来たい地域としてリピーターになってもらうことを考えています。それを実現するために、北海道のこと、阿寒をはじめ道内さまざまな地域のことを世界中に広げていきます!」

行政でもなく、髙田さんのような民間事業者の人が、「北海道の良さ、北海道にあるさまざまな地域の良さ」を世界に広げるために頑張っていることを多くの人が知りません。ホテルはいい設備やいいプランをつくって待っているだけとも思われがちかもしれませんが、地域との取り組みや地道な活動が幾層にも重なっていることに、観光業を営むみなさんへ私たちも感謝をしないといけないのかもしれませんね。

人の記憶に残る仕事がしたかった~麥倉愛里さんのお話

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最後に話を伺ったのは朗らかな笑顔が印象的な人事担当の麥倉(むぎくら)さん。2012年に新卒で鶴雅グループに入社。当時はレストランで勤務をしながら人事部のお手伝いとして合同企業説明会などに帯同して現場のお仕事の説明をする役割なども行っていました。そうこうしていたら、入社4年目に人事の仕事を担当しないか?となり、採用を行う仕事を担当するようになったそうです。

もう会社ではベテランさんですね〜という問いに「......確かに!そうですよね、...怖いですね(笑)」と笑う麥倉さんに、御自身のことをまずは聞いてみます。

札幌出身で、高校卒業までは札幌に住んでいた麥倉さん。東京にある大学を進学先に決めます。なぜ東京に行くことになったのでしょうか。

「もともと両親から『大学に進学するのであれば、目的を決めて進学をしたほうがいい』とアドバイスをされていて、観光業の仕事に就くために、ホスピタリティ専攻がある大学を目指していました。それが東京に出たキッカケです」

最初から観光業で働きたい!と決めていた麥倉さんでしたが、観光業に興味を持ったことをこうお話しされます。

「子どものころに行った旅行の記憶が、大人になっても鮮明に残っていたんです。自分がそう感じたように、それを自分が提供できる側になれたら...誰かの記憶に残る仕事ができたら素敵だなと思い観光業で働きたいと思っていました」

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夢を実現するために学び始め、大学在学中にホテルへ研修に行くようになりますが、そこで葛藤も生まれます。

「実際に観光業で働いている方のお話を聞いたり、実際に仕事の体験などをして、一度は自分には合わないのではないかという思いが湧きあがり、ホテル以外の業界で就職活動を始めました。でも、自分が本当にやりたい仕事ではなかったので、面接でも上手に想いを伝えられなかったんです」

こうして、改めて自分がやりたいことを思い返し、やっぱり観光業で働きたいという想いが芽生え、唯一応募したのが鶴雅グループだったそう。

「当時は、鶴雅グループを知らなかったんですよ。道東エリアを中心に展開していたホテルだったので道央出身の私は存在を知らなかった。『北海道 温泉宿』なんて、ネットで調べていたときにたまたま見つけました。ホームページを見てみると、なんて素敵なホテルなんだろう!と思って、インスピレーションで応募を決めました。それまでは就職活動でもいろいろ分析したり検討したりなんて準備をしてたんですけど、最後は勘で決めるという(笑)」

結局、観光業で応募した唯一の鶴雅グループに採用されて今に至るそうです。人生ってさまざまな分岐があり、奇妙な連鎖の結果という感じですね。

東京から阿寒湖温泉へ。初めての田舎暮らし。

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最初から就職活動は北海道で働きたい!というのは譲れなかったという麥倉さん。

「地方から出てきた大学の同期のほとんどが東京に残って就職するという道を選んでいましたけど、私は絶対北海道に戻ると決めていました。観光業という仕事もそうですが、仕事を通じて北海道に貢献したいっていうのが根幹にあって、そこだけは東京で生活を続けていても揺るがなかったんです」。実際のところ、東京に住んでみて、人の多さや気温の高さ、北海道にはいない虫が苦手っていうのも東京で働けないと思った理由でもあるというのもこっそり教えてくれました。

実際に就職し、鶴雅グループにはさまざまな勤務地がありますが、麥倉さんが配属されたのは阿寒。人生で就職するまで住んだことはもちろんなく、来たことさえないマチに住んで働くこととなります。人口約190万人の札幌市で人生の大半を過ごし、大学4年間は人口約1.400万人の東京で暮らし、現在の釧路市と合併するまではひとつの市町村であった当時6,000人程度の阿寒町という地域にやってきます。

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「正直に言いますと思ってもみない展開でした(笑)。私の家族も含めて東京から札幌圏や少し遠くても道央圏に戻るとばかり思っていましたから。そんな思い描いていた生活とは異なりますが、田舎暮らしにはすぐに馴染むことができました。北海道が好き、自然が好きってことであれば、私にはどこでも問題なかったのかもしれないですね」と話してくれます。

北海道に移住し、地方での暮らしをするのであれば、車が必須!とよくみなさんが言いいますが、麥倉さんは入社して3年間は車を持っていなかったそうです。

「ここからはバスで都市部にも、空港にも行けますので、あまり困らなかったですね。運転免許は持っていたんですけど。20代だと飛行機も格安で搭乗できるので、休みの日は朝に家をでて、バスで釧路空港に移動。飛行機に乗って札幌に午前中にはついている...みたいなことができていました。釧路から東京へもアクセスできますから、阿寒は意外と便利な地域なのかもしれないですね」

札幌から阿寒エリアまでは車であれば4時間30分くらいかかる距離なのですが、なるほどのテクニックも教えてくれました。

鶴雅グループで働きたい人をサポート

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人事担当という立場から、少し採用についても聞いてみます。

「鶴雅グループは、未経験の人でも十分活躍することができます。前職の経験を重視した採用をしているわけではないんです。松岡さんのように接客業の経験がなくても活躍しているスタッフは沢山います」と話してくれました。

入社後の阿寒ではどんな生活が待っている?

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鶴雅グループでは全道各地でホテルを運営していますが、こちらの「あかん遊久の里 鶴雅」は、移住して働く人が大半であるため「住まい」にも力を入れています。多くの人は、入社してすぐに寮生活がスタート。さてどんな住まいでどんな暮らしをされているのでしょうか?

「寮は阿寒には何棟もあります。かつては温泉宿だった施設を弊社で引き取って寮に変更していたりしますので、頑強なつくりで快適性は保たれていると思います。普通の賃貸住宅と変わらないような部屋タイプもあれば、シェアハウス用のようなキッチンなどが共用になったところもあります。古い寮もありまして、お風呂がないところ...なんて昭和な物件もありますが、ホテルの従業員用の浴室を使えるので、むしろ今では味わえない暮らしを楽しんでくれている社員なんかもいます(笑)。家族と一緒に寮生活をしているスタッフもいますよ」

お話しを聞いているだけでなんだかワクワクしますね。仕事だけでなく、新しい生活も楽しめそうな予感がヒシヒシと伝わってきます。

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実際に阿寒での生活はどのようなものなのかも気になるところ。麥倉さんに阿寒での生活についてもうかがってみました。

「コンビニやドラッグストアがあるので、生活に必要なものは付近で揃えることができます。娯楽施設はあまりないのですが、逆に捉えれば生活費が抑えられるので、普段の生活でお金を貯めて、旅行など自分自身の生活を豊かにすることができるんですよね。もちろん自然が好きな人は、毎日がご褒美ですね。松岡さんみたいに、ほとんど外で釣りをしている人もいるので(笑)」

鶴雅リゾートさんの複数ある寮の付近を歩きながら教えてもらっていたら、ん?保育園? 寮の1階に保育園がある建物に遭遇。

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「そうなんです、お子さんがいらっしゃる方もたくさん働いていますので、当社で保育園も運営しています」と麥倉さん。

都会では考えられない驚きの事実でしたが、もしかしたらお子さんを自然に関わらせてのびのび過ごさせたいという理由から鶴雅グループで働きたい!なんて方々が出てきてもおかしくないと思います。

「阿寒をはじめさまざまな地域でお客様をお出迎えする施設を維持していくことは、地域の雇用を創出することにつながると思っていまして、それも北海道を元気にしていく地域貢献のひとつなのかなって今は感じています。採用活動でも会社のことを伝えるだけでなく、地域のことや暮らしなども多くの方に伝えて、もっと北海道に貢献できたらいいなと思っています」

コロナが一段落し、観光業が再び活況しはじめると共に、受入側の人手不足の深刻さもクローズアップされてきています。地域の過疎化や少子化などもあり、担い手不足との戦いもあり、決して楽なお仕事ではない人事部の一翼の麥倉さんですが、働く人の生活や暮らしにも寄り添った親身な活動を続けられている印象を抱きました。

観光業のこれから

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今回の取材では、それぞれ違う部署で、違うお仕事をし、現在に至るまでについても全く違う三人の方々に登場いただきました。

この三人に共通して言えることは「仕事を全力で楽しんでいる」ということ。働く社員が楽しく充実した毎日を過ごしていければ、その雰囲気がしっかりとお客様にも伝わり、結果的に「来て良かった、またきたい」につながるということを語らずとも教えていただいた気がします。それはお客様にも非日常を楽しんでもらうためにも大事なこと。どんなにキレイで良い設備を整えても、どんなに魅力的なツアーをつくったとしても、「人」がダメであれば全部ダメになってしまうということを、わかっておられると感じます。

コロナ禍があり、観光業の仕事から離れてしまった人が世の中には大勢います。また似たようなことが起こるんじゃないかと悲観する人もいます。でもやっぱり、大好きな北海道や大好きな地域を多くの人に知ってもらい、来て楽しんでいただくという唯一無二な仕事。今回の3人から、「北海道の、観光業で働いてみませんか?」というメッセージを改めて伝えていただいた気がしました。

鶴雅グループ あかん遊久の里 鶴雅
住所

北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4丁目6番10号

電話

0154-67-4000

URL

https://www.tsuruga.com/


自然を感じ、暮らす。阿寒で叶えた夢のカタチ。鶴雅グループ

この記事は2023年6月8日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。